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門を越えよう


 疾走(はし)る。


 屋根を蹴り、月を背に跳躍する。

 黒い髪を風になびかせ、少年は街を駆け回っていた。


 ――ジャック、ジャック、どこへいくの?


 楽しげな子供の声に、少年は答えない。

 そんな少年を誰かが、何かが、くすくすと笑って話しかける。


 ――ジャック、ジャック、聞いて聞いて。

 ――アリスがね、ジャックのことすきなんだってー。


 愉しそうに語りかける声たちに、少年はなおも反応しない。


 ――ジャック、ジャック、エドウィンはほっとくの?

 ――ジャック、ジャック、エドウィンはねえ。ジャックのことが、だいすきなんだよ。


 街はぐにゃりぐにゃりと道を変え、建物の高さを変え、景色を千変させていく。

 この街の全貌を、少年は知らない。

 『管理人』だなんて名前だけだ。彼はこの街の『管理』など出来はしない。

 本当に正しく彼の役割を言うならば――『責任者』、だった。


 ――ジャック、ジャック、無視しないでよ。


 ――ジャック、ジャック、ぼくらがきらいなの?


 ――ジャック、ジャック、きぐうだねぇ。


 ――……ふふふふ。知ってるとおもうけどね?


 ――ぼくらもねえ、お前みたいな奴ねえ、だーいっきらいだよお!


 瞬間、夜空に割れんばかりに響く大爆笑。

 聞こえないはずのないそれの中でぎゅっと瞳を閉じ、少年は跳んだ。

 (うつ)ろの月を背負い、虚の建物を蹴って。


 嘲笑の渦に呑まれぬように、自らの意志を、存在を、何度も何度も確かめながら。



  ◆


「こんな攻撃的だったっけ……門……」


 そびえたつ漆黒の門を見上げると、自然とそんな言葉が出てきた。

 蜘蛛の巣や蔦をかたどったゴシック様式の門。それは変わらない。

 しかしなんか、なんというか……すべてがトゲトゲしてる。


 そういうデザインなのだろうけど、蔦の部分がどちらかというと茨みたいな見た目になっているし、蜘蛛の巣には蜘蛛が何匹も這っている。

 どこもかしこも手を引っ掛けたら痛そうだ……って何これ自分でフラグたてちゃったよ!


 でも、突起がたくさん出来ているということは足を掛ける部分がいっぱいあるということだ。

 相も変わらず、門が開くことのないよう厳重に巻かれた鎖、頑丈な錠前。

 この門にの向こう側に行くには、乗り越えるしかないだろう。


「やだなー」


 思わずため息が漏れる。

 でも、何度考え直しても帰りたい気持ちのほうが勝ってしまうのだ。

 ……せっかく会えたベッキーを置いていかなければならないとしても。

 だって、こんなこと言ったら……少し、悪いんだけれども……


 あの子が本当にベッキーなのか、自信が持てない。

 声は記憶と完全に一致はしない。それは時間が経ったから。

 身長はずっと伸びた。それは時間が経ったから。

 性格も少しだけ変わった。それは時間が経ったから。


 すべてすべて、確証が持てない。納得できない。

 それは時間が経ったから……本当にそれだけ?

 わかんない。

 けど……。


 ベッキーが何を考えているのか、ここに来てからどんどん、どんどん解らなくなっていくのだ。ああ、もしかしたら、彼女の顔を見ていないからかもしれなかった。


 普通はさ。久しぶりに会ったときくらい取るよね? あのカボチャ頭。


 あの下、何もないとか、そんなことないよね……?


 すっかり思考が麻痺してしまったらしい、そのことを理解しているわたしは開き直る。

 先に帰るくらいいいよね、ベッキー。別に酷くないよね。だってわたし、今、ちょっとおかしいの。

 わたし、怖いんだ。一刻も早くここから出たいんだよ。

 でもベッキーはまだいたいんでしょ?

 じゃあ、置いてっても平気だよね? 謝ったら許してくれるよね?

 だって、親友だもんね……?





