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終焉の世界⑥

 説得は無理だと判断し、ドアに向かって大声を出す私を、マリアさんは冷たくあしらった。


「誰も来ないわ。さっき三人ほど心停止させたの。今頃、大慌てで蘇生してるわよ。そろそろコードブルーがかかるんじゃない?」


 ブツリとノイズ混じりの鈍い音がした後、女性が焦りながらも落ち着きさを保とうとしている声で院内放送が流れる。廊下をバタバタと走り抜ける靴音がするけれど、とても遠い。


「ナースステーションに、今は誰もいないわ。だから大声を出しても無駄よ。よかったわあ、今度はちゃんと殺せそうね。前は失敗しちゃったのよ。バー・オアシスの店長さんと一緒に店から出てきた女の子が貴方だと思って」


 脂汗が一気に吹き出た。

 心臓がさっきからガンガンと激しく打ち付けて、振動で胃が揺さぶられる。


 忘れられない。忘れるはずがない。


 ブライアンの事が好きだった、大学生の女の子。


「エマを殺したのは、マリアさんだったんですか?!」

「エマ? それがあの子の名前なの? へー、知らなかったわ」


 驚愕し、口をぽかんと開けている私の顔を見て、マリアさんはぷっと吹き出した。殺人の告白より、私の間抜け面の方が重要だったらしい。


「キャムレン先生ったら、遺体から『手紙』と『名札ホルダー』を盗んだでしょ? ビックリしたでしょうね~。仕事中に名札ホルダーがなくなったと思ったら、他殺体の首に巻き付いてるんだもの。でも私ったら、ちゃんと確認しないで殺しちゃったじゃない? うっかりさんよね~。あの子、ふてぶてしかったから、てっきり……。ノエル・ミラーじゃなかったんだもの」


「私を殺すつもりで……?! 間違えてエマを殺したの?!」

「ペルカ伯爵の愛人の生まれ変わりを殺すことが、『私の愛』だ、と彼に伝えたかったの」


 両足がカクカクと震え出すと、もう我慢できない。怯えてしまったら、マリアさんが喜んでしまうと分かっていたはずなのに。


 バー・オアシスで見せた屈託のない笑顔、スケートをする美しい姿。私に笑みを向けながらも、敵意を隠していたのも。そして今、剥き出しの殺意が心底怖かった。


「でも……キャムレン先生は、私を探してくれなかったわ。いくら記憶がないからって、酷いわよね。保身ばっかり考えて。私の夫は、あんな人じゃなかったのに。やっぱり『手紙』に、ちゃんと名前を書くべきだったかしら?」


「どうしてっ! エマも……患者さん達も関係ないじゃないですか! どうして関係ない人を殺すんですか!」


「理由なんかないわよ。そこにいて、利用できそうだから殺しただけ。貴方も殺してみたら? 下らない倫理観で吠えて否定するばかりじゃなくて、一度試してみたらどう? 前は彼と二人で楽しく殺してたのに、貴方が離宮で働き始めたら、彼は貴方に感化されて私を遠ざけたの。本当に悲しかったわ。夫婦円満の秘訣は、共通の趣味なのに」


「ペルカ伯爵だけじゃなくって、夫人も人を殺してたなんて……。博物館には、そんなこと書いてなかったのに」

「私は公爵家よ? 伯爵より位が高いの。なかった事をあることに出来るし、その逆も」


 狼狽し糾弾する私を軽蔑するように、マリアさんの整った顔に苛立ちがチラつく。


「下品で嫌になっちゃうわ。どの口が言うのかしら。貴方も最初は嫌がってたけど、彼に愛されがたいが為に色々してたわよ? 死刑囚をフィンドレー離宮に集めたり、中庭に死体を埋めたりね。人殺しは悪い事だけど、罪人ならいいんですって。それが天使の言う事なのかしら? どういう理屈なのかしらね? 貴方だって罪人よ、分かってるんでしょ?」



