終焉の世界⑦
マリアさんが揺るぎない足取りで近づいてきて、私は後ろに下がりながら何か武器になるものを探しても、枕元に置いたスマホと、抜いた点滴のルートが床に落ちてるだけ。
「私は確かにあの時、一度死んだ。だけど、キャムレンさんが心臓マッサージをして生き返らせた!」
頭の中で響くハスキーな声。きっとペルカ伯爵の愛人だ。
貴方が不倫と犯罪に手を染めなければ、こんな事態にはならなかったのに!
「また私を殺せなかったことを、マリアさんは悔やんだ! 警察と一緒にリビングにいた……キャムレンさんを追いかけてきたオルソさんに、当時の状況を聞いたんんですよね? もう用済みだから別れたけど、私の心配を装って!」
悔しさと無力さが苛立ちと共に心を燻るけれど、頭の中で紡がれる言葉を、私は叫び続けた。
「死後の世界で、最後に子供を守ろうとした私が、死の恐怖に錯乱して首を切ろうとするのは、オカシイと思ったんだ」
ビュッ! ナイフが宙を切り、威嚇するように刃を向けられた。
怖くないと言えば嘘になるけど、怯まない。
ナイフで私の身体と命は切れても、自尊心までは傷つけられない。
「自分の知らない所で、何か重要な事が起きてることに、マリアさんは気が付いた。マリアさんはずっと、『転生を繰り返したことで、キャムレンさんにはペルカ伯爵だった時の記憶がない』と考えていたけど……。『ペルカ伯爵は、キャムレンさんの奥に隠れている!』マリアさんは、その答えに辿り着いた!」
鋭い殺意を宿した視線を合わせたまま、私は叫んだ!
「だからっ、作戦を変更した! ペルカ伯爵を引きずり出すためにっ!」
「次は失血死よ。見た目は派手な方が良いでしょ? 身体が温かいとインパクトも強いしね」
「私の死体を! キャムレンさんにまた見せるんだ! ペルカ伯爵に会うためにっ!」
死ぬのは、怖くない。お父さんとあの子が待っている階段に戻るだけだもの。
だけど、マリアさんの思い通りにさせたくない!
覚えてもない前世のせいで、無様に殺されるなんて嫌だ!
ベッドサイドチェストの上に置かれたナースコールは、ベッドの向こう側だったけど、飛び跳ねてナースコールを掴みにかかった。中指がナースコールに触れたのに、勢いでチェストから落ちて行く。
私の背中に、マリアさんは覆い被さった。
呻き声を上げながら揉みくちゃになり、噛みつき、髪を引っ張り、蹴飛ばし、殴った。
ベッドの上で転がり、最後はナイフで脅されて動けなくなった。
振り上げられたナイフの先端に見下ろされ、私はもう抵抗も出来ない。
「マリアさん、貴方は間違ってます。こんなことしても恨みは晴れないどころか、悪夢を引き寄せますよ。死は、ある意味で勝ち逃げですから」
「五月蠅いわよ。今度こそ、ちゃんと死んでね」
ここまでか……。
諦めの混じった最後の溜息を吐き、奥歯を噛み締めた。
目を瞑って、来る衝撃に震えていたのに、いつまでたっても痛みは来ない。
「また邪魔するの?」
苛立ったマリアさんの声が聞こえ、ぎゅっと閉じた目を恐る恐る開けると、そこにはマリアさんの振り上がった腕を掴んだキャムレンさん……ううん。
琥珀色の瞳を持つ、ペルカ伯爵がそこにいた。
「でも好都合だわ。私、ずっと貴方とお話ししたいと思ってたのよ。我が夫、ハーヴィー・ペルカ伯爵。百年ぶりの再会ですわね」
「話すことはない。お前とは政略結婚だ。やっかいな女を、公爵家から押しつけられただけだ。余は妻を愛したことは、一度たりともない。何度も何度も言わせるな」
ペルカ伯爵は、驚いて声も出ない私を正視する。そして優しくも鮮烈な声で告げた。
「余が愛してるのは、お前だけだ」
腕を捻り上げると、マリアさんの手からナイフは滑り落ち、ベッドに音もなく落下する。
咄嗟に、落ちたナイフを掴んだ。殺すつもりはない。刺すつもりもないけれど、ベッドから転がり降りると、両手でしっかり握ったナイフをマリアさんに向けた。
ナイフの持ち手には、マリアさんの体温が残っていて、それが脳の芯まで伝って痺れていく。氷柱のようなナイフの先端に光が集まり、それが残酷すぎるほど無機質だった。
「そんな持ち方じゃ、殺せないわよ。貴方、何も覚えてないのね。平民のくせに私に逆らって」
言い終わる前に、ペルカ伯爵はマリアさんを床に突き飛ばした。そして「それをよこせ」と、乱暴に言いながら、私が握りしめていたナイフを奪い取る。
ナイフを軽く持ち、切れ味を確かめるように宙を切っていく。
私と違って、ためらいはない。
「良いナイフだ。殺されたくなかったら、二度と近づくな」
「私が死を恐れていると思うの? 死を恐れているのは、貴方の方でしょ。五百年も待って、やっとこの時が来たのよ。準備が出来てないと思った?」
マリアさんがエプロンのポケットから二本目のバタフライナイフを取り出したとき、私の身体は感電したように飛び跳ね、ベッドの足元まで転がった枕でペルカ伯爵を叩いた。
「おい、何する」
「アンタが悪いんでしょ?! アンタのせいよ!」
ナイフを持って睨み合っていた二人が唖然としているのが目に入ったけれど、私は硬めの枕で叩いて、叩いて、叩きまくった。
