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第三幕 『対価と大火』

 千景が許可取りのために真っ先に向かったのは黄蝶のもとだった。


「あたしは反対かな。もうつらい想いはさせたくないし」


 そういって黄蝶は瞬時にメイド服から真っ黒なワンピースに着替えて、夕暮れ時に出かけてしまう。


 次に向かったのは緑埜のもとだった。


「私も反対します。赤月さまが中途半端に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」


 運転手の恰好をした緑埜は深々と頭を下げてから、夜更けに出かける。


(取りつく島もないなんて……)


 千景が早朝から部屋の出入り口で誰かが通りがかるのを待っていると、背後から灰色の背広服に帽子をかぶった赤月が現れた。


「そんなところで俺たちを待っていると風邪を引くぞ」


 呆れ声を聞いて、千景は唇を尖らせる。


「では許可をください」


「俺の許可は『黄蝶』『緑埜』『青兎』の三人の許可が取れたらな」


「巻き込んでおいて、ずいぶんと他人事のように言いますね」


 千景が上目遣いで睨むと、彼は怯みもせずに笑みを浮かべる。


「君だって危険だとわかっていて飛び込んできたではないか」


 卵が先か鶏が先かの口論に、千景はため息をつくと、赤月のネクタイが曲がっていることに気づく。


「失礼します」


「な、なにをするんだ」


 彼は珍しく狼狽えた。千景は淡々と答える。


「出かけるのですよね? 曲がっていますよ」


「……君、ずいぶんと大胆になったな」


「え? あっ」


 千景は気まずくなって頭を下げる。


「申し訳ありません、和冴さまにいつもやっていたのでつい」


「ほお」


 赤月がまとっていた空気が変わった。彼は目を細めて千景を見下ろす。


(え、怒っているの……?)


 ネクタイに気安く触ったのがいけなかったのか。千景が眉を寄せて不安げな顔を浮かべていると、赤月は右手を伸ばす。


「髪に触れる。いいか?」

 こくりと頷くと、赤月の指先が左耳をかすめ、横髪をかけてくれる。


「うん、このほうが可愛い。じゃあ、行ってきます」


 彼は歯を見せて笑ったあと、颯爽と踵を返して、部屋から出て行った。


 取り残された千景はその場で呆然としてから、ふと壁に備わっていた鏡を見つめる。


 頬が真っ赤に染まっている。


 普段着として支給された浅葱色のワンピース姿も相まって、まるで恋する少女のようではないか。


(ないないない、ありえないわ。少しだけ大人の色気に当てられただけよ)


 脳内に焼きついた赤月の笑顔を払拭するために、両手で頬を押さえながら廊下を往復する。


 ホテルには常に白浪一族の誰かが常駐しているが、寝室にこもったり、居間にいたり、自由に過ごしている。


(黄蝶さまと緑埜さまはまだ帰っていないわ。となると、ここにいるのは青兎さまね)