 紅茶がない。私の右手が、ありもしないティーカップを探している。


 この会話は初めてじゃないと、魂が覚えていた。

 病室ではなく、とうの昔に打ち捨てられたフィンドレー離宮の、死体の養分で麗しい薔薇が咲き誇る中庭で。


 お喋りと殺人が大好きな伯爵夫人に呼び出され、穏やかな口調で私の罪を責められる。


 殺人幇助、死体損壊、死体遺棄、そして不倫。


 この身体は、私のものなのに。


 誰かの記憶が染み出て、後ろめたさに震えている。


 自分の両手を開いて、よく見た。


 薬指の婚約指輪。そしてクリスマスプレゼントで貰った、ローズマリーとレモンの良い香りがするハンドクリームが塗ってある手をギュッと握り、闘志を奮い立たせた。


この手は、死体を埋める穴を掘っていない。


「覚えてもない前世のせいで、なんの関係もないエマが殺されるなんて……。そんな酷いこと、許されるはずがありません。マリアさん、貴方は裁きを受けるべきです!」

「無理よ。ルーカス先生は逮捕されたわ。ルーカス先生が犯人だという揺るがない証拠が揃っているのに、警察が再調査するわけないでしょ」


 感情の伝達を阻む壁でもあるかのように、マリアさんは冷たく突き放した。


「それにこれは、貴方のせいでもあるし、不倫する彼のせいよ。私を愛さないなんて、そんなの絶対に許さないから。不倫って、する時はどうも思わないけど、される側になると胸を引き裂く思いをするのね。ペルカ伯爵より前の……いくつ前の結婚か忘れちゃったけど、悪いことしちゃったわ。あの時の夫は許してくれたのに、家臣達が許してくれなくて。皇族の墓に入れなかったのよ、私のあの身体は。可哀想よね」


 恐ろしい疑問が湧き上がって、ぞわりと芋虫のように身体が揺れる。


 ペルカ伯爵より前の、前の結婚? 五百年前より、ずっと昔の? 

 マリアさんは、一体いつから転生を繰り返してるの?


 疑問を提示したら、マリアさんは素直に答えてくれそうだけど、でもそれは、どうせ殺しちゃうから聞かれても問題ないと判断するからだろう。


 二度目の院内放送。続いて三回目。頻回なコードブルーを沈黙したまま聞き終えると、マリアさんは愛想で口角を上げる。怨念じみた視線を鼻息で吹き飛ばすと、睨み付けた。


 ナイフを突きつけられても強気な態度にでれたのは、そう易々と殺されないと悟ったから。


 いくらお喋りが好きでも、時間がかかりすぎている。ペルカ伯爵の心を奪った愛人を、五百年間も憎んでいたのなら、さっさと殺しちゃえば良いのに。


 でもマリアさんは、そうはしない。明らかに時間を稼いでる。


 タイムリミットが何時なのか、あと何分後なのかは分からなかったけど、興味を引きつけてタイムオーバーにさせてやる!


「やっと分かりました。マリアさんは、オルソさんを利用してたんですね」

「それ、さっき言ったわよ。ちゃんと聞いてた?」


「いいえ、そうじゃないです。オルソさんを通して、私たちを見張ってたんですね。キャムレンさんが『手紙』を受け取っておきながら、犯人を見つけようとしないのも知っていたし、間違えてエマを殺してしまったから、バー・オアシスにオルソさんと一緒に来て、私の顔を確認しました。私のお母さんに、誰がスマホの番号を教えたのか分からなかったんです。最初は、オルソさんとキャムレンさんを疑っていました。でも……。お医者さんになれる人は、知識も体力もあって凄いけど、国家機密にアクセス出来るわけない。オカシイと思ってたんです。でも、公爵家なら国家機密の証人保護プログラムにアクセス出来るんじゃないですか? ノエル・ミラーになる前の、私の情報を調べてたんですね? だからオルソさんに私の携帯番号を伝えた日に、お母さんから連絡が来たんだ。女同士で話がしたい、私と友達になりたいとでも言えば……。優しいオルソさんなら、私の電話番号をマリアさんに教えてしまうかも」


 マリアさんは、不敵にニヤリと笑った。

 続けて、と促されたので、脳みそをフル回転させる。


「私のお母さんに居場所を伝えたのは、キャムレンさんと私に物理的な距離が必要だったからですよね? 殺人事件の第一発見者が殺されたら、捜査の手が広くなり警察の動きが読みづらくなる。お母さんが私を地元に連れ戻したら、そこで殺すつもりだったんだ。フィンドレーから出れば、警察の管轄は違うもの」


