キスキスキス
中学校の卒業式のあと、俺んちの俺の部屋で、幼馴染みの仄村由月とエモい雰囲気になってキスをしてしまう。
由月は保育園の頃からずっといっしょの同い年で、小学校中学校も変わらず同じだったんだけど、高校でとうとう別々になってしまう。俺は芳日高校へ行き、由月は西招福高校へ行く。二人で登下校をしたりするほどに仲がよかったもんだから、寂しいね寂しいねと言い合っていたら普段じゃありえないようなメチャクチャな感情の高ぶりが起こり、今までに考えたこともなかった幼馴染み同士でのキスをしてしまう。唇と唇を軽く触れ合わせるやつではなく、舌と舌を絡め合わせるやつだ。俺が由月の口の中に舌を入れると、由月は知識がなくて戸惑うかと思いきや普通に舌で対応してきて、俺は驚くと同時に異様なほど興奮してしまい、由月の口内をべろべろに舐め回してしまう。
初めてのキスがディープキスで、それにかなりの時間を費やした気がしたけれどたぶん十分にも満たなくて、終わった途端に俺達は気恥ずかしくなり由月はそそくさと帰宅してしまうのだった。俺達程度の中学生の寂寥感じゃ、キスぐらいまでのエネルギーしか生み出せなくて、それ以上先への持続力がない。
そうして俺と由月の関係が終わる。
由月と会わないまま、連絡もないままに春休みが終わり、高校生活が始まる。由月からあれ以来一言もないのは切なかったが、俺も俺でなんて声をかけたらいいのかわからなかったのでお互い様だった。会ったらまたキスがしたくなってしまいそうだし、なんならキスの先も要求してしまいそうだし、それは今までの俺と由月の関係性からは程遠くて俺を困惑させた。俺と由月はバカなことを言い合ってヘラヘラしている気さくな間柄だったのだ、キスが起こるまでは。今となってはなんでキスしてしまったのかも不明なぐらいだった。キスをするにしても俺達だったらもっとふざけ合いながら、お互いに照れながら渋々するのが相応しいってイメージなのに、あの日のあのラブラブな雰囲気はなんだったんだろう? ようやく思いが通じ合った恋人みたいだった。別に告白し合ったわけでもなかったのに。
由月との件でモヤモヤしてしまい、高校生活のスタートダッシュを上手く切れなかった感がある。一人でぼんやりしていると、中学校でいっしょだった青葉紫乃が俺に会いに来る。青葉は由月の親友だ。「よ。菱木、元気?」
「普通」と俺は返す。
「冴えないね。ぼっちじゃん」
「うるせえ。別に」
「由月いなくて寂しい?」
「あー?」なんか素直に言うのも癪だけど。「まあ寂しいよ」
「あからさまに元気ないしね。由月も心配してるよ」
俺は少し顔を上げる。「由月はどうしてるの?」
「さあね? 普通だよ」青葉はイタズラっぽく笑う。「気になるなら連絡すればいいじゃん。なんで連絡しないの?」
「別に。なんとなく」
「気まずい?」
ギクリとさせられる。「別に気まずくなんてねえけど……」
「だったら連絡してあげてよ。由月はちょっと気まずいって言ってたから」
「え、気まずいってなんで?」
俺の質問は無視され、「菱木がちゃんとリードしてあげなよ」と言われる。「菱木は気まずくないんでしょ? だったら大丈夫じゃん? あたしは世話焼きすぎないようにするから、菱木、ちゃんと進んで由月に連絡してあげてね? わかった?」
そこまで言われたのに、由月が俺を待っているようなこともなんとなくほのめかされたのに、それでも俺は連絡しなかった。できなかった。マジでなんて言えばいいのかわからなかったし、あのキスのあとで以前のテンションというのにも無理があった。由月が友達枠から一気に女枠みたいになって、俺自身が由月に求めているものも変質してしまった気がして、たぶん由月の方はもとの由月のままっぽくて俺にはそれが申し訳なくもあった。
ゴールデンウィーク前に青葉からダメ出しを食らう。「なんで連絡しないの? バカなんじゃないの?」
「うるせえ」としか俺は言えない。
「別に由月に興味なくなったんならそれで構わないよ。でもそうじゃないじゃん?」
「興味なくはねえよ。でも気まずいし」
「あんたこの前は気まずくないって言ってたじゃん」
「…………」いちいち細かいところまで覚えていやがる。「……由月はどうしてるんだ? 元気にやってる?」
