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最弱モンスターのスライムに転生したい!!! 〜前世、全知全能の神と呼ばれていた大賢者の俺、異世界に自力で転生したら、魔王軍にスカウトされたんだが!?〜

作者: しろ
掲載日:2026/06/25

 ーーー俺は、飽きていた。


 千年以上生きて、この世界にある魔術をすべて生み出し..........すべてを極めた。


 火を呼び、水を従え、大地を割り、天を裂く。この世界に存在するすべての魔術体系は、例外なく俺という一人の人間が生み出した理論の派生にすぎない。誰も俺の作った法則の外で戦うことはできず、誰も俺の届かない領域に立つことはできなかった。


 弟子たちは次第に俺を.......「大賢者」と呼んだ。


 だがそれだけでは俺の実力を表し切ることは不可能だったのだろう。陰では誰もが俺をこう呼んでいた。


 ――【全知全能の神】、と。


 国々は俺の機嫌を窺い、敵対する者すらいなくなった。


 強さの果てにあるものはこんなにも色のない景色だったのか.........


 そう思いながら俺は日々、古い書物を読み漁る日々を送っていた。何か、自分の心を動かすものを探してだ。


 なんてったって、最近の魔術に関する書物は全て俺か俺以外かで分かれているのだから.......


 そして、ある日。


 異界からの来訪者が落としていった一冊の本に、俺は釘付けになった。


「最弱、ねえ……」


 そこに記されていたのは、見知らぬ異世界の話だった。


 その世界には、スライムという魔物がいるらしい。新米冒険者が最初に倒す、踏み台のような存在。誰もが見下し、誰も本気で向き合わない、最弱のモンスター。


 悲惨なまでに鋭利な言葉を向けられている。だが、きっと俺だけだったのだろう。


 この理ともいえる、“事実”を疑ったのは......


(本当に、そうか?)


 俺の中で、何かが静かに疼いた。


 考えてもみてほしい。スライムというのは不定形の生物だ。骨格を持たず、輪郭すら持たず、ただそこに「在る」だけの存在。


 そんな生物が本当に弱いのだとしたら――それはスライム自身が弱いのではなく、誰もその可能性を引き出せていなかっただけではないか?


 最弱という評価は、本当にスライムそのものの評価なのか。それとも、誰もスライムの「真の姿」を見たことがないだけなのか.......


 そう思い至った瞬間、俺は戦慄した。


 これは、千年ぶりに俺の心を震わせる、本物の好奇心だ。


 “最弱モンスターのスライムに転生したい!!!”


 異世界へ転生する魔法ーーーしかも転生先をスライムに固定するという、前例のない超高難度魔法。


 普通の魔導士なら一生かけても理論の欠片すら拾えない。そう.........“普通”なら、の話だ。


 俺は違う。


 全知全能の神とまで呼ばれた俺にできないことなんてあるのか?


 いや......ない!!!


ーーーー


 「いやはや、ここまでくると自分の才能が恐ろしいな......」


 それを、俺は四十七年かけて完成させたのだ。


「師よ........なぜそこまでして弱者になろうとなさるのですか」


 完成した瞬間、俺に憧れている弟子たちは涙ながらに俺を止めた。


「お前たちには、分からんさーーー」


 俺は笑って答えた。


「強さを極めた者にしか分からない問いがある。.......本当の弱者など、この世にいるのだろうか、という問いがな」


 そうして俺は、自らの意思で、最弱のスライムへと転生した。



ーーーー



「……うーん」


 目を覚ました俺は、まず自分の体に困惑した。


 体、というか――体がない。正確に言えば、輪郭が定まらない。手も足もなく、視界は妙にぼやけていて、ただぷるぷるとした感触だけがある。


 俺は瞬時に理解した。


(これが、スライムの体か)


 なるほど、面白い。


 骨格がないというのは、想像以上に自由だ。形を自在に変えられるなら、戦闘における可能性は無限とも言えるだろう。


 俺は意気揚々と、目の前に立っていた新米冒険者らしき三人組に声をかけようとした。


「やあ、初めまして。俺は――」


「うわ、スライムが喋った!?」


「チッ........気持ち悪りいな。さっさと倒すぞ」


「最弱モンスターのくせに人様の言葉を喋るなんて.........あまり調子に乗るなよ!!」


 剣が振られ、俺の核に直撃した。


「ぐえっ!!!」


 痛い。普通に、痛い。


(待て待て待て。おかしいだろ......!? 俺は大賢者、使えない魔術などないはずだ.....)


