第1話 ──老いぼれの異世界デビュー
第1話 ──老いぼれの異世界デビュー
目を覚ましたとき、まず最初に気づいたのは――背中の硬さだった。
……床が土。いや、よく見ると、これは藁のベッドか。まあ、どちらにせよ寝心地のいいものではない。
「……夢でも見てるのか?」
思わず漏れた声が、自分の耳に妙に響く。
天井は木の梁がむき出し。壁は石造りで、隙間風がぴゅうぴゅう通る。匂いは草と土と、少しだけ炊き出しの残り香。
なんというか、ファンタジーRPGでよく見る……あれだ。宿屋の安部屋。
「……そうか、死んだのか、俺」
思い返す。確か、荷積みのバイトの応援に出て、その帰り道。信号待ちの横断歩道で――
――ブレーキ音と、眩しいヘッドライト。
「いやいや、そんなベタな」
だが身体を見下ろすと、やたらとリアルな皺と、腹の贅肉、そしてくたびれた作業服姿の自分がいる。
作業服は……いや、これはもう見慣れない布服にすり替わっていた。
「……状況証拠はすべて俺が異世界に来たって言ってるわけだな」
嘆きも感慨も湧かない。ただの現実として受け入れる。若い頃なら混乱したかもしれんが、五十を過ぎてくると、不条理にも案外慣れるものだ。
「よし、やることは決まったな」
老後資金の代わりに、ここで生き延びて稼ぐ。それだけの話だ。
◇ ◇ ◇
「冒険者登録ですね? ええと……お名前をどうぞ」
「松田誠司。……いや、松田だけでも」
「マ、ツダ……? マツ? はい、登録完了です、マツさん」
妙に若い受付嬢に半笑いで見下ろされながら、俺は“マツ”という名で異世界人生の第一歩を踏み出した。
ギルドというのはまあ、なんというか、失業者と自営業者の混合雑魚市場という感じで、初見の印象はとても“冒険”とは思えなかった。
俺の能力は――戦闘スキルゼロ。筋力、並以下。魔法適性、皆無。
その代わりに付与されていたのが、「生活スキルパッケージ」なるよくわからんカテゴリ。
保存食の加工法、道具の修理、野営設営、応急手当、簡易罠設置――なんだこれは、異世界版のキャンプおじさんか?
「……悪くないな」
即戦力にはならんが、後方支援にはなる。地味な役割だが、若い連中の無謀に付き合うよりは、堅実に稼げるだろう。
ギルドの壁に貼られた依頼書に目をやる。荷運び、獣避けの柵修理、井戸の水質検査。なるほど、戦うだけが冒険じゃない。
「うわ、なんだこの地味なジジイ。あんた本当に登録するの?」
突然、背後から声がした。
振り返ると、赤いマントを翻す少年――というより、青年。十代後半か。剣を腰に下げ、キラキラした装備に身を包んでいる。見るからに目立ちたがりの若手冒険者。
「おうおう、悪いけどな、この世界は実力主義なんだぜ? 生活スキル? そんなの役に立つかっての」
「……そうか。なら、実力で稼がせてもらうよ」
俺は肩をすくめると、地味な依頼を一枚剥がして受付に向かう。カイルと名乗ったその若造が、鼻で笑ったのが背中越しにわかった。
いいさ。笑いたければ笑え。
若さは武器だが、歳を重ねた知恵もまた武器だ。
そして俺は、地味で堅実な初依頼へと足を運んだ。
――それが、後に“若手の暴走を救った地味な中年”として、ギルドに名前が残る最初の一歩になるとも知らずに。
(第1話・了)