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「ずっとこんな生活じゃ、退屈で脳みそが溶けそうだよ」
「いいじゃない。幸せだよ?」
「そりゃそうだけどさぁ…」
「文句言っちゃダメだよ」
「うーん…。私としては、直前まででも働きたいんだけど…」
「それは、分からないでもないけど」
「薫がいろいろと五月蝿いし。私も日向みたいに動き回りたいのに…」
「まあ、軽く運動するくらいにしておいた方がいいんじゃないかな」
「はぁ…。たまには、どこかの温泉にでも入りにいきたいよ…」
「また、出産が済んだあとの楽しみに取っておいたら?」
「そうだねぇ…」
ツクシは大きなため息をついて。
そんなに暇なのかな。
まあ、何もやることがないと、そりゃ暇だろうけど。
「あ、そうだ。妊婦さんが、あんまり動けない時期を利用して、作家を目指したりすることもあるらしいよ」
「えぇ?作家って、小説家とか?」
「うん。あとは、絵本作家とか」
「でも、私、筆とか持てないし…」
「リョウゼンさまが運営してるリョウゼン書店なら、代筆もしてくれるよ。手が使えない作家さんも多く抱えてるし」
「代筆ねぇ…。でも、私に文才なんてないだろうし…。報告書しか書いたことないんだよ?」
「才能があるかどうかとかも、ちゃんと判断してくれるのよ」
「えぇ…。才能がないなんて言われたら、立ち直れないよ…」
「大丈夫だって。多少文章を書くのが苦手だったとしても、ちゃんとした指導を受けて、成功した人だっているんだから。報告書を書いてるなら、充分基礎は出来てると思うよ。ね、だから、やってみようよ」
「うーん…。それなら、日向がやってみたら?」
「えっ?わ、私はいいよ…」
「そんなこと言って、じゃあ、なんで私に薦めるのよ」
「そ、それは…」
「あっ、分かった。誰かの差し金でしょ。薫とか」
「うーん…」
「やっぱりそうなんだ。いきなりそんな話をして、おかしいと思った。白状しなさいよ。誰に言われたの?」
「それは…。内緒の約束だから…」
「ここまで来て、それはないでしょ。言いなさいよ。どうせ、薫なんでしょ」
「うーん…。クノさま…なんだけど…」
「えっ、クノさま?なんで?」
「最初は薫さんなんだけど、薫さんがクノさまに、ツクシが退屈だってずっと言ってることを相談しに行って、それじゃあこんなのはどうかって、提案してくださったらしいのよ」
「へぇ…。でも、じゃあ、なんで日向なの?」
「女同士の方が話しやすいだろうってこともあるし、他にも理由があって…。クノさまが、リョウゼンさまに話を通して、私自身はリョウゼンさまに聞いたんだけど」
「ふぅん…」
「それで、リョウゼンさま、すごくせっかちだから、もう編集部の方も待機してて…」
「えっ、来てるの?」
「ううん。でも、呼んだらすぐに来れるようになってる」
「えぇ…。どうしよ…。そこまで準備してるんなら、受けないと仕方ないじゃない…」
「ごめんね…」
「ううん。でも、そうまででもしてもらわないと、受けもしないで、また暇だ暇だって言ってるばかりだったと思うし」
「そ、そうかな」
「うん。まあ、とりあえず呼んでみてよ。あんまり待たせるのもあれだし」
「分かった」
日向は頷いて、少しだけ目を瞑る。
するとすぐに、どこからともなく風が吹いてきて。
いつの間にか、目の前に白い狼が現れていた。
「わっ、ビックリした」
「…お初にお目に掛かります。私はセカムと申す者です。貴女がツクシさまでしょうか」
「は、はいっ」
「緊張しすぎだよ、ツクシ」
「だ、だって…」
「こちらはセカムさん。リョウゼン書店の、編集部長だよ」
「編集部長…ってことは、物凄く偉い人なんじゃないの?」
「形だけのものですので、どうかお気になさらず」
「いやいや、気になりますから…」
「早速、お話を聞かせてもらったら?」
「…えっと、日向とはどういう関係なんですか?」
「同僚です」
「えっ、じゃあ、日向もリョウゼン書店の?」
「編集部第三班長です」
「えっ、班長?すごいじゃない」
「受け持ちは少ないんだけどね。だから、セカムさんは私の上司で、リョウゼンさまは社長みたいなものかな」
「でも、じゃあ、なんで日向が直接見てくれないの?」
「編集部では、新人担当というものが決まっており、日向はそれではないということです。新人の才能を見極めるためには、それなりの知識が必要であり、全員にその役割を持たせるのは大変な手間ですし、一人一人の負担も大きくなります。ですので、特別にそういう班を設けて対応しているというわけです。新人担当は第六班です」
「へぇ…」
「セカムさんは第六班の班長も兼任してて、セカムさんが担当した新人は、みんな人気作家になってるんだよ」
「みなさん、才能のある方ばかりだったというだけのことです」
「えぇ…。じゃあ、私が最初の汚点ってことだね…」
「やってみなくちゃ分からないでしょ」
「私に才能なんてないもん…」
「とりあえず、始めてみましょう。やらないことには、何も分かりませんので」
「そうだよ、ツクシ。やってみなくちゃ。さっき、やるって言ったでしょ?」
「言ったけど…」
「こういうのは、思い切りが大切だよ」
「うぅ…」
ツクシ、また悩んでるみたい。
まあ、実際にセカムが来たとは言っても、それで思い切ったり出来るものじゃないもんね。
…でも、日向やセカムの言う通り、やってみなくちゃ分からないんだぞ。
「分かった、分かったよ…。じゃあ、ちょっと話をするだけね。本当にやるかどうかは分からないんだからね」
「そうそう、そんなかんじでいいんだよ」
「もう…。みんなが勝手に話を進めたせいなんだから…」
「はいはい、そうですね」
「では、もともと執筆活動等はしていない、完全な初心者ということを前提で話を進めていきますが、よろしいでしょうか」
「はい…。よろしくお願いします…」
セカムがどんな人なのかってのは、まだ全然分からないけど。
でも、ツクシが本当に作家になれたらいいのになって思う。
…ツクシが書く本って、どんな本なんだろ。
読んでみたいんだぞ。