 俺は頭に生まれた一つの疑問を払拭するべく、咄嗟に最も得意とする火炎魔法を発動しようとした。


 ――何も、起こらない。


「あ、あれ?」


 もう一度.........今度は氷の魔法を!!!


 何度試しても、何も起こらない。


「な、なんで……」


 困惑している間にも俺への攻撃は続き、俺はただぷるぷると震えながら地面に転がるほかなかった。


「ハハッ! 弱すぎだろ、呆れをこして惨めだな!!!」


「“スライム”はやっぱりこうじゃないとな.......最弱の魔物さんよ」


 ボコボコにされながら、俺は必死で原因を考えていた。俺の魔術理論に欠陥があったとは思えない。何かが、根本的に.........この世界では違うのだ。


(これが、最弱モンスターたる所以……か)


 まあ、こんなところで終わるつもりはないんだがな.........今は甘んじて攻撃を受けてやるとしよう。


ーーーー


 そんなこんなで、俺が冒険者にボコボコにされていると、遠くからコツコツと足音がしてくる。


「――ちょっと、やめなさいよ」


 その声は鈴の音のように涼やかで、それでいて有無を言わせぬ圧があった。


 冒険者たちがびくりと振り返る。


「れ、レイマ様……!?」


 現れたのは銀色の髪をした少女だった。歳は十六、七といったところだろうか。


 纏う空気は静かで、それなのに目の前の冒険者たちは明らかに怯えていた。


「弱いモンスターをいじめて、何が楽しいの!! さっさと行きなさい!!」


「す、すみませんでしたー!!!」


 冒険者たちは逃げるように去っていった。


(ほう……)


