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太陽が山の向こうに沈み始めるとお祭りの準備は終わりで、すぐに宿に戻る。
宿に入ると、いい匂いが漂ってきていて。
「あ、お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
「すぐに夕飯にするからね。ちょっと待ってて」
「はぁい」
台所から、声だけ聞こえた。
何かを焼くような音も聞こえる。
そういえば、宿の人にまだ会ってなかったんだぞ。
来たときは、もうみんな準備に出ていたから。
…どんな人なのかな。
ちょっと暗い廊下に出て、いい匂いのする台所を覗こうとすると、向こうから誰かがバタバタと走ってくる音が聞こえて。
「お姉ちゃん!」
「えっ?」
いきなり、誰かに抱きつかれた。
抱きついてきた誰かは、しばらく顔をジッと見つめたあと、ゆっくりと離れる。
綺麗な流れるような金髪で、薄暗い中でも分かる赤い目が、一際目立っていた。
「なんだ、違うのか…」
「サン、お客さまに対して失礼だろ」
「でも、アル。この人たち、お姉ちゃんじゃないよ?」
「はぁ…。すみません、うちの妹がご迷惑をお掛けして…」
後ろからもう一人、同じく金髪と赤目の男の人が来て。
もしかして、この人たちは…
「ユタナのお兄ちゃんと妹?」
「えっ、ユタナを知ってるんですか?」
「ルウェ、どうしたの?…あっ」
「望、ユタナの兄妹なんだぞ」
「あっ、こんばんは。ユタナの兄で、アルヴィンと申します。こっちのチビはサンで、ユタナの妹です。どうやらユタナが迷惑をお掛けしたようで、申し訳ありません」
「い、いえ。ご丁寧にどうも」
「ねぇねぇ、お姉ちゃんのこと、知ってるの?」
「サン!」
「うぅ…」
「ま、まあまあ…。えっとですね、ルイカミナでユタナには少しお世話になって」
「そうでしたか。じゃあ、手紙に書いてあったご友人の方というのが…」
「この子ですね。ルウェというんですが」
「あぁ、ルウェさん。どうも、ユタナと仲良くしてくださって、ありがとうございます」
「なんで、お礼を言うの?」
「えっ?」
「お礼を言われるようなことなんて、してないんだぞ」
「そ、そうですね。すみません、つい癖で…。お気を悪くされたなら、申し訳ありません」
「……?」
「あはは…。そんなに深く考えてないと思いますよ、この子は」
「は、はぁ…」
「その話はそこまでだよ。そら、どいたどいた。夕飯のお通りだよ!」
「お母さん!お姉ちゃんが帰ってきてない!」
「分かった分かった。そんなのあとあと」
「でも!」
「でももタモもないの!ほら、アルとサンも手伝って!」
「うぅ…」
「あなたたちも手伝って。依頼を受けてきたんでしょ?」
「母さん。この人たちが受けたのは祭りの手伝いであって、うちの手伝いじゃないよ」
「ノープロブレム。うちにいる人は、みんなうちの子だよ。文句は受け付けない」
「…ユーアーソゥエゴイスティック」
「ワット?ワッドゥユーセイ?」
「エニースィング、マァム…」
「そう。じゃあ、みんな手伝ってくれるわね?」
「お姉ちゃんは!」
「ユタナと夕飯、どっちが大切なの?」
「うっ…。うぅ…お姉ちゃん…」
「じゃあ、サンは夕飯抜きね」
「なんで、なんで!」
「食べたいなら手伝いなさい」
「うぅ…」
そして、サンたちのお母さんは居間に行って。
望とアルも、それについていく。
「うぅ…。お姉ちゃん…」
「ユタナが好きなの?」
「うん!大好き!ずっと会ってないけど…」
「ルイカミナには行かなかったのか?」
「うん…。一人じゃ危ないからダメだって…。みんな忙しいから、ついてきてもらうことも出来なかったし…」
「そう…」
「でもね、今日帰ってくるって聞いて、ずっと楽しみにしてるの。お姉ちゃんに会ったら何を話そうかとか、何して遊ぼうかとか…」
「サン!ルウェ!早く来なさい!」
「お姉ちゃん、いつ帰ってくるのかな…」
サンは哀しそうに呟きながら、居間へ向かう。
…ユタナたち、何してるのかな。
何か急用が出来たのかな…。
とりあえず、自分も居間に向かった。
夕飯を食べてる間も、サンはずっと哀しそうな顔をしていて。
それが気になって、なんとかっていう料理だったけど、味は分からなかった。
夕飯が終わってもユタナは帰ってこなくて、サンの哀しみも大きくなるばっかりみたいで。
みんなはもう部屋に戻ったけど、自分は帰る気になれなくて、ずっとサンを見ていた。
「お姉ちゃん…」
「サン、部屋に戻ってなって。ユタナが帰ってきたら、すぐに呼んでやるから」
「ヤだもん!お姉ちゃんに一番最初にお帰りなさいって言うんだもん!」
アルがどうにか頑張るけど、サンは玄関から離れなくて。
