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琥珀はいた。

長い廊下の先に。

翔お兄ちゃんと一緒に来た、あの廊下。

前と同じ、黒い霧みたいになって。


(琥珀…?これが?)

「うん」

(霧じゃない)

「これは、情報だって言ってた。変化に必要な」

(あぁ、変化…)

(でも、ちょっとバラバラすぎるような…)

(うん…)


七宝は真剣な顔になって。

…自分には、これがどういう状態なのかは分からない。

でも、七宝が言う通り、前に見たときよりも霧は薄い気がした。


「どうすればいいのかな」

(うーん…。世界に繋ぎ止めるんだから、糊でくっつけるとか?)

(…糊なんて、どこにあるのさ。とりあえず、琥珀から何らかの接触がない限り、ボクたちは何も出来ない…って、長老さまが言ってた)

「そうなの?」

(うん…)

(でも、何らかの接触なんて言っても、こんな状態じゃ接触も何もないような…)

「琥珀が接触出来ないなら、自分たちから接触すればいいんだぞ」

(えっ?)


目の前の霧に触る。

霧だから、何の感触もないんだけど。

でも、変化はあった。


(ルウェ…?)

「うん」

(なんでここに…?)

「琥珀を助けにきたの」

(なんで…そんな…)

「琥珀は、大切な家族だから」

(でも、わたしは弱いし、ルウェにも迷惑を掛けてる…。そんなだったら、このまま消えた方がいいよ…。わたしは足手まといだから…)

「足手まといなんかじゃないよ。それに、琥珀がいなくなったら哀しいんだぞ…」

(哀しい…?なんで…?)

「家族だから。自分の、大切な」

(家族…)

「うん。だから、一緒に帰ろ?」

(………)

「琥珀?」

(無理だよ…)

「琥珀!」


そのまま、霧は消えてしまった。

同時に、強い目眩がして。


(ルウェ!)

(だ、大丈夫?)

「うん…」

(何があったの…?霧も消えちゃったけど…)

「琥珀とちょっと話してた…。それより…次…行こ…」

(次って…。ルウェが回復するまで待った方が…)

「自分以上に、琥珀は苦しんでる…。だから、こんなの…!」


なんとか立ち上がる。

世界はグルグル回っていたけど、それも次第にゆっくりになっていって。


「大丈夫…」

(ルウェ…)

「次は…厨房…」


急激に重くなった足は、全く言うことを聞いてくれなかったけど。

でも、なんとか前に進んでいく。

一番苦しいのは、琥珀だから…。



厨房には、響が寝ていた。

…響じゃなくて、変化した琥珀だけど。


「琥珀」

「………」

「起きて、琥珀」

「…なんで、また来たの?」

「琥珀を助けたいからなんだぞ」

「なんで?」

「なんでって、大切な家族だからって…。さっきも言ったよね?」

「…覚えてない」

「琥珀…?」

「なんでわたしに構うの?そりゃ、いろいろと助けてもらったけど。でも、わたしは恩に報いることは出来ない。このまま消えてしまうのが、一番の恩返しなんだよ?」

「なんで、そんな哀しいこと、言うの…?」

「哀しい?なんで?重たくて、全く何の役にも立たない荷物が一個減るんだよ?良いことじゃない、とても」

「琥珀…」

「もう構わないで。わたしは、ルウェの言う大切な家族なんかじゃないから」


そして、琥珀は消えてしまった。

…なんで?

なんで、あんなに哀しい目をしてたの?

琥珀…。


(ルウェ…)

(大丈夫…?)

「うん…」


もう立っていられないくらい、グラグラと揺れている。

それは、目眩だけでなく。

この世界が崩れ始めているのが分かった。


(もういいじゃない…。あんなに冷たくされたのに、なんでそこまで一所懸命になれるの?)

「………」

(帰ろ?このままじゃ、ルウェが危ないよ…)

「あと一回だけ」

(え…?)