 俺は地面に転がったまま、その様子を興味深く観察していた。


 この少女.......相当な実力者らしい。それも、ただ強いだけではない。纏う“気”が、明らかに異質だ。


「大丈夫? ひどい目に遭ったわね……」


 少女が両手を差し出し、俺をそっと持ち上げる。


 ひんやりとした手のひらの感触に、俺はふと声をかけた。


「ありがとう、お嬢さん。助かったよ」


「!?!?」


 少女が硬直する。


「……スライムが、喋った?」


「ああ、喋るとも.......なんてったって、俺はかつて大賢者と呼ばれていてたからな!!!」


「だい……賢者……?」


 少女は俺をじっと見つめたまま、しばらく動かなかった。


 数秒.......さらに数秒。


「……ごめん、もう一回言ってもらえる?」


「大賢者だ!!!」


「いや、その前の........」


「ありがとう、お嬢さん」


「そうそれ!!!……スライムに『お嬢さん』なんてて呼ばれたの、生まれて初めてなんだけど」


 レイマは複雑そうな顔で、俺をじっと見つめた。


 喋るスライムにも驚いている様子だったが、それよりも自分に対する謂れに、腑に落ちていないという表情をしている。


 やがて、ぽつりと言った。


「変なスライムね。でも……嫌いじゃないわ」


「お嬢さん..........名はレイマと言うのか? なかなかいい名だ」


「……あなた、私のことを怖がらないの?」


「怖がる? なぜ?」


 レイマは少し驚いたように、目を瞬かせた。


「私……『現代最強の異能者』って呼ばれてるの。みんな、怖がって話しかけるどころか近寄ってきすらしないわ」


 なるほど、と俺は思う。


 圧倒的な力を持つ者は、力を持つがゆえに孤独になる。それは、かつての俺もよく知る感覚だった。


「強さは罪ではないさ、レイマ。むしろ、強さを恐れて遠ざかる者たちの方が、よほど狭量というものだ」


「……」


 ヒナトは少しだけ目を見開いて、それから、初めて笑った。


「あなた......変わってるのね」


 その笑顔はさっきまでの凛とした表情とは違って、年相応のどこか柔らかいものだった。


「気に入ったわ。しばらく、一緒にいてあげる!」


 こうして、最弱のスライムと、最強と恐れられる少女は、奇妙な縁で繋がることになった。


 「異世界で少々の不安はあったが.......安心どころか、騒がしい日々が続きそうだな」


 俺はそんな、“キセキ”とも呼べる出会いに少しだけ心を躍らせるのであった。


ーーーー


 ヒナトの住む小さな家に居を移してから、俺の毎日は困惑の連続だった。


 魔術が、まったく使えない。


 火も、水も、風も、雷も........前世で極めたはずのあらゆる魔法体系が、この世界では少したりとも反応しないのだ。


「レイマ、この世界には『魔術』という概念はないのか?」


「魔術? ........聞いたことないわね」


 ヒナトは器を片付けながら、何でもないことのように答えた。


「その魔法?が何かはわからないけど、この世界にあるのは『能力』よ。人はみな、生まれつき一つだけ異能を持って生まれてくる。私の場合は.......『絶対防壁』。あらゆる攻撃を無効化する能力ね」


「ほう。ちなみに俺の能力は何だ?」


「……スライムに能力なんてあるわけないでしょ」


「え.......? 持ってないの?」


 「基本、この世界に生きている生物たちは能力を持ってるはずなの.......ただ、スライムという存在を除いてね。まあそんなこともあって、あまりにも弱いことからペットとして飼いだす人まで現れているそうよ」


 「危険では......ないのか?」


 「スライムが私たちに反抗してきたところで負けるわけがないからね。四歳にでもなって、能力が覚醒すれば誰でも倒せるわ」


 俺は思わず黙り込んだ。


 なるほど、最弱モンスターというのは能力すら持たせてもらえない存在らしい。それはそれで、なかなか衝撃的な事実だった。


「能力、か……」


 俺はその時点である仮説を思い当たっていた。だが、確信を持てるだけの材料がまだない。


「........ねえ」


 ヒナトが、ふと俺の方を覗き込んでくる。


「あなた、何をそんなに考え込んでるの?」


「いや.........少し気になることがあってな」


「ふぅん。大賢者様は考え事も忙しいのね」


「皮肉か?」


「逆に皮肉じゃないと思った?」


「まったく.........お前ってやつは本当に正直だな」


「逆にそんな見た目をしていて、前世では最強でした! とか言われても信じられるわけないでしょ。その夢戯言が現実になると良いわねー」


 そう言いながら、レイマはふっと笑う。


 その距離の近さに、俺は少しだけ違和感――いや、心地よさを覚えた。


 最強と恐れられ、誰からも遠巻きにされてきたこの少女が、こんな顔をできるとは......


(俺以外、誰も知らないのだろうな。彼女が、こんな顔で笑うことを.......)


 そんなことを考えながら、その夜、俺はレイマが寝静まった部屋の片隅で、自分の核を内側からじっと観察していた。


 ただの好奇心だった。


 これだけ長く生きていながら、自分自身の体の中をまともに覗いたことはなかったから。


(俺の中に流れているこれは……)


 脈動するように流れる、どこか見覚えのあるエネルギー。


(これは……魔力じゃないか!?)


 間違いない。スライムの体そのものが、魔力という物質で構成されている。


 最初は、それだけの発見だと思っていた。


 だが、考えれば考えるほど、背筋に冷たいものが這い上がってくる。


(待て.......冷静に考えておかしいだろう)


 この世界には、魔力という概念そのものが存在しない。レイマも、冒険者たちも、誰一人として「魔力」という言葉を知らなかった。能力という別系統の力で生き、戦い、命を繋いでいる。それがこの世界の理だ。


 つまり――この世界の生態系の中に、魔力という魔術の溶媒は、本来一切存在しないはずなのだ。


(それなのに、なぜ俺の体には、こんなにも濃密な魔力が流れている?)


