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前世と殺人②

 いつまでも厨房に隠れても居られないので、何も聞こえなかったふりしてカウンターに戻ると、キャムレンさんはミーアキャットのように背筋を伸ばす。


「ノエル、何か悩みはあるか? ここに、ノエルより年上の大人が二人もいるんだ。解決するかも知れないぞ」

「え? いつの間に悩み相談の時間になったんですか?」


 脈絡もなく始まったけど、キャムレンさんにとっては、これが真面な会話の糸口らしい。人の良さそうなオルソさんが絶望した顔で頭を抱えているのを見て、可哀想になってきた。


 バーテンダーという職業は、お酒を提供するだけが仕事じゃない。お客さんの話し相手も務めなければならない。曖昧に言葉を濁して逃げたかったけど、そんなことしたらブライアンに叱られてしまう。


 腕を組んで首を傾げながら「うーん、そうですねえ」と言うと、キャムレンさんがニタニタ笑いながら、私と同じように首を少し傾げて呟く。


「かわいい。……可愛いっ!」


 私は無視したけど、オルソさんは幽霊でも見たかのような目で、キャムレンさんを凝視している。キャムレンさんが、うっとりと溜息を吐くので、オルソさんを見て言った。


「漠然とした悩みでもいいんですか?」

「勿論だ。俺はノエルの考えていることが知りたい」


 キャムレンさんって、一言多いんだよなあ。

 クサイ台詞を言わないと、死んじゃう病気なの?


「精神的に強くなりたいんですけど、どうしたらなれますか?」


 言い終わると、キャムレンさんがカウンターテーブルに額を打ち付けて、肩を震わせている。

 一瞬、笑われたのかと思ったけど、どうやら身悶えていたらしい。

 顔を上げたキャムレンさんは、デレデレと蕩けた表情で私に言う。


「凄く……、凄く良い! 守ってあげたくなる!」

「結構です」


 大体、守るって、何から守るわけ? 幽霊? ゾンビ? 国税局?


 私を守りたいと悶えた癖に、キャムレンさんは「専門家ならここにいるぞ」と、オルソさんに丸投げした。オルソさんは随分前から店に通っているけれど、仕事のグチは一度も聞いたことがない。


 一体、どういう専門家なんだろう?

 オルソさんは、突然の丸投げに臆することなく話し始めた。


「方法は、自分に自信を持つことだと思うんだ。それだけ聞くと、何か凄い特技を身につけなきゃいけないと思って焦っちゃうでしょ? でもね、出来る事を積み重ねるだけだよ。朝起きたら、カーテンを開ける。授業中に眠たくなったけど、起きてようと少し我慢する。我慢できなくて寝ちゃっても、ちょっとは睡魔と戦ったでしょ? それでオッケーなんだよ。アルバイトが休みの日なら、夜更かししないで早めに寝ることかな」


「そんな簡単なことで良いんですか?」


「そんな簡単な事が出来るっていうのは、とっても大切なんだよ。出来る事からやってみて。それで順調にいったら、一つずつ増やしてみてね。自分で自分の自信を付けるのって、難しいけど、簡単なところから始めると上手くいくよ」


 確かにそうかもしれない。朝寝坊も夜更かしも、居眠りも。全部当てはまる。睡眠が大事というよりは、規則正しい生活が基本ってことなのかも。


 大きく頷き、口の両端を引き上げた。笑顔は苦手だから上手に笑えないけど、それでもキャムレンさんは、「笑顔がとても良い!」と叫ぶ。


 聞こえないふりして、オルソさんに礼を伝えた。


「深夜までバイトしてると、授業中にどうしても眠くなっちゃうんです。カーテンを開けるくらいなら、私にも出来そうです」

「うん、頑張って!」


 店のドアに付けられたベルがチリンと鳴り、そちらに顔を向けると常連の大学生の女の子が立っていた。眼鏡の奥の吊り上がった目で店内を一望すると、ガッカリした顔で迷うことなくいつもの席へ。


「いらっしゃいませ」

「店長さんは? 今日はいないの? 失敗しちゃったなあ」


 失敗。自分の存在を否定されるのには慣れているけれど、悪意がないのが一番鋭く刺さる。オルソさんのアドバイスで前向きになってたから、なおさら。チクリと胸に刺さった言葉の矢を引き抜いても、じんわりと血が滲んできそう。


