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第三幕 『スキャンダル』

 ――おそらく犯人は侑希子さまだ。


 和冴の衝撃的な発言に、千景は声を失う。


(侑希子が人を殴った……?)

 ありえない状況に、思考が追いつかない。


 黙ったままの千景をよそに、和冴は淡々と語る。


「花岡家の誰かが誠一郎さまに危害を与えたのは間違いない。そこで来賓や使用人に事情聴取をした結果、醜聞スキャンダルがあったことがわかった」


 彼はゆっくりと人差し指を立てる。


「まずは当主の花岡卿が、美術品を買うための資金を用意するためにギャンブルに手を出し、大損していた可能性があること」


 続けて中指を立てたとき、彼は一度だけ千景を見つめ、それから言葉を選んでいるのか、気まずそうに口を開いた。


「次に妻の佐代子さまが、その……色恋沙汰を抱えていた可能性があること」


 要するに不倫ということか。千景はすまし顔のまま、耳を傾ける。なによりも、和冴が侑希子を犯人とする根拠が知りたかった。


「まだ裏付けが取れていないから公にすることはできないが、昨日の花岡卿の様子を見るかぎり、警察に踏み込まれたくない状況であるのは間違いない」


 ソファに座り、腕を組んでいた赤月は「なるほど」と頷く。


「仮に二人の醜聞スキャンダルが本当だった場合、それを息子に知られたらと思うとぞっとする。でも二人には完璧な証言があるよね?」


「ああ。事件が起きた時刻に、花岡卿が一階の鑑賞部屋に、佐代子さまが庭先にいたのは来賓が証言している」


「二階にいた使用人の証言に食い違いはなかったのかい?」


「残念ながら。誠一郎さまは慎み深いお方で、使用人やかかりつけ医をぞんざいに扱ったことはなく、彼らからの評価は高かったよ」


「あの……そうなると消去法で、侑希子さまが犯人になってしまうのですか?」


 千景がおそるおそる問うと、和冴は眉根を寄せてから苦笑する。


「僕も彼女が犯人ではなければいいと思っているよ。彼女は僕の婚約者の友人でもあるからね」


「それでは」


「だが、彼女の証言だけはあやふやなところがあってね。彼女はちひろさんのためにかかりつけ医に声をかけたと言っていたけど、ずっと一緒に行動していたわけではなかった」


 和冴の表情は東雲ちひろと同じ年頃の少女を犯人扱いしていることに対して配慮しているのか、言葉遣いがいつもより柔らかいが、声色だけは鋭いままだった。


(侑希子は誠一郎さまに恨みがあったの……?)


 脳裏にふと浮かんできたのは、夕暮れ色に染まった学校の教室で、一人でたたずんでいた侑希子の姿だった。


『わたくしね、結婚するの。だからもうすぐ女学校を辞めるのよ』

『……相手はどなたなの?』

『元公家の方よ』


 侑希子の家は元旗本であった。


 公家と旗本が朝敵だったという感覚は、千景たちの世代から見れば時代錯誤のように感じるが、それでもなんともいえない緊張を抱いてしまうのはなぜだろう。


(あのときの侑希子は、不安と期待が交じったような、戸惑った表情をしていたわ。まるで大きな感情を必死にこらえているようにも思えて……)


 千景が思考にふけっていると、隣にいた赤月は首を傾げた。


「そうは言っても、侑希子さまはどうして誠一郎さまを殴ったのだろうね。彼女の動機だけがまったく見えない」


 すると和冴は大きく頷く。


「そこが今回の事件の不可解な点のひとつだ。あともうひとつはこれだね」


 彼は持ってきていた鞄の中から新聞を取り出し、テーブルの上に広げた。


「朝刊の見出しを見てほしい」


 千景と赤月は覗き込んでから目を見開く。

 そこには『花岡邸で泥棒騒ぎ。一時騒然』と書かれていた。


「殺人未遂ではなく、泥棒騒ぎとして扱われているね。そういえば、昨日も誠一郎さまの『なにか盗まれているものはないか?』という一言で、流れが変わったよね」


「ああ、あの一言によって明らかに事件がすげ替えられた」


 和冴は険しい顔つきのまま言葉を続ける。


「もちろん、本当に泥棒が入っていないか調査をした。誠一郎さまの証言では、泥棒はベランダから逃げたと言っていたが、地面に目立った足跡はなかった」


「足跡を消した可能性は?」


「それもなかった」


「うん、実に不可解な事件だ。俺の手には負えない」


 東雲京介に扮する赤月が困ったように苦笑すると、和冴は呆れ顔になる。


「そうだとしても、思うところはあるだろう」


「まあね。油断させておいて、誰かが本当に殺人を犯す可能性だってある。でも被害者である誠一郎さまが殺人未遂を掘り返すことを望んでいない以上、警察は動くわけにはいかない。そうだろう?」


「そこなんだよ、京介」


 和冴は膝上で両手を組むと、瞳に鋭い光を宿らせる。


「侑希子さまが誠一郎さまを心配している気持ちは本物だと僕は思っている。だからこそ、もし侑希子さんが今回の騒ぎを起こした犯人なら、彼女の意志ではなく、別の誰かに操られている、と思えないか?」


 千景は思わず息を呑む。


(和冴さまはアーティファクトのことを知っているの?)