「あと一回。次が最後だから。だから、手伝ってくれる?」

(うん…。ルウェがそう言うなら…)

「河原に行こ…」

(うん…)


あと、もう一回だけ。

たぶん、それ以上は無理だってことは分かる。

だから、次で絶対に連れて帰る…!



河原には、自分が座り込んでいて、時の止まった水を眺めていた。

どこか、寂しそうな影を背負って。


「琥珀」

「………」

「一緒に帰ろ?」

「…なんで」

「え?」

「なんで、ルウェはそんなに優しいの?さっき、酷いことを言われたばかりじゃない…」

「琥珀が、本当にそんなことを言ってないっていうのが分かったから」

「………」

「ね?」

「…なんで分かっちゃったのかな」

「自分は、琥珀のこと、信じてるもん。琥珀は、そんなこと言わないって」

「…ルウェって、どうしてそんなに信じられるの?普通、あんなことを言われたら、もういいやってなるんじゃないの?」

「琥珀と契約したんだもん。自分を信じてくれる人を信じないで、誰を信じるの?」

「…すごいね、ルウェは。わたしには、そんなこと、出来ないよ」

「そんなことない。琥珀にだって出来るよ」


琥珀の姿を指差すと、琥珀は少し笑った。

でも、また哀しそうな目で河原の方を見る。


「姿だけはね。一緒かもしれない。でも、わたしはルウェじゃないから」

「琥珀は琥珀だよ。自分じゃない。だから、琥珀が思うように生きればいい。でも、琥珀は出来るから。自分を信じて。自分は、琥珀を信じているから」

「…うん」

「じゃあ…」

「だから、さよなら」

「えっ…?」

(ルウェ!)


琥珀に突き飛ばされて、川に落ちる。

追い掛けるように、悠奈と七宝も飛び込んでくる。

川はずっとずっと深くて、ずっとずっと沈んでいく。

光が届かなくなってきて、どんどん暗くなっていく。

琥珀の姿も、もう見えない。

そして、何も見えなくなった。



目を開けると、空には星が流れていた。

…戻ってきたんだってことが分かった。


「ルウェ」

「………」

「よく聞きなさい」

「琥珀は大丈夫なんだぞ」

「…ん?」

「絶対に、大丈夫だから」

「しかし、琥珀は…」

「自分は信じてるから。みんなのこと。だって、大切な家族なんだもん」

「家族、か…」

「うん」


琥珀はいなくなってなんかない。

だって、琥珀は今もここにいるんだから。


「あっ!」

「ん?」

「薫!」

「………」


薫は何も言わずに、口に咥えていたものを地面に下ろす。

それは…琥珀だった。


「どうして…」

「私にも分かりません。しかし、私はいつの間にか、崩壊する琥珀の世界にいました。無我夢中で目の前に倒れていたこの子を咥え、境界から脱出してきたのです」

「なんと…」

「琥珀の世界から琥珀自身を救い出すなど、こうやって帰ってきた今でも信じられません」

「あれは、琥珀の世界なんかじゃない」

「えっ…?」

「鏡の世界は時間が止まっていた。でも、琥珀の時間は動いている。あれは、琥珀が作り出した幻だったんだぞ。琥珀自身を閉じ込めるための…」

「………」

「琥珀は、ずっと自分に迷惑を掛けてたって思ってた。そう思う琥珀自身を変えられなかった。だから、なかなか世界に定着出来なくて、時間が止まった幻に閉じこもっていた」

(ルウェ…?)

「おはよ、琥珀」


目を覚ました琥珀の頭を撫でてあげる。

琥珀は、半分寝ぼけて、半分びっくりしたような顔をして。


(なんで…ルウェが…)

「もう一回、やってみよ?今度は上手くいくから」

(ルウェ…。ごめんね…)


ニッコリ笑い掛けると、琥珀はゆっくりと目を瞑った。

これからのために。

これから、新しい世界に向かうために。

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