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「今日のいつくらいに着くの?」
「さあねぇ。早くて昼過ぎかしら」
「遅かったら?」
「夜になるかもしれないわねぇ」
「えぇ…」
「何があるかは分からないから。いちおう、ここにいる全員が、あと二日は物資の補給なしで充分生活出来るようにはなってるわ」
「そんなこと聞いてもなぁ…。早く温かい布団の中で眠りたいよ…」
「あら。クーア旅団イチオシの寝袋は気に入らなかったかしら?」
「いや、確かに寝心地はいいけど…」
「そう。よかった」
「でも、さすがに、そう何日も使いたいってものじゃないし…」
「今までずっと毛布だけだったんだし、贅沢言っちゃダメだよ、ナナヤ」
「あれも贅沢、これも贅沢。どうせ、私は贅沢娘だよ…」
「何を不貞腐れてるのよ。どのみち、あともう少しなんだから、ちょっと我慢してなさいよ」
「はぁ…」
「一日中、閉鎖空間の中にいれば、気も滅入るのも分かるわ。そんなときには…これよ」
「えっ、何?」
「チョッコレイト」
「余計に気が滅入るよ…」
「糖分を補給することで、脳が安心を取り戻すの。ほら、食べてみなさいな」
「いいよ、別に…」
「食べなさい」
「えぇ…」
「一人の乱れが、全員の乱れに繋がるの。特に、こうやって膝を詰めているような状況では。ナナヤちゃんなら、分かるはずよ」
「はぁい…」
ナナヤはチョッコレイトを受け取ると、そのまま口に入れて。
茶色の甘いチョッコレイトなのに、苦い顔をして舐めていた。
「心配しなくても、早くて確実なのがクーア運送だから」
「あ、そんな名前なんですか?」
「クーア旅団の運送部門だから。いくつもある部門のうちのひとつよ」
「他にどんな部門があるんですか?」
「販売とか仕入とかかしらねぇ。他にも、まあいろいろね」
「へぇ。やっぱり、分業制なんですね」
「そうね。組織が大きくなればなるほど、ひとつひとつの仕事の専門性を高くする方が、効率がよくなるのよ。それでも、全体がバラバラにならないように纏めていかないといけないんだけど。それが上手くいかないと、組織は潰れてしまうわ」
「大変なんですね」
「だから、各部門の管理をする部門もあるのよ」
「えぇ…。そうなってくると、わけが分からなくなってきますね…」
「そうねぇ。さらに全部門を統括する本部があるくらいだし。組織は、大きくなればなるほど、ややこしくなっていくわ」
「そんな組織を、よく運営してますよね…」
「私は、ただ団長の椅子に座ってるだけだから」
「えぇ…」
たぶん、座ってるだけってことはないんだと思うけど、そう言えるタルニアお姉ちゃんは、やっぱりすごいんだと思う。
旅団の運営とか、そんなのはよく分かんないけど。
「ルウェ、サーニャ。悪路が続いてるみたいだが、馬車酔いはしてないか?」
「うん、大丈夫」
「大丈夫だよ」
「それならいい」
「この荷車には、衝撃吸収の機構が備わってるから、揺れもそれほどだと思うのだけど」
「そういえば、前に乗ったどこかの格安馬車は物凄く揺れて、ほとんど馬車酔いで寝込んでました。それを考えると、三大旅団みたいな大きなところのは、全然揺れないですよね」
「まあ、少し値は張るけど、それ相応の快適さは常に用意してるつもりよ。格安馬車だと、壊れてた馬車を修理したり、それこそ格安で発注した馬車を使ったりしてるから、そういう最新の技術は使われてないことが多いわ。それに、狭い馬車をほぼ満タンにして走るから、重量負荷もかなり掛かって、ちょっとした段差でも大変な揺れになるのよ。それでも、若いから体力はあるけど、お金はないって人とかからの需要があるから、そういう商売はなくならないと思うわ。むしろ、もし牛や馬に頼らない動力なんかが発明されたら、夜に走って朝に目的地に着くっていうような、夜行貨客車みたいなものが出来るんじゃないかしらね」
「それって、旅は過程じゃなくなるって話にも繋がりますよね。なんか、タルニアさんって、未来への展望が開けてるみたいで、すごいですよね。私には想像も付かないなぁ…」
「商売をやってると、少し先の未来を見通す力も必要になってくるのよ。でも、これは夢物語。いつ来るかも分からない、本当に来るかも分からない、私の頭の中にある空想よ」
「空想だなんて。実際に、そういうお客さんが増えてるんでしょ?」
「増えてるというだけで、時間的にも精神的にも余裕のない人たちの話だから、まだまだのんびりゆったりの気儘な旅をしてる人の方が圧倒的に多いわ。それに、私自身、そんな時代にはなってほしくないの。そりゃ、商売の観点から言えば、金の成る木や金の卵を生む鶏になるのは、ほぼ確実よ。旅行を企画するところから、旅行が終わったあとのこと、それから、次の旅行に繋げるところまで、細かな計画はいつでも立てられるようになってる。でも、私はそれを形にしたくないの。旅っていうのは…本当の旅っていうのは、人それぞれの貴重な体験や経験が集まって出来た、小さな宝石なのよ。ひとつひとつ、形も大きさも違う。商売人は、その宝石がもっと綺麗になるように、ただ丁寧に磨くだけ。でも、旅が商売人の売り物になってしまうと、宝石は全部、同じ形で同じ大きさになってしまうわ。それではもう、私の中では旅じゃないのよ。だから、私たちクーア旅団の仕事は、あくまでもお客さんを目的地に送り届けるだけ。その先でどういう宝石を作ってくるのかは、お客さんにお任せしてるの」
「ふん。…それほどの強い信念を持ってこそ、旅団の長が務まるというものだな」
「あら、少し一人で喋りすぎたかしら。澪ちゃんが喋るなんて」
「………」
「いえ。すごく興味深い話でした。特に、こうやって旅をしてる身としては」
「ふふふ。それならよかったけど。でも、望ちゃんたちの旅の宝石は、まさに黄金体験の結晶というわけね、私にとって」
「お、黄金体験なんて、そんな大それたものなのかは分かりませんけど…」
「そのままで、ずっと変わらないでいてちょうだい。私は、その輝きを見ていたいの」
「え、えぇ…」
変わらないのは難しいことだって、いつかどこかで聞いたような気がする。
でも、タルニアお姉ちゃんが、それで喜んでくれるなら。
自分も頑張ってみるんだぞ。




