わたしの愛⑥
翌朝、いつもよりちょっと豪華な朝食を食べ終わると、エスプレッソをキャムレンさんの前に置いてあげる。苦いのは嫌いだから、私はハーブティー。
「キャムレンさん、最後に言いたいことがあるんですけど」
「ああ」
泣き腫らして充血した青緑色の瞳で、私を見つめる。
私もキャムレンさんの顔、表情、眼差しを一生忘れないように、しっかりと見つめる。
「誰も信用しないで下さい」
「…………え?」
「キャムレンさんの置かれている状況、私は理解出来てると思ってます。誰かがキャムレンさんを陥れようとしているのか、ペルカ家だからターゲットにされたのか分かりませんが……。だから言ってるんです」
「それは……どういう意味だ?」
キャムレンさんがペルカ家安泰のために隠している、殺人事件の証拠品の『手紙』。
後ろめたいところがあるから、冷静な声で言うけど、頬がヒクヒクと痙攣している。
キャムレンさんは、大人のくせに感情が顔に出る。
そこが愛おしいんだけど……今日が最後。
「言葉通りです、信用してはいけません。オルソさんも駄目です」
「オルソ? どうしてだ? オルソは関係ないだろ」
「私の電話番号をオルソさんに伝えた日に、お母さんから電話がかかってきたんですよ?」
「オルソは、親友を裏切るようなことはしない」
「敵だとは言いませんが、誰にでも優しいから、利用されているのかもしれません。キャムレンさんは、他人を信用しすぎてます。だから、敢えて私が言ってあげてるんです。……私みたいに捻くれた考え方が出来ないんですよ、育ちが良いから」
「そんなことないだろ。ノエルだって、店長のことを信用してるのに」
「ブライアンは、特別です。私が疑い深い性格なのは、キャムレンさんは知ってるでしょ?」
バー・オアシスに通い、デートもした。それでも、私がなかなか心を開かなかったのを、痛いほど分かっているから黙って頷く。
マグカップから湯気が渦を巻く。絡んで、解れて、消える。
エマを殺した犯人は、捕まっていない。見当も付かない。
キャムレンさんが、ペルカ伯爵と同じ琥珀色に瞳が変わる理由も。
どこかで、何かを見落としている。
そんな名探偵みたいな、カッコイイ台詞を言いたい。自信を持って言えないのは、推理力と想像力が不足しているから。学力や運動神経、その他諸々も。
ふーっと息を吹きかけてからハーブティー飲むと、私は一気に喋った。
「私、キャムレンさんの事が好きです。キャムレンさんが想像してる以上に、私はキャムレンさんが好きですよ」
「それは俺の台詞だぞ。昨日のオルソじゃないけど、もう恋なんて出来ない気がする」
「なんの為に、私が身を引くと思ってるんですか? 貴族の一員になるに相応しい経歴の方と結婚して、跡継ぎを産んで貰って、ペルカ家の責務を果たして下さい」
キャムレンさんが口にしてた、オペラのストーリーみたい。
身分違いの恋は、互いに思い合っていても悲恋になってしまう。
毒で心中しないだけ、マシなのかも知れないけど。
「俺がペルカ家じゃなかったら、どうなってた?」
「……だめ、言いません」
「どうして?」
「だって、言ったら私たち、泣いちゃうじゃないですか」
玄関で、最後のキスをした。
今日は「いってらっしゃい」じゃなくて、「さよなら」。
キャムレンさんが仕事から帰ったら、もう私はいない。
私の手を握ると、頬に寄せて甲に唇を落とした。愛おしそうに何度も何度も。
苦悩と恋慕で歪む青緑色の瞳で、私だけを見てくれた、いつも、今も。最後まで。
「ノエル、心まで俺から離れないでくれ」
なんてロマンチックなことを、私に言ってくれるんだろう。二度と会えないのに。
「さよなら、キャムレンさん」
玄関のドアが閉まると、ポロリポロリと涙が零れてきた。
頬を伝わってきた星屑みたいな涙を手の甲で拭うと、壁時計を見上げる。
感傷に浸って泣いてる場合じゃない。十一時にブライアンがレンタカーを借りて来てくれるから、急いで最後の荷造りをしないと。
だけど、その前に……。
空の靴箱、下から三番目。
キャムレンさんが殺人現場から持ち帰った『手紙』を、エプロンのポケットに入れた。
この『手紙』があると、キャムレンさんの心の重荷は取れない。
キャムレンさんが捨てられないのなら、私が持っててあげる。
キャムレンさん、これが『私の愛』だよ。
キッチンも綺麗にしたし、荷造りも完成。そろそろ十時半。あとはブライアンの到着を待つだけ。ローテーブルの上に置きっぱなしにしていたスマホを手に取る。
「あれ? 電話来てた」
消音にしてたから気が付かなかったけど、キャムレンさんから何件も着信が来ていた。
今まで仕事中に電話してくることなんてなかったのに、どうしたんだろう。
急用? それとも最後の日だから、私の声を聞きたくなっちゃったのかな?
タップして電話をかけようとしたら、リビングのドアが開いた。
振り返ると、知らない男が立っている。
「え? あの、どちら様ですか?」
自分でも、間抜けな対応だなと反省した。明らかに、不審者なのに。
目の焦点が合ってないこの人は、ルーカスさんなんじゃ……?
逃げようと身構えると同時に、グッと首を絞められた。
「きゃあ、あっ!」
悲鳴を上げると、ダイヤモンドの指輪がギラリと輝き、スマホが床に落ちていく。
首を掴まれた手を振り払うと、ルーカスさんは私を床に突き飛ばした。
「やめて……っ! 誰か、助け、いやーっ!」
馬乗りになって首を絞めてくるルーカスさんの腕を、死に物狂いで引っ掻く。腕から血が流れているのに、力は弱まらない。抵抗すると、首を締め付ける力は比例していく。
「どこだ?! 『手紙』は、どこだ?!」
「ひぃ……っ、や、め……!」
フローリングの床に転がっているスマホのバイブレーションの音が、ブブブと部屋に響く。
キャムレンさん、助けてっ!
スマホに手を伸ばすけれど、届かない。
「手紙! 手紙を返せ! 返せ!! キャムレンが持ってるんだろ?!」
「う……あ……………っ、あ」
怖くて悲鳴を上げたかったのに、もう私は声を失っていた。
逃れようと両腕を振り回して激しく抵抗していたのに、いつの間にか息苦しさが勝り、自分の首とルーカスさんの手の甲を引っ掻いていた。
怒鳴り続ける口から漏れる唾液が、私の顔に垂れてくるけれど、身体が痙攣して顔を背けることも出来ない。
段々と、視界が狭くなっていく。
フローリングの床を蟹のように忙しなく擦っていた脚に、もう力が入らなかった。
強張っていた身体が、ふっ……と楽になる。
指先さえも、もう動かない。
不思議と、もう苦しくはなかった。
ヨガの「屍のポーズ」は、究極のリラックス体勢と言われているけど、本当にそうなんだなあ、と死ぬ前に実感してしまった。
死んじゃうのに、変なことを考えてて馬鹿だなあ、私。
キャムレンさんに会いたい。会って抱きしめたい。
私を抱きしめて欲しい。
ブライアン。結婚式に参列できなくて、ごめんね。
もっといっぱい、ありがとうを伝えておけば良かった。
お父さん。お父さん。お父さん。大好きなお父さん。
今、会いに行くよ。
おとうさん。
ぼぼっ、とキャンドルの火が消えるような耳障りな音と共に、仄かな光が消え、完全な闇。
こうして、私、ノエル・ミラーは死んだ。




