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「心配?」
「うん…」
「大丈夫大丈夫。明日になったら、元気になってるって」
「うん…」
「…連れて帰れなかったのは残念だけどさ、明日また会うって約束したんだし。大丈夫だよ」
「うん…」
ナナヤは石鹸を流して、湯船に浸かる。
二人で入っても、お湯は溢れなかった。
「ルウェは細こいねぇ。リュウみたいに、ちょっと肉を付けた方がいいんじゃない?」
「リュウが聞いたら怒るんだぞ」
「そうかな。私は、リュウくらい、ほんのちょっと太ってる方がいいと思うんだけど」
「だから、ナナヤも太ってるの?」
「わ、私は太ってないよ…」
「でも…」
望と比べても、ナナヤは太ってると思った。
それとも、望が細いの?
「ルウェもね、しっかり食べないと、いい女にはなれないよ」
「いい女?」
「そ。男どもを魅了してやまない、いい女」
「お兄ちゃんも、いい女になれって言ってた」
「そう?じゃあ、期待の新星だね」
「……?」
いい女って何なんだろ。
ナナヤの説明を聞いても分からなかったけど。
「ナナヤは、いい女なの?」
「えっ?私?私はどうかな。顔にこんな傷痕こさえたいい女なんて、いないと思うけどなぁ」
「顔に傷痕があったら、いい女じゃないの?」
「…私はね、内面も合わせていい女なんだと思うんだけど、男ってなかなかそうじゃないみたいだね。内面は二の次で、まずは外見だからね。まあ、私は内面も怪しいところだけど」
「傷痕なんて、関係ないんじゃないの?」
「私自身は、乗り越えようとしてるんだけどね。周りの誰もが、傷痕なんて関係ないなんて思ってるとは限らないでしょ?だから、私はその部分で、他の普通の人よりも不利な点を持ってるってわけ。まあ、私が僻んでるだけかもしれないけどね」
「ナナヤ自身は、どう思ってるの?」
「うん…。乗り越えようとしてる。さっきも言ったけどね。これが私なんだって。この傷痕は、もう消えることはないんだから。好きになるしかないってね。でも、自暴自棄になってるわけじゃないよ。本当に、傷痕も含めて、ちゃんと好きになってきてる。…ルウェたちのお陰だよ。こんな私でも、受け入れてくれる人がいるって知ることが出来たから。あの暗い洞穴の中では、分からなかったこと」
「自分は、ナナヤのこと、大好きだよ。みんなも、きっとそう」
「ふふふ。ありがと」
そっと、抱き締めてくれた。
とっても温かくて。
…それから、やっぱり、ナナヤはちょっと太ってると思った。
行灯の火も消えた、月の光だけの暗い部屋。
あの子のことが心配で、なかなか寝付けなかった。
エルはもう眠ってるみたいで、ゆっくりとした寝息だけが聞こえてくる。
部屋の隅で丸くなってる明日香は、相変わらず暗闇にぼんやりと浮かび上がるように見えて。
今日は、その隣に露風も寝ている。
「寝られないの?」
「…うん。リュウは?」
「わたしは、ルウェが寝たら、寝ようかな」
「…ごめんね」
「謝ることなんてないよ。寝ないのは、わたしの勝手だもん」
「………」
明日香が、少し動いた。
起こしちゃったかな。
でも、それも一瞬だけで。
「…リュウ」
「何?」
「一緒に寝てもいい?」
「うん。いいよ」
「………」
枕を持って、リュウの寝台のところに行く。
真ん中の、リュウが寝てたところが、ほんのりと温かかった。
「さっき話してた、黄昏の子っていう子が心配なの?」
「うん…」
「そっか」
「………」
「見に行きたいけど、夜も遅いから無理だね」
「うん…」
「………」
「見に行っちゃダメかな…」
「ダメなの。危ないの」
「でも…」
「この街は平和だけどね、だからといって、何も起こらないとは言えないの。その子の様子を見に行った途中で何かあったら、一番哀しむのはその子なんじゃないかな」
「………」
「今日はもう寝て、明日すぐに会いに行けばいいの。それじゃダメ?」
「ダメじゃないけど…」
「うん」
そして、ナナヤは頭を撫でてくれて。
…それで安心出来たわけじゃないけど。
でも、目を瞑るには充分だった。
夢?
