空に還る日
第三章:「空に還る日」
風が止んだ日のことだった。
蝉の声も、波の音も、どこか遠くに引いていくようで、
この町全体が、息を潜めているように感じた。
空は、また夢を見た。
——夢の中の自分は、翼を持っていた。
空の上で、少女と手を繋いでいた。
「ずっと一緒にいるって、言ったじゃない」
その少女は、泣いていた。
でも、空はその手を離すしかなかった。
空(なぜ……離したんだ。あれは、誰なんだ……)
目を覚ましたとき、頬に涙が伝っていた。
その日、羽衣は神社にいた。
白い着物姿だった。
まるで、何かを見送る準備をしているかのように。
羽衣「……ねえ、空くん。」
羽衣「この町にはね、昔から伝わってる言い伝えがあるの。」
羽衣「空を歩いていた翼の民が、地上に落ちた——でもその子は、誰かを待ち続けていたの。」
空「……」
羽衣「その子はね、ある日約束したの。“また来るから”って。」
羽衣「だけど……何百年たっても、その人は来なかった。」
風が吹いた。鈴が鳴った。
空「それは……お前、なのか?」
羽衣は、微笑んだ。
羽衣「ううん、きっとただの昔話……でもね、どこかで見た気がするの。」
羽衣「何度も同じ夏を繰り返して、そのたびに君を待っていたの。」
羽衣「でも、もう……時間みたい。」
境内の裏、誰もいない祠の中——
空は、ひとつの石碑を見つける。
そこには、風化した文字があった。
『風見羽衣 享年十五歳 永遠に空を翔ける者』
空「……っ!」
記憶が、音を立てて流れ込んでくる。
——そうだ。
自分はかつて、「空を翔ける民」だった。
羽衣と出会い、地上で共に過ごした時間があった。
だけど、自分は——
空「羽衣……俺は、お前を……置いて……」
膝から崩れ落ちる。
祠の中で、風が静かに吹いた。
まるで、慰めるように。
その夜、丘の上で——
空と羽衣は、ふたたび並んで空を見上げていた。
羽衣「思い出してくれて、ありがとう。」
空「俺は……何もできなかった。」
羽衣「ううん、来てくれただけで、うれしかった。」
空「また、お前を置いて行かない。もう……離さない。」
羽衣「……じゃあ、一緒に行こうか。」
空「どこへ?」
羽衣「……空の上へ。」
羽衣の手が、淡い光に包まれていく。
その背中から、白く透けた翼が広がっていく。
——これは、別れじゃない。
ふたりがもう一度、始まりに還るための「約束」。
空もまた、ゆっくりと目を閉じた。
そして、風がふたりを包み込む。
──やがて、空の上に、ふたつの光が溶けていった。
エピローグ:「空のむこうで」
あの夏、ふたりは消えた。
町の人は言う。夏の終わり、丘の上で、
ふたりが空に手を伸ばしていたのを見た、と。
それから、毎年同じ日に風が強く吹く。
ちょうど、あの鈴の音が響くような、静かでやさしい風が。
「また、会おうね——次の夏の空の下で。」