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「澪は来なかったんダ」
「うん。探したんだけど、どこにもいなかった」
「フゥン」
「…ねぇ、なんで、澪と仲が悪いの?」
「仲が悪いわけじゃないヨ。ただ、澪は、ナディアが隠し事をしてるって思ってるだケ。だから、怒ってるんダ。大切なことを隠してる人と、一緒に旅なんてしたくないよネ、ルウェも」
「そんなこと…。だって、誰にでも秘密はあるんだし…」
「ルウェにも、秘密があるのかナ?」
「えっ?うーん…。あるのかな…」
「フフフ」
みんなに隠してることって何だろ。
…凛への手紙、まだ書けてないってことかな。
これって秘密なのかな?
誰とも会ってなかったから、言ってないだけな気もする。
「無理に探さなくてもいいヨ。ないならないで、それはいいことだシ。まあ、ナディアは、いろいろ話さないといけないことがあるけどネ」
「うーん…」
「…あ、今日は、ここのお風呂にしよっカ」
「えっ?うん、いいよ」
「じゃあ、こレ。タダ券ネ」
「タダ券なの?」
「ンー。どちらかというと、タダ札かナ」
「………」
「まあまあ、怒らないノ」
「別に怒ってないけど…」
これで温泉にタダで入れるんだから、タダ札でもいい気がするけど…。
でも、もっと言い方があると思う。
…とにかく、ナディアと一緒に中に入って。
「いらっしゃい。お二人さん?」
「タダ札もあるヨ」
「知ってる知ってる。お前は、さっきまでここにいただろ」
「女の子の裸を覗いてたネ」
「お前は、女の子が好きなのか?」
「女の子も、好きネ」
「そうかよ。まあ、ごゆっくり。あ、ワンちゃんは、ここまでだからな」
「………」
「じゃあ、明日香、ごめんね」
「そこのおじさんと話してるといいヨ」
「………」
少し首を傾げて、玄関の隅っこの方に座る。
それから、パタリと尻尾を振って。
「賢いワンちゃんだなぁ。うちのアホ犬に見せてやりたいくらいだな」
「明日香は、ナディアより賢いしネ」
「まあ、そうだな」
「エェー…」
「自分で言い出したことだろ」
「まあネ」
「早く入ってこい。今なら貸切だぞ」
「泳いでくるネ」
「泳ぐな。泳いだら、明日は全館掃除してもらうぞ」
「酷いおじさんだネ」
「温泉は泳ぐ場所じゃねぇからな。泳ぎたいなら、川にでも行ってろ」
「ハイハイ。じゃあ、行こっか、ルウェ」
「うん」
もう一度、明日香の頭を撫でてあげてから、女湯の暖簾が掛かった方に入って。
適当な番号の籠を決めて、服を脱いでいく。
「ここは鍵も付いてないし、盗み放題だネ。服とか」
「えっ?盗むの?」
「フフフ。ルウェの下着、盗んじゃおうかナ」
「なんで?」
「そりゃ…やっぱり、やめとくヨ。いろいろ怖いシ」
「えぇ?」
「まあ、大人の世界ネ」
「ふぅん…。あ、そうだ。教えてくれるの?」
「ン?気持ちいいこと?」
「うん」
「ンー、教えてあげてもいいけど、澪とかリュウに怒られたくないシ…。二人のどっちかに聞くといいヨ。ナディアは、なんか、こういうことに関わったらダメみたいだからネ」
「えぇ…。気になるんだぞ…」
「まあ、リュウに聞いたらいいと思うヨ。リュウは、いちおう女の子だシ」
「分かった…」
「フフフ」
ナディアは頭を撫でてくれるけど、気になって仕方がなかった。
でも、昨日のリュウも怖かったし…。
やっぱり、リュウに聞くんだぞ…。
おみくじのおばさんのお店で貰った炭酸煎餅を齧りながら、少し筆を進める。
明日香が行きたいって言うから広場まで来てみたけど、足湯って結構気持ちいいんだぞ。
鉛筆も貸してもらえたから、凛への手紙も書けるし。
…ナディアの言ってた気持ちいいことって、こういうことなのかな。
「お腹いっぱいだネ」
「ナディアは食べ過ぎなの」
「美味しい料理なのに、食べないと勿体ないと思わなイ?」
「だからって、お櫃でご飯を食べるなんて、どう考えてもバカとしか言い様がないの。この前のお赤飯もそうだけど」
「手厳しいネ、リュウは。でも、望もナナヤも軟弱だネ。ちょっとお風呂掃除と店番をしたくらいで、へたり込んでるなんテ」
「むしろ、同じことをしてるはずのナディアが、ピンピンしてるってことがおかしいの。お風呂掃除なんて、とっても大変なの」
「そんなことないヨ。スイスイーッとネ」
「適当にやったんじゃないの?」
「そんなことないヨ。番台のおじさんのお墨付きネ」