サンのお母さんも、もうやめておけと合図を送る。
そして、小声で話し掛けてきた。
「ごめんね、ルウェ。情けないところを見せちゃって。サンってば強情だから」
「うん」
「それでさ、あの子、ルイカミナではどうしてたの?」
「最初はずっと、黒い外套を着てたんだぞ。頭巾も被って」
「へぇ…。やっぱり、かなり気にしてたのね…」
「なんでみんなと違うんだって、家を飛び出したって言ってたよ」
「そうそう。懐かしいなぁ」
「母さん…。懐かしがってる場合じゃないよ…」
「いいじゃない、別に。それで?他には何か話してた?」
「みんなで、外国から来たって」
「へぇ、そんなことまで」
「それは手紙にも書いてあった。新しい家族だから、全部話したって」
「ふぅん。お母さんのには書いてなかったなぁ」
「信頼されてないんじゃないのか?口も軽いし」
「まあ、アルのに書いとけば、そのうち伝播するって思ったんでしょ。お母さんに似て、口が羽根のように軽いもんね?」
「う、五月蝿いなぁ…」
「はぁ…。しかし、臨月の嫁さんをすっぽかしてこんなところにいる薄情さは、まったく、誰に似たのかしらねぇ?」
「す、すっぽかしてなんかない!皐月が、ユタナが帰ってくるんだったら、今日は帰ってきたらダメだとか言うから…」
「はいはい。分かった分かった」
「………」
「ん?あ、もうそろそろだね」
「え?」
サンのお母さんが立ち上がると、玄関のところで声がした。
サンは飛び上がって玄関を開けようとするけど、お母さんはそれを止めて。
そして、すぐあとに戸が開いて。
「こんばんは。遅くなって申し訳ありません」
「はいは~い。お待ちしておりました~」
「クノお兄ちゃん」
「ルウェさま。やはり、ここでしたか」
「うん。お姉ちゃんとユタナは?」
「あぁ、こちらです」
「はぁい。こんばんは~」
「こんばんは。遅かったですね」
「ごめんなさいねぇ。ユタナちゃんが挨拶回りをしたいって言ったから」
「そうなんですか。それで、ユタナは?」
「お姉ちゃん!」
「あらぁ。この子がサンちゃん?ユタナちゃんが言ってた通り、可愛らしい子ねぇ」
「お姉ちゃんは?お姉ちゃんは?」
「そこにいるんだけどねぇ。ほら、来なさいな」
「………」
玄関の影から、ユタナが出てきた。
なんだか、少し決まりの悪そうな顔をしていて。
「お姉ちゃん!」
「サン…」
「お帰りなさい、お姉ちゃん!」
「…ただいま」
「うっ…うぅ…。お姉ちゃん…」
「サン…。ごめんな…」
サンは、ユタナに抱きついたまま離れなかった。
それを見て、お姉ちゃんとクノお兄ちゃんは目で合図を送って。
それから何も言わずに自分の背中も押していって、二階に上がっていく。
…振り返りはしなかった。
たぶん、これが、家族水入らずってやつだから。
二階に上がると、暗い廊下でお姉ちゃんは静かに肩に手を置いてきて。
「今日は、もうあの子たちの思うようにさせてあげましょう」
「うん」
「私たちは、お祭りが終わるまでここにいるから。ルウェちゃんたちもそうなのよね?」
「たぶん」
「そのあたりの話は、私が聞いておきます。あの無礼な者との相部屋でしょうから」
「誰が無礼やねん。ターニャとクノも来よったか?」
「そうよ。でも、挨拶はまた明日にしましょう」
「まったく…」
「じゃあ、分かったわ。今日はもう、お休みにしましょ。ごめんなさいだけど、望ちゃんたちにもよろしく言っておいてね」
「うん」
「それじゃ、お休みなさい」
「お休みなさい、ルウェさま」
「お休み」
そして、お姉ちゃんは空いてた部屋に、クノお兄ちゃんはアイベヤに入っていった。
…自分も、部屋に戻る。
部屋はもう蝋燭の火だけで、望はその火の下で何かを書いていた。
「何を書いてるの?」
「ん?ちょっとね。今日決まったことを書き留めておこうと思って」
「お祭りの?」
「うん」
「ふぅん…」
「タルニアさんたち、来たんだね」
「うん。でも、挨拶は明日だって」
「そっか」
「…サン、喜んでたよ」
「そうだろうね。ずっと沈んでたもんね」
「うん」
サン、すごく喜んでた。
久しぶりに、大好きなユタナに会えたから。
会えなかったときの辛さが、バネになって。
だから、ユタナから離れなかったんだ。
「ふぁ…」
「眠たいの?」
「うん…。私はもうそろそろ寝ようかな…」
「自分も寝る」
「そう。じゃあ、火、消すね」
「うん」
布団に入ったのを見て、望が火を吹き消した。
真っ暗になった夜は、思ったより静かで。
下から、誰かが何かを話してる声が聞こえた。
久しぶりに家族が再会出来たんだから、話すことはたくさんあるよね。
…自分も、話したいこと、たくさんある。
姉さまや、葛葉に話したいことが…。




