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時計

作者: 太川るい


 ぼーん、と時計が鳴る。



 静かだった夜の空気がその時だけ振動して、残響めいたものがあたりを支配する。しばらくして、針の音だけになった。完太はこの時計の音がどうにも苦手だった。

 この時計は、ある日父親が家に持ち込んできたものだ。舶来物の時計だと言って、父は上機嫌だった。全体が茶色くて、文字盤の下には大きな振り子がついている。この時計は階段を降りて正面にある壁に掛けられることなった。完太は初めて見た時から、この時計になにか、嫌なものを感じていた。


 昼間、楽しく過ごしている時にこの音が耳に入ると、どことなく暗い、陰鬱な気分が差した。それなので、時計が来てからというもの完太は普段外で遊んでいる。外さえ出ればあの時計の音を聞かなくても済むものだから、帰りは他の誰より遅くなるということもしばしばだった。家に帰ればあの音と付き合わされるが、完太はさっさと寝てしまうことでなるべく音を聞く機会を減らしていた。


 ところが早く寝てしまうのも考えもので、時たま今日のように夜中にふと目を覚ましてしまうことがある。そんなとき、完太は決まって母親の寝床へもぐり込んで夜がな眠くなるまで横になっているのがいつものことだった。


 しかしこの日は違った。完太は目を覚ますと、自分の喉が渇いていることに気が付いた。額に手を当てる。心なしかいつもより熱い気がする。ははあ、風邪だな、と完太は思った。昨日の晩はやけに冷えたから、そのせいかなとも考えた。風邪ひきの状態で母の元へ行くのは少しためらわれた。なるべく母親にうつしたくない心持が完太にはあった。それに喉も渇いている。完太は一階に降りて水を飲もうと思った。


 その時だ、例の時計の音が聞こえたのは。


 ぼーん、という時計の音は熱で頭が働かない完太には一層響いて聞こえた。昼間陰気に聞こえるその音は、真夜中になるといよいよその支配力を強めるように思われた。完太は一階に待ち構えている時計のことを思い、なんとなく嫌な気分になった。


 暗い中、階段を降りていく。夜に灯りを点けると父親が小言を言うので手すりにつかまり一歩ずつ階段を降りる。いつもは気にしないギイギイという階段のきしみが今日はやけに大きく聞こえた。足元に気を付けながら完太は進んでいった。


 一階はひっそりとしていて人気がない。ただ時計の針の音が確かに聞こえてくる。それが静かなこ

とを余計に際立たせる。完太は針の音以外は何もしない廊下を通って台所へ出た。


 コップの位置、蛇口の位置、暗くなっていても完太には手に取るようにわかる。だが、いくら蛇口をひねっても水が出ることはなかった。はじめは何かの間違いかと思ったが、いくらひねっても一向に水が出るような手ごたえがない。空のコップを手に持ったまま、完太は途方に暮れた。あいにく冷蔵庫の中にも果物がない。完太は自分の渇きをいやす手段がないと知ると、一刻も早くに二階へ戻りたくなった。それまでも静かで居心地の悪かった夜の空気が、急に自分をのけものにする、よそよそしいものへと変わっていくのを彼は感じた。


 追い立てられるように階段まで着く。背中にある時計の針の音がここでは一層よく聞こえる。完太はすぐに二階へ上がりたかったが、体がだるくてゆっくりしか階段を上がれなかった。一歩一歩登っていく。しかし、気のせいか、いつまで経っても一向に二階へ着く気配が見えない。後ろでなっている時計の音から早く逃れてしまいたいが、いくら登っても終わりにはならなかった。

 完太は熱と、登り続けて体を使ったことで、いい加減くたびれてきた。とうとう階段の途中でへたばってしまった。背中では時計がまたぼーん、とことさら大きくなっている。その音を聞きながら、完太の意識は薄れていった。




 翌朝完太を待ち受けていたものは、ひどい寒気と父親の大目玉だった。階段で寝たことで風邪はひどくなっていた。父はだらしないと言って、布団に連れていかれた完太を叱りつけたが、完太の頭は最後まで聞こえていたあの時計の音でいっぱいになっていて、しきりに「時計が……」という言葉をうわごとのように繰り返した。母親はそんな完太のことをたいそう心配して、つきっきりで看病をした。そのかいあってか、二~三日もすると完太の病状はすっかりよくなった。

 元気になってから改めて階段を見てみたが、別段変わったところはない。一分もしないで登り切れるだけの長さである。その後もあの夜のように、登っても登っても二階にだどりつけないということはなくなった。




それからも時計は階段正面の壁にかかっていて,ぼーん,と音がするたびに、完太にあの風邪を引いた夜のことを思い出させた。



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