終焉の世界⑤
「明日の退院時間、看護師さんにちゃんと確認しとけよ。迎えに行くからな」
ブライアンとサラさんがそう言い残して帰って行くと、ふーっと長い溜息を吐いた。
黄昏が、病室をキャンドルの炎のように染め上げる。はめ込み式の窓からスケートをした公園を見下ろすと、期間限定のスケート場は既に撤去されていて、別のイベントが行われていた。
もうすぐ春だ。キャムレンさんと出会った十月が、遠い昔の出来事に思えた。
再来月には、ブライアンとサラさんの結婚式がある。
二人が結婚すると聞いたとき、ブライアンを取られた気がして、とても寂しかった。だけど今は、心から祝福できる。
新しく甘えられる、お父さんの代わりになる人が出来たからじゃない。キャムレンさんは、いつまでも卑屈に生きている私に、立ち上がれる言葉を沢山くれた。
ペルカ伯爵が言うには、マインドコントロール。
残り少ない点滴を見上げながらベッドに横になると、ドアをノックされた。個室でも、病院には鍵がない。どうぞ、と声を出すと、ドアがスライドされて意外な人物が現れた。
「ノエルちゃん、具合はどう?」
マリアさんは小児科の看護師さんだと聞いてたけど、ワンピースのナース服の上に可愛らしいエプロンを羽織っていて、保育園の先生みたい。
アニメには疎い私ですら知っている、国民的人気キャラクターのボールペンを胸ポケットに入れていて、その下には文字盤が逆になっている時計がぶら下がっている。
なんでそんな変な時計なの? と、別の看護師さんに聞いたら点滴の速度を合わせるのに適してるんだって。そんな時計があるなんて、初めて知った。
「明日退院だって噂を聞いて、来ちゃった」
「あ、はい。もうすっかり大丈夫なんです。ご心配かけました」
「やだあ、すっごく他人行儀ね! 一緒にダブルデートした仲じゃない。私ね、今日で退職するの。だから、最後にノエルちゃんと会っておこうと思って」
「辞めちゃうんですか?」
「そうなのよ。あとの事は考えてないけど、ここにいる理由もなくなっちゃったし」
「オルソさんと別れちゃったから、ですか?」
マリアさんは手に持っている新しい点滴を、点滴台に引っかけた。そして残り少ない点滴からルートを引き抜くと、新しい点滴のゴム栓にプラスチックの針を刺す。最後にクランプ、と呼ばれる滴下速度を調整する所を弄っている。
手際が良いな、と思いつつ眺めていると、マリアさんが優雅に微笑んだ。
「実はね。私、悪女なの」
「え?」
「キャムレン先生と付き合いたくって、親友のオルソ先生に近づいたの。ビックリした?」
「ええっ?! し、しました!!」
ビックリしすぎて、心臓がバクバクする。テレビドラマで見たことのある恋愛テクニックだけど、本当に実行する人っているんだ?!
「名前と顔を覚えて貰ったけど、全然ダメなのよね。世間話のひとつも出来ないんだもん。どうしたらいいのかな? と思ってたら、あっという間にノエルちゃんが横から、かっさらって行ったじゃない? 私、ショックで寝込んじゃったのよ」
な、なんか言葉に棘があるなあ。
「だから田舎の両親に頼んで、キャムレン先生とのお見合いをセッティングしてもらったの。外堀も埋めたし、今度こそ絶対に大丈夫だと思ったのに、キャムレン先生は『俺はペンギンを食べる子としか結婚しない』って、皆の前で宣言しちゃうし。なあに、ペンギンって。食べれないでしょ! それとも、ノエルちゃんは食べるの?」
「私も食べないです。あれは、冗談ですよ。……多分。キャムレンさんが水族館のペンギンを美味しそうだな、と言い始めて……。あ、あの」
「スケートの時も、チャンスだ! と思ったの。せっかく二人っきりになったから、色々お話ししたかったのに、キャムレン先生ったらノエルちゃんの後を追いかけるわけでもなく、スマホを弄ってて。ずーっとノエルちゃんにメールしてるのよ。ああ、もうダメだなあって、悲しくなっちゃった。私、こんなに努力してるのに、可哀想だと思わない?」
「あ、あの、あのお!」
「なに?」
「さっきから腕が痛いんですけど」
話に夢中になってるマリアさんの手には、クランプが握られているけど、ルートを締められてない。ルートをクランプで締めたり、緩めたりすることで滴下の速度を調整されるはずなのに、クランプが全開になっている。
なんの抵抗もなく、重力によって点滴液が私の身体に入ってきて、血管に沿って腕がビリビリと痛む。
「薬が効くまで待ってて。それでね、私は最後の手段に賭けたわけ。オルソ先生と交際が上手くいかないって相談をキャムレン先生にして、二人っきりになったの。ほら、よくあるじゃない。恋愛相談してる内に、相手のことを好きになるってパターン。それを狙いにいったの!