 俺は転生した。前世の魂を、このスライムという器に移した。だが、魂をどれだけ移したところで、移した先の「体」そのものが何で構成されるかは、この世界の物理法則が決めることだ。俺の魔法理論がいかに優れていようと、存在しない資源を、無から生み出すことはできない。


(つまり、この魔力は――俺が転生する前から、すでにこの体の中に存在していたということになる)


 そこまで思い至った瞬間、俺は自分の核がぞくりと震えるのを感じた。


(スライムという生物は、最初からこの世界に存在しないはずの「魔力」という溶媒を内包していたのだ。そして、誰もそれに気づかなかった........気づく方法すら、この世界には存在しなかったからだ)


 最弱と呼ばれ、誰の目にも留まらず、踏み台のように扱われてきたあの存在は――この世界の理から、明らかに外れた”異物“だったということだ。


(スライムとは、いったい何なのだ……?)


 仮にこの仮説が正しいなら、この世界に生息するすべてのスライムは、誰にも知られぬまま、誰の手にも余る力を体の奥底に隠し持って生きてきたことになる。


 それを、誰も使えなかった。

 

 誰も気づけなかった。


 だからこそ「最弱」という評価だけが何百年、何千年と語り継がれてきた。


 (もし、これが本当に世界の理から外れた異物なら……俺は今、とんでもないもの領域に足を踏み入れてしまったのかもしれない)


 冷たい興奮と、確かな寒気が同時に俺の中を駆け抜けた。しかし、すぐに別の感情がそれを塗り替えていく。


(だが、それがどうした)


 元より俺は全知全能の神とまで呼ばれた男だ。世界の理から外れた異物だろうが、誰も解き明かせなかった謎だろうが――それを御するのが、俺という存在の本質だ。


(つまり、能力というものは魔力をまったく使わない、別系統の力ということか)


 レイマの「絶対防壁」という名の能力も、冒険者たちの剣技も、すべて魔力を必要としない異能.......


 この世界の住人たちは、能力という名の力で完結した生態系を築き上げ、魔力という存在そのものに、誰一人気づくことなく生きてきたのだ。


(俺の体には、莫大な魔力が流れている。スライムという生物が本来持つ魔力の総量は、おそらくこの世界のどんな生物よりも多い。これを、魔法として鍛え上げれば――)


 俺は、震えるほどの興奮を抑えられなかった。


(スライムが最弱なのは、誰も魔力の使い方を教えてやらなかったからだ。逆に言えば――)


「俺が、その使い方を知っている」


 そして、俺だけが、この世界で唯一、魔力を「魔術」として扱う(すべ)を知る者になる。


 それはもう、ただの能力の優劣などという話ではない。この世界そのものが知らなかった、まったく新しい力の体系を俺一人が手にするということだ。


 その夜から、俺はスライムの体の中で誰にも知られぬよう、魔力を操る訓練を始めた。


 最初は本当に些細なことから、体の表面に薄い魔力の膜を張る、次に、体内の魔力をわずかに圧縮する。少しずつ、少しずつ、感覚を取り戻していく。


 何十年もかけて積み上げた知識は、体が変わっても消えてはいなかった。ただ、新しい体に合わせて、組み直す必要があっただけなのだ。


 あえてレイマには見せなかった。


 まだ、見せるほどのものではない。それに――最弱だと思われていたやつが実は最強、だなんて最高にそそられる展開じゃないか。


(この体は、最弱なんかじゃない。最強の器だ。それも、この世界の誰も辿り着けないたった一つの異物なのだ)


 あとは、それを鍛え上げるための時間とそれを使う“時”が必要だった。


 「これは面白くなってきたな.......」


ーーーー


 それから二週間、俺は来る日も来る日も誰もいない深夜の森の奥で魔力の制御に明け暮れた。


 炎は焚き火ほどの大きさになり、水は意のままに形を変え、小さな雷さえ呼べるようになった。


 日に日に、感覚が戻ってくる。


 何十年とかけて極めた理論が、この新しい体の中で、再び花開いていくのが分かった。


 レイマには何も告げずにいたため、違和感が持たれてしまうのもしょうがないというもので.......