 喋りながら考え、考えながら喋る。いつもの私じゃないみたいに、頭も舌も回った。


 私が、私じゃないような気がしてきた。


 いますぐ洗面台に行って、自分の瞳の色を確認したくなってくる。


「でもマリアさんにも、想定外のことが起きたんです。お母さんに捕まる前に、私はキャムレンさんの家に逃げました。家に引きこもってるし、アルバイトも休んでる。外出時は、キャムレンさんといる。殺すチャンスがなかったんですね? だから、家から引きずり出したんだ。

ダブルデートしようって。中学生ならまだしも、三十代の恋人同士がそんなことする?」


 私はまだ二十代よ、とマリアさんの修正が入ったけど、もう一度深く考えて、言葉を紡ぐ。

 病院に近づいてくる救急車のサイレンの音で、焦って間違わないように、ゆっくり口を開く。


「あのダブルデート、誰が発案か聞いてませんけど、きっとマリアさんからでしょ? マリアさんの事が好きなオルソさんは頼みを聞いてくれるし、親友のオルソさんにお願いされたら、キャムレンさんは断らない。私も、キャムレンさんが一緒ならと、承諾しました。年末の帰省でお見合いした話も、うっかり口を滑らせたんじゃない。私の反応を見たんですよね? 警告か、威嚇か……。外を一人で歩いたのは、スケートの帰りだけです。あの時は、私が黙って先に帰ってしまったから、殺す事が出来なかった」


 廊下から甲高い悲鳴が聞こえた。続けて「早く、ストレッチャー!」と、叫び声が続く。

 思わず閉まっているドアを見てしまったけれど、マリアさんは動かない。廊下で誰かが倒れているのを知っているからだろう。


 揺らぎや迷いはない。マリアさんは、決着を付けるつもりだ。


「ルーカスさんは、前世でキャムレンさん……ペルカ伯爵と、つながりがあった。きっとそれは、友愛ではなく憎悪です。ルーカスさんは、キャムレンさんが『手紙』を隠し持っていることを知っていました。貴方が教えたんですよね? どうやってルーカスさんを操ってたのか分かりませんが……。キャムレンさんを敵視しているルーカスさんの闘争心に、火を付けたんですか? ルーカスさんに私を殺させ、ルーカスさんに全ての殺人の罪を押しつけようとした。『手紙』を取り返して、捜査の手が自分に伸びてこないように……? いや、違うかも? 私が死んだ後、『手紙』の存在をチラつかせて、キャムレンさんを揺さぶり、結婚したいから?」


「すっごーい! 高校四年生なのに、賢いわあ~! 間違えてた所は、二カ所だけど合格よ!」


 馬鹿にしながらパチパチと拍手するマリアさんの頬を、思いっきり叩きたい衝動に駆られる。けれどそうしたところで、なにか状況が変わるわけでもない。


 豊満な胸の上に乗っているナースウォッチに、マリアさんの視線がズレたのを確認すると、脊髄がビリビリと痺れて、頭の中で誰かが私に話しかけていく。



 それは、ファンタジーだけど筋の通ったストーリー。



 やっぱり、誰かが私を助けてる。思い当たる人は、一人しかいない。



「さあ、もう気が済んだでしょ? そろそろ死んでくれる? 公爵家の私に殺されるなんて、光栄でしょ?」

「いいえ、まだです! 私の殺害に一度失敗していたマリアさんは、本当に死んだのか確認したはずです」


「どうやって? ルーカス先生が貴方の首を絞めてるとき、私はそこに居なかったわ」

「マリアさんは、死後の世界に干渉できる。きっとそれは、公爵家の特権です」


 マリアさんは目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。けれどその声は、冷淡だった。


「貴方、ノエル・ミラーじゃないでしょ?」

「いいえ、私はノエル・ミラーです。それ以外の何者でもないです」


「そう? 前世の貴方にも同じ事を言われたのよ。ビックリしちゃったわ」

「貴族だけに輪廻転生できる特権があるなら、王族に近い公爵家なら、もっと特権があると思っただけです。……心停止の間、死んだはずの人に会う変な夢を見ました。フィンドレー駅から住宅街に抜ける長い階段を降りていた黒い人は、貴方ですよね?!」


「その質問は、困っちゃうわ……。冥土の土産にしては、高価すぎる。各貴族の特権に関しては、門外不出なのよ。キャムレン先生だって、まだ伯爵の座についていないから、輪廻転生できることや、特権のことも知らないんじゃないかしら」


 再び、マリアさんの視線が胸元のナースウォッチに下がる。



 タイムリミットが近い! 


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