「元気は元気だよ。あんたと違って新しい友達もたくさん出来たみたいだし」
「俺も出来てるよ」でもそんなことどうだっていい。「……恋人は?」
「さあ? そのうち出来るんじゃない?」
「まあそうだよな」いずれは出来るだろう。「……由月って今でも俺に興味あるかな?」
「自分で訊いたら?」
「そんなバカみたいな質問できないだろ」
「ふふ」と青葉はちょっと笑う。「まあね。しきりに『気まずい』とは言ってるよ」
「何がどう気まずいんだよ」
「それをあたしに訊く?」青葉が訊き返してくる。「それをあたしが答えられたとしたら、由月があたしになんでも話してて、あたしはあんた達のことなんでも知ってるみたいな感じになっちゃうけど?」
「なんでも話してるんだろ?」と俺は適当に言う。「別に気にしてないよ」
「キスしたんでしょ?」とすぐ質される。「いきなりメッチャ大人のキスして気まずくなったって聞いてるけど。合ってる?」
「たぶんな」
「そんなの別に気にしないで仲良くしてればいいじゃん。なんでそのくらいで連絡すら取り合わなくなっちゃうかな」
「いや、俺達にとっちゃ『そのくらい』では済まないから」
「今まではしたことなかったの?」
「ねえよ。今までだったらちょっと顔近づけただけでバッチーン!って叩かれてるよ」俺は自分で言って自分で少し笑う。「ホントはそういう関係でよかったのにな」
「戻りたいって言いな」
「俺的に戻れない」
「戻れるよ。戻れないって頭で思ってるだけでしょ。普通に戻れるよ、そんなの」
「キスもメッチャしたい」
「あはは」と笑われる。「なんだよそれ。だったらキスもしたいですって言いな。なんだって許されるって。仲いいじゃん、あんたら」
「いや……」
なんか、考えれば考えるほどに気落ちしてくる。今更、もとに戻るために・もとに戻ろうとすべく再構築される関係性って、もともとのオリジナルの関係性と同じだと言えるのか? オリジナルをなぞって再現しているだけの、言わば演劇みたいなものなんじゃないの? うわべだけ復活してもお互いの心の底に、かつてはなかったものが沈んでたりするんじゃないか? これも『頭で思ってるだけ』と言われるんだろうか? でも、頭で思ってしまったらもうダメという気もする。頭がすべての原動力だし、頭が拒否するようなら、それは仮に『思ってるだけ』なんだとしても行動に移しようがない。
俺が黙考している間、青葉は教室の窓から外を眺めている。夕方になり、空がオレンジ色に焦がれつつある。俺と青葉は部活動に所属していないのをいいことに、こんな時間まで無駄に居残りしている。いや、由月の話をしていたわけだから無駄ではないのか? でも俺と由月の関係が完全に途切れるならやはり無駄なんだと思う。こんな時間は。
青葉がおもむろに訊いてくる。「キスの仕方ってどうやって学んだ?」
「仕方っていうか、そんなの舌入れるだけだろ」
「それでも、何も知らずに生きてたらそんな発想には至らないでしょ?」
「うーん」どうかな。まあそうなのかな。「ネットで調べた」
「だよね。普通そうだよね」
「なんで?」
「いや、訊いてみただけ」青葉は少し黙り、それから口を開く。「菱木のキス、上手だったって言ってたよ、由月。すごいよかったって」
俺は顔面が燃えそうになる。「はあ!? んなこと話してんじゃねえよ。なんなんだよ。バカにしやがって」
「あは。知らないよ。由月の方から教えてきたんだから」
「もお~……最悪。なんでそんなこと人に言うんだよ。お前もわざわざ俺に報告してこなくていいっつの」
「あはは。恥ずかしがってる恥ずかしがってる。可愛いとこあるじゃん」
「うっせえ」
「キス上手」
「上手じゃねえよ」ぶっつけ本番だし、上手なわけない。「……ムードがよかっただけだろ。なんか、たしかに空気感はメッチャよかったしな。ドラマみたいな……いや、ドラマみたいなわざとらしい感じじゃなくて、ホントに、わーすごいみたいな雰囲気だったんだよな」
「なんだよ、わーすごいって」笑われる。「でも羨ましいかも。そういう体験ができるって、特別じゃない?」
「まあなあ」
