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再会と嘘


 少年が泣いている。

 開いた本を両手で押さえながら、ぼろぼろ泣いて嗚咽を漏らしている。


 なんで。なんで、忘れちゃってたんだろう。

 気まぐれだった母。それに翻弄されてきた自分たち。たった一人の味方。大好きな妹。

 その妹を一人残して、死んでしまったことを。


 生きているかのように動く水彩画を押さえるその手がなんなのか、アイザックは泣きながら考えていた。

 だって、おれは、死んじゃったじゃないか。エティを一人にして。汚くてせまいあの家に取り残して。じゃあ、さっきまでエティと繋いでいたこの手は、なに?


「う、あ……あ」


 どうしようもない無力感に蝕まれながら、アイザックは頬を拭うことも忘れて泣いていた。ただただ泣いていた。

 すると、


「あ……アイ、アイザック」


 顔を上げる。目にうつったのは母親にだっこをねだるように両手を前に出したエティの姿だった。

 その頬にはアイザックと同じように幾筋も涙が伝っていて、アイザックと同じ藍色の瞳は不安で弾けそうなくらいに揺れている。アイザックは、飛びつくようにしてエティを抱きしめた。


 ごめんね。ごめんね、ひとりぼっちにしてごめんね。まもってあげられなくてごめんね。そう言って泣きじゃくるアイザックを、エティは力いっぱい抱きしめ返した。いいの。また会えたから、いいの。そう繰り返しながら、赤ん坊のように泣きながら。





 二人は知らない。膨大な図書を持つその部屋の一番奥の奥で、一冊の本がぽろりと棚から落ちたことを。


 表紙もページもずたずたに破られたその本には、『Jack・×・××××』と刻まれていることを。




  ◆


「ジャック!」


 聞き慣れた少年の声に、壊れた道の真ん中に呆然と座り込んでいたジャックは顔を上げた。

 張り裂けそうな顔で走ってくる金色の髪の彼に、エドウィン、そう声をかけた時には既に抱きしめられていた。ジャックは驚いて肩を震わせる。


「ああああよかった本っ当によかった! ジャックが無事でよかった……!」

「え、エドウィン? どうしたの、苦しいよ」

「ああごめん、……怪我とかしてないよな? 顔見せて……」

「ちょっ、エド、ホントにどうしたの? 僕は平気だよどこも悪くないよ」


 エドウインの両手に顔を挟まれながら、ジャックは慌てて彼を見上げる。

 心配されるのは少し嬉しいが、照れくさい。そして何故心配されているのかわからなかった。


 エドウィンはようやくほっとして肩の力を抜く。

 包帯に隠れていないほうの緑色の瞳が揺れた。


「急に街が壊れたから、ジャックに何かあったのかと思ったんだよ。ほら、この街の管理人てジャックじゃん? だからすごい焦って……あーもーほんとよかった」


 へにゃっと笑うエドウィンに微笑みを向けながら、ジャックは心中に冷や汗が伝うのを感じた。

 心配される暖かな嬉しさが凍てついて自身を焦らせる。



 ――自分でやったなんて言ったら、失望される?


「……よくわかんないけど、僕もびっくりしてたんだ。何かあったのかな? 突然壊れるからさ」


 微かに引きつった頬をつりあげて笑う。エドウィンはいつものようにジャックの頭を優しく撫でた。


「そんな心配すんなって、大丈夫だよ! とりあえずみんなを探そう。こんな事態だし、一緒にいたほうが心強いし安全だろ。な?」


 肩をたたきながら明るく励ましてくれるエドウィンの翡翠色の瞳を見つめ、ジャックは安心して笑う。


「そうだね」


 答えて、ジャックは螺旋状の亀裂の中心に背を向けた。


 途端、ジャックの耳元を割れんばかりの悲鳴に似た叫びが劈いた。




 ――酷いやつ酷いやつ酷いやつ酷いやつ!!


 ――そうやって騙すんだ! 大好きなエドウィンまで騙すんだ!!


 ――嫌なやつ! 嫌なやつ!


 ――さんざん優しくしてもらってるくせに!!


 ――さんざん一緒にいてもらってるくせに!!


 ――そんなんだからお前は、――――


     ――――――いつまでたってもジャック・×・××××のままなんだ!!




「…………ッ」



 胸にナイフが刺さったかのような衝撃を受けた気がして、ジャックの足は思わず止まってしまった。

 それにすぐに気付いたエドウィンがあわてて振り返る。


「ジャック?! 大丈夫か、やっぱりどこか痛いんじゃ」

「ううん、なんでもないよ。少し石につまづいちゃって」

「ああなんだ、よかった。気をつけろよ、道が割れてるし瓦礫もいっぱい落ちてるから。ほら」


 エドウィンは労わるように微笑んでジャックに右手を差し出す。


 ――その手をとるの?


 ジャックの耳元でなおわめき続ける雑音の中、すうっと誰かがそう呟いた。

 けれど。


「ありがとう」


 ジャックは兄を慕う弟のような、とびきりの幼い笑顔でエドウィンの手を握った。



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