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第三幕 『もう部外者ではない』

「くくっ、それで君は和冴かずさのことを黄蝶きちょうだと思って、堂々と接していたわけか」


「ええ、ええ。わたくしが浅はかでした! どうぞわたくしのぶんまで笑ってください!」


 千景は片手に持っていたティーカップをテーブルの上に置いてから、頬を膨らませる。対面に座っていた赤月はまだ口元を押さえて笑っていた。


 すると窓側のソファに座っていた黄蝶が、首だけ振り向いて苦笑する。


「あたしの変装の技術を買ってくれているのは嬉しいけど。対象の人物にそっくり成り代わるためには、演技力だけではなくて顔の造形や耳の形も変えなければならないのよ? 現在の技術では誤魔化すことはできても、完璧には無理だわ。残念だけどね」


 そういいつつも、ホテルの給仕用のメイド服を着てふくよかな女性を演じる彼女の目には爛々と光るものがあった。


 もっと完璧な変装をするという野心のあらわれだろう。


「千景さん、紅茶のおかわりはどうされますか?」


 今度は黒の背広服に蝶ネクタイをした緑埜みどりのに声をかけられ、千景はどぎまぎしながら頷く。


「ではもう少しだけ」


 緑埜は優雅な仕草で紅茶を入れてくれる。ふわりといい香りが漂い、肩の力を抜きたくなるが、まだ部屋の内装に慣れなかった。


 ここは三十畳ほどの広々とした居間となっていて、窓からは美しい庭園が見える。


 さらに風呂とトイレ以外に三部屋もあり、体感したことがないほどのふかふかのベッドで一晩を過ごした。おかげで疲れはほとんど残っていない。


 さすが帝都随一のホテルのスイートルームだ。


 黄蝶と緑埜が従業員に化け、食事も部屋の中に運ばれてくるという、至れり尽くせりな生活だ。


(朝食でいただいたトマトとチーズが入ったオムレツが忘れられないわ……ではなくて)


 千景はうっとりしかけたところで首を横に振る。


「本当にしばらくここで過ごすのですか?」


 赤月は肩をすくめてから足を組みかえる。


「厄介な事件が起きてしまった上に、和冴と関係を持ってしまったからな。ここの資金は政府持ちだ。君は気にしなくていい」


 千景はなるほどと頷く。


 資金を気にしなくていいなら、少しだけ身をゆだねるのもいいのかもしれない、と考えかけて、再び首を横に振る。


「ちょっと待ってください。困ります! わたくしの給金はどうなるのですか⁉」


 あやうく高級ホテルの誘惑に負けるところだった。


 千景が眉をつり上げて赤月に問いただすと、彼は「はあ、やれやれ」と片手で額を押さえた。


「君は役目よりも俺たちの身を案じてくれないのか?」


「……侑希子のために、一緒に行動しているようなものですから」


 心の片隅では彼らの心配もしているが、それを口に出すのははばられた。


(悪党に情を抱きつつあるなんて……口に出せないもの)


 いま一度しっかりと線引きをしなければ、あとで傷つくのは千景のほうだ。


「よくやったよ。昨日の一件でチャラにしてもいいくらいだ」


 赤月はテーブルの上で頬杖をついた。


「嘘をつかないでください。わたくしは昨日の出来に満足していません。しっかりと精査した上で適切な給金を支払ってくださらないと困ります」


 千景が身を乗り出すと、彼は目を伏せて口端に弧を描く。


「そういうところ、和冴に似ているな」


「……」


 千景は顔のあらゆるしわを寄せて顔をしかめる。すかさず赤月に「年頃の乙女がする顔ではないな」とたしなめられるが、キッと睨みつけた。


「わかった、わかった。では、今日の和冴との対談は千景に任せる」


「ちょっと赤月、あたしを差し置いてなにを言うつもり?」


 黄蝶の鋭い声が飛んできた。彼女はソファの背もたれをあっさりと飛び越えて、赤月に詰め寄る。


「これ以上、部外者をかかわらせるのはやめて!」


「もう部外者ではないだろう」


「あんたが勝手に引き込んだだけでしょうが!」


 黄蝶の拳が振り上げられるが、赤月はいとも簡単に手のひらで彼女の拳を包み込んで止めてしまった。


「そうだな。だからこそ、千景には選ぶ権利がある」


 そういって、赤月は黄蝶の拳を受け止めたまま、目を細めて千景を見つめる。


「やれるか?」


「やります」


 千景は目を据えて即答した。


「和冴さまは人の特徴を覚えるのが得意です。昨日と違う特徴を持つ人物が現れたら、余計に疑われてしまいます。違いませんか?」


 先ほど黄蝶自身も言っていた。対象の人物にそっくり成り代わるのは現在の技術では難しい、と。


 黄蝶は口をつぐんだ。そして赤月から拳を引っ込め、今度は千景を挑発するように口角を上げる。


「そうね。でもあなたが断髪のご令嬢に変装するためには、あたしの力が必要なはずよ。千景ちゃん、言葉以外の誠意を見せてもらわないと」


 最近になって、彼女は千景に厳しい態度を取るようになった。


(でもそれは、黄蝶さまなりの優しさでもあると思うから)


 千景が黄蝶に与えることができる見返りなど、この身ひとつしかない。


 だから。


「黄蝶さま、ではこちらを差し上げます」


 千景は体のとある一部分を指さして、控えめに微笑んだ。



◆◆◆◆◇


 和冴との対談は、ラウンジだと人目がつくため、千景たちが泊まっている部屋で行われることになった。


 黄蝶と緑埜は調査のため、ホテルにはいない。


 赤月はワイシャツにサスペンダーという軽装で、きっちりと黒い背広服を着た和冴を迎え入れる。


「和冴、昨日ぶりだね」


「ああ。よく眠れたか?」


「おかげさまでね」


「そうか。ちひろさんも、昨日より顔色がいい」


 和冴ににっこりと微笑みかけられ、千景は緊張しつつもはにかむ。


「お兄さまがわたくしのために尽くしてくれたので」


 千景が冗談めいた声で告げると、赤月は肩をすくめた。


「あんなの序の口だよ。今日はもっと甘やかすから」


「……もう、人前で恥ずかしいですから」


 眩いほどの笑みを向けられ、千景は恥じらうように頬を赤く染めてから顔をそらした。


 赤月がさらに頬を緩ませている気配がして、胸がむずかゆい。


 和冴はソファに座ると、ごほん、と大きく咳払いをする。


「さっそくだが、本題に入ろう。今日は京介の見解を聞きたくてここに来たんだ」


「ああ、わかっているよ」


 赤月と千景もソファに座ると、和冴は前かがみになる。


「京介、昨日の一件をどう思っている?」


「刑事さんの見解を差し置いて、俺の見解は述べられないね」


 赤月が八の字に眉を寄せると、和冴は真顔のまま「それもそうか」と呟き、氷のように冷たい双眸を細める。


「今回の事件は単純だが、不可解なことが多い。僕には、誠一郎さまが犯人を庇っているようにしか思えなかった」


 そして、鋭い声でとある名前を告げる。


「おそらく犯人は侑希子さまだ」


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