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「何か食え。それか、一旦帰るんだ。いつまでもそこで寝転がっていられるのも迷惑だ」
(帰るって、どこに…)
「ルウェの身体を借りてるんだろ?」
(もう帰らないよ…)
「駄々をこねるな」
(こねてないもん…。帰ったらルウェに迷惑が掛かるじゃない…)
「別に迷惑だなんて思ってないんだぞ」
(でも…)
「そんなに嫌なら、ルウェと契約をしてしまったらどうなんだ」
「えっ。でも、琥珀はまだ、存在が、安定してないんでしょ?」
「そうだけど…。しっかりとした存在を持ってる者と契約することで、ある程度は安定するだろうし…。それに、ただ借りるだけなのが嫌なら、そうじゃなくしてしまえばいい」
「でも、霧を集めるようなものでしょ?下手すれば、それこそ霧散しちゃうかもしれないじゃない。博打としては、いささか危険すぎじゃない?」
「…霧は日が昇ると消えてしまう。それと同じだ。いつまでも存在の定着が出来ないと、霧のように消えてしまう。そういうやつもいる」
「えっ…。じゃあ、琥珀もいつかは消えちゃうかもしれないってこと?」
「………」
ヤーリェの質問に、大和は黙るばっかりで何も答えなかった。
琥珀も、聞いているのかいないのか、ただ唸るだけで。
「でも、定着出来るなら、急いで契約することもないんだよね?」
「出来るならな」
「………」
「琥珀が素直にルウェの身体に戻れば、こういうことも考えなくて済む。依り代があるなら、存在の定着のことは一旦考えないで、力が付くのを待ってから改めて挑戦すればいいんだからな」
「でも、琥珀は嫌なんだよね…」
「…俺は、ちゃんと戻ると思っていたから何も言わなかったけどな。初めてとはいえ、ここまで存在が不安定だと、定着出来るかどうかは五分五分だ。普通は、軽い頭痛とか目眩程度なんだが。…それだけ、危険な状況にあるということだ」
「えっ…。そんな…。こ、琥珀、早くルウェに…」
(イヤ…。こうやって存在出来てるのに…。ルウェに…また迷惑を掛けるなんてイヤ…)
…琥珀は勘違いをしてるんだぞ。
それで、それに気付いてない。
「琥珀。誰にも迷惑を掛けないで生きていくことなんて出来ないんだぞ」
(………)
「生きている限り、誰かに迷惑を掛ける。それが当たり前。でも、その迷惑を、誰も迷惑だとは思わない。それは、生きていくのに必要なことだから。みんな、誰かに支えてもらいながら生きているから。…自分は、琥珀と一緒に暮らすことはなんとも思わない。でも、琥珀がこのまま消えちゃうかもしれないっていうのは我慢出来ない。みんなそう思ってる。そうと分かってもイヤって言うなら…無理矢理帰ってきてもらうんだぞ」
(………)
「琥珀!」
(…分かったよ)
琥珀は身体を起こすと、そっと目を閉じる。
そして、琥珀の姿が揺らいで、そのまま消えてしまった。
「えっ、あ、え?」
「琥珀…?」
「き、消えちゃったの?」
「慌てるな。移動に時間が掛かっているだけだ」
「移動?」
そんな声を聞きながら。
世界が真っ暗になっていく。
柔らかくて気持ちいい…。
毛をギュッと握ると、のそりとそれが動いた。
「起きたか」
「うん…」
「疲れただろ。そのままでいいから、話を聞いてくれるか?」
「うん…」
「よし」
ザラザラした大きな舌で顔を舐められた。
ちょっと痛かったけど、それがなんだか気持ちよくて。
「琥珀はまだ聖獣としては未熟だ。なんとかこうやってここまで来たがな」
「うん…」
「お前の悠奈や七宝より、さらに手間を掛けるだろう。お前に掛ける負担も、その二人を合わせてもまだ余りあるくらいだろうな。その割に、見返りは少ない。風邪を引きにくくなるとか、その程度だ」
「うん…。それでもいいんだぞ…。これからも、琥珀と一緒にいられるんだから…」
「…そうだな。さすが、ルィムナ嬢やカゥユが認めるだけのことはある。すまないな、試すようなことをして」
「ううん…。クノお兄ちゃんに認めてもらって、嬉しいんだぞ…」
「お、お兄ちゃん?私が、か?」
「うん…。クノお兄ちゃん…」
温かい…。
フワフワの毛に顔を埋めると、野生の獣の良い匂いがする。
「…ゆっくり眠れ。手入れを欠かしたことのない、自慢の毛皮だ。思う存分堪能するがいい」
「うん…」
「安心しろ。寝てる間に食べたりはしないから」
「うん…。分かってる…」
「そうか」
また顔を舐めてくれた。
今度はおでこ。
ちょっとくすぐったかった。
…そういえば、毛がフワフワなだけでなくて、この地面もフカフカ。
草がたくさん生えていて、それがずっと向こうの方で空と繋がっていて。
上を見ると、夜空にはたくさんの流れ星が流れていた。
「獅子座流星群だ。綺麗なものだろう」
「うん…。たくさん願い事が叶っちゃうね…」
「願い事か。どんな願い事だ?」
「言っちゃダメなんだぞ…。流れ星に乗せた願い事は、誰にも話しちゃいけないって葛葉が言ってた…」
「葛葉。お前の姉か何かか?」
「うん…。同い年だけど、葛葉は自分のお姉ちゃん…」
「そうか。ルウェはどこかポァッとしてるからな」
「むぅ…」
「はは、そう唸るなよ」
そう言って、鼻の先で胸を押す。
クノお兄ちゃんの黒い目は、真っ直ぐこっちを見ていて。
「さあ、好きなだけ願うといい。そして、今はゆっくりと休むんだ」
「うん…」
願い事は、今はひとつだけ。
それを済ませて目を閉じると、心地の良い闇の世界が優しく包み込んでくれて。