 千景が居間に向かうと、青兎が寝室から出てきて、窓の近くで背伸びをしていた。


 どうやら寝起きのようで、ホテルの寝巻である紺色の着物を着たまま欠伸を噛みしめている。癖がついた髪も、いつもよりふわふわに膨らんでいた。


「おはようございます、青兎さま」


「わっ。おはよう、千景ちゃん」


 彼は相当寝ぼけていたのか、声をかけられるまで千景の存在に気づいていなかったようで、慌てて眼鏡をかけなおした。


 千景にとっては緒方家でよくあった光景のため、何事もなく言葉を続ける。


「朝食はどうされますか?」


「うーんと、朝食はそんなに食べられないんだよね。お湯だけもらってこようかな」


 そういって彼は部屋から出ていくと、すぐにお湯が入ったやかんを片手に戻って来る。


「厨房の人たち、みんな忙しそうだったから勝手に拝借してきちゃった」


 眼鏡越しに、無邪気に目が細められた。千景は呆れながらそれを受け取り、緑茶を入れる準備をする。


「誰にも気づかれなかったのですか?」


「僕たちは小さい頃から気配を消す訓練をさせられるからね」


「……なるほど」


 千景は感嘆を漏らしながら、青兎の目の前にあった脚の短いテーブルに緑茶が入った茶器を置く。


「青兎さま、質問してもいいですか?」


「うん、いいよ」


「白藤の存在をでっちあげるとはどういう意味ですか?」


 千景が床に膝をついたまま、ソファに座る青兎を見つめると、彼は隣りに座るよう座面をぽんぽんと叩く。


「言葉通りの意味だよ。誰かを白藤の子孫に仕立てあげればいい。なんなら君がなれば?」


 千景はソファに座りながら「冗談はよしてください」と告げると、青兎はさらに笑みを深める。


「ちなみに僕は君の参加を許可するよ。女の子が頑張るさまは見ていて好感が持てるからね」


「本当ですか⁉」


 思わず身を乗り出すが、我に返ってゆっくりと背もたれに寄りかかる。


「……あっさりし過ぎると返って怪しく思えますが、まあ信じましょう」


「僕、千景ちゃんの疑いと気遣いが入り混じった言葉が好きだな」


 青兎は膝上で頬杖をつきながら苦笑し、そのあと片手でお茶をすすった。彼が一息つくのを見計らって、千景は神妙な顔つきで口を開く。


「あの、どうしたらみなさまから許可が取れると思いますか? 侑希子のことが心配なのです。アーティファクトに取り憑かれているあいだは、体に害はないのですか?」


 どんどん詰め寄ると、彼は茶器をテーブルに置く。


「落ち着いて、落ち着いて。侑希子さまにかんしては、警察が周囲を見張っているから大丈夫。まず君がやるべきことは僕から白浪一族の情報を引き出すことだ」


「情報、ですか?」


 小首を傾げると、青兎は咳払いをする。


「僕の『青兎』は代々、アーティファクトと思われる宝の在りかを突き止めたり、僕たち以外の悪党に悪用されないよう妨害する役割を担っている。最近だと反社会組織から縞メノウに女性の横顔を彫ったブローチを回収したかな。結局アーティファクトではなかったけど」


 ついでに札束も回収したって赤月が言っていたなあ、と青兎がぼやいた。


(覚えがあるわ……確か、わたくしが白浪一族の屋敷に来たときの話ね)


 花岡男爵を筆頭とした美術品の収集家が白浪一族の名を知っているということは、裏社会の人がアーティファクトについて知っていてもおかしくはない。


「不思議なことにアーティファクトは帝都内でしか流通していない。年に一回しか現れないときもあれば、二週間という短いあいだで立て続けに遭遇するときがある。まるで人間の不満という蝋燭に火を灯すように、誰かがまじないを込めたアーティファクトを送り込んで来る。止めるためにも、情報が不可欠なんだよ。だから、千景ちゃん」


 青兎の目がより一層細められる。


「君はどんな情報を対価として僕に提供してくれる?」


 千景は口をつぐんだ。


 アーティファクトのほとんどが無名の宝だが、あれほどの美しさを持つ宝であれば、中流階級以上の者が手にする確率のほうが多いのではないか。


(わたくしが知っている中流階級の情報を手渡せばいいの……?)


 千景は眉を寄せ、静かに考える。


 渡せる情報はあるにはある。それは女学校で共にした同級生たちの情報だ。


 侑希子を助けるためとはいえ、学友を売りたくはない。侑希子がいたからこそ、学友たちとも会話ができるようになったのだ。


(わたくしにとって、売っても支障がない方なんて……)


 千景は「あっ」と声を上げる。


「青兎さま、緒方家とわたくしの情報はどうでしょうか?」


 口に出してから確信した。これしかない。


「緒方和冴は白浪一族の敵であります。それに白浪一族にかかわる以上、わたくしのことももっと知っていただきたいのです」


「――」

 青兎は息を呑み、そして目を輝かした。


「いい、それがほしい。ぜひ僕に君たちのことを教えてくれ!」


「は、はい」


 予想以上に食い気味だったため、千景は反射的に身を逸らす。そして何度か呼吸をしてから、ゆっくりと語り出す。


 緒方家が代々、人を取り締まる職についていたこと。和冴の父親であり当主の宗則は妻を流行り病で亡くしてから、警察を辞め隠居の身となり、帝都内の別邸にこもっていること。


「和冴さまは、わたくしにとって兄であり親であり……おそらく姑のような方だったのです」


「ぶはっ、姑かあ」


 青兎は腹を抱えて笑った。千景も口元に手を添えてくすくすと笑う。


「侑希子がそう表現してくれたのですけど、ほんと笑ってしまいますよね。ああ、そうだわ。最近になって知ったのですが、和冴さまが白浪一族を追っていたことはご存じでしたか?」