「最近、夜になるとどこかに行っちゃうのね」


「ちょっとした調べ物だよ」


「調べ物って........スライムが?」


「お前、それスライム差別だからな。スライムハラスメントで訴えるぞ。.......まあスライムも色々考えることがあるんだよ」


「ふぅん……まさか浮気とかしてないでしょうね」


「浮気の概念が俺にあるかどうか、よく考えてから聞いてくれ」


「むぅ……いつもはぐらかすんだから」


 頬を膨らませるレイマに、俺は思わず笑ってしまう。


 最強と呼ばれ、誰もが遠ざける少女が、こんな子供みたいな顔をすることを、いったい誰が知っているだろうか。


(もう少しだけ、待っていてくれ。お前にだけは、“とっておき”を見せてやりたいんだ)


 そんな穏やかな日々は、しかし長くは続かなかった。


 ある晴れた日のこと。


 以前俺をいじめていた冒険者たちが、再び姿を現したのだ。その表情には、以前とは違う、剥き出しの敵意があった。


 こちらに向けて、以前と同じ鋭利な言葉を投げてくる。


「おい、まさかとは思っていたが、あのスライム.........まだヒナト様の隣にいるじゃねえか」


「レイマ様にやたら気に入られてるって聞いて、頭にきたんだよなあ」


「あんな雑魚を庇うなんて、レイマ様もどうかしてるぜ」


 彼らの目には、明確な嫉妬の色があった。


 最強と呼ばれる少女が、自分たちが見下していた最弱のスライムを庇い、可愛がっている。それが、彼らの自尊心を深く傷つけたのだろう。


「レイマ様.......その気味の悪いスライム、今ここで処分してやりますよ。もちろん構わないですよね?いや.........むしろ、感謝してくださいよ。せっかく邪魔者を排除してあげるんですから」


「は……? あなたたち、何を言ってるの? やめなさい!」


 レイマが俺の前に庇うように立つ。


 その様子を見て、冒険者の一人がさらに苛立ったように顔を歪めた。


「邪魔をするなら、あなたも一緒に消えてもらいましょうか。――出でよ...........禁忌の獣『深淵咆哮(カオス・ロア)』!」


 懐から取り出された召喚石が、男の手の中で叩き割られる。


 地面が割れ、闇が溢れ出す。


 そこから現れたのは、全身を黒い瘴気に覆われた巨大な獣の姿だった。


 世界中の冒険者ギルドが「討伐不可能」と認定し、長く封印されてきたはずの世界最恐の魔獣。


 その瘴気だけで、大気が震える。


「これは……禁忌指定の魔獣じゃない!! あなたたち........正気なの!?」


「レイマ様の絶対防壁があれば、なんとでもなるでしょう。それより、まずはあのスライムから――」


 魔獣の咆哮が響き渡り、衝撃波が周囲の木々をなぎ倒す。


 レイマが俺を抱えるように庇い、後ろへ飛んだ。


「逃げて!  あなたじゃ絶対に勝てない! 私が時間を作るから、早く――!」


 レイマの声は本気の焦りに震えていた。


 彼女の能力は防御に特化したものだが、あの魔獣の規格外の攻撃を防ぎきれるかどうかも怪しい。相手はそれほどの相手なのだ。


 現代最強の異能者として恐れられている彼女ですら怪しい、それが何を意味するなのかは言わずともわかるはずだ。


 それなのにも関わらず、彼女は俺を逃がそうとしている。俺をただのスライムだと思っているが故の行動だろう。

 

(なんて、いい子なんだ)


