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ほんとうのこと


 そこは書庫らしかった。

 薄暗いこともあってか、首が痛くなる程上を見上げても一番上の本棚までは見ることが出来ない。灯りは頼りなく揺らめくランタンが本の隙間の壁から幾つかさがっているだけ。

 外から見れば他の建物と変わらない五階建てなのだけど、こうして見上げると果てしなく続いているように見えた。


「すごい本……」


 並んでいる本をぐるりと見回す。

 どれも分厚くて皮のカバーがついていて、まるで辞書のよう。おまけに背表紙には何も書いていない為本棚に入っている状態では一切見分けがつかない。


「とりあえず手当たり次第見てみよ」


 自分自身を勇気づけるように小さく呟く。よしっと気合いを入れ、手を伸ばしやすい肩より少し下辺りの本棚の、適当に目に入った背表紙に左手の指をかけた。

 しかし。


 ――ばさり。


「わ!?」


 後ろで本が床に落ちた音がして、せっかく傾けた本をとっさに元に戻してしまう。いちいち驚いてしまう自分に嫌気をさしつつ振り返り、落ちた本のもとへ歩きそれを拾って軽くはたいた。

 かすれて読みづらいが、重厚な表紙になにやら金色の文字が刻まれている。


「“E……dw,in……Ma……hon……e……y”……『エドウィン=マホニー』……!?」


 ――エドウィンって、まさか。


 “Edwin=Mahoney”、その字列を読んだ瞬間に脳裏に浮かんだのは金髪緑眼の少年。

 橙色のリボンのかかったシルクハットに黒いベスト、黒いスラックスに白いシャツ、橙色のネクタイ。そして、右目を覆う白い包帯。

 彼の苗字(ファミリーネーム)は知らないが、だって、だってエドウィンって。


 わずか二秒足らずでそこまで考え、そしてはっとした。『エドウィン』なんて別に珍しい名前じゃないじゃないか。

 そう考えると何かに焦らされていた気持ちがふっと落ち着く。


 とは言え中身は気になるから、弱々しく揺れるランタンの下へ移動し本を開いた。それは絵本だった。しかも、動く絵本だった。

 水彩画のようだけど線画は限りなく精密で、色のむらや筆の跡が映える美しい絵。


 一番最初の見開きのページでは、男の人がベッドに寝ている女の人の手を両手で握りしめ、泣き笑いで何かを話していた。

 二人はそこに空間が広がっているように動き話し涙していたけれど、音や声は全く聞こえない。あくまで『絵本』だからだろうか。

 添えられていた文章には母親と父親に望まれて彼が生まれたこと、悩みに悩んで『エドウィン』と名付けたことが優しい文章で綴られていた。


 暖かい絵と文体に少し頬を緩ませ、ページをめくる。

 この辞書みたいに分厚いハードカバーはエドウィン=マホニーの日常と成長を描いた絵本のようで、ページをめくるたびに少しずつ彼は成長していった。

 そしてわたしは思う。


 ――これ、やっぱりエドウィンじゃない?


