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「二人でやることなんてなかったからな」
「すまないな、我儘を言って」
「とにかく、私が引っ張っていけばいいんでしょ?」
「ああ。祈月祭オタクだからな、お前は」
「ふふん。任せなって!」
「結局、自分は何をすればいいんだ?」
「祈祷文の詠誦だな。平仮名で書き直したのを渡すから。ゆっくりでいいから、なるべく間違わないように。あと、間を空けてるところは、なるべく区切って読んでくれ」
「うん。分かった」
圭太郎が巻物を開いて見せてくれる。
文自体はそんなに長くなくて、二巻き半くらい。
全部、平仮名で書いてあった。
「あんまり難しいのはないと思う。詠誦自体も短いから、ゆっくり読んでも五分くらいだ。すぐに終わる。だから、気を楽にしていけ」
「うん」
「ん?誰か来たぞ」
シフがそう言ったすぐあとに、村長さんが入ってきた。
村長さんはシフの横を素通りして、圭太郎に何かヒソヒソと話す。
「分かりました。じゃあ、村長は祈月祭の由来の話を出来るだけ延ばしてください」
「分かった」
そして、またすぐに村長は部屋を出ていった。
…何があったのかな。
「シフ」
「ああ。聞いていた」
「何?何があったの?」
「分からない。"影"が現れたらしい」
「影?」
「ヤーリェ…」
「えっ?」
「シフ、影を消しにいくの?」
「放っておくわけにもいくまい」
「じゃあ、自分も連れていって!」
「…分かった」
「ねぇ、影って何なの?」
「ごめんね、サン」
「えっ、あ、待ってよ!」
シフの背中に乗せてもらって。
影の下に急ぐ。
ヤーリェ…。
やっぱり、来てたんだね…。
シフが到着する頃には、影はもういなかった。
代わりに、大和とルトがいて。
…狼の姉さまとヤーリェはいない。
「久しいな、氷の司よ。それに、ルウェ」
「げっ、"零下の氷剣"かよ!」
「いや…"真実の暁"であろう?」
「ああ。耳が速いな」
「"真実の暁"?なんだ、そりゃ?」
「今はそんな場合ではない。…影は」
「もう片付けたよ」
「そうか…」
「残念そうだな?」
「そう見えるか?」
「ああ」
「それならそれでいい」
「"真実の暁"よ。根源を潰しに掛かろうとはするなよ。ルウェを哀しませることになる」
「…分かっている。しかし、なぜ?」
「さあな。でも、ヤーリェは、かつての過ちを繰り返そうとはしていない。…あの子も被害者なのだ。あの子の闇は、美しいまでに純粋だから」
「だから、影に魅入られたと?」
「影も闇だ。美しいものに惹かれるのは、"真実の暁"とて同じことであろう?」
「…お前も、か?」
「ああ。あの美しき闇を、影に渡すわけにもいかないのでな」
そう言いながら、ルトはゆっくりと翼を動かして。
それから、こっちを見る。
「ヤーリェは大丈夫だ。今は村の宿で休んでいる。まあ、今日のお前の祈りを見られないのは残念だったろうが。その格好、月人なのだろう?」
「うん…」
「しっかり、任を果たしてこい。ヤーリェも、それを望んでいる」
「…うん、分かった」
「ふふふ。やはり、芯の強い子だ」
「…ルウェ。戻ろうか」
「うん」
またシフの背中に乗って。
二人に見送られて、神社へと戻っていく。
…太陽が山の向こうに沈もうとしていた。
ヤーリェ…。
影って何なの?
なんで、ヤーリェが…。
ダシは、たくさんの人に引っ張られて、広場の真ん中に近付いていく。
圭太郎は、大幣を持って前に座っていて。
「なんか緊張するなぁ…」
「サン。あまり喋るな」
「うぅ…。喉が渇いてきた…」
「水差しを置いてあるだろ。途中で厠に行きたくなるといけないから、あまり飲むなよ」
「う、うん…」
サンは、水差しに少しだけ入っていた水を半分ほど飲んで。
それから、自分に渡してくれる。
「自分はいいんだぞ」
「そ、そう?緊張しない?」
「緊張はしてるんだぞ」
「落ち着いてるね…」
「緊張したときは、ゆっくりと息をすればいいって。姉さまに教えてもらったよ」
「ゆっくりと…」
ゆっくりと深呼吸をする。
すると、少し落ち着いたみたいで。
「でも、まだ緊張する…」
「なんでもいいが、もうすぐ着くぞ」
「うぅ…」
ダシはゆっくりと止まった。
まず最初に、圭太郎が大幣を持ってダシを降りて。
何か一言二言呟いたあと、樹の前に置いてあった筒に大幣を立てる。
それから、圭太郎から合図があって。
サンは一度大きく深呼吸をして、ダシから降りる。
降りきったのを見計らって、自分も巻物を持って降りていって。
「月よ。月人の祈りを、今、届け奉らん」
圭太郎が一歩二歩と下がって、サンと自分が樹の前に出る。
それから、巻物を広げて。
ゆっくりと読み上げていく。
広場はまだ明るかったから、望は窓を閉めて。
行灯に火を入れると、部屋が薄ぼんやりと照らされる。
「すごかったよ、ルウェ。サンの方が緊張してたんじゃない?」
「うん。右足から出ちゃったって泣いてたよ」
「え?右足?」
「月人は、どんなときも左足から出るんだって。圭太郎も、そんな細かいことは気にするなって言ってたんだけど」
「へぇ…。ホント、細かいね…」
「でも、終わったあと、神社でずっと泣いてた」
「ふぅん…。まあ、念願の月人だったみたいだしね」
「うん」
サン、今日は神社に泊まるのかな。
ユタナも迎えに来てたけど…。
夕飯にもいなかったし、どうするのかな…。
「そうだ、ルウェ。明日はさ、私も一日休みだから一緒に回らない?ユタナもサンと回るって言ってたしさ」
「うん。いいよ」
「明日香も行くよね?」
「………」
「えぇ、なんでよ」
「ウゥ…」
「いいじゃない、それくらい」
「………」
「そういえば、今日は何があったの?明日香、樹のところにいなかったから」
「まだ聞いてなかった?」
「うん」
「明日香ね、屋台の横で寝てたら、屋台に来る人みんなに触られて大変だったんだ。それで、明日香は怒って逃げ出すし」
「ふぅん。そんなことがあったの?」
「………」
聞いてみても、そっぽを向いただけで。
背中を撫でると、ため息をついた。
「ふふふ。ルウェに撫でてもらうのは嬉しいんだ」
「………」
「反論はしないんだね」
「………」
「あっ、明日香」
明日香は望を睨み付けると、のっそりと立ち上がって。
大きな欠伸をすると、前足で戸を開けてどこかに行ってしまった。
「明日香、ルウェのことが好きなんだよ」
「自分も明日香のこと、大好きなんだぞ」
「うん」
「…じゃあ、寝よっか。広場だけじゃなくて、村中でいろいろやってるみたいだし。明日は早起きして、いろんなところに行ってみようよ」
「うん」
布団に入って、目を閉じる。
そしたら、望が頭を撫でてくれて。
…お休み、望。
明日は、一緒にいろんなところに行こうね。