心臓はバクバクで舞い上がっていたけど、でもあのときの二人の気持ちは境界がわからなくなるほど同一で、まるでひとつのモノみたいだった。共鳴していた。だからこそ、実際は適当だったキスも上手く感じたんじゃないんだろうか? 言われてみれば、俺だって、由月側からのキスをいかにも洗練されたものとして感じていた覚えがあるし。けれど、まあ、そんな特別な体験が起きたせいで俺と由月は修復不能に陥ってしまったんだが。
はたと意識を現実に戻すと青葉がさっきよりも俺の傍にいて、というか俺の正面に立っていて、だらんと垂れ下げられている俺の左腕の先で開かれた左手の平を、人差し指でいじいじ触っている。
「なんだよ」と俺は言う。
「なんでも」と青葉は返し、人差し指と中指で両足を作り、それを俺の左腕に上らせてくる。左肩まで駆け上がってきたそれで、俺の頬をつつく。
「なに」と言いながら俺も青葉の頬をお返しとばかりにつつく。
と、「なんでもない」と口では言いつつ、青葉が体を俺の方に傾けてくる。
俺は右手を青葉の頬に当てたまま、左手で青葉の腰に押さえるようにし、傾いてきた青葉にそのままキスする。青葉の方も最初から俺の唇しか狙っておらず、何も調整する必要もなくそのまま唇が合わさる。舌を入れようとすると、最初は青葉の歯に阻まれて止められてしまうが、すぐに受け入れ態勢が整ったようですんなり迎え入れられる。青葉の舌先に触れる。なんか由月の舌と違ってザラザラしているような気がするけれど、正直そんな感覚までもを正確に記憶しているのか?と我ながら疑問で、どうでもいいことを考えてしまうとその隙を衝かれて羞恥心に流れ込まれてしまい、俺は早々と顔を離す。
青葉はうつむき加減に目を細めている。俺と目を合わせない。
キスしてしまった。なんか、青葉が近づいてくる前からキスをしてしまう予感みたいなものが働いていて、まあいいやと思っていたら案の定やってしまった。いきなり青葉が来てびっくりした、という感覚はなく、あ、やっぱり来た、うん、しちゃう?わかったよ、っていう感じだった。
俺は一応「ごめん」と謝っておく。ごめんなんて全然思っていないけど、何か言わないと時間が止まったままになるので。
青葉も「あたしこそごめん」と謝ってくる。青葉の方は本当に『ごめん』と思っていそうなトーンだった。「由月とあんたの仲を復活させなきゃいけないのに……あたし」
「いや、そんな頑張らなくていいよ」俺はほとんどあきらめてしまっている。仲直りできたらいいのになと思ってはいるものの、それはもう戻らないものに思いを馳せている状態と大差ない。「……青葉も俺から距離取るつもりでいる?」
「距離取った方がいい? いいよね? たぶんあたしはあんたにもう近づかない方がいい気がする」
「いや、キスするたびに友達が減るってどういうことだよ」と俺は苦笑する。「一回チュッてしちゃっただけじゃん。気にすんなよ」
「気にするよ。ファーストキスなんだけど」
「え、ファーストキスなの?」
俺が少し笑うと、「笑うなよ」と青葉も笑う。「初めてで悪いか?」
「悪くないけど、こんなんでよかったのか?」
「いや、それは全然いい」と青葉。「あんただから落ち着いてできたし。よかった」
「ふうん」
「でもあとから罪悪感来た。すごい」
「いや、由月のことはいいから」俺は青葉の腕を掴んで、もう一回キスする。キス上手のつもりだったけど、いきなりしようとすると顔の角度とか照準が定まらなくて鼻がちょっとぶつかる。格好悪い。「……由月と俺は付き合ってないし。学校も別々だし、どう考えても復活はないだろ」
由月との関係性は複雑に捩れているし、納得の行く形に戻しようがない。恋人として付き合えるんだとしたら、それはどちらかといえば青葉の方だろう。
「うーーん」と青葉は唸っている。
「とにかく離れていかないで」と俺はお願いする。「それは寂しすぎるだろ。キスがトラウマになる」
難しい顔をしていた青葉だが「あはは」とちょっと笑う。「わかったよ。あんたがそう言うなら、離れないよ。引き続き友達ってことで」
付き合わないのか、と思うけど、まあそれでいい。俺と青葉は連絡先を交換し、由月を間に挟んで曖昧だった関係を改めて友達ということに更新して下校する。