 エドウィンのことをそんなに深く知っているわけではないけれど、金色の髪も少しつり目気味の翡翠色の眼も明るく面倒見のいい性格も、わたしの知る彼にとても近い気がする。

 兄と姉が一人ずついるだとか両想いの女の子がいただとか、当てはまるのかどうか分からないことも多かったけれど。


 ある夏、エドウィン=マホニーは暑いからと髪を短く切った。そこでようやく確信する。絵本の中の彼はあの(・・)エドウィンと同一人物だ。

 そう理解すると同時に、なんとも言えない不吉な感情がわたしに染み渡る。


 明るく優しく友達も多く、礼儀正しい良い子だと評判高いエドウィン=マホニー少年。

 その彼が、今はこんな得体の知れない街で料理やお菓子をグチャグチャにして遊び全ての物を使い捨てと見なし、狂った景色を誇らしげに眺め笑っている。


 ……怖い。


 そう思っても手がページを捲ってしまうのは、恐怖より怖いもの見たさが勝ってしまう醜さをわたしも持っているからなのだろう。


 捲る。


 ページを捲る。


「っ……」


 吐き気がして口元を押さえる。それでも手は動く。続きを見せろとせがむ。


 ページ捲る。


 ぼろぼろと涙が零れて、紙に水滴が落ちる。まるで絵に吸い込まれるようにそれは広がり、そして消えていく。絵は滲むこともなかった。


 捲る。


 捲る。


 捲る。


 やがて分厚い本のページは四分の一も満たさず真っ白になった。捲っても捲ってもただの無地になってしまった。


「……」


 こんなにたくさんの余白を残して本は終わった。エドウィンの人生は真っ白になった。


 彼は、死んでしまっていた。


 通り魔殺人。動機は特になし。右目をえぐられ腕や腹部を刺され、通行人がなんとか彼から犯人を引き剥がした時にはもう意識はなかった。搬送先の病院で四時間後に死亡。


 一緒にいた彼の友達も駆けつけた両親も兄と姉も、死なないでと泣き叫んで目を閉じたままの少年にすがった。それでも、彼は死んでしまった。

 死んでしまったのだ。


 裏表紙の裏側、一番最後のページに、流麗な筆記体で書かれた文。


『Edwin=Mahoney――エドウィン=マホニー。通り魔による刺殺。』


 たった一文に纏められたそれを非難する資格は、わたしにはないと思う。好奇心、もしくはそれよりもっと汚い感情でこの本を開いたに違いないのだから。


 ため息とともに本を閉じる。止まらない涙は悲しいからかそれ以外の何かか、わたしには解らなかった。


 ばさり。

 どこかでまた音がする。


「……」


 立ち上がる。

 表紙を上にした状態で落ちたそれを手に取り、開く。

 読み終えるとまた落ちてくる。

 それを読み終えると、また落ちてくる。



 Charlotte=Banks――シャルロット=バンクス。父親による撲殺。

 それなりの良家の一人娘で、勝ち気ながらも無邪気で優しい少女。母親から料理やお菓子作りを教わるのが好きだったが、両親が不仲により離婚、父方についていくことになる。

 後に精神を病んだ父親を幼いなりに支えようとするが叶わず、ある夜ゴルフクラブで殴り殺される。発見された遺体は腕やももの骨も折れていたが、致命傷は頭蓋骨の粉砕骨折とみられる。


 Isaac=Butler――アイザック=バトラー。育児放棄による衰弱死。

 学生の母親と既婚者の父親の間に、妹のエティとともに双子として生まれる。シングルマザーとなった彼らの母親は気紛れで、彼らに笑顔で優しく接することもあれば「生むんじゃなかった」「二人もいらなかった」と暴力をふるうこともあった。

 ある日を境に母親は帰ってこなくなり、衰弱死する。


 Etty=Butler――エティ=バトラー。育児放棄による餓死。

 アイザックの双子の妹。いつでも明るく前向きだった兄とは対称的に大人しく内気だったが芯は強く、兄より殴られることは多かったが弱音を吐くことは滅多になかった。

 常に一緒に支え合ってきた兄の死体と一週間程過ごした後、餓死。発見された死体は死後二十日ほど経っていたと見られる。





「……」


 本を閉じる。

 最後に落ちてきたエティの本は、最初の十数ページしか書かれていなかった。


 情けなく鼻をすする音が、天井の見えない暗い部屋の中で微かに残響する。頭がぼんやりする。

 なんだか、現実の中にいないような気がした。だって、それはテレビ越しにニュースで聞くような話で。

 でも……そうだよね。誰かが死んだからそれが出来事になるんだ。テレビの向こうの本当の世界では、誰かが本当に死んでいってたんだ。


 ――もう行こうかな。


 ふらつきながら立ち上がった拍子に、まだ瞳に溜まっていた涙がぽたぽた落ちる。

 それと同時に、もう一冊、本棚からばたりと落ちた。


 視界の端にうつったそれに焦点をあわせた瞬間、言いようのない悪寒が走り思わず自分の身体を抱きしめる。

 駆け抜けるようにわたしを貫いて消えたそれは、少なくとも吉兆でないことは確かだった。


「……」


 エドウィンは死んでいた。

 シャルロットも死んでいた。

 アイザックもエティもみんな死んでいた。


 ――じゃあ、あの子は?


 闇に溶ける黒い髪、対称的に浮き上がるような白い肌。幼い顔に不釣り合いな狂気を纏って、それでも笑顔は無垢で、それすらも恐ろしくて。

 紫と黒のマフラーを揺らして微笑む少年の姿が脳裏に浮かび身震いをした。


 それでも、わたしはそれに歩み寄る。好奇心か義務感か惰性かそれとも恐怖心からか。


 頭痛がする。

 手が痙攣するように震える。

 息が詰まる。


 こんなにも耳元で警鐘が鳴り響いているのに、わたしは取り憑かれたように手を伸ばしていた。

 分厚いそれの表紙に指先が触れた瞬間、独りでにぶわっとページが捲れる。



 最後のページ、裏表紙の裏側。

 そこにやはり、短い文章が淡々と綴られていた。










『Rebecca=Ackerson――レベッカ=アッカーソン。火災による焼死』





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