わたしの愛④
サイレンのように叫んでいることに、自分では気が付かなかった。
「ノエル! ノエル、大丈夫か?」
ドアを叩く音と、キャムレンさんの心配そうな声で瞼を開けると、薄闇に浮かび上がる天井を見つめる。
支離滅裂で混沌とした悪夢が消え去り、もう思い出せない。
生きるのが辛くても、死にたい、とは思えなかった。どちらかと言えば、消えたい。
殴られていた可哀想な子は、消えてなくなったように見えるけど、名前を変え、ここにいる。
目が覚めたら夢を忘れてしまうように、嫌なことも、辛かったことも。
悪意のある言葉も忘れてしまえれば、どんなに楽になれるだろう……。
「ノエル、起きたのか? 鍵を外せ。じゃないと……俺がドアを開けるぞ」
それってドアを壊すって事? キャムレンさんなら、やりかねない。
慌てて立ち上がるけど、寝起きで足元がおぼつかない。よろけながらドアまで辿り着くと、施錠を解除し、ドアを開けた。
廊下の天井から降り注ぐオレンジ色の光が、薄闇の部屋に差し込み、一瞬目が眩む。目を細めて背の高いキャムレンさんを見上げると、悲しそうな顔をしていた。
「ごめんなさい。明日も仕事なのに起こしちゃって」
「気にするな。また吐きそうか?」
「大丈夫です。ちょっと……夢が最悪だっただけです」
「だろうな。今夜は悪夢を見るだろうな、と思ってた。水を持ってくるから、座って待ってろ」
言われたとおりにベッドに腰掛けると、寝汗を掻いていたせいか、パジャマがじっとりと湿っている。額から垂れてきた汗を拭うと、深い溜息を吐いた。
ブライアンから、久しぶりに連絡が来た。
ブライアンの声が懐かしすぎて、泣いちゃいそうだった。電話の内容なんて、どうでもいいと思ってたのに。潜在意識は、違ったみたい。
継父は、今夜から土の下で眠る。
ブライアンが言うには、お母さんは最初こそは私を連れ戻そうと暴れていたけれど、葬式が終わると途端に覇気がなくなり、地元に帰っていった。
『誰に聞いたか知らないけど、確かにノエルはフィンドレーにいた。けど、もう引っ越ししていて、俺も居場所を知らない、と伝えといたからな』
『だから、安心してアパートに帰ってこい。バー・オアシスは、ノエルを待ってるぞ』
ブライアンの言葉を頭の中で再生させていると、キャムレンさんはペットボトルを持って来て、私の横に座る。受け取った水を飲んでたら、心のざわつきが収まってきた。
「墓に入ったことで、完全に死んだ。それが逆に辛いんだろう? 反省させることも、罰を与えることも出来ないからな」
「別に反省して欲しかったわけじゃないです。死んでくれて、私はやっと安心できたのに」
アノ人が死んだ夜、今までにないほど晴れやかな気分だった。
アノ人は、もうこの世にはいない。世界中探しても、もういない。血も繋がってないのに、父親面されない。躾だと言われて、殴り飛ばされない。
なのに……。
私の記憶では、アノ人は生きていて、糖蜜のようにドロドロの悪夢を招く。
死んでもなお、私を苦しめる。
「ノエルの気持ちの全ては分からないけど、少しなら俺にも理解出来る気がする。子供の頃、ペルカ家だというだけで、悪ガキのターゲットにされたことがある」
「それって、ペルカ伯爵が人を沢山殺したから? 五百年も前のことを、今でも悪く言われるって凄いですね」
「相手も俺も、子供だったからな。死んだ人間に原因があるのなら、自分じゃどうしようもない。死は、ある意味では、勝ち逃げだ」
キャムレンさんは、私の左手を取ると、薬指に婚約指輪をはめた。
「ダイヤモンドには、魔除けの効果があるんだ。悪夢からノエルを守ってくれる」
婚約指輪を返品してきて、と何度もお願いしたのに、キャムレンさんは決して首を縦に振らなかった。自分で選んだけど、半分欺されたから私も意地になってキャムレンさんに押し返していた指輪を、今は素直に受け取った。
ベッドから部屋を見渡す。沢山の洋服にアクセサリー、化粧品。このベッドも、足元のラグも。全部、キャムレンさんが買ってくれた。
プレゼントを沢山貰って心苦しいけれど、私には何もお返しできない。何も持ってないから、お礼を言って受け取ることしか出来ない。
「キャムレンさん、今までありがとうございます。私、アパートに帰りますね」
キャムレンさんとの同棲も終わり。始まりも終わりも、原因はお母さんだった。
「いつ?」
「色々準備したいから、一週間以内には。またお母さんが、私を探しにフィンドレーに来るかも知れません。だから……引っ越します」
