前世と殺人⑤
「お、お巡りさんが大勢で家に来て、会合に行こうとしてたブラちゃんを連れてったの! お巡りさんに、貴方は家にいて良いって言われたんだけど……。何が起こってるのか分かんなくて、タクシーでここまで追いかけてきたのに、ブラちゃんに会わせて貰えないの」
「ブライアン、家に帰ってたの?!」
涙ながらに状況を伝えると、サラさんの瞳から滝のような涙が流れて、艶やかなロングヘアーの毛先を濡らしていく。
「私、ブライアンも殺されちゃったかも、と思ったら……。凄く怖かった」
「そっか、そうだったんだね。ノエルちゃん、怖かったよね。もう大丈夫だよ」
互いに抱きしめ合う。
いつもなら、ここでブライアンがとぼけた声で「え? 俺が結婚するんじゃなくって、お前らが結婚するの?」と、冗談を言うのに。
ブライアンから彼女が出来たと報告された夜、ブライアンを盗られたような気がして、悲しくて淋しくて、ベッドの中で泣いてしまった。でも紹介されたサラさんと話してみると、馬鹿みたいな嫉妬心は砕けていった。
こんなに優しくて可愛い人、ブライアンだけじゃなくって、私も大好きになっちゃう。
「この人、誰? お巡りさん?」
「あ……。キャムレンさんは、お客さんなの」
サラさんは頬を伝っていた涙を手の甲で拭うと、ミルクティーの缶を渡すタイミングを失っているキャムレンさんに深々と頭を下げた。
「いつもお世話になっております。ブライアンの婚約者、サラ・タンガーです」
「婚約者?」
キャムレンさんの細い眉が片方上がる。そして、睨むように私の瞳を見た。
「……なんですか?」
「婚約者がいるのに、店長のことをまだ愛しているのか?」
「まだ? 普通じゃないですか?」
ブライアンとサラさんが婚約しても、家族愛がなくなるわけない。むしろ家族が増えてハッピーな気がするけど。
サラさんが私の耳元で、「あの人、勘違いしてない?」と囁いた。その言葉の意味を考える前に、キャムレンさんが薄笑いしながら額に垂れてきた髪を掻き上げる。
「名案が浮かんだ。弁護士を紹介するから、彼を雇え。店長の無実を勝ち取ろう」
サラさんは飛び上がって喜んでいるけど、キャムレンさんの冷ややかな視線に嫌な感じがして、私は顎を掬うように彼を見上げた。
「どうして? キャムレンさんはブライアンが犯人じゃないか、と言ってたじゃないですか」
「無罪放免になった店長が婚約者と結婚してくれた方が、俺には得なんだ」
「キャムレンさんに、利益……?」
どういう意味?
ブライアンが無罪になったら、キャムレンさんに、なんの得があるわけ?
押し黙った私の横で、サラさんがキャムレンさんに尋ねる。
「でも弁護士さんを雇うのって、お金が沢山必要なんじゃないですか?」
「彼は優秀だから、想像よりも、ゼロが二つ多いだろうな」
「そんな……! 無理ですよ。まだお店のローンも残ってるのに」
「弁護士費用は、俺が負担する」
「えっ、なんでお客さんが?」
サラさんが、訝しげにキャムレンさんの顔を見る。
タダより怖い物はない。
経営者のブライアンは、よくそう言っていた。それを私たちは何度も聞いていたから、天真爛漫なサラさんでさえ、キャムレンさんを警戒し始めている。
小柄なサラさんを庇うように、私は一歩前に出た。
「そこまでして貰う理由がありません」
「理由ならあるぞ。ギブ・アンド・テイクだ」
キャムレンさんがずっと握っているミルクティーを、私に差し出す。
「ノエル、俺とデートしよう」
すぐ後ろから、小さな悲鳴が聞こえた。
「なにそれっ! ノエルちゃん、どういうこと?! こんな良い感じになってる男の人がいるなんて聞いてないよ!」
ミーハーなサラさんが語尾にハートマークを付けて、私と不敵な笑みを浮かべているキャムレンさんを交互に見る。
「それがキャムレンさんの言う、ギブ・アンド・テイクですか? ……もし私が断ったら?」
「弁護士の話は、白紙だ」
「弱みにつけ込んで、酷いことをしてると思いませんか?」
「思わないな。俺はノエルとデートできるし、ノエルは店長の無実を証明する手助けが出来るんだぞ。優秀な弁護士を雇えたら、現状を打破できるかも知れないだろ?」
「それは……そう、ですけど」
現実問題、結婚式を控えている二人に高額な弁護士費用を払うのは難しい。勿論、学生の私には到底無理。サラさんの両親に頭を下げて、弁護士費用を貸して貰う案も頭をよぎったけれど、殺人を疑われている人との結婚を反対されるかも知れない。
それは、絶対に駄目。ブライアンには、サラさんと幸せになって欲しい。
サラさんは私だけに聞こえるように、ぽってりとした唇を耳に寄せた。
「ねえ、見て。あの人、強気で言ってるけど手が震えてる」
顔を上げてキャムレンさんをよく見ると、確かに缶を握りしめている指先は震えていたし、顔色は若干青ざめていた。不敵な笑みだと思った薄笑いは、緊張を誤魔化すために口角を引き上げているように見える。
「誘い方は失礼な上に下手だけど、あの人なりに必死なんじゃない?」
「デートなんて……。私、したことないし」
「私がサポートしてあげるよ。ノエルちゃん、メイク道具持ってないでしょ?」
「でも……」
「じれったいなあ。どう見たって、あの人はノエルちゃんのタイプでしょ?」
ブライアンにも同じ事を言われたけど、何を根拠に言ってるんだろう。誰がどう見てもキャムレンさんはカッコいいけど、『私のタイプ』だとは、一言も言ってないのに。
「ノエルちゃん、自分で分かんないの?」
下唇を噛みながら渋々頷くと、サラさんは耳に寄せていた唇を離して、一歩下がる。
「じゃあ、こうしよう。あんまり言いたくなかったけど……。ノエルちゃん、ブラちゃんの為に一肌脱いで下さい。お願いします」
そう言って深々と頭を下げたので、もう私は逃げれなくなってしまった。
「……一回だけですよ」
キャムレンさんはニッコリ笑って、ミルクティーの缶を差し出す。一悶着してる間に緩くなってしまったけど、ほどよい甘味が身体と心の疲れを癒やしてくれた。
泣きじゃくって目の下を擦ってしまったからピリピリと痛むし、アルバイトの後に長時間の事情聴取で疲労困憊。こんなに疲れているのに頭の芯が冷えていて、時計の短針は、てっぺんをとうに越えているのに、眠気は襲ってこない。
でもこの辛ささえも、生きてる証拠なんだろうなあ……。
弁護士と電話しているキャムレンさんを横目に見ながら、私はあの大学生の女の子が来ていた服の色を、必死に思い出そうとしていた。