 俺の中で何かが静かに、されど確かに灯った。


ーーーー


「.......レイマ」


 俺はゆっくりと体を持ち上げ、レイマの腕の中から地面へと滑り降りた。


「待って!!!  危ない――」


「下がっていてくれ」


 俺は静かに、けれど確かな声で言った。


「ここからは、俺の出番だ」


「な、何言ってるの! あなたじゃ……!」


「見ていてくれ.......レイマ」


 俺はぷるりと体を震わせ、ヒナトの方をまっすぐに見据えた。


「今から、本当のスライムの姿を見せてやろう。そして――この世界にはまだ知らない、存在すらしえない.......そんな力があることを教えてやる。」


 体の中心、核へとすべての魔力を集中させる。膨れ上がる魔力の奔流に体の輪郭がぶるりと震えた。


(何十年とかけて極めた、すべての魔法理論の集大成。ようやく――この力を誰かに見せる時が来た)


 全知全能の神と呼ばれた俺だ。きっと倒すなど造作もないことだろう。しかし、万が一のことも考えて全力でいこうか


 .....本当の力を出すのはこれが初めてだ。今まで本気を出す必要などなかったからな。


 だが、これは単なる力の解放ではない。


 この世界には、本来「魔術」という概念そのものが存在しない。火を呼ぶ理論も、理を編む技術も、魔力という資源を意志で操るという発想すら、誰一人として持っていなかった。


 つまり――今、俺がこれから為すことはただ一体の魔獣を屠るだけの行為ではない。


 この世界の誰も知らない、誰も触れたことのない、まったく新しい「力の体系」をたった一匹のスライムがたった一瞬で、この世界に刻み込むということだ。


 神話の始まりとは、いつもこうして、誰にも気づかれぬまま、唐突に訪れるものなのだろう。


 ーーー新たな歴史が咲き誇り、身を結ぶ。


「な、なんだ、この圧は……」


 冒険者たちの顔から、一瞬で血の気が引く。


 魔獣すら、咆哮を止めて俺を見据えた。生物としての本能が、目の前にあるものを「未知」だと、そして「災厄」だと判じたのだろう。


 大気が、震えている。


 俺の中で渦巻く魔力はもはやこの世界の理屈で測れる量ではなかった。スライムという最弱の器に、人類の叡智と神とまで呼ばれた存在のすべてが今、再び結晶しようとしている。


 俺はゆっくりと、声を紡ぎ始める。


 「聞け.......世界創生のその以前、光も闇も生まれぬ原初の静寂を.......」


 体の周囲に見たこともない複雑な魔法陣が一つ、また一つと浮かび上がる。


 「星々が名を持つより前、神々が言葉を持つより前、我は古き契約に従い滅びの権能を今ここに解き放つ........」


 幾何学的な紋様が幾重にも重なり、光の筋が天へと伸びていく。それはこの世界のどの文献にも記されていない、誰も解読できない、まったく異質な力の結晶だった。


 「空は崩れ、大地は砕け、運命はその意味を失うだろう。終焉顕現........今ここにその業を解き放つ――」


 空気が変わる、音が消える、世界が息を呑んで静まっていく。


 風すら止まり鳥の声すら消えた。


 まるでこの瞬間、世界そのものが新しく生まれようとする力に道を譲っているかのようだった。


「お、おい、まさか……」


 誰かが声にならない声を漏らした。本能だけが、これから起こることの異質さを理解している。


 ただの一撃ではない。


 これは、この世界に「魔術」という概念そのものが誕生する、その瞬間だった。



天網崩落(てんもうほうらく)・極」


 

 その一言が静寂を割った次の瞬間、空が割れた。


 莫大な魔力が一点に収束し、純白の光の柱となって魔獣を呑み込む。


 それは攻撃魔法というより、もはや一つの天変地異だった。轟音と衝撃が大地を揺らし、木々がなぎ倒され、地面には深いクレーターが刻まれていく。


 空に走った光の筋はまるで世界の縫い目をなぞるように、一瞬だけこの世界の輪郭を浮かび上がらせた。


 世界最恐とされた魔獣は、ほんの一瞬で、塵すら残さず消滅した。


 ――静寂が訪れる。


「……」


「……は?」


「な、なんだよ、今の……?」


 冒険者たちは膝から崩れ落ち、声も出せずにその場に座り込んでいた。


 彼らが恐れていたのはもはや力の大きさだけではない。今まで誰も知らなかった、この世界にはなかったはずの「何か」がたった一匹のスライムによって、この場に生み出されてしまったのだ。その事実そのものに彼らの本能が震えていた。