ゴールデンウィークの間は一切連絡がなく、やっぱり気まずくなったのかなと由月とのむなしい経験を踏まえて半ば覚悟していたのだが、学校が再開すると青葉は普通に近寄ってきた。「よ。元気にしてた?」
「連絡しろよ」と俺は恨みがましく言う。
青葉は俺が座っている椅子の背もたれの部分にお尻を乗っけてくる。ゴールデンウィーク前より距離が近い。「連絡してこないのはあんたもでしょ?」
「それはそうなんだけど」
「菱木さ、連絡を面倒がるの、ダメだよ」
「面倒なわけじゃないんだけど、邪魔に思われたら嫌だなあとかって思ったり」
「思わないから。邪魔だったらこっちで適当にしばらく無視しとくから」
「あ、ひでえなあ」
「そんくらいの関係でいいんじゃない?」青葉は俺の頭に手を置き、少し撫でる。「あんまり重々しく考えないでよ。気楽に行こ。ね?」
「うん」まあ重くしたいわけじゃない。「っていうか、距離感近いな、お前」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「もう少し離れる?」
「いいよこれで」
「そっか?」青葉は俺の髪をくしゃくしゃにして満足げに笑う。
で、俺と青葉ってこれからどうなるんだろう?と授業中などに一人でもにょもにょ考えていたら、放課後、誰もいなくなった教室で「キスしていい?」と確認を取られる。
「いいよ」と俺は言う。
「待ってました?」
「や、青葉って俺をどうしたいんだろう?ってずっと考えてたから。待ってました!って感じじゃないかな」
「あ、そんな感じなんだ?」青葉は少し黙って考えるようにしてから「キスしない方がいい?」と訊いてくる。
「いや、したいかも」と俺は正直だ。
「菱木はあたしをどうしたい?」
俺は正直を貫く。「キスしたいし、いっしょにいたいよ」
「あはは。あれ? そんなにあたしのこと好きだったっけ?」
はっきり言ってこの間まで少しも好きじゃなかったけれど、そんなの、可愛らしい顔でキスされてしまったら男子なんて一気に意識してしまうだろ。少なくとも俺はそうだ。単純なのだ。「好きだよ」
「へえ、そうなんだ?」青葉が体を寄せてくる。「男子に好きって言われたのも初めてなんだけど」
「ふうん? こんなに可愛いのに?」
「ぷっ」と吹き出される。「あはははは! 菱木ってすごいわかりやすいね! 前と全然態度が違うし! そんな感じになるんだ?」
「えぇ……うるさいな。分析すんなよ」
「や、嬉しいよ? それに可愛いなと思ってさ」
「…………」
「ホントに」
青葉が両手を俺の胸辺りに置くようにして、顔を近づけてくる。目は既に瞑っていて無防備で可愛らしいキス顔なんだけど、ちゃんと俺の口元へ正確に届く。青葉は柔らかい唇で俺の上唇と下唇を順に啄んで包む。それから舌を伸ばし、だけど中へは入ってこず、先程まで啄んでいた俺の唇を端から端まで舐めなぞる。俺の意識が天を向く。目を瞑りながら俺は白目を剥く。気持ちがよくて口が半開きになる。その隙間を縫って青葉の舌が入り込んできて、今度は俺の歯なんぞを一本一本舐めたりしてくる。俺は腰を抜かしそうになり、慌てて青葉の背中を抱く。くっついていないと倒れそうだ。青葉は構わず俺の歯にゆっくりと舌を這わせていき、俺の舌先が痺れを切らす頃にようやく、いや、ある意味最高のタイミングで絡まってきてくれる。青葉に舌でグイッと押されたとき、とうとう俺は力が抜けて教室の床にしゃがみ込んでしまう。下腹部の意識だけが青葉をめがけて鋭く尖っているような気になる。
俺は情けなく「青葉、やばい。やばいよ」と呻くことしかできない。
青葉も床に女の子座りし、呼吸を荒くしている俺の口に深く深く食らいついてくる。歯茎や歯の裏まで舐められて、俺の欲望は口内だけでは満たされなくなってくる。
座り込んでいる青葉のスカートの中に手をやろうとすると、「ダメ」と掴んで押さえつけられる。「キスしかしないよ」
かろうじて俺は「無理」とだけ抗議する。「耐えれない。青葉、俺のこと触ってよ」
「ダーメ」
「おかしくなりそう」俺はもうはち切れそうで、例えば青葉の手が少しかすっただけでももう爆発してしまいそうだった。なんなら、もうしばらくしたら青葉のキスだけですべての欲が解消されてしまうかもしれなかった。それくらいいっぱいいっぱいだった。
