終焉の世界④
キャムレンさん達が勤務している総合病院の特別室は、ブライアンの家のリビングより広かった。
高級ホテルみたいに綺麗だけど、車輪が付いたベッドは、いかにも病院っぽい。それにトイレの壁と手すりに緊急ブザーがあって、なんだか落ち着かない。
ここが一泊いくらか、私には分からない。キャムレンさんが支払ってくれると思うけど……。
私は、まだキャムレンさんと再会を果たせていない。
「顔色が良くなってきてるぞ」
「ブライアン、昨日もその台詞を聞いたよ」
「ブラちゃんは、励まし方が下手なのよ」
面会に来てくれた二人が買ってきてくれたケーキを、最初に選ばせて貰った。
ど、れ、に、し、よ、う、か、な!
金粉がちょこんと乗った艶のある丸いチョコレートムースを選んだら、「それが一番安いケーキだぞ」と、ブライアンに笑われてしまった。
「いいの、貧乏舌は一番お得だよ。なんでも美味しく食べれちゃうんだから」
「ノエルちゃん、病院のご飯はどう?」
「噂通りですよ。薄味過ぎて水っぽいし、変な味がするの。どうしてあんなに美味しくないんだろう。逆にレシピを知りたいくらいです」
サラさんと私が笑っていると、ブライアンは苺のケーキを選び、点滴台に吊された何の栄養が入っているのか分からない透明の点滴を指差した。
「点滴は、いつ外れるんだ?」
「今日の夜だって。明日退院だしね」
「キャムレンさんは、面会に来たのか?」
「まだだよ。キャムレンさんの友達から聞いた話だと、昨日の深夜に保釈されたらしいけど」
「じゃあ、これから見舞いに来るのかな? 挨拶しとかないと」
「どうかなあ。それどころじゃないかも。彼女を殺されかけて、逆上して同僚の頭をへこませるなんて、普通の会社ならクビじゃない? それに私、絶対にナースステーションで噂になってると思うんだよね。お医者さんと結婚したいために二股した女、とか面白おかしくさあ」
サラさんは笑ってくれたけど、ブライアンは苦い顔をして窓から下を見下ろした。
十六階の特別室から見下ろせる景色は、電車や車がものすごく小さく見える。人なんて、米粒くらいの大きさ。凝ったジオラマのようで、いつまでも眺めていられるけど、何もかもが作り物みたいで生命を感じられない。早く退院して、木々のざわめきや太陽の暑さを感じたいな。
「首を絞めてきたサイコ野郎は、同じ病院なのか?」
「ううん、警察病院みたいだよ。でもさ、生きてて良かった。死んでたら、キャムレンさんを殺人犯にさせちゃうところだったもんね」
「でも正当防衛だろ? 罪になるのか?」
「どうだろう……。スマホで調べたけど分かんない」
『あの日、まだ停職中なのにルーカスが医局に乗り込んで来て、キャムレンを殴って蹴って、凄かったんだよ。キャムレンの家柄や優秀さが気に入らないのは知っていたけど、逆恨みで彼女を殺そうとするなんて酷い話だ。しかもまさか、ルーカスが去年の通り魔事件の犯人だったなんて、今でも信じられないよ』
ダーツバーで会ったディビットさんが主治医になり、診察しながら言っていたけど、私だけは分かってる。
ルーカスさんは、私とキャムレンさんに因縁じみた運命を背負っているんだ。
前世で何かがあった……はず。
それに、ルーカスさんがエマを殺したとは思えない。
『手紙』の内容と、ルーカスさんの言動は、余りにも不釣り合いだもの。
力を入れたら簡単に折れそうな、安っぽいプラスチックのフォークでチョコレートムースを食べ終わると、ゴミ箱へ。そしたら、そのタイミングを待ってましたとばかりに、ブライアンが何時になく真剣な顔をして私の手を握った。
「ノエル、幸せになって良いんだぞ」
「そうだよ、ノエルちゃん。その通りよ」
暫く口を開けられなかった。
なんて言って良いのか分からないし、声を出したら泣いちゃいそうだったから。ブライアンが私の手にしがみついているのを、握り返すだけで精一杯。