「フィンドレーから出て行くのか?!」
「はい。私も悩んだんですけど、そうした方が安全だと思うんです」
継父という後ろ盾を失ったお母さんが、ペルカ家の跡取り息子と娘が婚約した噂を聞きつけたら、お金を無心に来るのは相違に想像できた。
私には言わなかったけど、きっとブライアンは、お母さんにお金を渡して帰って貰ったんだと思う。これ以上、迷惑かけれない。
結局私は、ノエル・ミラーに名前を変えて生まれ変わっても、お母さんから逃げ続ける人生になってしまった。
「もしかして……。俺は今、別れ話を切り出されてるのか?」
「はい」
キャムレンさんが意気揚々と買ってきた、色違いのパジャマを着て別れ話をするには、相応しくない気がしたけれど、素直に話さなければならなかった。
『手紙』を隠しているキャムレンさんは、もしかしたらルーカスさんが疑っているように、エマを殺した殺人犯かもしれない。けど、大好きだから一緒にいたかった。
キャムレンさんが殺人犯でも、軽蔑し憎悪する事は出来ない。世界中の人から唾棄されるべき存在でも、私にとってキャムレンさんは……。
「俺の事を好きだ、と言ってくれたのに?」
「好きですよ」
「……ノエルは、悪女だ」
もしキャムレンさんが殺人犯じゃなくても、誰かがペルカ家の彼を陥れようとしている。
その人は、私の情報をお母さんに渡している。その人からも、逃げないと。
ペルカ家のキャムレンさんを守るためにも、フィンドレーを離れなきゃいけない。
また、何もかも捨てて。
大人のくせに泣きそうになっているキャムレンさんの頬に、キスしてあげた。
「今まで楽しかったです。この指輪を見たら、キャムレンさんの事を思い出しますね」
「ノエルを一人にさせたくない。俺も行く」
「駄目です。跡取りのキャムレンさんは、ティフィン以外の所には、行けないんでしょ?」
左頬にもキスしてあげた。それから、鼻の先にも。
「貴族って、大変ですね」
「ペルカ家を捨てることは出来ない。逃れられない運命なんだ」
ロマンチックな物言いに、少し笑ってしまった。
キャムレンさんのそういう所、本当は凄く好き。
「思い出、作りますか?」
キャムレンさんの身体がビクリと跳ねたので、押さえつけるように手を重ね、唇を塞いであげる。長い指が躊躇いながらも動くと、とうとうキャムレンさんは泣き出してしまった。
「思い出なんか、いらない」
潔癖なキャムレンさんは、手を払いのけると私を一人にした。
書斎から泣き声が聞こえてきて、タワーマンションでも壁って薄いんだなあ……と、ぼんやりと思いながら、瞼を閉じた。
別れ話を切り出した翌日、目覚めるとキャムレンさんは、もういない。
いつもより、一時間も早く家を出て行ったらしい。私と顔を合わせるのが気まずいからって、朝御飯を抜くのはどうかと思う。エネルギー切れで気分が悪くなってないと良いけど……。
キャムレンさんの事が気になるけど、私はいつも通りに過ごす。
朝食、家事、ヨガ、夕食準備。
最後だから、キャムレンさんが「いつも美味しいけど、これは特に美味しい」と、褒めてくれた料理ばかりを作ってあげる。私がいなくなった後も、一人で淋しい夕食ではなく、美味しいと思いながら食べて貰えるように。
オーブンに煮込みハンバーグを入れてタイマーをかけたら、時計の短い針はいつの間にかてっぺんを越えている。
そろそろ『手紙』を探さないと。
まだ探していない場所は、玄関とキャムレンさんの書斎だけ。
玄関ドアの横には扉があって、そこを開けると傘や靴、どこに使うのか分からないネジが置いてあった。
キャムレンさんは靴が入ってた箱を捨てれない性格なのか、中身のない箱が積まれている。
捨てちゃえば良いのに! 場所だけ占領して、なんの役にも立ってないんだから!
私は中身のない箱を一つ一つ開け、箱が積まれている順番が狂わないように元に戻す。
箱を開けても靴を包んでいた薄紙や小さな乾燥剤の袋ばかりで、半分諦めかけていたら、下から三番目の箱に何かが入っていた。
手に取ってみると、それはジップロックに入れられた、サラリーマンが仕事中に首からぶら下げる名札ホルダー。
なんで空の靴箱の中に、こんなものが?
本来であれば身分証を入れる柔らかいビニールの部分に、コピー用紙が折りたたんで入っている。深く考えずにジップロックから名札ホルダー取り出し、紙を開いた。
『 キャムレン・オーウェン・ペルカ様へ これが、愛。 』
なにこの手紙……。手紙? 『手紙』だ!
