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終幕 『彼女は悪に染まる』

 白藤は、歌舞伎座の出入り口の扉を開ける。


 小雨が降っていて、昼間というのに薄暗い。だけど、白藤の視界はなにもかも濃く色づいて見えた。


 胸の高鳴りを感じながら真っ赤な傘を開き、くるりと回してから体を覆うように傘をさすと、その場で頷いてから階段を降りる。


 歩道には水たまりができていたが、踊り出すように跳ねて、大通りを進んでいく。


 白藤は鼻歌を歌いながら人混みをかき分けていくが、誰も気に留めない。この場にいることに気づかれていないからだ。


 しばらくして、白藤は歩道の柵に寄りかかって黒い傘をさしていた男性を見つけ、彼のもとへ駆け寄った。


「赤月さま、こんなところでどうされたのですか?」


「君のことを待っていたんだ」


 彼は自分の傘を畳むと、さりげない動作で白藤の手から赤い傘を取る。


 どちらからともなく肩を並べて、ゆっくりと歩きはじめた。


 その際、白藤はそっと赤月の上着のポケットに手を伸ばすが「まだまだ動きがぎこちないな」とたしなめられる。


「ばれていましたか」


「ばればれだな。だが、おはじきは君が狙ったポケットに入っている。よく見抜いたな」


「……ほとんど勘ですけれどね」


 白藤は眉を寄せてから唇を引き結ぶ。スリの練習のために、定期的に赤月たちの洋服のどこかに隠されたおはじきを奪うことになっていた。


 赤月は白い歯を見せて笑う。


「それで、どうだった? 『白浪五人男』は」


「お祖父さま方が憧れを抱く理由がわかりましたわ」


 目を閉じれば、客席で息を呑む客たちの姿だけではなく、白浪の世界へ誘う雅楽の音と、人の心を動かすほど力強い役者の声が聞こえてくる気がする。


「そうだろうそうだろう」


 赤月は得意げに口角を上げた。白藤は彼の横顔を盗み見る。


(この表情は初代『白藤』を意識しているのかしら?)


 いまの白藤に赤月の演技を見分けることは難しい。


 だが、それでいい。彼のそばにいれば、いつかはきっと見極めることができるだろうから。


「赤月さま」


「なんだ?」


「アーティファクトを盗み終えてからの夢はありますか?」


 ふと尋ねると、赤月は一瞬だけ真顔に戻ってから苦笑する。


「君はまた突拍子もないことを聞いてくるなあ」


「あら、白浪五人男になぞられているあなたには、なにも野望がないのですか?」


 挑発的な笑みを浮かべると、赤月は口をつぐんだあと、脱力する。


「その聞き方はずるくないか?」


「だってわたくしは将来有望な悪女ですから」


 冗談めいた声で告げれば、彼は改まって白藤と向き合う。


「せかい……すること」


「え?」


「世界中を旅すること!」


 赤月は大声を上げてから、片手で顔を覆う。


 耳まで真っ赤に染まっていて、「この歳で少年みたいな夢を語るのはけっこう恥ずかしいんだよ」と言っていた。


 白浪一族は、まじないによって常に政府に位置を把握され、帝都から出ることもままならない。


 国内だけにとどまらず世界中と言い切るのは、実に彼らしい夢だと思った。


 白藤は目を和ませながら、口角を上げる。


「では、同じですね」


「は?」


 赤月は虚を突かれたように、口をぽかんと開いた。


「わたくしもいろんな地域に足を運んで、その土地のいろんな料理に出会いたいと思っています」


 心の底から微笑めば、赤月もつられて唇に弧を描く。


「……そうか。では互いの夢を叶えるためにも、任務をこなさないとな」


「!」


 白藤が足を止めると、彼はそれを予測していたのか、同時にその場にとどまった。


「次の命令が来たのですか?」


「ああ、黄蝶、緑埜、青兎が屋敷で待っている。行くぞ!」


「はい!」


 白藤は腰元に触れてから歩き出す。そこには扇子を仕込んでいた。



◆◆◆◆◇


 時は大晶たいしょう十年、秋。


 森島千景は三代目『白藤』として、これからの世を生きていく。


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