「店長なら裏にいるので、もうすぐ来ると思います」

「そうなの? やったね、早く店長さんに会いたいなあ」


 背後から、オルソさんの棘のある声が聞こえてくる。本人は小声で話してるつもりだろうけど、ボリュームが抑えきれてない。温厚そうな彼も、苛つきが貯まってたんだと思う。


「真面な会話ってコレだよ。短い会話をしただけなのに、『学生』で『アルバイト』だって分かったでしょ? 普通の人は、こうやって会話を木の枝のように広げていくんだよ。いきなり前世の恋人だと騒いで、女の子の気を引こうとしても駄目なんだからな」


 キャムレンさんは、さっきと同じ事を繰り返して反論している。


 メニューを受け取ると、彼女はそれで顔を隠しながら私にだけ聞こえるように尋ねた。


「ねえ、こっそり教えてよ。やっぱり店長さんには、恋人がいるんじゃないの?」

「プライベートな話はしないように、と店長に言われてますんで」

「絶対いるでしょ? あんなに格好いいんだもん」


 いるに決まってるじゃん! ブライアンには、婚約者のサラさんがいるの! 見てるこっちが恥ずかしいくらい、ラブラブなの! だからどんなにアプローチしても、無駄無駄! 


 なーんて叫びたいけど、私は黙って軽く肩をすくめる。


 彼女は、週に四回も店に来て猛烈にアタックしているのに、ブライアンはノラリクラリと交わしている。恋愛以上失恋未満、とでも言うのかな? そこまで計算して接客してるんだから、ブライアンは経営者としては優秀なんだろうけど……。


 何も知らない彼女が可哀想に思えて、つい下らない情報を与えてしまった。


「髪の毛が長い子が好き、と前に言ってましたよ」

「切ろうと思ってたけど止めとく!」


 鎖骨まであるセミロングの毛先を弄り、彼女はショートカットの私を見てニンマリ笑った。

 彼女は私とブライアンが親戚だって知ってる癖に、どうしてそんなに意地悪な顔をするんだろう。切なそうに溜息を吐いた彼女に、同情なんてすべきじゃなかったかも。


「お客さんは、本気でブライアンと付き合いたいんですか?」

「当たり前でしょ。大人っぽいのに、瞳は少年みたいにキラキラしてて……。あんなにカッコイイ人、大学にいないもん。それに、彼氏がバーテンダーだったら最高じゃん」


 彼氏がバーテンダーだったら、どう最高なのか分からないけど頷いてみる。


「あーあ。あのお髭に触ってみたいなあ!」


 それには、全力で同意する!




 避寒地として有名なリゾート、フィンドレーにも冷たい雨は降る。

 

 早く暖かな屋内で冷え性の手足を暖めたい気持ちを抑えつつ、濡れたコンクリートで滑って転ばないように慎重に歩く。


 積み上がったビール瓶ケースを裏口のドアでぶつけないように開けると、潮風で錆びた鉄のドアは、ギーッと耳障りな不協和音を奏でる。

 その音を聞いて、ブライアンが駆け寄ってきた。


「来てるぞ」

「誰が? まさか」


 お母さんに居場所がバレた? 一瞬で強張った身体を、暢気に叩かれた。


「違うって。あいつだよ、アイツ。ほら」


 手で前髪をかき上げるので、直ぐにピンときた。

 まだ働いていないけど、疲労感で長い溜息を一つ。


「キャムレンさん?」

「あのオールバック、キャムレンって言うんだな。ノエルのこと、待ってるぞ」


「また? 塩対応してるのに、どうして毎日来るのよ」

「どうしてって……。ノエルに一目惚れしたからだろ? 俺の姪っ子は、世界で二番目に可愛いからな。一番は、サラだけどな。……あ、間違えた。ノエルは前世の恋人だからか!」

「もう! ブライアンまで馬鹿げたこと言わないでよ!」


 ブツブツ文句を言うけど、上機嫌なブライアンの耳には届かない。案の定、カウンターにはこの店で二番目に高価なシャンパンが開けられていた。一番良いのは、昨日開けていたから。

 あーあ。また二番だ。なんだか今日は憂鬱だ。


「ノエル、やっと分かった。もしかしたら、そうじゃないかとは思ってたんだ。だけど確信が持てなかった。もっと早く気が付けば……いいや、さっさと聞けば良かったんだ」

「何がですか?」

「早番と遅番の週が交互にある」


 酔ってるなあ。

 キャムレンさんは、お酒を飲むとすぐ充血する。瞳孔に忍び寄っている触手のような赤い血管のせいで、珍しい青緑色の瞳を強調させている。その瞳に私が映ると、まるで店内に流れるジャズに心を奪われたかのように、うっとりとグラスを傾けた。