オルソ先生は優しすぎるから~とか、私が愚痴を言って、それでキャムレン先生にノエルちゃんへの不満や愚痴を言わせようとしたのよ。口にすることで、本当にそう思っちゃう事って、あるじゃない? 言霊だっけ? サブリミナル効果だっけ? まあ似たような感じ。その作戦で、ノエルちゃんとキャムレン先生を別れさせようとしたの。だけど、キャムレン先生ったら、ノエルは完璧な女性で、何をしても可愛らしいって言うのよ! 酷いわ! 私は愛しのキャムレン先生に近づくために、あの毛むくじゃらで豚みたいな男とデートしたり、キスしたのに! 我慢してたのよ、私だって!」
捲し立ててたマリアさんは、深く深呼吸した。そして、枕元にあったナースコールを、私の手が届かないところに置く。
クランプは、全開のままだ。限界、お手上げ。
「点滴が入ってる方の腕が痛すぎるんで、看護師さんを呼んでくれませんか?」
「看護師なら、ここにいるわよ」
「でも……マリアさん、小児科の看護師さんですよね? 小児科は八階じゃなかったですか? なんで階の違う特別室の点滴を交換したんですか? 普通は、機械で私のリストバントにピッして、看護師さんの職員証にもピッして、最後に点滴のラベルにピッ、ってしますよね?
他の看護師さんに聞いたら、点滴取り違い防止の為に機械でチェックするって言ってましたけど、マリアさんは、なんでしないんですか?」
マリアさんは、きょとんとした後、にっこり笑った。
「やだあ、ノエルちゃんって勘が良いのね。洞察力もあるわ。意外と馬鹿じゃないのね。でも、まだ分かんないの? 私たち、前に会ったことがあるんだけど、覚えてないかなあ?」
「いいえ? ないですけど……。あの、マリアさんが色々努力されたのに、キャムレンさんと付き合えなかったことは残念だと思いますけど、私は」
「キャムレン先生も、私のこと覚えてないのよ。薄情よね。夫婦だったのに」
声にならない悲鳴を上げて、ベッドから転がり落ちたら、点滴台がベッドの上に倒れる。
マリアさんは恐れおののく私を見て、高笑いするでもなく、あらあらと片手を口に当てた。
その仕草は、上品だった。気品がある。
セッコ公爵家出身の……ペルカ伯爵夫人。
「キャムレン先生に好きな人が出来たと聞いて、どんな人だと思ったら、貴方だったのよ。
驚いたわあ。貴方、前世でも今世でも泥棒猫ちゃんなの? 一応キャムレン先生には止めるように言ったのよ、身分が低すぎるって。だけど止めるつもりはないみたいだから、また殺しちゃおうと思ったの」
絨毯張りの床にお尻から落ちた私は、左腕に刺さった点滴のルートを引っ張った。けれど、そう簡単には抜けない。
目を離した隙に、今度は何をされるのか分からないから、震える指の感覚だけで腕にぴったりと点滴針を密封された透明のシートを剥がし、一気に針を抜いた。
水っぽい血液が吹き出る。見た目は派手だけど、思ったより痛くない。
ベッドの上に倒れた点滴台を抱き起こしたマリアさんは、点滴量を見ながら残念そうに言う。
「あーあ、ダメじゃない。半分も入ってないわよ。やっぱり眠剤を飲ませてからの方が良かったかしら。でも眠らせたら、苦しむ顔が見れないじゃない?」
「わ、私に何の薬を入れたんですか?!」
「ただの抗凝固剤よ。血がさらさらになるの。つまり、出血したら止まらなくなる薬。ふふ、それって楽しいでしょ?」
マリアさんが言う『楽しい』の意味が分からなかったけど、私は逃げなかった。戦おうともしなかった。前世の人格に惑わされちゃいけない。
それを、ペルカ伯爵を退けたときに学んでいたから。
毅然として、ベッドの向こう側にいるマリアさんの瞳を見つめて訴えた。
「気を確かに持って下さい! 前世に身体が乗っ取られてます。マリアさん!」
「何を言ってるの? 私、貴方とは違う高貴な魂なの。生まれ変わっても、私は私のままよ」
マリアさんは絶句する私を見て、口元を軽く手で押さえて愉快そうに笑っている。
生まれ変わっても、ずっと自分のまま……?
