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わたしの愛②

 博物館を出た後、浜辺を歩く。昼夜で寒暖差が激しいけれど、一月でも海水浴が楽しめる避寒地フィンドレーのビーチでは、日光浴を楽しむ人で混雑していた。


 石灰石の砂はサラサラで、海はエメラルドグリーン。

 ビーチには際どいビキニを着た観光客が燥ぎ、ココナッツが波に弄ばれていた。

 日没を迎えそうなオレンジの空に、雲はゆったりと流れている。


 パンプスを脱いで裸足で砂浜を歩くと、寄せては返し飛沫を上げる波に、ワンピースの裾がさらわれる。暖かい南風が吹いて、私の前髪を掻き上げてくれた。


 心の底から、呟いた。


「気持ちいい……。来て良かったです」

「気分転換になったか?」


 頷くと同時に、引き潮でよろける。キャムレンさんは、肩に腕を回して、私を引き寄せた。


「実を言うと、ビーチに来たのは半年ぶりなんです」

「俺も数年ぶりだ。観光地に住んでると、混んでるから行かないよな」


 ふっと表情が柔らかくなり、キャムレンさんの頬がすり寄ってきた。自然と瞼を閉じると、耳元で「ノエル、好きだ」と囁かれ、唇が重なる。


 ロマンチックすぎて、心臓が爆発しそうだった。


 うわーっ! 夕陽が落ちるビーチでキスするなんて、恋愛映画っぽい! の感想しか出てこなくて、濃厚なキスと貧相なボキャブラリーに、頬が羞恥で染まった。


「外でこういうことするの、恥ずかしいです……」

「大丈夫、誰も見てない」


 キャムレンさんはそう言って、もう一度キスしてくる。


「怖がりのノエルは、拷問器具に悲鳴を上げて、抱きついてきてくれると思ったのにな」

「あんなに混んでたら、怖くないですよ」

「……ノエル、俺達しかいなかったぞ」

「や、止めて下さいよ! 寝れなくなっちゃうじゃないですか!」


 暴力は悪い事だけど、バシッと音がするほどキャムレンさんの腕を叩いたら、愉快そうにゲラゲラと笑い出す。


「からかわないで下さい! 幽霊なんていません!」

「いない? 本当に? いるんじゃないか? 昨日も病棟の看護師が、誰もいないはずの病室からナースコールが鳴るって怒ってたぞ」


「な、なんで看護師さんは怒るんですか?」

「幽霊が、仕事の邪魔をしてきたからだろ?」


 白衣の天使は、マリアさんのように美しくて穏やかで優しいと信じてたのに、ガラガラと音を立ててイメージ像が崩れていく。看護師さんって、もしかして怖い人なの……?


「キャムレンさんも、幽霊がいると思いますか?」

「いる……ような、いないような。どちらかと言えば、いる……?」


「どっちですか? ハッキリして下さい」

「おや? と思うことは多々ある。執刀してたら背中に寄りかかってくる奴がいて、術中なのに不潔になるだろ! と思って振り返ったら、目の前で横たわってるはずの患者さんが、不思議そうな顔で俺を見てた」


「ひゃあぁぁ~~! その患者さんは、死んじゃったんですか?!」

「いや、生きてる。一瞬だったし、長時間のオペで疲れてたんだろ。俺はそう思うことにした」


 そうだ、幽霊! きっと幽霊だ。

 ペルカ伯爵の幽霊が、キャムレンさんの身体に乗り移ったのかも!

 だからキャムレンさんは、瞳の色が琥珀色に変わるんじゃない?


 キャムレンさんの前世云々の話より、よっぽど現実的な気がしてきた。

 悪霊になったペルカ伯爵を退治するには、やっぱり教会で聖水を貰ってくるべき……?

