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荷物はもとからあまりないから、準備もすぐに終わった。
今日替える下着と、明日着る服だけを出しておいて。
「エル、出来た?」
「もうちょい待って…」
「エルは荷物が多いの」
「そんなんゆうたかて…。二人と違て、街と街の間はほとんど馬車で移動するから、ちょっと荷物多てもええねん…」
「馬が可哀想なの」
「五月蝿いなぁ…。ええやん、行った先々でお土産買うんが、うちの趣味やねん…」
「桐華お姉ちゃんに頼んで、どこかの宿の部屋を貸してもらえばいいの。そしたら、わざわざ持ち歩かなくても、そこで飾っておけるでしょ?」
「はぁ、なるほど。でも、そんなん悪いわぁ。大切な客室やのに」
「ルイカミナとかヤマトとかの大きな街でない限り、一番混むときでも客室がいっぱいになることはないの。実際に頼んでみないと分からないけど、どこか小さい街か村の一部屋くらいならすぐに貸してくれるの。それに、エルはちゃんと団長補佐として働いてるんだから、自室くらい持っててもいいと思うの」
「そうかなぁ…。贅沢やん、そんなん…」
「聞いてみないと分からないでしょ。今晩にでも聞いてみるの」
「せやなぁ…。聞くだけ聞いとこかなぁ…」
「うん。ということで、早くしてほしいの」
「えぇ…」
リュウに急かされて、エルはなんかもう適当に詰め込んでるみたいだった。
お土産ってのがどれかは分からなかったけど、中から鈴の音がたくさん聞こえる袋があったから、たぶんそれだと思う。
「もう夜に回すわ…」
「エルは、整理整頓が苦手なの」
「リュウが急かすからやろ…」
「何にしても、速さは大切なの」
「はぁ…」
エルは大きなため息をついて。
…とりあえず、準備は終わったから、広場に向かうことにする。
広場には、望とナナヤがいた。
一緒に明日香とカイトと蓮華と雷斗の四人もいて、広場に残ってた三人と何かを話していた。
「あ、みんな。遅かったね」
「うん。ちょっと」
「見せてもらったけど、すごく大きいね」
「うん」
「名のある妖怪かもしれんな。それこそ、伝説に出てくるような。今は弱りきっているが、万全ならば、山ひとつを焼き払うのに十秒と掛からないほどの力を持っているだろう」
「すごいのは分かるけど、なんでそんな微妙なたとえなの?」
「それは、こいつが火の属性だからだろうな。私であれば、空を駆ける速さだろうし、露風たちなら水底に沈められる範囲だろう。そういうものだ」
「ふぅん…。いまいちよく分からないなぁ…」
「力の大きさなど、たとえようがないからな。はっきりとした数値で示されているわけでもないし、基準があるわけでもない」
「それはそうだけど…」
「傷が治って目が覚めた途端、ここら一帯を一瞬で滅ぼしかねない力を持っているだろう、と言っているのだ。私も詳しくは知らないが、腹の傷はおそらく、呪縛の剣か楔と呼ばれるものによる傷だろう。呪術だか妖術だか、そんな力によって封印を施されていたのかもしれない」
「呪術?封印?術式とは違うの?」
「さあな。私も聞いたことがあるというだけだ。それに、術式には封印の力はない。ただ、そういったものも、もとを辿れば龍の使っていた力だと言われている。私たちの術式にしてもな。まあ、本質は同じものなのかもしれないな」
「ふぅん…」
「あっ」
「え?何、ルウェ。お腹痛いの?」
「ううん」
「なんで、そんな話になるの?」
「えっ?いや…」
「もしかして、望が痛いんじゃないの?厠に行く?」
「大丈夫だからいいよ…」
「そう?それで、どうしたの?」
「あ、うん。龍の目が覚めたなって」
「えっ?覚めた?」
「む、確かに。…ルウェには、白霧が効いていないのか?」
「うん。なんか、見える」
「そうか…」
「自信なくした?」
