64
「ふぁ…」
「起きたか」
「うん…」
「ルウェが一番乗りだ」
「んー…大和は…?」
「俺はそもそも寝てないからな。それではズルいじゃねぇか」
「ふぅん…」
「…まだ朝靄も晴れてないんだ。寝直してもいいんだぞ」
「うん…」
毛布をもう一度ギュッと巻き直して、大和のお腹の上に頭を乗せる。
明日香のとは違って、毛が少しゴワゴワしていた。
でも、すごく気持ち良いのは一緒で。
「懐かしいな」
「ふぁ…何が…?」
「ああ。…少し昔話に付き合ってくれないか?子守唄だと思って聞いてくれればいい」
「うん…」
「俺がまだまだもっと若かった頃だ。俺は誰と契約するわけでもなく、あちこちをフラフラとしていた。ルィムナとか掟への反抗心もあったんだろうな。とにかく、その日暮らしの流浪生活をしていた」
大和はそこで一度切り、ひとつ深呼吸をしたようだった。
「ある日、会ったんだ。焼け野原で。その子はピクリとも動かなかった。魂の抜けた人形みたいだった。俺が吠えようと噛みつこうと、全く動かなかった」
「…そんなことしてたの?」
「あ…まあ、今はそれは置いておこう」
そして、わざとらしく咳払いをして話を戻す。
「そのときは、今よりも酷い戦乱の世だった。行軍に邪魔だからとか、そんな理由で村が焼かれるなんてのは日常茶飯事だったんだ。その子の村もそんなかんじなんだろう。その子はもう涙も声も涸れ果て、あとはそのまま衰弱して死ぬか、他の動物に襲われて死ぬかのどちらかだった」
「………」
「どうあっても何の反応も示さないからな。俺も諦めて立ち去ろうとした。最後、涙の跡だけ拭ってやって。あ、拭ったといっても、舐めただけだぞ。俺には手拭いを使える手がないからな」
「…そんなこと、どうでもいいんだぞ」
「そ、そうか…」
また咳払いをする。
変なことなんて言わないで、お話のところだけ言えばいいのに…。
「舐めてるとな、その子がそっと抱き締めてきたんだよ。いや、そっとというか、かなり衰弱してたんだ。何日飲み食いしてないんだろうってくらい痩せ細った腕で、それでも懸命に抱き締めて。欲しかったんだろうな。すがり付く先を。バラバラになった心を繋ぎ止める何かを。俺は、そこに生きたいという望みを見た。だから、俺はその子を支えることを決めた。ずっと、な」
「………」
「一週間ほどでその子は回復して、歩き回るくらいは出来るようになった。そして頃合いを見計らい、俺はその子を連れて忌まわしい地を離れた。時間が解決してくれる、そのときまで。その子は何も言わず付いてきた。喉が潰れていたから声が出なかったというのもあるんだけど。それからは、また流浪の生活だ。西へ東へのな。そうしてるうちにその子はだんだん元気になっていって、もうほとんど元通りになったんだ。でも、ひとつだけ出来ないことがあった」
「…泣くこと」
「ん?よく分かったな」
「うん…」
なんでだろ。
でも、なんとなく分かった。
「ルウェの言う通り、その子は全く泣かなかった。世話になった婆さんが死んだときも、可愛がっていた鷹がどこかのクズ野郎に射ち落とされたときも。哀しんでるのは確かなんだが、泣かなかった。泣くことだけ、どこかに忘れてきたみたいだった」
そこで一度、話を切って。
頬っぺたを舐めてくれた。
「なんでお前が泣いてるんだよ」
「え…?」
目を拭ってみると、確かに泣いていた。
なんで…?
涙が止まらない…。
「その子も、そんな風に泣いたときがあった。もう一度、村に戻ってきたときだ。もう何年も経っていたからな、焼け野原なんて残っていなかった。それが自然、なんだけどな。一面、花畑になっていた。右を見ても左を見ても。でも、ひとつだけ不自然なことがあった」
「…咲いていたのは、ユヌトだけ」
「ん?」
「ユヌトの別名は落涙花。涙を通して全ての哀しみを受け止め、花を咲かせるときに幸せや喜びに還してくれるといわれてる。琥珀はそこで初めて泣いた。哀しいからじゃなくて。ユヌトが咲いていたから。ユヌトが、みんなの哀しみを受け止めてくれたから。みんなの哀しみを還してくれたから」
「ん?え?ルウェ?」
「え?」
「なんで知ってるんだ?」
「何を?」
「いや、琥珀が泣いた理由とか。そもそも、琥珀って名前、出したか?」
「……?」
「…不思議なやつだな」
琥珀?
なんだろ…。
よく分かんない…。
なんで、昔の大和の話を知ってるの?
琥珀って誰なの…?
「…まあ、それはもういい。続きを話そうか」
「うん…」
「ユヌトだけの花畑、泣いた琥珀。それだけじゃない。まだ不思議なことがあった。その日の夜、琥珀が話しかけてきた。声の出なかった琥珀が、だ。びっくりしすぎて、俺の声が出なくなったくらいだ。琥珀は今までのお礼を言ってきた。そして、自分の名前と。あと…俺にも大和という名前をくれた」
「…うん」
「ペラペラとよく喋るやつだった。次から次へと、立て板に水を流すように。喋って喋って、一晩中喋り続けた」
「きっと、嬉しかったんだぞ」
「そうかもな。それで、気付けば空が白み始めていた。それで、琥珀は慌てて謝ってきたんだ。もう会えないから、とか言って。何のことかは分からなかった」
「………」
「最期、やってみたかったとか言って、こうやって俺を枕にしてきたんだ。それで、琥珀はゆっくりと目を閉じた。…次に気付いたときには昼になってた。琥珀の姿はどこにもなくて、俺は花畑の真ん中で寝てたんだ」
「…うん」
「でも、琥珀の匂いは確かにそこにあった。ユヌトの花の匂いが」
「…うん」
「"琥珀"が還った瞬間だったんだな。あのときは」
「うん」
琥珀が泣いたとき。
それが、きっと。
「ふぁ…おはよ…。何を話してるの…?」
「望!」
「わわっ!どうしたの?」
「えへへ」
「あっ。…大和。ルウェを泣かせたの?」
「え?あ、違うぞ!誤解だ!」
「ふぅん…」
「ホントだって!」
「琥珀のお話をしてもらってたんだぞ!」
「え?琥珀?」
「うん!」
「琥珀って…琥珀?」
「えへへ」
また涙が溢れてきた。
それを隠すように、望のお腹に額を擦りつけて。
…琥珀はきっと、そのときに琥珀になったんだぞ。