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前世と殺人③

ブライアンが酔っ払った大学生の女の子を連れて先に店のシャッターを閉めてしまったので、そおっと裏口を開けると、雨は止んでいる。


 キャムレンさんは分厚い雲で星が見えない空を見上げながら、私を待っていた。


 繁華街の輝くネオンは裏口までは届かず、キャムレンさんを闇の中で待たせてしまったことに罪悪感を覚える。遅いと文句の一つでも言ってくれれば幾分気が楽になれるのに。私の顔が見ただけで頬を緩ますキャムレンさんの気持ちが、全く理解出来ない。


「お待たせしちゃって、すみません」

「気にするな。女の支度に時間がかかるのは、母さんを見て知ってる」


 女の身支度というか、ブライアンに文句を言ってただけなんだけど。


「キャムレンさんは電車ですか? 終電、間に合います?」

「タクシーを拾うから気にしなくて良い。明日から出張で、出発は昼過ぎなんだ。だから、多少夜更かししても問題はない」


「出張……ですか」

「ああ、だからノエルに会えなくなるのが淋しい」

「えっ? あ……。えーっと」

「無理に返事をしなくても良いんだぞ。ノエルを困らせたいわけじゃない。俺が言いたいから、言ってるだけなんだ」


 一応頷いたけれど、納得は出来ない。

 どう返事をしたら良かったんだろう。

 いってらっしゃい? お仕事頑張ってね? 何が正解なのか分からない。


 私も淋しい、とは言えなかった。

 だって、それは半分ウソ。


 横を歩くキャムレンさんが、私の手を握りたがっているのが分かった。私の手の甲を微かに擦るように指の腹を当ててきて、同意を確認してくる。前は許可もなく私の手を握ってきたけど、キャムレンさんは悪い人ではない。夢中になると周りが見えなくなっちゃうだけ。


 でも……雰囲気に流されて、ここで手を繋いでしまったら不誠実だ。


「キャムレンさんは、いつもブライアンの言いなりで高いシャンパンを頼んじゃうけど、無理しなくても良いんですよ」

「ブライアン? 店長の名前は、ブライアンなのか? 知らなかった」


 お互いに名前を知らなかったの?

 ブライアンと私が数時間前にした会話とソックリだったので、思わずクスリと笑ってしまう。


「なあ、今は労働時間外だろ? だったら、多少踏み込んだ質問をしても良いか?」

「そうですね。答えられる範囲でなら」


 突然、キャムレンさんが裏返った声で叫ぶ。


「恋人はいるのか?!」

「えっ?! う、う、うぅ・うん」


 キャムレンさんは眉間に軽く皺を寄せて数秒黙ってから、オールバックに整えている髪をかき上げながら、また聞いてきた。


「どっちだ? いる? いない?」

「いない……です」

「好きな男のタイプは?」

「年上で、力持ちで、頭が良くて、いっぱい遊んでくれて、安心できる……人」


 死んじゃったお父さんみたいな。その言葉は、寸前で飲み込んだ。


「随分具体的だな。嫌いなタイプは?」

「酩酊する人、嫌い」


 キャムレンさんには身に覚えがあるので、ギクリと背を反らした。けれど、すぐ気を取り直して私を質問攻めにする。タフだなあ。


「彼氏と別れて、どのくらい経つ?」

「彼氏? そんなのいた事なんてないです。……キャムレンさんは?」


「いない」

「いつからですか?」


「六……いや、七年前……?」

「そうは見えないですね。なんで別れちゃったんですか?」


「興味が持てなかった。前の彼女とは、職場の昼休みにエレベーターが故障して閉じ込められたんだ。復旧して外に出た後、付き合った」

「へー。そんなこと、本当にあるんですね。映画みたい」


「非常灯の明かりだけじゃ暗くて、ここで死ぬかもしれないと思うと怖かった。その時、手を握ってくれた女の子を好きになった……気がした。見事な吊り橋効果だ。デートしても退屈で、彼女に興味が持てないんだ。一週間もたなかった。彼女は運命の人じゃなかったんだ」