「見える者でも、ほとんどの者は見えないと自負していたのに…」
「今はそんなことはどうでもいいだろう。どうやら、ルウェとお前にしか見えていないようだから、白霧を解いてみてくれないか」
「はい」
ずっと見えてるから、解いたのか解いてないのか分からない。
でも、龍はジッとこっちを見ていた。
金色の目は閉じてたけど。
「あれ?術式解いちゃったんだ」
「目が覚めたのか?」
「だから、早すぎるって…」
「あっ、三人とも。速く速く」
「えっ?」
「目が覚めたんだって」
「嘘、早すぎない?」
「確かにな」
「カイトさま。診断をよろしくお願い致します」
「うむ」
凛と雪葉と那由多の三人もやってきて。
カイトは、ノシノシと龍の前まで歩いていって、あちこちを見て回る。
その間、龍は全く動かなかったけど、胸のところが動いてるから、ちゃんと息はしてるってことは分かった。
「なんだ、三つ目は開いてないのか」
「凛。目が覚めたからって、無理させちゃダメだよ」
「青い目だな」
「そうだね」
「ずっとルウェを見てる。食べ物でも持ってるのか?」
「凛じゃないんだから…」
「炒り豆とか食べるかな」
「ちょっと、凛…」
凛は龍の横まで車椅子を押していって、懐から袋を出す。
それから、豆を一粒だけ出すと、鼻先に近付けて。
「ほら、豆だ。食べてみろ」
「ちょっと、凛ごと食べられちゃうよ…」
「凛、鳩ではないのだからだな…」
「豆は身体にいいぞ」
凛は相変わらず話を聞いていないし、豆を無理矢理に口の中に入れようとしている。
でも、龍は何をするわけでもなく、ただされるがままだった。
目は少し動いてる気もしないでもなかったけど。
「これ、凛。やめなさい」
「なんだ、カイト。お前が食べるのか?」
「私は要らない」
「そうか。生豆の方が好きか」
「そういう意味ではない。そんなことよりだ。この者は、一時的に目を覚ましただけのようだ。おそらく、目を開けているだけで精一杯だろう。身体を動かしたり、話すことすらもまだ出来ない。目が見えているのか、耳が聞こえているのかも怪しいところだな」
「えぇ…。じゃあ、なんで目を開けたの?無理しないで寝てればいいのに」
「痛みで目が覚めたか、あるいは、何かを察知したか」
「何か?何かって?」
「さあな。これだけ弱っているのに、その何かに突き動かされたとなれば、相当危険なものであろうな。私には何も感じられないが」
「えぇ…。怖いなぁ…」
「私も何も感じないが、とりあえずだ。まだ動けないのであれば、白霧を掛け直した方がいいのではないか?」
「そうだな。その方が、この者も危険から身を隠せる可能性も高まるだろう」
「はい。では、掛け直します」
露風はまた目を瞑って、何かを呟き始める。
すると、さっきみたいに真っ白な霧が立ち込めてきて、みんなも見えなくなった。
「どうして、起きたの?」
「…最期に、お前を一目でも見ておきたかった」
「これから頑張って、元気になるんでしょ?そんなこと言わないで」
「…そうだな。お前のために、もう少し、踏ん張ってみようか」
「自分のため…?」
「お前は、この目が好きだったな」
そう言って、また金色の目を開いてみせてくれた。
金色の目は、やっぱり、優しく輝いていて。
「炒り豆は美味かったと、凛という子に伝えておいてくれ。お前のように、直接声を届けることが出来ないのでな」
「なんで?」
「今は、お前の力を触媒として、なんとか話し掛けているだけだ。凛という子の力だけでは、この微弱な力を増幅しきれないようだ」
「そうなんだ。…でも、自分は、凛には伝えないんだぞ。ちゃんと自分で伝えないと」
「…そうだな」
龍の鼻先を撫でると、霧が薄くなっていって。
そして、また広場が戻ってきた。
…龍の目はもう閉じていたけど。
でも、眠ってるだけ。
早く元気になって、凛にお礼を言わないと。
そうだよね。




