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「いらっしゃい、ルウェ。今日はどうしたの?」
「ツクシ。薫から聞いたんだぞ」
「妊娠のこと?」
「うん」
「あぁ、そうなんだ」
「大変だね」
「そうねぇ。鈍感な亭主を持つと。…あ、妊娠のこと?」
「両方なんだぞ。でも、なんで、直接言わなかったの?」
「直接言いにくいじゃない、こういうのって」
「なんで?」
「…まあ、人それぞれだとは思うけど、私はちょっと恥ずかしいかな」
「ふぅん…。でも、大切なことでしょ?」
「そうね。ちゃんと言えばよかったかな。そしたら、こんなイライラすることもなかったし」
「うん」
「でも、それとなく仄めかしてもいたんだよ?気分が悪いとか、月のものが来なくなったとか、子供が出来たらどうするかって聞いてみたりだとか…」
「そうなんだ」
それで全然気付かなかったんだ。
それか、気付かなかったというか、そんなことは全然考えてなかったのかな。
とりあえず、薫はとんでもなく鈍感さんなんだってことが、よく分かった。
「でも、妊娠したら、月のものが来なくなるの?」
「そりゃそうだよ」
「なんで?」
「なんでって…。それは、ちょっと分かんないなぁ…。私は薬師じゃないし…」
「ふぅん…」
「ごめんね」
「ううん。またあとで、ユゥクお兄ちゃんに聞いてみる」
「ユゥクと一緒なんだ。どう?元気にしてる?茜が心配してるんだよ」
「元気だよ。今は、イシュテナにいるんだ」
「へぇ、温泉の街じゃない。いいなぁ」
「知ってるの?」
「噂に聞くばっかりだけどね。茜にねだって、連れていってもらおうかな」
「ダメだ、それは。温泉は、妊婦にはキツすぎると聞いたことがある」
「あ、薫」
「…何しに来たの」
「ツクシ…。滋養にいい食事を、ルクエンさまやルィムナさまに作ってもらってきたんだよ…。俺は、こういうのは分からないし…」
「………」
「ツクシ、ごはんは食べないと」
「分かってるけど…」
「ごめん…」
薫は、咥えていたお椀をツクシの前に置いて、トボトボと戻っていってしまった。
ツクシはお椀をチラリと見ると、ため息をついて。
「はぁ…。まあ、昨日気付いてからは、一所懸命いろいろやってくれてるんだけどね。でも、なんか、素直にありがとうなんて言える気分でもないんだよ」
「なんで?」
「今日のルウェは、よくなんでって聞くね」
「だって、気になるんだもん」
「まあ、知りたいと思うのは、いいことだよ。…それで、なんでって言われてもね、なんか分からない。なんか分からないけど、まだ赦したくないというか。薫が気付かなかった一ヶ月間の、私のイライラをぶつけてるのかな。子供みたいだけどさ」
「ふぅん…」
「一刻も早く、この嬉しさというか、喜びというか、そういうのを共有したいって、本当は思ってるのに。でもまあ、ルウェの言う通り、ちゃんと言わなかった私も悪いんだけどね…」
もう一度ため息をつくと、薫が持ってきたごはんを食べ始める。
ちょっと多すぎる気もするけど。
…結構美味しそうなんだぞ。
「ルウェも食べる?」
「…ううん。ツクシと、赤ちゃんのためのごはんだもん」
「そうなんだけどね。でも、こんなにいっぱい食べ切らんないよ。ちょっとだけ、食べてくれない?それに、一緒に食べてもらった方が、もっと美味しいし」
「うーん…。じゃあ、ちょっとだけ…」
「うん、ありがと」
箸とかがないから、手で直接掴んで食べる。
…うん、やっぱり美味しい。
でも、何だろ。
鶏肉かな。
「雉だと思うよ」
「キジ?」
「うん。どこで捕ってきてくれたんだろ」
「知らないけど」
「…美味しいね」
「うん、美味しい」
でも、もしかしたら、これって薫と一緒に食べるために、量を多くしてたんじゃないかな。
ルクエンもルィムナも、ツクシが食べられる量くらい分かってるはずだし…。