心臓が激しく叩き付け、喉に不快感が迫ってくる。
身体の毛穴が全て開いたような気持ち悪さに、大きく身震いをした。
もう一度文字を目で追い、声に出してみる。
「キャムレン・オーウェン・ペルカ様へ……。これが、愛。……愛?」
何度口にしても、理解が出来ない。愛を語っているから、ラブレターにも見える。
コピー用紙に印刷された文字に筆跡なんてないし、裏を捲っても送り主の名前は、どこにも書いてない。
指紋が残っているかも知れないけど、警察にこの手紙を提出する気はなかった。
殺人事件の証拠としては弱すぎるし、ストーカーからの手紙です、と相談をしてみても、指紋鑑定までやってくれるはずがない。
それにキャムレンさんが隠しているのなら、何か意味があるはず。
名刺ホルダーに手紙を戻そうとすると、ホルダーの紐が汚れていることに気が付いた。
青い紐は、所々赤黒く汚れている。
赤黒いシミは、生理中にうっかり下着を汚してしまったような色合い。
「これって、もしかして……血?」
エマの血だ!
エマの!
衝撃と痛みを伴った興奮に身を震わせながら、喉の奥で唸る。
少し舌っ足らずのサラさんの声が、頭の中で再生された。
『紐で首を絞められたのは、言わないんだね』
私は、この目でしっかり見た。
ナイフが胸に刺さり、首に紐が巻き付けられたエマを。
それを事情聴取で警察に、ブライアンやサラさんにも話した。
でもワイドショーは、刺殺のことばかり報道する。
エマの首を絞めた紐は、ここにある。
第一発見者のキャムレンさんの家に、隠してあった。
いつ盗んだんだろう。私もその場にいたのに。
他殺体を見たショックで泣きじゃくってたから、見えてなかったのかな。
「エマに近寄って、手紙を見つけて……」
私がキャムレンさんだったら、どう思う?
他殺体に自分宛の手紙があったら? 犯人だと疑われる?
違う。
手紙はキャムレンさん宛だから、キャムレンさんがエマを殺してない、と思われる可能性は高いけど……。
五百年前。ペルカ伯爵が加虐的な欲望のために、大勢の村人達を殺害したフィンドレーで、またペルカ家の名前が絡んだ殺人事件が起きたら。
常識では考えられないほどのコネクションがある貴族でも、センセーショナルな事件に不幸の蜜が滴れば。
ペルカ家は、マスコミの餌食になる。
「だから咄嗟に盗んだのね」
『高校四年生。アルバイトのバーテンダー』と、『お医者さん』の言うことなら、誰だってお医者さんの言葉を信じる。
思い起こせば、キャムレンさんの事情聴取は、私より短かった。
紐なんてなかったです、と言えば済んでしまう。
ついでに「彼女は取り乱していた」「絞殺時に付いた紐状のアザを、紐だと見間違えたのでは?」と、蘇生を試みたお医者さんに言われたら……。
警察は、エマの首を絞めた紐は、犯人が持ち帰ったと思ってるはず。
何故、すぐ捨てなかったの? 罪悪感から?
それとも犯人が捕まった時に、手紙のことを追求されても言い訳できるように?
理由は……両方かなあ。
タイマーが忙しなく鳴り響き、キッチンへ戻ると、煮込みハンバーグは完成していた。オーブンを開けハンバーグに串を通してみると、じゅわりと肉汁が湧き上がってくるので、良い感じに焼けた。
リラックス効果があるハニーラベンダーティーを淹れると、ソファーに深く座りながら、もう一度考えてみた。
手紙を見なくても、言える。あの短い文を、もう覚えてしまった。
「これが、愛」
大学生の女の子を殺すことが、愛?
でもエマはブライアンに夢中で、キャムレンさんには興味がなかった。
パフェを食べに行った夜。キャムレンさんは、俺に手紙を書いたか? と、私に聞いてきた。あの時は意味が分からなくて、「住所を知りません」と答えたけど……。
あれは、遠回しに何度も確認されてたんだ。殺人犯は、ノエルか? って。
えー、やだなあ。私って、そんなにヤバイ人に見える?
スパイ映画並みに店を脱出しないと、シャッターが閉まった店内から外には出られないって説明したのに。
でもキャムレンさんの気持ちは、痛いほど分かる。
好きな人を疑い続けるのって、疲れるし、つらい。
だから確認したかったんだ。私の口から、聞いておきたかったんだ。
私の愛は、女の子を殺すことじゃない。
ペルカ家のキャムレンさんと、ブライアンの婚約者サラさんを守るために、キャムレンさんと別れて、知り合いが一人もいない土地に引っ越すの。
大好きな人の、大切なものに、傷が付かないように。
「これが、私の愛」
キャムレンさんは、殺人犯じゃない。
失った大切なものを取り戻せたような気がした。




