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まだ薄ぼんやりと暗い中、明日香はのっそのっそと歩いていく。
どこに行くのかな。
「………」
「明日香」
「………」
「ここ、どこ?」
「………」
「ふぁ…」
広い場所。
公園かな。
でも、前のとは違うところの公園みたい。
「おはよ、白犬に乗ったおチビちゃん」
「おはよ、なんだぞ」
ときどき、横を走り抜けていく人がいる。
朝の運動かな。
セトもやってた。
みんな、元気よく挨拶してくれる。
「ワゥ」
「え?」
「………」
「何?」
明日香は走り出した。
どこに行くのかな。
「おはよ、なんだぞ」
「あら、さっきのおチビちゃん。そのワンちゃん、足が速いのね」
「明日香は、犬じゃなくて狼なんだぞ」
「へぇ、狼。どうりで凛々しいと思ったわ」
「じゃあね、お姉ちゃん」
「ふふふ。私はもうおばさんよ。またね」
さっきの人も追い抜いて、その前の人も、その前の人も、どんどん追い抜いていく。
みんなに挨拶していったら、みんなが挨拶を返してくれた。
姉さまが、挨拶は心の栄養って言ってた意味が分かった気がする。
挨拶をして、挨拶を返してもらうと、なんだか元気になれる。
だから、心の栄養なんだぞ。
「………」
「わわっ!」
明日香が急に左へ曲がったから、落ちそうになった。
なんとか体勢を立て直すと、ごめんという風に明日香が一瞬だけこっちを見た。
「ねぇ、どこに行くの?」
「………」
「何かあるの?」
「………」
無口だから、よく分かんないんだぞ。
向こうに何かあるのかな…。
と、明日香がゆっくりと速度を落として、またもとの歩くくらいの速さになった。
そして明日香は、地面や空気の匂いを確かめながら、ゆっくりと前に進んでいく。
「どうしたの?」
「………」
「むぅ…」
「ワゥ!」
「え?」
「ワゥ!ワゥ!」
珍しく何か嬉しそうに吠えながら、また走り出す。
どうしたのかな…。
ごはんでも見つけたのかな?
「ワゥ!」
「……?はい、なんでしょう?」
「ワゥ!ワゥ!」
「あっ、白い狼さんです。おはようございます」
「おはよ、なんだぞ」
「あっ、可愛い女の子もいます。おはようございます」
明日香が向かった先にいたのは、大きな包みを背負った女の子だった。
…荷物の方が大きいんだぞ。
笑い掛けると、ニッコリ笑い返してくれた。
「ワゥ!」
「あぁ、そうですね。今日は良いお天気になりそうです」
「ねぇ、お姉ちゃんの名前は?」
「わたしですか?わたしは、エルと申します」
「エル?」
「はい。北の言葉で"大地を駆ける者"という意味です」
「ふぅん」
「失礼ですが、あなたのお名前を聞かせてもらってよろしいでしょうか?」
「ルウェなんだぞ。こっちは明日香」
「ルウェさんに明日香さんですか。良いお名前ですね」
「そうかな」
「はい。とっても良いお名前です」
「えへへ」
なんだか嬉しい。
自分の名前を褒めてもらったから。
「ところで、ルウェさん。わたしに何かご用ですか?」
「ううん。明日香が」
「明日香さんですか?わたしに何かご用ですか?」
「ワゥ!」
「はぁ、美味しそうな匂いがしたと」
「ワゥ!」
「はぁ、優しそうな匂いもしたと」
「ワゥ!」
「はぁ、お腹が空いたんですか。じゃあ、これ、食べます?」
エルは大きな包みを下ろして、懐から小さな袋を取り出す。
何が入ってるんだろうかと思って見ていると、中からは干し肉が出てきた。
明日香はそれを掠め取ると、すぐに食べてしまった。
…まさか、これが狙いだったのか?
「明日香!ちゃんとありがとうって言わないと、望に怒られるんだぞ!」
「………」
「はい、どういたしまして。お口に合いましたでしょうか?」
「ワゥ」
「それはよかったです。ルウェさんもいかがですか?」
「朝ごはんが食べられなくなるからいいんだぞ」
「そうですか。朝ごはんはしっかり食べないといけませんからね」
「うん」
「では、これはおやつに食べてください」
エルに干し肉の袋を渡される。
結構いっぱい入ってるみたい。
「いいの?」
「ええ。ルウェさんが食べてください」
「ありがと、なんだぞ」
「いえいえ。どういたしまして」
エルはニッコリと笑って。
袋は、落とさないようにちゃんと懐に入れておく。
「では、わたしはこれで」
「あ、そうだ」
「はい、どうなさいましたか?」
「なんで、そんな大きな荷物を背負ってたの?」
「これを運ぶのが、わたしの仕事ですから」
「でも、重そうなんだぞ」
「大丈夫ですよ。心配してくださって、ありがとうございます」
「ちょっと手伝うんだぞ。あんまり持てないけど…」
「お気遣いありがとうございます。でも、そのお気持ちだけで充分ですよ」
「でも…」
「ルウェさんは、優しい方なんですね」
エルは、またニッコリと笑って。
それから、優しく頭を撫でてくれた。
「ほら、夜も明けました。朝ごはん、しっかり食べてくださいね」
「うん…」
「では」
「あっ…」
そのまま荷物を背負って、エルは行ってしまった。
あんな大きな荷物、きっとかなり重いのに…。
でも、エルは、自分の仕事だからと言って笑ってた。
いい…のかな、それなら…。
自分には分からないよ…。