「不倫してたくせに、なに偉そうに威張ってんのよ! 元はと言えば、アンタが愛人なんか作るからでしょ?! なんの落ち度もないエマが殺されたのよ! ルーカスさんだって、やってもない殺人罪で刑務所よ! アンタ、最低よ! 無神経すぎる! 正妻との子供、六人も作ってるくせに! 博物館に書いてあったんだから! 愛人との子供しか可愛がらなかったなんて、本当にサイテー、サイテーよっ! 正妻の前で、愛人に『愛してる』なんて、よく言えるわね! マリアさんは五百年も……アンタを憎んで、でも愛してくれてたのに!!」
いい加減腕が疲れてきて、兎のように飛び跳ねる息をクールダウンさせながら、枕をベッドに置く。額に湧いた汗の粒を拭って、顔を上げた。
ペルカ伯爵は鋭い眼光を浴びせていたけど、マリアさんは侮蔑の笑みを浮かべている。
数秒の沈黙があり、マリアさんは卑しく舌打ちをした。ナイフをポケットに仕舞うと、乱れた赤い髪を整え、鼻から長い息を吐く。
「いいわ、今日の所は見逃してあげる。人生は長いわ、うんざりするくらいにね。まだ貴方を殺すチャンスはあるもの。私が生きてる限り……。今世でも、来世でも殺してあげるからね」
「二度と来るな」
ペルカ伯爵の吐き捨てた暴言を鼻で笑い飛ばし、マリアさんはナース服の裾を軽く摘まんで、背筋を伸ばしたまま、ゆっくりと膝を曲げる。
それは、思わず魅入ってしまうほど、美しいカーテシーだった。
マリアさんが何事もなかったかのように病室を立ち去ると、私はペルカ伯爵を盗み見る。
命を助けてくれた礼を言うべきなんだろうけど、素直に言えなかった。
私の視線に気が付いたペルカ伯爵は、振り返ると薄く笑う。
「上手い具合に戦意喪失させたじゃないか」
「別に……。あれは私の本心です。それに、マリアさんの気持ちを代弁したまでです。貴族ってプライドが邪魔して、喚かなそうですし。……戦わない強さもあると思っただけです」
ペルカ伯爵は、手の中にあるナイフに視線を落とす。ペン回しのようにナイフで手遊びすると、私に差し出した。
「これは、お前が持っておけ。余の居ない時に、またアイツが来たら厄介だからな」
「ちゃんとマリアさんに謝った方が良いですよ」
人が親切で忠告してあげたのに、ペルカ伯爵は頷きもしない。
やっぱり貴族って、プライドが高すぎる。
「ルーカスさんとは、何があったんですか?」
ペルカ伯爵は、怪訝そうに私の顔を見ている。冷静な声で、もう一度言う。
「えっと、ルーカスさんの前世と貴方は、どういった関係なのか聞いてるんですけど……」
「何故そんな事を聞く?」
「だって気になるじゃないですか。貴方と、ルーカスさんの前世の関係だけが不明瞭なんです」
怪訝そうな顔を崩さず、ペルカ伯爵は一息で話す。
「アイツは公爵家の養子で、裁判官だった。これで満足か?」
「犬猿の仲だったんですか?」
「なに?」
「今、凄く嫌な顔をしたから」
怪訝さがますます濃くなり、本心を探ろうとジッと見つめられる。
「ノエル・ミラー。今日のお前は、随分と馴れ馴れしいな」
「だって……。貴方が私を殺さないのは、知ってますし」
私を前世同様に悪の道に連れて行こうとしているのは知っているけど、ペルカ伯爵が私の命を奪うことはしない。
愛した人の、生まれ変わりだから。
床に落ちている革製の鞘を拾い、剥き出しの刃を収める。ナイフが放っていた銀色の光が消えると、危険度が下がったのが目に見えて分かって、ホッとする。
またマリアさんが襲ってきても、これで私が反撃できるとは思えない。
格闘技でも習うべきなのかも。
合気道とか、ボクシングとか? うーん、凄く疲れそう。
下らないことを考えてしまう癖を止めたいと思いつつ、どうにも思考が止められない。
だけど、そのお陰で頭の中が整理できた。
「あっ! ……ああ、分かりました。ルーカスさんの前世は、異端審問の裁判官か」
「如何にも」
「死ぬまで幽閉されたり、前世の私に異端者認定の判決を下したから嫌いなんですね」
悶々としていた所に突破口を見つけ、嬉しくて思っていたことを全部、ペルカ伯爵にぶつけてみた。
「養子って事は、血が薄いから記憶がないのかな? 私は前世でペルカ家の子供は産んだけど、自分自身にはペルカ家の血が入ってないから、昔のことを覚えてないのかも。あれ? 違うかも。だってその理屈なら、キャムレンさんは、記憶を保持してるはずだよね。どうして記憶がないんだろう? 正統なペルカ家の後継者なのに」
「お前は、どう考える?」
「マリアさんが言ってた門外不出の各貴族の特権に関わっているのか、それか氷山の一角みたいに、貴方の性格の部分が人格として出現してるのかも? 私の推理、合ってますか? 間違ってたら、正解を教えて欲しいんですけど」
ペルカ伯爵は、怪訝さを通り越し、少し怒ったような顔で胸の前で腕を組む。
「お前は、本当にノエル・ミラーか?」
「え? はい、そうですけど?」
「そっくりだ」
誰に? とは、聞かなかった。
脳内に響いていたハスキーな声は、もう聞こえない。
ペルカ伯爵が現れたら、逃げるように去って行った。
子供を産んだり犯罪行為を隠蔽するほど、ペルカ伯爵が好きだったのに、どうして逃げるの?