「ホントかな…。別にいいけど…」
「はぁ…。いい気持ちだネ…」
「………」
二人も、のんびりと足を伸ばして。
なんだかポカポカして温かい。
…望とナナヤも来ればよかったのに。
エルは、桐華お姉ちゃんの仕事が忙しいみたいだから、仕方ないけど…。
「あ、リュウ」
「ん?どうしたの?」
「ナディアが言ってた、気持ちいいことって何なの?」
「…ナディア」
「エェー。ナディアのせいなノ?」
「他に誰がいるの?」
「だって、ナディアが話したら嫌なんじゃないノ?」
「嫌なの」
「じゃあ、リュウが教えてあげなヨ。ルウェも、リュウに教えてほしいって言ってるシ」
「うぅー…。絶対、わたしに聞けって吹き込んだの…」
「フフフ…」
リュウは、鱗と同じくらい、顔を真っ赤にさせてる。
それを見て、ナディアは怪しい笑みを浮かべてるけど。
…聞いちゃいけないことだったのかな。
もしかして、月のものみたいな話なのかな。
それだったら、カイトとかに聞いた方がいいのかな…。
「まあ、リュウの可愛い姿も見られたし、代わりに、ナディアのことを教えてあげようかナ」
「ナディアのこと?」
「そうだヨ。知りたイ?」
「うん」
「…ナディアが言うと、やらしく聞こえるの」
「リュウが、やらしいことを考えてるからじゃないのかナ」
「………」
「フフフ。…まあ、澪にも怒られちゃったシ。ちょっと話しとくネ」
ナディアはニッコリと笑うと、空を見上げる。
それから、ゆっくりと深呼吸をして。
「ナディアはね、海の向こうから来たんだヨ。商船に乗せられテ」
「乗せられて?」
「そうだヨ。乗せられテ。それで、この国に来て、異国遊廓のひとつで禿として働いてたんダ」
「遊廓…」
「ユウカク…?」
「まあ、優しいお姉さま方に、いろいろと教えてもらってネ。この国の言葉も、そこで覚えたんだヨ。踊りは、ナディアの故郷のだけド」
「ふぅん…」
「禿だったから、お客さんの相手はしなかったんだけド。お姉さま方のお世話とか雑用とかネ。お姉さま方が暇なときは、お手玉とか、おはじきとか、金毘羅船々みたいな、普通の遊びも教えてもらったシ」
「金毘羅船々は普通の遊びとは言えないの…」
「エェー。みんな、普通にやってるんだと思ってタ」
「お座敷遊びなの、それは」
「フゥン。まあ、リュウが顔を真っ赤にさせちゃうような火遊びも、教えてもらったヨ」
「………」
「花火?」
「花火ではないかナ」
「そっか…」
「それでね、あるとき、放火騒ぎが起きたんダ。誰か知らないけど、松明みたいなのを、どこかの遊廓の番台に投げ込んだっテ。自分で火事を起こす火事場泥棒だったみたイ。…まあ、そんなのはどうでもよくて、その騒ぎに乗じて、お姉さま方が、何かのときにって隠してたいくらかのお金を持たせて、傍にいた何人かの禿を逃がしてくれたんダ。その中の一人がナディアだったんだけどネ」
「ふぅん…」
「ほら、これが、お姉さま方に貰ったお金」
「えっ、十万円くらいあるの」
「えっ、十万円?」
「正確には、十万千七百八十五円ネ。その辺にあったお金を掻き集めて押し付けられたから、こんなに半端なんだけド。でも、これは、いつかお姉さま方に返すために取ってあるんダ。お姉さま方を身請けして、自由にしてあげるのが、ナディアの夢なんダ」
「そうなんだ…」
「まだまだ遠い夢の話ネ。貯金どころか、その日の生活にも困窮してるシ」
「………」
「まあ、そんなところかナ。あとは、ナディアは、木の精霊と人間の間の子だから、少しだけ、自然の力を使えるってことくらイ」
「軽く言ってるそっちの方も、充分重大な事実なの…」
「エェー。あ、肌が黒いのは、木とは関係ないヨ。お母さん譲りネ」
「それはどうでもいいことなの。…まあ、詳しい話は、望お姉ちゃんとナナヤお姉ちゃんもいるときに聞くの」
「そうだネ」
澪が言ってたのは、このことだったのかな。
ナディアが木の精霊の子供だってこと。
何も言わなかったら、ユウカクで働いてるなんてことは分からないんだし。
…何も言わなくても、木の精霊の子供ってことは分かるのかな。
でも、木の精霊って何なんだろ。
聖獣みたいなものなのかな。
自然の力っていうのも、ちょっと気になるし。
まだまだ、ナディアのことで知りたいことは、たくさんあるんだぞ。
ぼんやりと光ってるナディアの肌を見ながら、凛への手紙にまた新しいことを書き込む。