 でも『手紙』のこともあるし、まだ退治しない方が良いのかなあ。


「ノエル。ここは、『きゃー、幽霊怖いです』って、俺の胸に飛び込んでくるところだろ?」

「妄想を口にするの、止めて下さいよ。何度も言いますけど、聞いてる方が恥ずかしいんです」


 そうは言いながらも、キャムレンさんの胸にしがみついて、足の指に力を入れてつま先立ちになった。背伸びをしてもキャムレンさんの唇には届かなくて、顎を上げている最中に引き潮で足元の砂が崩れる。キャムレンさんは私を抱き上げ、いっぱいキスしてくれる。


「ペルカ家は、ティフィン城の中にある教会で結婚式をするのが習わしなんだ」

「お城? やっぱり貴族って凄いですね」


「ノエル、結婚しよう。今世こそノエルにウェディングドレスを着させないと、胸を掻き乱される焦燥感はなくならないんだ」

「あ、また前世の話をするんですか? 油汚れみたいに頑固な妄想ですね」


 笑って誤魔化そうとしたけど、キャムレンさんは真剣な顔で続ける。


「結婚しよう。はい、と言うまで降ろさないからな」

「ええっ?! こ、困ります」


「可愛いノエルを海に放り投げるのは可哀想だから、やめとこう。でも『はい』と言わないなら、このまま抱きかかえながら駐車場まで行くぞ。それでもいいのか?」

「恥ずかしいから、絶対に止めて下さい!」


「なら、結婚しよう。俺の事、嫌いか?」

「き、嫌いじゃないけど……でも。……もうっ! 困るから本当に止めて下さい」


 熱心にプロポーズされて、顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいけど嬉しい。

 だけど、『手紙』の事を隠してるキャムレンさんと、確固たる信頼関係を築けてないのに、結婚なんて無理。


 自分の事も信用できなかった私が、お母さんと決別することで、やっと前を向き始めたばかりなのに……。


「まだ十九歳ですし、結婚なんて早いです」

「成人してるだろ?」

 ちゅ、と唇を吸われた。


「だって、付き合い始めたばかりだし」

「けど、もう同棲までしてる」

「それは、お母さんから隠れる為であって、んっ」

 甘やかなキスで、言葉は終わってしまう。


「キャムレンさんの事、まだよく知らないのに」

「もう十分知っただろ? なんのためにペルカ伯爵博物館に来たと思ってるんだ。ペルカ家のことを学んだだろ? 俺と結婚したら、ノエルはいずれ、伯爵夫人になれるんだぞ」

「私、貴族になりたいと思ったことないですよ」

 霧雨のように柔らかくて、終わりのないキスが降ってくる。


 迫り来る夜が、キャムレンさんの痩けた頬に一層の闇を生む。三日月のように歪んだ青緑色の瞳が、夕陽の最後の光を受けて輝いていた。


 意地悪にキスされ続けると、酸欠で頭がボーッとしてしまう。


「唇が痛いです、もう止めて下さい。キャムレンさん、降ろして下さいよぉ」

「やだね、止めない」


 キスの合間に押し問答を繰り返す私たちに、鶴の一声が飛んできた。


「キャムレン、何やってるのよ」


 ビーチチェアで日光浴していた赤いビキニを着た女の人が、ムクリと起き上がった。

 てっきり観光客だと思ったのに、キャムレンさんと同い年ほどのその人は、サングラスを外すと、大きな欠伸を一つ。化粧をしていない顔をガシガシ擦り、ボブカットの髪から寝癖がぴょこぴょこと飛び跳ねている。


「女の子の嫌がることしちゃ駄目って、教えなかったっけ?」

「アロンザ!」


 キャムレンさんの驚愕の声を聞きながら、羞恥に顔を伏せた。


 キャムレンさんの嘘つき……。 誰も見てないって言ったくせに。


「イチャイチャしてるカップルが来たな~と思ってたら……。知り合いだったから見ないふりしてたけど、ちょっとコレは見過ごせないわよ。キャムレン、貴方、強引すぎない? 押せば良いってもんじゃないでしょ、彼女が本気で嫌がってるのに」