マリアさんじゃないけど、私も彼女を引きずり出して理由を聞きたくなる。
病衣にはポケットがないので、ナイフをベッドサイドチェストの引き出しの奥に隠すと、強く抱きしめられる。警戒しながら顔を覗き込んだ。
ペルカ伯爵は、はにかむように笑っていた。
「ノエル・ミラー。困ったときは、余を呼べ」
「私、貴方の愛した人じゃありませんよ。記憶は……ありませんし」
「それでもいい」
ペルカ伯爵が瞬きをすると、左目だけ青緑色に変わっている。息をのみ、キャムレンさんに戻りつつある瞳を見つめた。
「時間切れだ」
「……貴方は、ここに長くは居られないんですね」
「余の肉体は、とうの昔に朽ちたからな」
キッチンでも同じように「時間切れだ」と言ったのは、警察と救急隊が到着したのもあるけど、ペルカ伯爵自身がこの世に長い時間居られないからだと気が付くと、ますます彼のことが分からなくなる。
ペルカ伯爵は、犯罪史に名が残る快楽殺人鬼なのに、自分以外の者はどうでもいいと言うわけではなく、手紙を破棄することでペルカ家を守り、今度は私を守ってくれた。
貴族の恩寵を受けて生まれ変わっても、貴族の血が流れていないから記憶は継承されない。
生まれ変わったら、それは命をかけて愛した人ではなく、似て非なる者。
ペルカ伯爵は、それを理解しているはずなのに。
それでも、五百年間、探し続けてたなんて。
「貴方は……可哀想な人ですね」
熱い涙が、つーっと頬を伝っていく。
ペルカ伯爵が、もう一度「そっくりだ」と囁き、淋しそうに微笑む。
「お前を狂おしいほど愛してる。……愛してるんだ」
そう告げて、ペルカ伯爵は去って行った。
しゃくりをあげながら泣き出した私を、キャムレンさんは戸惑いながらも、強く抱きしめる。
「ノエル、大丈夫だ。ちゃんと俺は、ノエルの所に帰ってきたぞ」
「私のせいでルーカスさんを……キャムレンさんが殺しちゃったかと思いました」
「全くの無罪……とは正直言いがたいが、敏腕弁護士のお陰で無罪放免だ。店長の弁護を依頼した弁護士と、こんな形で再会するとは思わなかったぞ」
感動的な再会なのに、どうして茶化すのか分からず、答えを求めるように見上げる。キャムレンさんは、細い眉を下げて困ったように笑っていた。
「一難去ってまた一難とは、このことだな。とうとう母さんの怒りのゲージがマックスになって、破壊された。ティフィンに強制連行だ。今週中に帰らないと、親子の縁を切られた上で、ペルカ家から追放だ」
余程キツく叱咤されたのか、三十代のキャムレンさんが子供のようにしょげている。そんなところが、やっぱり可愛いと思えてしまう。
顔に付いた涙を手で拭う。私の手は、汚れていない。私の手にあるのは、ダイヤモンドの婚約指輪と、良い匂いがするハンドクリームが塗ってあるだけ。
ペルカ伯爵は、愛していた人に死体を埋める穴を掘らせていたのに、私は幸せになれる物しか、キャムレンさんから貰ってない。この差異は、生まれ変わったから。
だから覚悟は、もう出来てる。
「行きます」
「え?」
「私、キャムレンさんと一緒に、ティフィンに行きます」
「も、もしかして…………俺と結婚してくれるのか?」
「はい、これは運命です」
看護師さんがノックもせずに入室してきた。そして含み笑いが入った声が遅れてくる。
「キャムレン先生?! あら、やだ。……お邪魔でしたね」
懐かしい温もりに安堵の涙を白衣に擦りつける私を抱きながら、青緑色の瞳を三日月にさせたキャムレンさんが、照れ笑いを隠そうともせず言う。
「今、いい雰囲気だから後にしてくれないか?」