「知っていたよ。彼が帝大に通っていたときから、いろいろと嗅ぎまわっていたからね。ちょうど赤月も学生だったから、彼に近付いて監視していたんだよ」


「……なるほど」


 おそらく、和冴は東雲京介の正体にまだ気づいていない。


(和冴さまがそれを知ったら憤慨するでしょうね)


 そして、内心ではとても傷つくだろう。彼にとって気を許せる友人は数少ない。


「ねえ、次は君の両親について聞かせてよ」


 顔を上げると、青兎は真剣な眼差しをしていた。千景はおぼろげな記憶を呼び起こすように胸元に手を添える。


「わたくしの母は、宗則おじさまと歳が一回り以上離れた妹でした。わたくしの父と出会ったのはどこかの園遊会で……互いに一目惚れをしたと聞いています。しかし父は当時、医者を目指す書生でしたから、反対されたと」


「でも結婚したんだよね。どうしてかな?」


「あるときを境に、宗則おじさまが医者になれれば結婚を認めると言って……それから父が街中に小さな病院を開いたことで結婚が決まり、わたくしが生まれました」


「ふうん。でも、森島という病院は帝都にはなかったと思うけど」


「はい。病院は両親が列車事故で亡くなってからすぐに取り壊されています」


 これらの話は和冴の母親が流行り病で亡くなる前に教えてくれたことと、詮索好きな使用人が話していたことを盗み聞きしたものを、千景なりにまとめたものだった。


 こうして思い返してみると、両親に対する記憶がほぼないことを痛感させられる。


(ああ、でも)

 千景は口角を上げる。


「前に黄蝶さまに化粧をしてもらったことがあったのですが……大人っぽく仕上げてくださって、お母さまに会えたような気持ちになれて嬉しかったです」


「そう、黄蝶が君に化粧を」


 青兎は背もたれに寄りかかってから天井を仰いだ。


「……どうされたのですか?」


「うーんとね。黄蝶がね、白浪一族以外の者に化粧をするのは、通常一回だけだ。黄蝶の腕前であればその一回だけで骨格や肌質の情報を抜き取れるから、それ以上のかかわりは必要としない」


 意外と薄情な奴なんだ、と彼は苦笑する。


「でも黄蝶は千景ちゃんに対してすでに三回も化粧をしている。それってすごいことなんだよ」


 青兎は千景の目を真っすぐと見つめてから微笑んだ。


「……そのうちの二回は嫌々やらされていたと思いますが」


 素直に受け入れることができずに苦笑すると、彼は大げさに笑う。


「そうかもしれないけど、みんな君に一目置いているんだよ。もちろん僕もだ!」


「え?」


「君って本当に存在感が薄いね! さっきも声をかけられるまで気づかなかったよ! すごい才能だ!」


「……」


 千景は唇を引き結びながら、眉を寄せる。


(誉め言葉として受け取っていいのかしら)


 だが、才能という表現をしてもらったのは少しだけ嬉しいかもしれない。いや、でもやはり複雑な気持ちになると悩ませていると、青兎は姿勢を正す。


「話してくれてありがとう。とても有意義な情報だった。じゃあ今度は僕の番だね」


 千景は固唾を呑んでから、つられて姿勢を正した。


「初代たち五人が歌舞伎に影響を受けて偽名を名乗り、義賊の真似事をしていたのは知っているね?」


「はい。もとは泥棒として世間に名を馳せていたと」


「そうだね。庶民からは慕われていたけど、政府からは目の敵にされていてね。あるとき政府に捕まり、世間を騒がせた贖罪のために公にはできない盗みをしろと命令されたんだ」


「その公にできない盗みというのがアーティファクトのことですね」


「そういうこと」


 青兎は嘲笑うように目を細め、言葉を続ける。


「アーティファクトに取り憑かれた宿主は、時間が経つにつれて自我を失い、帝都を破壊するために行動する。たった一人の人間が、時には災害を引き起こす可能性があるんだ」


「……災厄、ですか?」


「五十五年ほど前かな。まだ政府の中でもアーティファクトという存在が定まっていなかった頃、大火たいかによって帝都の一部が焼き尽くされ、多くの死者を出したことがあった。当時の政府はね、アーティファクトによる被害を火災だと判断して、身を張って救護活動をしていた頭領の『白藤』を放火犯として捕らえ、処刑したんだ」


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