「また『運命の人』の話しですか……。キャムレンさんは、ファンタジーが好きなんですか?」

「本は手当たり次第読む方だが、好きって程でもないな」


「てっきり大好きなのかと思ってました。だって、天使とか前世とか……。恥ずかしいことを言うから。私もファンタジーなことを、言っても良いですか?」


 本当のことを言うと、いくらキャムレンさんでも引いちゃうだろうけど、ファンタジーを混ぜれば喋れる。


 でも、どうしてキャムレンさんに話したいと思ったんだろう。

 ブライアンとサラさんだけが、知ってることを。


「私、意地悪な魔女と乱暴なトロールから逃げて、フィンドレーに来たんです」

「魔女とトロール?」

「二人にかけられた悪い魔法が解けないから、誰とも付き合う気は……んぐっ」


 キャムレンさんの手が、私の口を覆った。

 反射的に身体が動いたらしく、私より目を見開いて自分の行動に驚いているキャムレンさんは、「聞きたくない」と囁いた。


「魔女とトロールを倒せば、ノエルにかかった呪いは解けるのか?」

「もしかしてドラゴンに乗って、剣を振りかぶるつもりですか?」

「そうだな、必要であれば」


 不敵に笑うキャムレンさんの手の感覚が、いつまでも唇に残っていて、心臓が震え始めた。


 好きなっちゃいけないのに。

 私なんかが、『幸せになったらいけない』。


「今度、二人で食事しに行かないか? バーテンダーに言うのもアレなんだが、夜景が綺麗なバーをオルソに教えて貰ったんだ」

「行きません。お酒は飲めませんし」


「一滴も?」

「法律違反ですから」


 理解出来ないというように瞬きをする度に、美しい青緑色の瞳が見え隠れする。

 キャムレンさんが「法律違反」と、小さく繰り返しているので、畳みかけるように言った。


「実は私、ブライアンからキャムレンさんの事を聞いてて、色々と知ってるんです」

「そうなのか。店長は俺の事をあれこれ聞くのに、ノエルのことはあまり教えてくれなかったのにな。少し……嫌な予感がするが。聞く……べきだな」


 足を止め、歪ませていても端麗な顔を、私に向けた。


「ノエルは、何歳なんだ?」

「来月で十九になります。キャムレンさんは、私のお父さんと同い年です」


 予想通り、キャムレンさんは絶句している。口をパクパクと動かすけど、音はない。やっと声が出たと思ったら、突っかかる。


「お、お、お父さん? 随分……若くないか?」

「お父さんが高校生の時に、私が生まれたんです」

「大人っぽいから院生だろうな、と思ってたが、まさか大学生だったとは……」


 キャムレンさんは、絞るようにそう言うと、黙ってしまった。

 大学生じゃなくて、高校四年生なんです。とは、言わなかった。動揺しているキャムレンさんが、もっとショックを受けてしまいそうだったし。


 でも、これで私のことを諦めてくれる。


 繁華街を賑やかにしていた飲み屋も、段々と店じまい。終電が去りタクシーを拾うため駅に向かう人々とすれ違い、段々と淋しくなっていく小道を、私たちは黙って歩いた。


 店に行くときは、天にかかった梯子のような。だけど帰りは、地獄まで落下しそうな長い階段を指差し、私はキャムレンさんに微笑んだ。


「ここで良いです、送ってくれてありがとうございます」

「ノエル。初めてちゃんと笑ったな」


 そうだよ。愛想笑いじゃない。思い出にするなら、綺麗な方が良いと思ったから。


「さよなら、キャムレンさん」


 家に帰ったら、キャムレンさんのことを思って、少しだけ泣いちゃうかも知れない。

 熱心に口説いてくれるのは、正直嬉しかったけど、私は『幸せになったらいけない』から。


「……階段下まで付き合うよ。暗いし、危ないだろ」


 頷くと、端にある錆びた手すりに掴みながら階段を降り始める。

 キャムレンさんは足を止めて、闇に支配されたフィンドレーの街を見渡した。


「長いこと住んでいるが、街を一望できる場所があるなんて知らなかった」

「抜け道だから、地元の人しか知らないですもんね。この坂は果樹園の名残なんですよ」


 キャムレンさんが余所から越してきた人だと分かると、観光ガイド気分で遠くに見える山を指差した。


「この辺は元々はペルカ伯爵領地で、山の向こうにお城があるんです。今は城跡しか残ってませんけど。ペルカ家が別荘にしていた、フィンドレー離宮は知ってますよね?」


「ああ。フィンドレーに住み始めた頃、友達に連れて行ってもらったよ。良い所だった。自然豊かで、どこか懐かしい気持ちになれて」


「良い所? あんな事件があった場所でしょ? なんか……不吉じゃないですか」


「不吉? 五百年前の猟奇殺人だろ? 観光資源の一つになってるのに、今更じゃないか? ハイキングコースは、初心者でも歩きやすかったぞ」


 意見が食い違ったけれど、これは感性の違い。私なら事故物件の賃貸は避けるけど、キャムレンさんは気にしなそう。


「ノエル、ペルカ家の事をどう思う?」

「ペルカ家の人にお会いした事がないから、どうも思ってません。同じ街に住んでいても、貴族と平民は、行動範囲が違うと思うんです」


 フィンドレー市に関する知識はまだあったけれど、私は口を閉ざした。


 最近どこかでペルカの名を聞いた気がしたけど、駅や病院、私立の学校でさえも、ペルカだらけで思い出せない。


 何故か苦笑いしているキャムレンさんが、私に尋ねる。


「詳しいんだな。ずっとフィンドレーに住んでるのか?」

「いいえ。でもこの街に、お父さんの実家があったから」


 満月の光と住宅街に雑草のように生えている背の高い街頭の灯りで、秋と冬の狭間の星空を消し去っている。遠くに見える山々の稜線が薄闇に溶け、海からくる湿った風が一瞬で通り過ぎていく。


 昔から、この景色は変わらない。この長い階段も。


 子供だった私は、入退院を繰り返すお父さんに会えない淋しさで、我が儘ばかり言ってお父さんを困らせていた。「もう疲れて歩けない」と、駄々をこねたら、この長い階段すらも背負ってくれた。病魔に身体を蝕られていたのに、なんて事をしてしまったんだろう。


 お父さんの寿命を縮めたのは、私かも知れない。


「ノエルは、いつも悲しそうだな」

「そうですか?」

「ああ。俺と話してても、いつも違う誰かのことを考えてる。……違うか?」


 感心してしまった。同時に、後ろめたくて俯いた。


「ノエル、気にするな。顔を上げろ。ほら、満月が綺麗だぞ」

「本当だ。綺麗ですね」


 湿っぽい雰囲気を和ませようと口にしたのに、満月から狼男を連想させたのか、キャムレンさんは気まずそうに「送り狼はしないよ」と言う。幾分気が楽になってクスクス笑いたかったけど、頬が引きつって上手く笑えないだろうから、やめておいた。


 キャムレンさんが、階段の途中で足を止めた。


「血の……匂いがする」

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