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わたしの愛⑤

 キャムレンさんは仕事から帰ってくると、エプロン姿の私を見て、泣きそうになっていた。


「おかえりなさい。冷凍庫の中に作り置きを何種類か入れて置いたから、私が出て行った後に解凍して食べて下さいね」


 どう返事をして良いのか困っているようなので、煮込みハンバーグを温め直そうとオーブンのスイッチに手を伸ばすと、やっと口を開いた。


「夕食は、いらない」

「そうなんですか? なんだ、早く言ってくれれば良かったのに」

「急に飲み会が入ったんだ。俺も早く言えば良かった、と……いま凄く後悔してる。ノエルに連絡するのが怖くて」


 キャムレンさんは鞄を床に落とすと、勢いよく私を抱きしめた。


 一つ一つの行動がロマンチックすぎて、恋愛映画みたいなんだよなあ。恥ずかしいけど、愛情はしっかりと伝わってくる。


「飲み会は、何時からですか? タコのサラダがあるから、お酒を飲む前に食べていきます?」

「ノエル、一緒に行こう」

「え? 私も? 部外者が行っても良いんですか?」


 キャムレンさんが弱々しく頷くと、青緑色の瞳から涙が零れそうで、見ていられなかった。




 チェーン店ではないダーツバーは、こだわりのインテリアがたっぷり。きっとオーナーの趣味なんだろうな。


 シャンデリアが随分と低い位置にぶら下がっていて、バーカウンターに沿って、背の高い漆黒の椅子が並ぶ。奥にはダーツがあり、数人がテキーラを飲みながら遊んでいた。店内には二、三十人の大人が集まって、それぞれ小さなグループを作って話し込んでいる。


「キャムレンさん。この飲み会は、何の集まりですか?」

「オルソの失恋パーティーだ」


 失恋とパーティー。

 真逆なイメージを持つ言葉がくっついてるのに、おかしいけれど納得出来てしまう。


「マリアさんと、別れちゃったんですか?」

「そうみたいだな。オルソに泣き言を言おうとしたら、アイツが先に泣いてた」


 自虐の笑みを浮かべるキャムレンさんに、なんと声をかけるべきか思案していると、後ろから呼び止められた。


 振り返ると、赤いミニワンピースを着たアロンザさんが、手を上げながら近寄って来ている。栗色のボブカットに、今日は寝癖が付いていない。


「やほー、飲んでる? うわっ! ノエルちゃん、めっちゃ可愛いじゃん!」

「こんばんは、アロンザさん。このワンピース、キャムレンさんが買ってくれたんです。レースが綺麗ですよね。一番のお気に入りなんです」


 キャムレンさんが選んだ全ての服にレースが付いていて、乙女チックなのに大人っぽくて、私もとっても気に入ってる。しっかりお化粧して、このブラックレースのワンピースを着て、今日の私は凄く大人っぽい。年上のキャムレンさんの横に、堂々と立っていられる。

 オシャレって、凄いパワーを持ってるんだなあ。


「やっだあ。キャムレン、早くあの服を脱がしたいなあ~とか、思っちゃってるわけ?」

「なに馬鹿なことを言ってるんだ。アロンザ、飲み過ぎてないか?」

「まだ一杯目! だって男が女に服をプレゼントするなんて、エロすぎでしょ~?」


 これで酔ってないの? アロンザさんって、キャラ濃いなあ……。


「私、アロンザさんに勧めてくれたヨガを、毎日やってるんですよ」

「えー?! 本当に?」

「はい。自分でもビックリなんですけど、すっかりハマっちゃいました」

「じゃあさ、今度ビーチでやらない?」

「えっ? ビーチで?」

「ビーチでヨガをするサークルがあるのよ。朝日を浴びながらやるヨガは、気持ちイイよ~!」


 アロンザさんは嬉しそうにしながら、私の腕を組む。女同士の会話に男が入る隙がないと思ったのか、キャムレンさんはカウンターにお酒を取りに行った。

 それを見届けると、アロンザさんに組まれた腕を掴んで、逆方向に歩き出す。


「少し聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「キャムレンに聞かれたくない話なの?」

「はい。キャムレンさんの元カノについてです」


 真剣な顔に、アロンザさんの吹き出した息がかかる。少しだけ、アルコールの匂いがした。


「あ~、アレね。 本人は元カノって言ってるけどさ。一、二回、食事に行っただけだよ。あんなのカウントしないわよ、普通は」

「でもキャムレンさんは、その人が『運命の人』だと思っちゃったんですよね?」


「吊り橋効果でしょ。キャムレンも、そう言ってたし。真っ暗なエレベーターに閉じ込められて、たまたま傍にいた人にときめくのって、あり得るじゃない?」

「元カノさんが、まだキャムレンさんを忘れられないって事は、あると思いますか?」


 アロンザさんが私の意図を変に汲み取り、にやりと笑って、手に持っていたチェリー付きのキャプテン・コークを飲み干した。


「ないでしょ。あの子、うちの病院の薬剤師さんだったの。キャムレンから食事に誘われて、『玉の輿に乗れるかも知れない!』と舞い上がってたけど、キャムレンは変人だし、会話がつまらなすぎて早く帰りたかったって言ってたわよ。それにね、あの子は寿退社したの。とっくの昔に」