 滑るかもしれないけど、怖いからハンカチを手に巻いておいた。

 精神的にだけど、素手でこの門には絶対触りたくない。


 ふうっと大きく息をつき、わたしの正面、門の向こうの橋を見る。

 大丈夫、歩いてきたんだから歩いて帰れるよ。


 蔦に上向きに生えた棘にあたる部分、二股になっているところに手を掛ける。

 別に茨や蜘蛛の巣の装飾自体が刃みたいになっている訳ではなくて、先が鋭く尖ってはいるものの、引っ掻きさえしなければ怪我はしなそうだった。


 慎重に慎重に手を掛け足場を選び、門をよじ登っていく。

 ふんわり広がったスカートが何度も棘に引っかかって傷だらけになってしまったけれどこの際仕方ない。

 ごめんねお母さん。せっかく買ってくれたのに。


 一番厄介だったのは門のてっぺんだった。


 まずあの大きな門の上に立つっていうのが正直ものすごく怖い。下から見てすごい高かったからなぁ。

 それから、門の上に並んで伸びるこの槍みたいな装飾。足掛けらんないよ。


 しばらくの間どうしようか考えていたけれど、足が掛けられない以上乗り越えるのは無理だろうという結論に至った。

 ちょっとキツいけど、槍と槍の間をすり抜けるしかない。


 怖かった。


 恐る恐る足に腕に力を入れる。絶対に下を見ないように意識しながら、少しずつ身体をずらしていく。

 猫って頭さえ通り抜けられれば身体も通り抜けられるらしいよね。よしわたしは猫だいけるいける。


「く……ッ、あっ」


 あと少しというところでぐっと力を入れると、予想外にずるっと身体が抜けた。

 反動で片足が門からずり落ちる。片手が離れる。

 身体が傾く、


 そして――


「うわっ!!」


 間一髪、両手で槍に抱きついた。


「……っ」


 ……あり得ないくらいに息が切れている。

 心臓が生き物みたいに暴れ狂っている。


 死ぬかと思った。


 必死に深呼吸を繰り返しながら、『門の向こう側』になった街を眺める。

 身体が震えた。ああ、これでおさらばだ。

 あとは下りて歩いて帰るだけ、それだけ、やっと帰れる。


 さっきまでの息切れを引き起こしていたものとは違う興奮が、電撃みたいに身体を駆け巡った。

 この街で体験した大量の小さな不可解も、ささやかな恐怖も、驚きも、全全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部さよならできるんだ。


 早く降りよう。

 家に帰ろう。


 そう思うとさっきまでの恐怖心もかき消されていく。

 慎重に足をおろしていこう。

 意を決して下を向く――


 ――と。


「……は?」



 橋が、



 ない?




 ――ちょ、ちょっと待って嘘でしょだってさっき落ちそうになった時は一瞬ちゃんと見えたのにおかしいよなんで意味がわからないなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?!


 わずか一秒足らずの間に脳内も心中も一気に『どうして』で塗りつぶされる。

 おかしいよ、さっきまで、さっきまで確かにあったのに。

 あれ?

 ていうかわたし、手離しちゃってない?

 身体傾いてるよね?

 あ、やばい。全部スローモーションに見える。

 これって死ぬ前になるやつだよね?

 落ちるの?

 あの奈落に?

 わたし死んじゃうの?

 ていうかすごいよね、こんだけ色々考えてるのにまだ落ちてないよ。

 でも時間の問題だよね。

 確実に落ちてるわけだし。

 落ちたら死ぬかな。

 死ぬかなあ。

 死ぬのかなあ?

 帰れずに?

 こんなところで?

 こんな訳のわからないところで?

 ここまできて?







 ――――  冗  談  じ  ゃ  な  い  !




 わたしは、手を伸ばしていた。

 槍の部分はつるつるしてて掴めない、落下の勢いで手がはじかれてしまう。

 それでもこのままあんな真っ暗なところに落ちたくない、こんなところで死にたくない、もう一度手を伸ばした。

 指先に触れたそれを、勢いよく掴む。


 掴んだ、けど。




 重力に身体を委ねたまま、落下の勢いを殺せないまま、(おびただ)しい量の鋭い棘を持った鋼の茨を掴んでしまった。


 手のひらの肉が裂かれ削がれ骨ががりがりと嫌な音を立てる。

 経験したことのない激痛に、せっかく入れた力が抜ける。手が離れる。


 余計に痛い思いしただけで、結局落ちるのか。


 そう考える余裕すらないわたしは、もちろん誰がわたしの腕を掴んでくれたかなんて、それどころか誰かがわたしの腕を掴んでくれたこと自体、解らなかった。




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