「そんな! マリアさんは何百年も……、身体を変えて生きてきたんですか?」
「そうよ。私の夫、ペルカ伯爵も最初は記憶を持って転生していたけど……。彼ね、生きることに飽きて、段々と無気力になっていくんだもの。貴族の特権なのに、輪廻転生するのに疲れちゃったのよ。傍で見てて辛かったわ。でもね、許してあげない。だって何度生まれ変わっても、彼ったら貴方を探し続けてたんですもん。私が正妻なのに……! 腹が立つわよね~。侍女と火遊びするくらいだったら、私だって目を瞑ってやったのに。まるで、真実の愛を求めているみたいじゃない。だから貴方を殺してやりたいって、ずっと思ってたの。一回殺しただけじゃ、足りないわ。殺しても、殺しても足らないくらい、私は貴方が嫌いよ。なのに貴方、貴族の恩寵を受けれたのに、なかなか生まれ変わってこないんだもの。それとも、私の知らないところで生まれ変わってたの? 待ちくたびれちゃったわ」
「寂しかったですか?」
私が口にした質問で、急速に熱が冷めるようにマリアさんの表情が消えた。
「なんですって?」
「私、お父さんを早くに亡くしているから分かるんです。心を通わせた人が亡くなる寂しさは、何をしても埋められない。一人で生きるには、この世界は厳しすぎます。何百年も生きて、寂しかったですよね。生きるのに飽きる人を傍で見て、自分の行く末を見るようで怖かったですか? 愛した人が段々と無気力になっていくのを見るのは、辛いですよね。マリアさん、悲しい時はちゃんと泣いた方が良いですよ。私は辛くても泣いてしまったら負けた気がして、独りぼっちで人生を悲観して心で泣いてました。でもそうすると、暗い気持ちが自分を追い込んで、一歩も動けなくなっちゃうんです。泣いてる時、誰かに寄り添って貰うと気持ちが楽になりますよ。マリアさん、泣いてもいいんですよ」
顔をくしゃっと歪ませて、マリアさんは顔を手で覆う。
そして、肩を震わせて笑い始めた。
「最高ね! やっぱり私は貴方が嫌いだわ。そうやって天使のように心情に訴えかけて、夫の心を奪ったの? 彼は言ってたわ、『あの侍女は、天使だ』って。だから普通に殺さずに、異端審問にかけてやったのよ。なのに彼ったら、異端者認定された貴方を庇うんだもの。そんな事したら、いくら貴族でも死ぬまで幽閉されるって分かってるのにっ! ……ねえ、顔をよく見せて。やっぱりたいしたことないわよね。私の方が美しい。どうして彼は、貴方の事が好きなのかしら」
マリアさんは、ゾウやキリンがプリントされている子供が喜びそうなエプロンから、折りたたみ式のバタフライナイフを取り出す。
まだ刺されてないのに、夕陽でナイフは赤く染まっていた。