「間違いないんですか?」

「間違いないわよ、だってあの子が旦那の転勤で引っ越すまで、付き合いはあったしね」

「付き合い……ですか?」

「三人目の赤ちゃんまで、私が取り上げたんだから。自分の子供達だけで野球チームを作りたいんですって」


 ケタケタと笑い出す産婦人科医のアロンザさんが、嘘をついているようには思えなかった。それとも、そう思わせちゃうほど嘘が上手いのか……。


 殺人犯は、キャムレンさんの元カノかな? と思ったけど、リストから除外しても良いかも。


 アロンザさんはまだ顔に笑いを残して、私をからかってくる。


「ノエルちゃんってクールそうに見えるけど、意外と嫉妬深いのね。これが若さなのか~!」

「ちょっと気になっただけですってば」

「よーし、私も若さを取り戻しちゃおう! ううん。ノエルちゃんから吸い取っちゃう!」


 タコみたいな唇でチューと頬を吸われて、きゃあきゃあ騒いでたら、キャムレンさんが何とも言えない顔で遠くからこちらを見ていた。


「ほーら、ノエルちゃん見て。キャムレンも嫉妬してるよ」

「酔っ払いに絡まれてる、と思われてるだけですって」

「私、酔ってるかな?」

「多分」


 へらへら笑いながら、飲み干したグラスに残っている氷を奥歯で食べ始めた。

 多分じゃなくて、結構酔ってる? 陽気な性格のせいで、イマイチ分からない。


「気分が良いの、すっごく。毎日つまらなそうにしてたキャムレンが、恋をしたらあんなに生き生きしてるんだもん。ビーチでいちゃいちゃ、チューチューしてる二人を見てたらさ……。私も、もう一回だけ頑張ろうって思えたの」


 うっ。気まずい。私、キャムレンさんと別れちゃうんだけど……。


「何を頑張るんですか?」

「大昔に、何もせずに諦めた初恋を」


 ウィンクしたアロンザさんは、今度は私の腕を引っ張り、オルソさんと話しているキャムレンさんにぐんぐん近づく。


「もう僕、恋なんかしない! 絶対にしないからな!」

「そんなこと言うなよ。オルソは良い奴だから、またすぐ恋人が出来るさ」


「そうじゃないんだよ! 男として魅力を感じない、と言われて振られるのは慣れてるさ! だけど、だけど。他に好きな人が出来ちゃいました、だよ?」

「だから何度も言っただろ? マリアは、八方美人過ぎて信用できないって」


 ベソベソと泣き言を言うオルソさんを見下ろし、自信家のキャムレンにしては、珍しく言いづらそう。昨夜、私に別れ話をされたからだと思うけど。

 アロンザさんも今の会話を聞いてたはずなのに、「また振られたの~?」と茶化しながら、オルソさんの横に座った。


「振られたんじゃない、ギリギリで振ったんだ! 僕のことを好きじゃないなら、もう付き合うべきじゃないって!」

「どうせ、いつものアレを言われたんでしょ?」


 アレって何だろう?

 疑問が顔に出ていたのか、キャムレンさんがさり気なくサポートしてくれた。


「優しすぎてつまんない。だろ? 何回も聞いたぞ、その台詞」

「冬眠から目覚めてしまった熊みたいに獰猛になれ、と言われても、僕には無理だよ」


 頭を抱えるオルソさんを、虐めるようにからかうかと思ったのに、アロンザさんは急に柔らかい声色で語り出した。


「変わる必要なんて無いわよ。オルソは、どこまでも優しいのが長所よ。それを短所なんて言うのは可笑しいわ。でも一つ言わせて貰えば、いつも純朴そうな子と付き合って、同じ理由で別れてるんだもの。学生時代から、貴方の女の子の好みって変わらないわよね。たまには、真逆な子と付き合ってみれば?」