「兄貴が死んだとき、ノエルをひっぱたいてる義姉さんを見て、オカシイと思ってたんだ。葬式で動揺してるんだと思って、義姉さんを宥めただけで終わらせてしまった。それから連絡を取っても、ノラリクラリと会う約束をかわされて。その時も俺はオカシイと思ってたんだ。だけど、シングルマザーになって生活が大変だろうから、気が立っているのかなと……。 オヤジ達も、初孫のノエルのことを気にかけてたけど、義姉さんが会わせてくれなくて。何年も経ってから義姉さんとノエルにも、俺の店を見て欲しいと思って、アポなしで家を訪ねたら……」
ぐっと喉から変な音を立ててブライアンの息を詰まったので、感受性豊かなサラさんが先に泣き出した。やだなあ、泣くタイミングわかんなくなっちゃうよ。
「玄関から出てきたノエルは、ガリガリに痩せて、髪も乱暴に切られてるし。そんな姿でも高校に通ってるって言うし。拒食症にでもなったのかと思ったぞ、最初。悩みはあるのか聞いたら、友達が出来ない? 当たり前だろ……。あんな姿を見たら、誰だって引くぞ。頓珍漢な事ばかり言うから、オカシイと思って家の奥を見たら、知らねえ男がノエルを睨んでるし。やっとピンときて、そのまま手を掴んで走ったんだよな」
そう。ブライアンは、私をあの家から逃がしてくれた。
後ろからアノ人が怒鳴って追いかけてきて、私は恐怖で何度も立ち止まりそうになってしまったけれど、ブライアンは私の手を握って走り続けてくれた。
二年前のクリスマス、忘れられない。
あの日から、私は別の人生を歩み始めた。
ラストネームをミラー変え、国民識別番号も出生地も、弁護士さんを通して変更して貰った。
私は完全に、別人になった。生まれ変わった。
お母さんとアノ人に殴り殺される未来を、ブライアンが変えてくれた。
殴られ続けたお腹を、病衣の上から指で擦ってみる。もう新しい傷が増えることはない。
アノ人は死んだ。ペルカ伯爵が殺した。
「俺がもっと早くあの家に行っていたら、ノエルに苦しい思いをさせなくてすんだかも知れないのに。ごめんな、ノエル」
何年も会ってなかった姪のために、ブライアンは自分の名義でアパートを借りてくれたし、高校の編入手続きも、カウンセラーの予約を取ってくれたし、バー・オアシスでアルバイトだってさせてくれた。
私は、ちゃんとブライアンにお礼を伝えただろうか?
ブライアンに甘えてばかりで、頼りなかった私は、きっと言ってない。
「俺は、ノエルには幸せになって欲しいと思ってるんだ。貴族と結婚なんかしたら、人より苦労するに決まってる。だけど、ノエルを守ってくれたキャムレンさんとなら……。兄貴と同い年なのは……ちょっと変な感じがするけど、キャムレンさんと幸せになって欲しい」
「ブライアン、ブライアンも幸せになって良いんだよ」
えっ、と声を上げて、ブライアンは私をまじまじと見る。私もブライアンの顔をじっくり見た。兄弟だから当たり前なんだけど、ブライアンはお父さんによく似てる。
心停止している間に見た、変な夢。
あれが全て本当のことだとは思えないけど、嘘だとも思えない。
きっと、お父さんはブライアンにも会いに行ってたはず。
霊感ないから……分かんないけど。
お父さんの事を考えると、胸がチクチクする。
だけど悲しくない。一人の夜も、淋しくない。私は強くなった。
自分の力で、人生を歩めるくらいに。
皆が、私を支えて励ましてくれたから。
「いつまでも自分を責めないで。私は、もう大丈夫だから。あの家から私を助けてくれて、本当にありがとう。ブライアンは、私のヒーローだよ」
あの日、私の服の下にある無数の打撲痕を見つけた時のように、頭を下げて泣き出す。
サラさんは、あんなに可愛いのにオットセイみたいな変な声を出して泣くから、ちょっと笑っちゃった。
声を上げて男泣きするブライアンを抱きしめ、私もいっぱい泣いた。
ブライアンが家族で良かった。
愛してるよ、ブライアン。サラさんとお幸せに。