 勝気そうな釣り目を、さらに釣り上げながらキャムレンさんに歩んでくる。観念したキャムレンさんは、やっと私を降ろしてくれた。


「アロンザ、誤解だ」

「何が誤解よ。最初から聞いてたわよ」


 際どいビキニ姿で腕を組むと、胸の谷間がより強調される。むっちりとした肉感のある身体は、ものすごくセクシーで視線が定まらず、ふわふわしてしまう。


「私だってね、たまの休日は恋人とイチャイチャしたいな~とか思うわよ。いないけど! でも僻みで注意してるんじゃないからね! 相手の反応をちゃんと見ろって言ってるの! 自分がしたいようにするんじゃなくて、相手に歩み寄るの! それが、付き合うってものなのよ!」


「……アロンザにも、早くいい人が出来ると良いな」

「ちょっと! いらないから、そういう歩み寄りは!」


 アロンザさんはキャムレンさんの顔面めがけ、人差し指を突き出す。あまりにも勢いがあったので、目潰しでもするのかと思った。


「自分勝手な行動は嫌われるからね。覚えときなさい」


 言い返すかと思ったのに、キャムレンさんは、ばつの悪そうな顔をしながら小さく頷く。

 ここまで言いたいことが言い合える関係は、一つしかない気がした。


「一緒にエレベーターに閉じ込められた元カノ……?」

「違うっ!」

「絶対に嫌っ!」

「す、すみません」


 二人の勢いに、思わず謝ってしまった。


「アロンザとは、ポリクリのグループが一緒だったんだ! 同じ釜の飯を食った仲なんだ。絶対に男女の関係じゃないからな! 俺を信じろ、ノエル」

「は、はい……」


 ポリクリって、なんだろう?

 素朴な疑問が湧いてきたけど、キャムレンさんが必死すぎて聞ける雰囲気じゃない。


「ノエルちゃんよね? 私はアロンザ。宜しくね」


 そういえば……。クローゼットの奥に隠してあったキャムレンさんのメモに、『唯一の女友達、アロンザ』と、書いてあった気がする。

 この人が、キャムレンさんの女友達かあ。


 腑に落ちたのと同時に、キャムレンさんに黙ってメモを読んでしまった事が後ろめたくて、素っ気ない挨拶を返してしまった。


「あー、人の彼氏に『絶対に嫌』は、失礼だったわよね。ごめんね。私、自分より細い男には、ときめかないの。だから安心して」


 そう言うアロンザさんは、むっちりしてるけど決して太ってないし、キャムレンさんよりは細い気がするけど。

 どう反応して良いのか分からず、くるみ割り人形のようにカクンと顎だけで頷いてしまった。


「ノエルちゃんは、人見知りなの?」

「ちょっとだけです」

「可愛い~、まだ十代だもんね。肌の張りが違うわあ」


 アロンザさんが私の腕を触ろうと手を伸ばすと、キャムレンさんが声だけで制した。


「ノエルの素肌に触るなよ。俺だって我慢してるんだぞ」


 初耳だったから、悲鳴を上げてしまいそうになった。


「や、やだ……! キャムレンさん、キモチワルイです!」

「うっ、わ。なにそれ! 気持ち悪ーい」

「俺、そんなに変なこと言ってるか?」


 ケタケタと特徴的な笑い声で、アロンザさんの胸が揺れている。

 キャムレンさんの周りにいる女性って……巨乳すぎない?


 優しくて絶世の美女の看護師マリアさんと、セクシーで姉御肌の女医アロンザさんだなんて、ちょっとしたハーレムじゃない。

 モヤモヤしていると、アロンザさんは、私の腕を掴んだ。


「ガールズトークしようよ! ね、いいでしょ? ちょっとだけだから!」

「え? あ、はい」


 この強引さ、なんだがキャムレンさんに似てるなあ。

 置いてけぼりされたキャムレンさんは、諦めたように肩をすくめ、一人で波と遊び始めた。

 ビーチチェアまで連れて行かれると、アロンザさんはバックを漁りながら質問をしてくる。


「ねえ、ノエルちゃん。キャムレンは、仕事のことで何か言ってる?」

「何かって、なんですか?」

「トラブルに巻き込まれた、とか」

「そういう話は、聞いたことないです」

「ふーん、そっか」


 アロンザさんは、咥えた煙草に火を付けた。私の周りで煙草を吸う人は、ブライアンしかいない。煙草の箱を見るとブライアンが吸っている銘柄とは違うけど、懐かしくて流れてくる煙を胸に吸い込んだ。……うえっ。やっぱり煙草は、好きになれない。