それとも現実?
目の前には、暗い森が広がっている。
聖獣の世界でも、影の世界でもない。
どちらかと言えば、自分たちの世界に近いと思った。
でも、どこにいるのかも分からない。
ひとつだけ分かるとすれば、自分がここにいるということだけ。
…たぶん、これは夢だと思う。
だけど、はっきりとした夢。
これも、あの黄昏の子の力なのかな。
明日香と喋られるようになったのも、あの子のお陰だって言ってた。
「誰だ、そこにいるのは」
「誰?」
「私が聞いているんだ。お前から答えろ」
「自分はルウェなんだぞ」
「ルウェ?ふん、知らないな」
「自分も、あなたのことを知らない」
「私は…名乗るような名を持ってはいない」
「名無しの権兵衛?」
「なんとでも呼べばいい」
「あなたはどうしてここにいるの?」
「それは私の聞くところだ。ここは私の領域だ。誰も立ち入られぬ。それなのに、お前はここにいる。どうやって入ってきた」
「分かんない。気が付いたら、ここにいた」
「おかしなやつだ。…しかし、結界に綻びや穴があるわけでもなさそうだ。お前がどうやって入ってきたのか、どうやって出るのか、知ることが出来そうにもないのは口惜しいな」
「なんで?」
「私も、この忌々しい場所からはおさらばしたいのだがな。しかし、封印を解こうとするだけでも、この美しい毛を焦がすことになる」
「…自分で美しいとか言うの?」
「う、五月蝿い!そういうことは、実際に見てから言え!」
「でも、どこにいるか分かんないし」
声も森の中を反響していて、どこから聞こえてくるのかなんて分からない。
近くにいるのか、遠くにいるのか。
それも分からない。
「少しくらいなら妖術も使える。案内してやろう」
「えっ?」
地面の近くに、小さな火が灯った。
吹いたら消えそうなくらい小さいけど、それがいくつも森の奥へ伸びていってて、何か道標みたいになってる。
…それに沿って、歩いていってみる。
火を数えていると、ちょうど百個のところで終わっていて。
後ろを振り返ってみると、今まで数えた火はいつの間にか消えていた。
「百物語というのは知っているか?」
「知らない」
「つまらん小僧だな」
「何なの?」
「妖怪を招くには、それなりの儀式が必要だということだ」
「招かれたのは自分なんじゃ…」
「ええい、細かいことを気にするな!」
「………」
なんでもいいけど…。
でも、そんなことを話してるうちに、百個目の火が消えた。
そしたら、どうしてか、森の中がぼんやりと明るくなって、目の前にあった大きな樹の前に、誰かが現れた。
「どうだ。私の姿は」
「………」
「ふふふ。息を飲むほど美しいか?」
「…自分で言うの?」
「………」
その子は、確かに綺麗だった。
髪も、目も、尻尾も。
でも、一番気になったのは、お腹のところに刺さっている、大きな剣だった。
そして、よく見てみれば、血が滲んで着物もボロボロだし、その子自身もボロボロで。
「…案内までしておいて悪いが、あまり見ないでくれないか。情けないだろう。ここで、一人でずっとこうしているのだ。ここには虫さえ来ない」
「…寂しくないの?」
「もう慣れた。ここに封じられてからどれだけ経ったのかも、もう分からない」
「………」
「同情されるのは好かんな。やはり、ここに来させるべきではなかったか。もう去りなさい。目が覚めれば、私のことも綺麗さっぱり忘れているだろう。…久しぶりに誰かと話をすることが出来て楽しかった。お前が去っても、思い残すことはないよ」
「そんなの、ダメなんだぞ」
「何だと?」
「独りぼっちなんて、絶対にダメ」
こんなの、自分のワガママかもしれないけど。
でも、イヤだ。
剣の柄を握って、一気に引っ張る。
すると、剣はあっさりと抜けて。
「お前…!私がなぜ封印されたかも考えずに…!」
「なんで封印されたかなんて知らないけど、あなたは、こんな酷いことをされるような人じゃないと思う。だから…」
「お前はバカだ…!」
「バカかもしれない!でも…。でも、一緒に帰ろうよ」
「………」
あの子が何か言ったような気がしたけど。
目の前が一瞬暗くなって、そのまま真っ暗になった。