「あ……あ……」


 レイマもまた、口を半開きにしたまま、俺の方を見つめている。


 その瞳には、驚きだけではない、別の色が混じっていた。畏れ――それも、敵を見るような畏れではなく、得体の知れない何かに触れてしまったときに陥る根源的な怯みだった。


 彼女もまた今、この世界の理が一つ書き換えられたことを肌で感じ取っているのだろう。


「噓でしょ……今の、本当にあなたが……?」


 その声は少しだけ震えていた。


「........言ったとおりさ」


 俺はぷるん、と体を弾ませながらいつも通りの軽い口調で答えた。


「これが、スライムの本当の姿なんだよ」


「そんな……魔術なんて、聞いたこともない力で、あの魔獣を一瞬で……あなた、本当に何者なの……?」


「言っただろう。前世では大賢者と呼ばれていた。だが........本当はもっと別の呼び名もあってな」


 俺は静かに、それでいて確かな声で続けた。


「“全知全能の神”、それが俺の故郷での呼び名だ」


「……」


 レイマは何も言えずにただ俺を見つめている。けれど、その距離はさっきまでよりわずかに遠い気がした。


 それでいい、と俺は思う。本当の力を見せれば多少の畏れを抱かれるのは当然のことだ。


 それでも――その目の奥に、まだ怯えだけではない何かが残っていることを俺は見逃さなかった。


 正直、かなりの魔力を消費した。少し疲れたな、と思いながら地面にぺたりと沈んでいると――


「レイマ様あああ! 申し訳ございませんでしたぁああ!」


「もう絶対にこのスライム様には手を出しません! 一生いじりません!」


 冒険者たちが土下座しながら泣いて謝罪してきた。


「いや、別に俺はそこまで気にしてないんだが……」


「い、いえ!! あなた様は紛れもなく――」


「あと.......地面にめり込んでるからそろそろ顔上げてくれ。見てるこっちが心配になるんだけど」


「うわ、優しい!?」


「そういうところがスライムらしくて最高!」


「おい、それは褒めてるのか.......?」


「もちろんです!」


 もちろんですと声を揃えて言われると、それはそれで微妙な気分になる。俺は曖昧にぷるんと震えるしかなかった。


 ーーーその刹那。


「――いやはや、これはこれはとんでもない“魔術”を見せていただきましたな」


 突然、空間が裂け、漆黒のローブを纏った長身の男が姿を現した。その背後には、闇の旗を掲げた一団が控えている。


 「私、“魔術”という存在は古書で一度拝見させいただいたことがあります。あの時はまさかそんなものがあるわけないだろうと、鷹を括っていたわけですが...........本当に使える方がいたとは」


「で……俺の話なんかはどうでも良いんだ。お前が何者かだけ答えろ」


「これは失礼。私、魔王軍にて参謀を務めております者です。ちょうど、噂のスライムを探していたところでして......」


「魔王軍……?」


 男はにやりと笑い、俺の前に膝をついた。


「先ほどの魔術、見事でございました。あのような力をお持ちのお方が、最弱モンスターのスライムだったとは.........誰が想像できましょうか?」


「で、それが?」


「我が主、魔王様より言伝を預かっております。――『その力、ぜひ我が軍にお貸しいただきたい』とのこと」


 俺は思わず、ぷるぷると震えながら笑ってしまった。


(まさか、最弱モンスターとして異世界に降りたつもりが、魔王軍からスカウトされるとはな)