「あと九十回か……」

「なんの回数ですか?」

「店に百回来たら、電話番号かメールアドレスを教えてくれるって言っただろ?」

「えっ。そんなこと言いましたっけ?」

「言った。絶対に言った。俺は覚えてるぞ」


 キャムレンさんは、ウククと押し殺すように笑う。

 最初は酔っ払いにからかわれたと思ってたけれど、こうも毎日店に来られたら「ああ、本気なんだな」と納得せざる得ない。


 バーの薄暗い照明のせいもあるけど、今夜もキャムレンさんは、大人の色気をムンムンと漂わせている。シャンパングラスを持った骨張った指と、手首には重たそうな腕時計。決して崩れないオールバック。その組み合わせは、高級腕時計の広告みたい。


 キャムレンさんが、私なんかのことを恋慕と焦燥が入り混じった瞳で見つめてくる。


「ノエルは、今夜も可愛いな。会う度に可愛さが増していくように見えるから、不思議だ」

「ま、またそんな恥ずかしいこと言って……。褒めても、何も出ませんよ」


 変な人だ、と警戒心を薄らと持ちながらも、好意をぶつけられて知らずに有頂天になっていた自分に気が付いて、消えてしまいたいと思うほど恥ずかしくなった。


「すっごく美味しい! 店長さん、ラム酒って飲みやすいのに芳醇な感じがしません?」


 カウンターの端にいる大学生の女の子が、目をハートマークにしてブライアンに話しかけている。ブライアンは彼女のファッションリングを指差して、「なにこれ、嫉妬しちゃうなあ」だって!


 ひえーっ。なにあれ。あの空間だけ、ホストクラブになってない? 


 ブライアンは凄い。私には、あんな風に手の上で人を転がせられない。変な酔っ払いだと思っていたキャムレンさんに熱心に言い寄られて、満更でもないくせに付き合う気はない。それを敢えて伝えない罪悪感に、私は苛まれているのに。


 感心しながら談笑している二人を眺めていると、彼女と目が合う。うっとりと乙女チックな顔つきが、一瞬だけ鬼のように変貌する。まるで恋敵でも見るようだった。


 ブライアンには、サラさんがいるのに。私より大切な、婚約者がいるのに。


 今夜は商店街の会合があるから、お店は早仕舞い。

 二ヶ月に一回ある会合は、会合という名の、飲み会な気がするけど……。


 バックヤードでバーテンダーの制服を脱ぎ始めると、ブライアンが入ってきた。女子高校生の更衣中なのに、いくら叔父だからって無神経だと思う。


「ノエル、今日はキャムレンさんと一緒に帰れ」

「えっ! な、なんで?」

「俺は、あの子を駅まで連れて行かなきゃいけないからさ」

「あの子?」

「そんなに飲んでないのに、潰れちゃって」


 本当に酔い潰れたのか演技なのか分からないけど、ラストオーダーが終わってから都合良く真っ直ぐ歩けなくなった大学生の彼女を、ブライアンは駅まで送ると申し出たらしい。


 金庫に売上金を入れているブライアンの背中に向かって、脱いだスラックスを投げ捨てた。


「わっ、何怒ってるんだよ」

「ブライアンが良いことしたって思ってるからだよ!」

「いいこと?」

「恋のキューピット気取りなんだもん。私とキャムレンさんを、無理矢理くっつけようとしないでよ」


 タイとシャツも、ブライアンに投げ捨て下着姿で抗議する私に、ブライアンは苦笑い一つ。


「早く服を着ろ。風邪引くぞ」

「言われなくたって着るもん!」


 あ、しまった。今の言い方、凄く子供っぽかった。


 恥ずかしさも相まってイライラしながらジーパンに脚を通すと、ブライアンは私が床に投げ捨てた服を一つ一つ拾って、ハンガーに掛けてくれた。


「ノエルは変わらないな。三歳の時も、怒りながら服を脱いでたぞ」

「そんな昔のこと、覚えてないよ」


「二歳の時は、上手く服が脱げなくて、よく泣いてたなあ」

「もう昔話はいいってば。問題は今だよ、今! ブライアンは、キャムレンさんが可哀想だと思わないの? 私はキャムレンさんのこと、どうも思ってないのに変に期待させちゃって」


「どうも思ってない? 照れるなよ、バリバリに意識してるくせに。まあ、意地張るのもその辺にしとけ。それに、今夜で何か変わるかも知れないだろ?」

「有り得ないから!」


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