そう思うと、なんだか、薫に悪いことをしちゃったような気がして。
「ルウェが深く考えることはないよ。私と薫が悪いんだし」
「でも…」
「ごめんね」
「………」
美味しいはずのごはんが、ちょっと苦くなっちゃった。
ツクシが顔を舐めてくれるけど、やっぱり、もうちょっと早く気付いて、無理矢理にでも二人で一緒に食べさせた方がよかったんじゃないかな…。
「…さあ、ルウェ。聞きたいことはない?」
「えっ…?」
「妊婦が目の前にいるんだよ?女の子として、聞いておきたいこととかあるでしょ?」
「なんで?」
「なんでって…。じゃあ、今日は何しに来たの?」
「えっ?あ…。いろいろ聞きにきたんだけど…」
「答えられることなら答えるからさ、なんでも聞きなよ」
「うん…。分かった」
それから、ツクシに、気になってたいろんなことを聞いてみた。
いろんなこと。
…薫のことも、少し気になったけど。
今は考えないことにする。
目が覚めると、そこはもうもとの世界だった。
結構明るいから、ちょっと寝坊しちゃったかな。
周りを見回しても、明日香以外は誰もいかなった。
「明日香、おはよ」
「おはよ」
「みんなはどこに行ったの?」
「朝ごはんだと思うよ」
「そっか」
「一緒に行く?」
「うん」
「まあ、その前に、顔とか洗いに行った方がいいよね」
「うん」
布団から出て、寝間着を着替える。
それから、荷物の中から手拭いを取り出して。
…ふと、櫛が目に入った。
「………」
「どうしたの?」
「髪、鋤いた方がいいのかなって。ナナヤも言ってたし」
「そりゃ、鋤いた方がいいんじゃない?」
「うん…」
「…まあ、今日はいいじゃない。ちょっと寝坊しちゃったんだしさ」
「寝坊したわけじゃなくて、ツクシに会いにいってたんだぞ」
「ツクシに?そうなんだ」
「うん。妊娠してるからって、いろんな話を聞いてたんだ」
「そっか。じゃあ、なかなか帰ってこられないよね」
「うん」
「何か、面白いこと聞けた?」
「聞けたよ。でも、もう半分過ぎてるのに、まだあんまり実感がないんだって。妊娠してるって知ったときも、ああそうなんだって、なんとなく他人事だったって」
「ふぅん、そうなんだ。でも、そのうち実感が湧いてくるんじゃないかな。もうすぐ生まれるって段になれば、嫌でも分かってくると思うよ。お腹の中に、自分たちの新しい生命が宿ってるんだって」
「そうなの?」
「うん。たぶんね」
「だけど、明日香、よく知ってるんだね」
「まあね。ちょっと、あざみ姉さんと話をすることがあって」
「露風のお嫁さん?」
「そうだよ。私も、いろいろ聞いちゃった。妊娠のこととか、育児のこととか。これから、何かの役に立つかもしれないし」
「大和と結婚したとき?」
「ち、違うよ…。漠然と、何かのときにだよ…」
「ふぅん」
「………」
そういえば、大和とはどうなってるのかな。
向こうの世界では会えるはずだけど。
あんまり帰ってる様子もないし、もしかして、全然会ってないのかな。
「は、早く行こうよ。もう、この話は終わり!」
「えっ、なんで?」
「なんでも!」
「そっか…」
大和のこと、聞きたかったのに、先に手を打たれちゃったんだぞ…。
とりあえず、明日香に急かされて、慌てて手拭いを拾う。
「あ」
「何?」
「何か落ちたよ」
「何が?」
「これ。手紙?」
明日香が匂いを嗅いでいる紙を拾って、よく見てみる。
…これ、凛の手紙だ。
あとで読もうと思って、すっかり忘れてたんだぞ…。
「凛の手紙だね。ルランの匂いがする」
「うん…。凛、待ってるかな…」
「待ってると思うよ」
「だよね…」
「朝ごはんのとき、みんなと一緒に読もうよ」
「うん、そうする…」
とりあえず、手拭いと凛の手紙を持って、部屋を出る。
…大変だなぁ。
凛、待たせちゃった。
怒ってないかな。
心配なんだぞ…。




