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越えられない壁


トウタの体が倒れる軽い音が空間に響く。

意識のないトウタの頬には、未だ涙の跡が残されていて痛々しい。

けれど、表情はとても穏やかだ。痛みなど、ないと言わんばかりに。


代わりにケイは、胸の痛みを覚えた。

無いはずの心が痛むようだった。


(これは、トウタの記憶だ。俺のじゃない。俺の、痛みじゃない)


胸の痛みを押さえつけるために、一度自身の胸を強く掴んだ。

大丈夫、大丈夫と自分自身に言い聞かせ、ケイはチカの元へ走った。


ノイズも大きな揺れも収まり、先程の喧騒が嘘のようだ。


広がっていた大きな穴の侵食も止まっている。

トウタの暴走が止まったことで、全てが終わった。


チカも潤んだ瞳のままだったが、僅かに力の抜けた表情を浮かべてケイを出迎えた。


「お、終わった……の?」


けれど、声は小さく疲労感が滲んでいた。本当に、終わったのかと戸惑いの色も伺える。

ケイはチカを宥めるように答える。


「あぁ、全部引き受けた。トウタは今何も覚えてない。仮想空間にいる人間とほぼ変わらない状態だ」


「そう…………なんだ…………」


「それよりも……この状況を報告しよう。と言っても、見てるだろうけど。ねぇ……父さん」


静まり返った空間にケイの声が響く。

すると、ざざっと砂嵐のような音が響き、父親──ハカゼの声が聞こえてきた。

現実世界から仮想空間に向けて声だけが届くのは、いつもの事だ。

ハカゼは外側……つまり現実世界から仮想空間を支えている。

だからケイたちはハカゼとは顔を合わせたことが無かった。


「あぁ、見ていたよ。ここまでトウタが暴走するなんて想定外だ。この世界を守るために作ったのに、この世界を壊そうとするとは……」


ハカゼの冷たい声には、怒りが込められていてケイは芯から凍える思いがした。

創造主たる一人のハカゼが、この世界をどれだけ愛しているのか、どれほど身命を賭しているのか分かっていた。


ケイとチカを作った、現実世界でも父親だったから。


「いいか、お前たち。トウタが再び暴走しないよう見張れ」


拒否権はケイとチカにはない。ただ、頷くだけだ。ハカゼの言うことを聞き、より良い正解に導くだけ。

その一環でトウタも見張ることになるのだろう。


けれど……どこか空っぽの気持ちになるのはどうしてだろう。

内心、空っぽさを抱えながらも、ケイはトウタの体を抱き起こす。


チカも寄ってきて、背負うのを手伝い始めた。


「いかようにしますか」


「……ふん、それは一番お前が分かっているだろう」


「…………はい」


トウタはAIの役目から解き放たれた。ケイによって。なら選択肢は一つだけだ。


「分かっています。彼は……人間として管理下に置きます。他の処理は任せてください」


「あぁ。頼む。もう、時間が無い。やむを得ない自体になりそうだ」


何故か、音声だけのハカゼの姿が頭を抱えているようにケイは思えてならなかった。


そして、やむを得ない事態にケイはすぐに直面する。


────────────

ハカゼに呼び出され、再び白い空間を訪れたケイとチカは、修復されたその空間に目を見張る。跡形もなく全てを吸い込まんとした黒い穴はもう無い。

まるであの時が嘘のようだ。


これが、管理者のこの世界の創造主の力か……とケイは思った。


その白い空間の真ん中、横たわる人が見えた。人と言っても人類が減ってしまった、と言っていたことを思い出し、ケイは新たなAIだろうと検討をつけた。


ケイはチカとゆっくり近づく。

そして、ケイは気づいた。その人物が誰であるかを。


「まさか…………」


少し幼い顔立ち。茶色の柔らかい髪をした少女。トウタの大事な──。


「お前……サクラか…………」


AIのひとつとして、サクラが生まれたのだ。

記憶を持ちながら、人間ではない生を得て。


目の前で胸の上で手を組み、安らかに眠り続ける


「もう、生きた人間のデータがほとんど無い。仕方がなかったのだ……。もう、解決方法を探るのは……人間を……生きさせるには」


苦虫を潰したように吐き出されるハカゼの言葉にケイは終わりが近いことを悟った。

この計画も、実りあるものにはならないだろう。


すべては、もう終わりに向かって転がり始めている。

けれど、ケイもチカも、サクラでさえも抗うことは出来ない。


行けるところまで人間と──ハカゼと進むだけだ。


どうしたってケイたちは、人間に作られたのだから。


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