しかし、際どいところで青葉が俺の唇を解放してしまう。「はあっ。疲れた!」
俺は下腹部の痒みが取れなくて、うつむいたまま内心で悶える。「…………」
「菱木? どう? てか大丈夫?」
「……もう無理」
「無理?」
「やりたい」
「あはは。やるのはダメだよ」
「なんで」
「なんでって、まだ早くない?」
「全然早くない」
「ふふ。その様子だと、満足してもらえたって感じ?」
俺は呼吸を整えてから「なんか上手になってない?」と尋ねる。
「休み中に勉強したから」と青葉は得意げに胸を張る。「どうだった?」
「無理。死ぬ。最高すぎる」
「あはは。やった」
「……なんで勉強したの?」
「なんでって、あんたが喜ぶかなと思って」
俺はもう反射的に青葉に抱きつき、そのまま床に押し倒してキスを続行する。今度は俺が舌を入れるが、青葉みたいに上手く操れず、残念ながらぎこちない。しかも青葉にお返しとばかりに舌でハグされると、それだけで体の芯がピーン!と張り詰めてしまう。完敗だった。キス上手の称号は返上しなければならなかった。
俺はこのキスだけで青葉の虜になってしまった。もう交友関係も恋愛も勉強も進路も将来もどうでもいいぐらい青葉に夢中になってしまった。青葉のキスで全部溶けた。ゴールデンウィークをキスの予習に捧げた青葉の破壊力はとんでもなく膨れ上がっていた。しかも俺のためにそれをしてくれたというのだから……もうこれからは青葉のためだけに生きよう。そう本気で思うくらい俺は感動した。
ずっとキスだけしていたい。俺と青葉は放課後を使って、学校中の至るところでキスをした。トイレとか倉庫でもした。そうしていると、次第に休み時間にも我慢が利かなくなってきて、物陰でササッと済ませたりしなくてはならなくなった。青葉とのキスを中心に生活が回っており、俺の感情は青葉のキスで統制されていると言っても過言じゃなかった。
吹奏楽部が本日はお休みということで、音楽室に忍び込んでキスする。青葉は俺に深く口付けて、舌を根本から引っこ抜かんばかりに吸う。俺は力強く吸ったり優しく噛んだりしてくる青葉に対して思わず声なんかを漏らしてしまう。青葉のキスは飽きが来ない。毎回少しずつやり方が異なっていて、どんな攻めが来るかわからなくて、それだけで興奮してくる。そして毎度、俺の想像を超えて気持ちがいいのだ。最近は俺の上半身になら触れてくれたりして、下半身には指一本触れてこないけれど、とりあえず満足度は増した。俺の方から青葉に触れようとすると神経質にも弾かれてしまうが。
キスのあと、俺が青葉を欲する気持ちは最大限に高まっており、抱き合うことだけは許されているので、俺はできる範囲のことを思いきりさせてもらう。青葉をぎゅっと抱きしめる。「青葉、好き。大好き」
青葉も俺を抱き返す。「あはは。菱木はホントにあたしのこと大好きだね」
「大好きだよ、青葉」
「あたしも大好きだよー、菱木」
「青葉とやりたい」
「また言ってる。もうちょっと待ってくれる? 心の準備」
「青葉はやりたくない?」
「んー? 興味はあるよ。でも恐いじゃん? 菱木は恐くない?」
「俺は恐くないよ」
「まあ、菱木は入る側だもんね」
「優しくするから」
「うん、優しくしてね」
「え、今いい?」
「今じゃないって。もうちょっと待ってって言ってるじゃん。獣だなー」
「じゃあちょっと触るだけ」
「ダーメだよ」
「じゃあとりあえず付き合いたい。付き合おうよ。それならいいだろ?」
好きだとは伝えているが、付き合っていることにはなっていないのだ。別に今の関係が続くなら付き合っているか否かはあまり問題にならない気もするが、しかし口頭であっても俺は確定させておきたい。俺と青葉は付き合っているのだと明確にしたい。俺は青葉にここ最近ずっと『付き合いたい』と言っているのだが、返事はだいたい「うーーん」と煮えきらない。
「なんでそんなに乗り気じゃないの?」
「いや、だって……」青葉は口ごもりながら「由月に悪いじゃん」と言う。
「は……?」俺は今さら登場してくる由月に辟易する。「俺、由月と付き合ってるわけじゃないから。過去に付き合ってたわけでもないし。一回キスしただけ」