「うーん。どうかなあ? ピンとこないけど……」


 アロンザさんは、二杯目のキャプテンコークを一口飲むと、オルソさんの丸っこい手に手を重ねる。


「私にしたら?」

「え? えっ?」


 オルソさんが動揺して、ビールジョッキを倒す。カウンターテーブルに広がったビールが、ワンピースにかかりそうになると、キャムレンさんの腕が私を引き寄せた。

 キャムレンさんは、凄い。こんな些細な事からも、私を守ってくれる。


「オルソ、どうするの? 私と付き合う? 付き合わない?」

「ちょっと待って。冗談でしょ? だって僕たち、ずっと友達として……ええっ? ちょ、ちょっと待って……!」


 あたふたするオルソさんを見て、アロンザさんは、愉快そうにケタケタ笑っている。


 キャムレンさんは、少し目を見開いた程度で、さほど驚いてないように見えた。

 アロンザさんの恋を知ってたのかな? あとで聞いてみようと思っていたら、入り口の方でグラスが割れる音が聞こえた。


 誰かがグラスを落としてしまったんだろうと、さほど気にしていなかった。だけど続けてグラスが割れる音が店内に響くと、一人の男が走ってきた。


「キャムレン、やばい。ルーカスが来てるぞ!」

「嘘だろ?! アイツは呼ばないって、グループメールで言ってたじゃないか!」


「誰かが飲み会のことをルーカスに伝えたんだろ? あんなことがあったのに、誰が教えたんだよ。ほら、早く裏口から逃げろ。俺達が時間を稼ぐから」

「分かった。ディビット、知らせてくれてありがとう」


 ディビットと呼ばれた人は、キャムレンさんの横に視線を移すと、驚愕で息をのむ。


「あっ! 『前世の恋人で運命の人』だ! 本当に実在したのか……」


 そ、その名前で呼ばないでー!

 恥ずかしくて、カッと頬が赤くなる。


 キャムレンさんが医局で私のことを言いふらしていると、アロンザさんから聞いていたけれど、あれは大袈裟に言ってるのではなく、事実だったのね……。


 財布を出そうとするキャムレンさんの腕を、アロンザさんが掴んだ。


「ここは、私が払っておくから。早く逃げて。ノイローゼのルーカスに、また殴られるわよ」

「殴られたのは、僕なんだけど……。僕、ルーカスを宥めてくるよ」


 キャムレンさんが皆に短く礼を言うと、私の肩をグッと引き寄せる。事情を察したバーテンダーの誘導で、裏口から店外へ出た。



 手を繋いで、夜の繁華街を走り抜ける。

 道行く人が、迷惑そうな顔で私たちを避けていく。

 アスファルトをパンプスで蹴り上げ、息を弾ませる。

 風を切りながら進み、水たまりを踏まないように飛ぶ。

 車も通れない細道に入り、今にも赤になりそうな信号を横切る。


 手を繋いでいるのに、時々振り返って私の存在を確認するキャムレンさんの頬に、桃汁のような汗が伝っている。二人で食べた桃のパフェみたいに。


 何を見ても、デートを思い出してしまう。

 私は、幸せだったんだ。


 こんな滅茶苦茶に走ったのは、ブライアンが私をあの家から逃がしてくれたとき以来だ。

 振り返っても、あの時みたいに酔ったアノ人が怒鳴る姿はない。お母さんの苛ついた金切り声も聞こえない。


 前を走るキャムレンさんの背中、私の手をしっかり握る大きな手に、ずっとドキドキしてた。


 キャムレンさんといると、映画のヒロインになれたような気がする。

 恋愛、ミステリー、逃亡劇。スリリングで、ときめいて、切なくて。


 味のしないガムみたいな日々を過ごしていた私には、キャムレンさんの存在が眩しすぎた。


 キャムレンさんって、やっぱりカッコイイ。

 ああ、好き。すっごく好き。どうしよう、もう、本当に好き。


 別れたくない。別れたくないのに。


 ……だけど、キャムレンさんが私を守ってくれるように、私もキャムレンさんを守りたい。

 

 ドアに鍵をかけると、息を切らしながら玄関に座り込んだら、顔を見合わせて声を出して笑い合った。別れ話をしてから、お互いに一回も笑ってなかったし、スリリングな逃亡劇の興奮で、変なスイッチが入っちゃったんだと思う。


「ノエルが好きだ。……好きだ」

「キャムレンさん」


 わたしも。そう続けようと開いた唇を重ねられ、舌を追われた。身体の奥から情熱が燻り、甘美な声が漏れる。官能的な吐息さえも貪るように、乱暴なキスをした。


 愛おしかった。身体の中が熱いのに、喪失感に震えていた。


 好きだから、愛してるから、この人を失わなければならない。


 長い、長いキスが終わると、キャムレンさんは私の短い髪を愛おしそうに梳く。


「俺、ノエルの笑顔が好きだ。泣き顔も凄く可愛いけど、ノエルには笑顔が一番似合う。ノエルがどこかで笑っててくれるなら、もうそれだけで良い。だから……たまにはメールしてくれないか?」

「……ごめんなさい、駄目です。携帯、解約しますから」


最後は一緒に朝御飯を食べて、お終いにしましょう。

 そう提案すると、キャムレンさんは捨て犬のような顔で承諾してくれた。


また書斎から押し殺したような泣き声聞こえてきて、私も胸の痛みでなかなか寝付けなかった。


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