 なんとも愉快な話だ。


 前世では誰もが俺を恐れ、敵対する者すらいなかった。それが今、まったく違う形で世界に名を轟かせようとしている。


「ちなみに、給料は出るのか?」


「……はい?」


「いや、勤め先を決めるなら待遇は重要だろう」


「ス、スライムなのに給料の話を……」


 参謀が動揺したように声を詰まらせた。ヒナトも額に手を当てて、小さく溜め息をついている。


「ヒナト、どうする? 一緒に魔王軍とやらに殴り込んでみるか?」


「は、はあ!? ちょっと、まだ状況についていけてないんだけど……!」


 戸惑うヒナトの頬が、少しだけ赤くなっている気がした。


 最弱のスライムとして始まったこの異世界生活は、思いがけない方向へと進み始めている。


 だが、それでいい。むしろそれがいい。


 強さに飽きた大賢者が、最弱の体を選んで見つけたのは――かつて感じたことのない、新しい世界の広がりだった。


「さて、魔王軍の参謀殿.......話を聞こうか」


 俺は、ぷるんと体を弾ませながら、笑った。


「ただし、俺はあくまでスライムとして自分のペースで生きていくつもりだ。それでも構わないなら.......俺と付き合ってみるといい」


「それは、もちろん構いませんが........」


 参謀は恭しく頭を下げながら、ふと顔を上げた。


「失礼ながら、お聞きしてもよろしいでしょうか。あなた様のお名前は........」


「名前、か……」


 俺は少し考え込んだ。


 そういえば、前世では「大賢者」だの「全知全能の神」だのと呼ばれていたが、それはあくまで称号にすぎない。本当の意味での「名」と呼べるものを、俺は持っていなかった。


「詳しい説明は端折るが、複雑な理由で俺には名前がないんだ。何か、ふさわしい名が欲しいと思っていたところでな.........」


「おお、それはそれは」


 参謀は顎に手を当て、しばらく考え込むような顔をした。その目には、どこか楽しげな光が宿っている。


「うーん……うーん……」


「結構悩むんだな」


「これは責任重大な役目ですから。少々お待ちを........」


「べ、別にそんな真面目に考えなくたって良いんだぞ......? もう適当に! フィーリングで! プレッシャーをかけたわけじゃないんだ」


 参謀は腕を組んだまましばらく唸り続けた。隣でヒナトが「この空気、何なの」と小さく呟いているのが聞こえたが誰も答えなかった。


 やがて、参謀は静かに顔を上げた。


「そうですね……今までこんなスライムは見たことがありません。人間語が喋れて、『魔術』という謎深き能力を扱うことができる。そうですね、では――」


 参謀は、一拍置いて、まっすぐに俺を見据えた。


「『深淵を統べる者』――深淵統者(しんえんとうじゃ)。これを、あなた様の名とさせていただきとう存じます」


「深淵統者……」


 その響きを、俺は静かに口の中で繰り返した。悪くない..........むしろ、悪くないどころか――気に入った。


「ふむ……いいな、その名」


 俺はぷるりと体を弾ませて笑う。


「深淵統者.......今この瞬間から俺の名はそれだ」


「ちょ、ちょっと、急に名前まで決まってるんだけど!?」


 ヒナトが慌てたように声を上げる。その反応に、俺と参謀は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。


 最弱のはずのスライムは、こうして名を得た。


 ーーー深淵統者(しんえんとうじゃ)


 全知全能の神と呼ばれた男が、最弱の体に宿り、新たな名を授かった瞬間だった。


 「さあ、“最強”への昇華を開始しようか」

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!


今回の作品は自分なりにかなり良い出来に仕上がったと思っています!!


少しでもいいなと思った方は、作者フォローやブックマーク、評価を1でも5でもいいので、入れていただけると幸いです!


前回の竜王のやつと同じく、好評でしたら30話分程度ですが続きを書こうと思っているので、何卒応援のほどよろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
しろ様、突然な感想の送信失礼いたします。 この度拝読させていただいた、『最弱モンスターのスライムに転生したい!!! 〜前世、全知全能の神と呼ばれていた大賢者の俺、異世界に自力で転生したら、魔王軍にス…
その名前もどちらかと言うと称号っぽいな
感想一覧
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