「知ってるよ」と青葉。「でも由月はあんたのこと好きだから」
「今も?」
「今は知らないけど」
「だったら関係ないじゃん」俺は力む。「っていうか、由月がどうだろうと、俺と青葉が両思いなんだから、それでよくね?」
「あたしは由月とあんたの仲を復活させるって、由月に言っちゃってるから。由月のいろんな気持ちも知っちゃってるし」
「いやいや」俺は自分と青葉を交互に指差す。「そんなこと言って、俺と青葉の仲が進んじゃってるじゃん」
「うん……」
「由月も今さら、俺なんてどうでもいいんじゃない? どうなの?」
「かもしれない。最近連絡してないからわかんないけど」
「だったらなおさら問題ないだろ」
「でもあたしと菱木が付き合ってるって話が由月にまで届いちゃったら、傷つけるかもしれないし」
「付き合ってなくても、この関係を由月が知ってもそれは同じことじゃない? ってか、付き合わずにこんなことしてる方が由月にとったら嫌だろ。付き合ってるって方がまだ納得できるよ」
青葉は俺の言葉をしばらく反芻するが、けっきょく「いや……」とつぶやく。「ダメだ。由月には付き合ってるだなんて言えない」
「じゃあなんだよ。付き合わずにイチャイチャしてますとは言えるのか?」
「それも……言えないけど」
「だったらもうなんでもいいじゃん。付き合おうよ」
「ごめん」と謝られる。「由月は大事な親友だから。裏切れない」
「…………」意味不明だった。俺と付き合うことが裏切りなら、付き合っているに等しい現状が既に裏切りだし、由月を大切に思っているんだったら青葉は俺に近づいてはいけなかったのだ。それなのにキスを繰り返して、青葉はどこに着地したかったんだろう? 青葉の主張からは着地点なんてまったく見定められないぞ? 「……これからもいっしょにいてくれるんだよな?」
「うん……」
と言っていたのに、しばらく続いた日常の後に、青葉が別の男子と付き合うことにしたと俺に泣きながら告げてくる。
俺は呆けるどころか、もう何もないよ。「誰と付き合うの?」
「律田くんっていう子なんだけど。知らないでしょ?」
「知らない」そしてどうでもいい。「なあ、ひどくない?」
「ごめん。ごめんなさい。菱木のことは好きだけど、やっぱり由月が気になって付き合えない」
「はあ」
ここで何を言っても無駄であろうことはなんとなくわかっているのでもうあまりコメントしない。青葉は最後の方、だいぶ支離滅裂な情緒不安定に陥っていたので、その度しがたさを思えば、まあなんとかあきらめもつくってもんだった。
付き合うことさえ要求しなければ青葉とはずっと続けていけたような気もしているんだけど、そんな仮定の話をしても仕方ないし、そういう状態のままだと今度は俺の方が苦しくなってしまっていただろう。どのみち俺達はダメだったのだ。お互いに由月を捨て置いて進展させた仲だったが、けっきょく由月の存在によって破滅したのは、因果応報ってことなんだろうか。
青葉にフラれたから由月に戻ろうなどという浅はかな考えなぞ俺にはないが、寂しいな寂しいなと思いながら過ごしていると、なんとなく新しい女子と出会い、なんとなく親しい仲になってしまったりする。火元燈子。寂しさは解消されるが、同時に俺はうんざりもする。どうせいつか別れるであろう女子と仲良く愛を育むこの行為を、俺は死ぬまでにあと何回繰り返さなくちゃいけないんだろう? 由月と終わり、青葉にフラれ、いずれ火元燈子と別れ、そうして悲しんでいるとまた次の女子とどこかで知り合うんだろう? アホらしい。バカみたいなループだ。もちろん俺は今目の前にいる子を全力で愛するし別れなくて済むよう努力するが、そんなの、どういう角度から破滅していくかなんてわからないし、全方位をマークしておくことなんて不可能なのだ。
燈子は綺麗な顔立ちをしているけれど性格はポワンとしていてお花のようで、俺が青葉から学んだキスを繰り出しても、のほほんとしていた。それを愛しく思う俺を俺は愚図だなと見下す一方で、しかしそれでいいのだとも思う。次なんてなく俺達は一生いっしょなんだと信じ込まなくちゃ、やってられないだろう。マジで。本当に。