いらっしゃいませお客さん
かつん。
わたしの真っ黒なパンプスが古い石畳を鳴らした。
ほうほうと遠くで咽ぶ間延びした梟の声が、底なしの夜の闇に吸い込まれ融けていく。
暗い。
けど、何も見えなくはなかった。なぜなら月が出てるから。
しかしまぁ、なんというか……でけえよ。月がでけえよおい。
わたしの真っ正面に、水面に揺れるピンポン玉のようにぽっかりと浮かぶ満月。
青白いような緑がかってるような、そんな生気のない色の月に手をかざすと、わたしの手より一回りも二回りも大きい。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。とにかく異様なサイズなのだ。
その非現実的な体積と不健康な色が美しいはずの月をひどく虚ろに見せる。
なんだか、造り物みたい。
さて。
わたしは今何やら素晴らしく長い石橋の上に立っている。どれくらい長いかっていうと、入口も出口も見えないくらいだ。石はずいぶんと年季が入っているらしく所々ボロボロと欠けていて、苔が生えてるところすらある。正直気味が悪い。
いやそれよりなんというか……根本的に、一体ここはどこなのだろう。
橋の下を眺めれば吸い込まれそうな奈落、深淵、底無しの闇。
それなのにところどころから大きな枯れ木のようなものが星のない夜空に伸びていて、それも影みたいにどす黒い色で――ってアレこれ梟の鳴き声どっからしてんの? 木と石橋と満月込みの夜空しか見あたらないけど。
変なコンセプトの仕掛け。
とりあえず、わたしの住んでるロンドン郊外にはまぁまずこんな場所はない。
テーマパーク? あ、お化け屋敷? 今日はハロウィンだから、ホラーモチーフのイベントがあってもおかしくはない。かくいうわたしも黒とオレンジの膝丈ドレス的なものを着て、ついさっきまで友だちと近日中トリックオアトリートしてた訳だし。
そっかそっか、ハロウィンだもんね。
ハロウィンなら仕方ないね、うん。
「……仕方なくねぇよ」
思わずため息がこぼれた。
どこなんだ一体。ここも、一緒にいたはずの友だちも。
一緒にいたはずの友だちは四人だから、はぐれてしまったのはわたしの方になる。もしくは光の速さで置いてかれたかだけど……どっちかって言えば前者がいいなぁ、なんてことを思いつつ悲しくなる。仲良しのはずの友だちに全速力で逃げられたら誰だってハートブレイクするでしょ。ええ。それはもう。
……うう、なんか悲しくなってきた。訳が解らなくなってきたよ。
何がどうしてこうなったんだちくしょーこのやろー。
溢れ出る心の汗も拭わず愚痴を並べていたわたしは、ふとあることを思い出した。いや大した事じゃないけれども。
ハロウィン仕様のスカートのポケットに手を突っ込む。
下にパニエをはいてるおかげでふわっとしたシルエットになってるんだけど、歩くと微かにスキップするみたいに揺れてなんだか気持ちがいい。普段ラフな格好ばっかしてるけどさ、こういう日くらいこういうキラキラふわふわしたもの着るのも悪くないよね。
目当ての物はすぐに指先に触れた。
ぱんぱかぱーん、ロリポップキャンディィー!!
個人的にはやっぱ落ち着くには甘いものが一番だと思うんだよね!
棒付きのそれから包装紙をはがすと、現れたのは紫色とオレンジがマーブル状に混ざった飴。わあ超ハロウィン。
口に含むと――
――味がしなかった。
違う。
あまりに衝撃的な出来事のせいで一瞬舌の感覚が、いや全身の神経と五感と思考回路が、ぐっちゃぐちゃにかき回されてしまったのだ。
何が起こったかと言うと――電灯が灯った。
今まで姿形の一切見えなかったはずの電灯が、わたしの目の前から石橋の先の遠くまで一瞬で、同時ではなくわたしに近い方から順に、一瞬、それこそ光が走るように。ぶわっと。
慌てて振り向くと、わたしの後ろ側には一つも灯りはなかった。
思わず口から離してしまったキャンディーを、呆然と立ち尽くしたまま改めて舐める。
うん、ちゃんと甘い。良かった。本当にビビった。
わたしは電灯を見上げ、近い方から遠い方へと視線を流した。
ぼうっとゆるく闇を照らす光。
もしかしたらあれは電気じゃなくてロウソクなのかもしれない。
わずかに揺らめく灯は、正直なんだか頼りない。
本当に電灯の『光』のそのまわりだけを照らしてるような、照らしてるというよりただ『光ってる』だけのような、なんかもう人の道標になる気があるのかどうかすこぶる怪しい。
けど、これはきっと……。
「おいで的な意味なのかな」
振り向けば果てなく伸びていく石橋、黒紫の夜空、底無しにすら思える橋の下の闇。
正面を向くと後ろと同じ風景プラス大きな月と大量の微かな灯。
どちらに進むべきかはともかく、どちらに進みたいかと聞かれればコンマ一秒で結論が出せる。
わたしはそのまま足を前に踏み出した。