 横目で赤月をうかがうと、彼はきょとんと小首を傾げる。


「操られている? 誰に?」


「……」


「ああ、もしかして、白浪一族ってやつのこと? ただのコソ泥なのに、人を操ることまでできるのか」


「いや、そういうわけではないが」


 和冴は言葉を濁したあと、意を決したように告げる。


「こういう不可解な事件にかぎってあいつらがかかわっている可能性が高くてね。白浪一族は昔から捜査をかく乱させてくるから困っているんだ。現状、証拠がなければ警察は動けない。侑希子さまの潔白を晴らすためには、白浪一族の情報も不可欠だと僕は思っている」


 それに、と和冴は牙をむく。


「白浪一族を捕まえることが祖父の代から緒方家の悲願だから」


 猟奇的な表情に、千景は唇を引き結び、内心でたじろぐ。


(待って。そんなこと、わたくしは知らないわ……わたくしと和冴さまの祖父が警察の前身である捕手とりてだったとは聞いたことがあるけれど)


 まさか白浪一族と緒方家は、初代のときから遺恨があり、自分は白浪一族とかかわりがあるのか。そんな考えすら浮かんでしまうほどの発言だった。


 和冴は迫力ある形相で、赤月に詰め寄る。


「なにか情報を知っているのだろう? ぜひ教えてほしい」


「う~ん、俺が知っている情報は事情聴取で述べた通りだからなあ。どうして彼らが無名の西洋美術品ばかりを狙うのか、俺が知りたいくらいだよ」


「ちひろさんはどうかな」


「わ、わたくしですか?」


 急に問われ、千景は肩までの断髪を揺らしながら、胸元に両手を沿える。


「わたくしも、お兄さまから白浪一族という、人々を困らせる泥棒がいるというお話を聞いただけで……まさか彼らが本当に存在するとは思っていませんでしたから、どう言っていいものか」


 震える瞳で、和冴を見上げる。


「誰が犯人であろうと、一刻も早く事が収まることを願うまでです」


「……そうか、あなたの期待に応えられるよう僕も頑張ろう」


 和冴は目を伏せてから微笑んだ。



◆◆◆◆◇


「では僕は本庁に戻ろう」


「事件が収束したら教えてくれ。食事に行こう」


 赤月に声をかけられ、和冴はややあって頷く。


「ああ、わかった」


 彼が立ち上がったとき、ポケットからなにかがこぼれ落ち、床で跳ねた。


(あっ)


 千景は反射的にしゃがんで手を伸ばして、一瞬だけためらう。床に落ちたのは、和冴が愛用している銀色の懐中時計だった。


(和冴さまもいい時計を使っているのね)


 平常心を取り繕いつつ、懐中時計を手に取り、和冴に差し出すために顔を上げたとき、彼もまた懐中時計に手を伸ばすように身をかがめていて、彼の手が千景の肩に触れた。


 互いの吐息を感じるほどの距離だ。彼のひとまわり大きな影が千景を覆う。


「あ……すまない、距離感を間違えた。驚かせてしまったね」


「……いえ。どうぞ」


「ありがとう」


 和冴は笑みを浮かべると、ゆっくりと千景から離れていく。


「見送りはいらないよ」


 そういって和冴は部屋から出て行った。

 しばらくして、赤月がいつもの口調で告げる。


「年頃の娘なら、頬を赤く染めるところだぞ」

「……そうですね」


 千景が気の抜けた返事をすると、赤月は眉をしかめる。


「顔が青白い。なにか言われたのか?」


「なにも。ただ、さりげなく髪を触られた気がして」


 千景は自身の髪を一束取ると、小首を傾げる。


「わたくしから見れば、昨日の変装と見分けがつきませんが……髪を切ったことを疑われたのでしょうか?」


 赤月は妙に歯切れの悪い声を出す。


「……さあな。というより、なにもそこまでしなくてもよかったんだぞ。髪は女性の命だろう?」


「大丈夫です、すぐに伸びますから」


 腰までの髪をばっさり切ったことで、体が軽くなった気がする。


(黄蝶さまに誠意を見せるために髪を差し出したけれど……結果としてよかったかもしれないわ)


 だが、やはり和冴が東雲ちひろの髪に触れたことが解せない。


「和冴さまはやはり変わった嗜好をお持ちの方なのでしょうか。普通、女性の髪を触りませんよね?」


 だが赤月の反応は複雑なもので「普通は触らないな、うん」と言うだけだった。


「う~ん! その度胸、お見事だった! ブラボー‼」


「!」


 誰かが拍手をしながら部屋に入って来た。黄蝶の鈴が転がるような声でもなく、緑埜の雪の静けさをまとった声でもない。


 部屋の出入り口に立っていたのは、毛先に丸みがかった癖がついたこげ茶色の髪に、丸眼鏡をかけた青年だった。


 黒いシャツに黒い背広服を着て、ロイヤルブルーのネクタイが派手に目立っている。


 赤月がげっそりとした顔をしながら口を開く。


「ようやく戻ったか。おかえり、青兎あおと

「うん、ただいまー」


 彼は赤月を素通りすると、千景に目線を合わせるように腰を折り、胸元に片手を添えて一礼する。


「初めまして、千景ちゃん。僕は青兎、よろしくね」


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