「まあ……キャムレンは、そういう男だよね。暗躍して、ノエルちゃんを守っているつもりなんでしょ。お姫様を護衛する騎士気取りよね~。なんせノエルちゃんは、運命の人。前世で恋人だったわけだし?」

「あ……。キャムレンさんは、アロンザさんにも妄想を口にしてたんですね」


「私だけじゃないよ。医局の皆が知ってるし」

「みんな?!」


 皆って、何人に?! 


「同期に、ルーカスって男がいるの。そいつ、どういうわけかキャムレンが大っ嫌いなんだけど、凄く執着してるのよ。嫌いなら、無視すれば良いのに」

「キャムレンさんに、嫌味を言ってくる人ですか?」

「知ってるの?」


 一つ大きく頷く。


「顔は見てませんけど、一回ばったり会って……。キャムレンさんに喧嘩売ってました」

「向こうは、ノエルちゃんの顔を知ってるの?」

「知らないと思います。……多分」

「それは、不幸中の幸いね。ルーカスは、問題を起こして停職中なのよ」

「問題?」


 アロンザさんは煙草を深く吸うと、目を細めながら紫煙をふーっと吐く。


「医局で発狂したのよ。キャムレンに『殺される前に、殺してやる』とか、『お前が一番大切にしてるものを、壊してやる』って怒鳴って暴れてさ。止めに入ったオルソは殴られるし、外科部長のパソコンは壊れたし……。キャムレンが一番大切にしてるものってさ、それって、ノエルちゃんの事でしょ?」


「えっ?! ……やだ、怖いです」


 知らないうちに恨みが伝染してターゲットになってるなんて、考えたこともなかった。

 お母さんは私を連れ戻そうとフィンドレーにいるし、ルーカスさんからはキャムレンさんの彼女だというだけで恨みを買ってしまっている。私の情報をお母さんに伝えている人だって、未だに誰だか分からないのに……。


 早く引っ越さないと、命さえも危険な気がしてきた。


「私たちは、医学部の実習グループが一緒だったのよ。ルーカスがキャムレンに嫌味を言って、オルソが場を和ませて、私はルーカスを蹴っ飛ばして。ディビットは、いつも皆を笑わせてくれた。個性は強いけどバランスがとれた五人だったから、実習は

大変だったけど凄く楽しかった。本当に最高のグループだったのに。ルーカスは、確かに昔から嫌味な奴だったけど、あんな事をする奴じゃなかった。……ノイローゼ気味になっちゃうなんて」


 目尻貯まった涙を、グイッと手の甲で拭う。


 楽しかった思い出を言葉にしたせいか、煙草の煙が目に入ったせいなのか、私には分からなかった。


「こないだの大学生が通り魔に殺された事件、貴方たちが第一発見者になったんでしょ? ルーカスが言うのよ。『キャムレンが犯人だ、俺には分かる』『証拠の手紙を隠してる』って。やばすぎでしょ。エビデンスが全くない暴言を、職場で吐いちゃうのよ」


 ルーカスさんも『手紙』の存在を知っているの?!


 キャムレンさんが『手紙』を隠し持っていることを知っているルーカスさんが、キャムレンさんを疑っている。


 まさか、キャムレンさんがエマを……?


 信じがたい疑惑が、暗雲のように広がっていく。強風で吹き飛ばしたかったけど、一度疑ったら、もう止められなかった。


 アロンザさんのブラウンの瞳が、動揺する私を射る。


「ノエルちゃん、ルーカスに気をつけて。絶対に近づいちゃ駄目よ」


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