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下り坂。
ヤマトはもう見えない。
寂しい気もしたけど、もうひとつ向こうの山を越えたらベラニクが見えるって、お兄ちゃんが教えてくれたから。
「お前は相変わらずチビだな」
(大和が大きすぎるの!)
「いや、俺くらいで普通だと思うけど…」
(明日香より大きいじゃない)
「明日香は女だからな」
(明日香は男だもん!)
「お前なぁ、もうちょいマシな嘘をつけんのか」
(うぅ…)
うん。
今の嘘はちょっと出来が悪いんだぞ。
「でも、ホント、悠奈って小さいよね。子狼みたい」
「みたい、じゃなくて、まだまだ子供だよ、こいつは」
(ボク、もう大人だもん!)
「そういうことは、匂いだけで男を仕留めるくらいになってから言うんだな」
「えっ、悠奈って女の子なの?」
(むぅ…。どういう意味なの?)
「あ、いや…。どっちか分からなかったから…」
「オレは分かってたけどな」
「お兄ちゃんのことなんて、誰も聞いてないから」
「さりげなく酷いことゆうなよ」
望の肩に手を置いてガックリとする。
でも、すぐに払われてしまった。
「お兄ちゃんがルウェに斡旋したのに、知らないはずないでしょ」
「でも、最初、分からないって言ってたんだぞ」
「あ、そういえば」
「あぁ。あれは面倒くさかっただけや」
「ホントかなぁ…」
「まあ、信じるんも信じんのも望次第や。オレは別にどっちでもええで」
「どうしよっかな…」
望は顎に手を当てて考え始める。
リュウも真似して同じ格好をして。
「あ、そうだ。お昼ごはんの用意をしなくちゃ」
「お昼ごはん!」
「あぁ、もうそんな時間か。せやな…どうする?」
「干し肉ならいくらかあるよ」
「干し肉ぅ?」
「何よ、大和。文句があるの?」
「干し肉なんて、死んだ肉じゃねぇか。肉は新鮮なのに限る」
「じゃあ、自分で捕って食べてきなよ」
「そうだな。明日香、一緒に行かないか?」
「ワゥ」
「…え?」
(あはは、嫌われてる~)
「い、いや、明日香は干し肉が食べたいって言っただけだからな!」
(ふふん)
「なんだよ、その得意げな顔は」
(好き嫌いはダメなんだよ)
「好き嫌いじゃねぇって!」
(じゃあ、何なの?)
「肉の好みだ!」
「…結局、好き嫌いやけどな」
「う、五月蝿い!」
そう怒鳴ると、大和は明日香の隣に座り込む。
明日香はそれを見て、ゆっくりと尻尾を振っていて。
「狩りに行くんじゃなかったの?」
「き、気が変わった」
「干し肉しかないよ。あとは、その辺の野草くらいだけど」
「…それでもいい」
「春やの~」
「う、五月蝿い!」
「……?」
「なんで春なの?」
そう聞くと、お兄ちゃんは大和に背を向けるようにして、ヒソヒソ声で話す。
「ああやってな、盛りがついてることを春が来てるってゆうねん」
「サカリ?」
「ちょっと、お兄ちゃん。変なこと吹き込まないでよ」
「変なことやない。ちゃんとした教育や」
「もう…。バカなこと言ってないで、お昼の準備、手伝ってよ」
「ほいほい」
「ねぇ、サカリって何なの?」
「大和に聞いてみろよ。すまんけど、オレは昼ごはんの準備しやなあかんみたいやし」
「うん、分かった」
お兄ちゃんは、自分とリュウの頭をワシワシと撫でると、お昼ごはんの準備を始める。
望は野草を摘んでるし…。
悠奈は望のあとに付いていってるし。
うん、やっぱり大和に聞くしかないんだぞ。
リュウに目で合図をして。
「大和、サカリガツクってどういう意味?」
「…どこで聞いたんだ」
「お兄ちゃんに、大和みたいなのをサカリガツイテルって言うって聞いたの」
「あの小僧…」
「ねぇ、どういう意味なの?」
「盛りがつくというのは、分かりやすく言えば、大和のように女に夢中になってるようなことを言うのだ」
「あ、カイト」
「望に、変なことを吹き込まれないように見張っておいてくれと言われたのでな」
「…何も言ってねぇだろうが」
「いきなり出てくるなとか、なんで出てきたんだとか言おうとしてたのではないか?」
「………」
「ルウェ、リュウ。それに明日香。もうひとつ教えておいてやろう。美人だからといって近付いてくる輩にろくなやつはいない」
「お、俺は違うからな!」
「誰もお前のこととは言ってないだろう」
「うぐっ…」
「そういう風に反応するということは、少なからず自分でも認める部分があるということだ。明日香の美しさに惹かれたのだろう?」
「………」
「まあいい。ルウェ、リュウ。向こうに行こうか。恋愛失敗談だけ豊富な大和に、ようやく訪れた春だ。若い芽を摘むような真似は控えよう」
「もう摘み始めてるだろ!」
「はて、なんのことやら」
そしてカイトに背中を押されて、大和と明日香から離れる。
リュウは、それでも二人の方を見たがってたけど。
「覗いてやるな。覗きなんてのは、あまり趣味のいいものでもないしな」
「うん…」
「リュウにも、そのうち良い人が出来る。焦る必要はない」
「…分かった」
「ねぇ、カイトは好きな人はいるのか?」
「そうだな…。我が主である望だろうか」
「望お姉ちゃんとケッコンするの?」
「はは、それは叶わぬ願いというものだ。それに、私には妻がいる」
「ふぅん。どんな人?」
「そうだな…。一言で言うと、優しいけど怖い…だろうな」
「……?」
「妻というのはそういうものだ」
「ふぅん…」
なんだかよく分からない。
優しいのに、怖いのか?
うーん…。
カイトは、身体を震わせて火の粉を散らす。
それが草に落ちて、小さく燃えた。