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アダージェットの戦慄⑧

十六時間の当直の後に普通に働くのって、絶対に労働基準法に違反してると思う。だけどキャムレンさんが言うには、お医者さんは関係ないんだって。そんなの、あり? 

 二日ぶりに帰ってきたキャムレンさんは、いつも通りだった。


「お帰りなさい」

「ただいま、ノエル」


 玄関まで出迎えた私を、しっかりと抱きしめる。

 シャワーを浴びる時間がないほど忙しかったのか、キャムレンさんはちょっと匂った。だけど気にならない。むしろ良い匂いだと思っちゃう。……私って、変態なのかも。 


「今日は、どうでした?」

「夜中に運ばれてきた酔っ払いが大変だった。硝子窓を突き破って、酩酊してるから受け身をとれず倒れたんだ。前歯が折れてるし、硝子の破片が刺さ」


「も、もういいです! 怖いです!」

「オルソもノエルも怖がりだなあ」


「オルソさんも?」

「学生の時、血を見て気絶してた。あの巨漢に押し潰されて、窒息するかと思ったぞ」


 こんなふうに。そう耳元で囁いた後、キャムレンさんは息継ぎが出来ないほど大人のキスをしてきたので、両手でキャムレンさんを押し返した。


「そういうことを急にされると、困っちゃいます。どうしたらいいのか、分からなくて……」

「俺も困ってる。幸せすぎて、身体が勝手に動くんだ。ふとした瞬間にノエルのことを思い出して、叫びたくなるのを我慢してるんだぞ」

「仕事中は集中して下さい。そのうち、医療ミスしちゃいますよ」


 リビングに行くと、動かされたソファーを見てキャムレンさんは言う。


「模様替えをしてたのか?」

「ちょっとだけですよ。テレビが遠いな~と思って」

「ふーん。まあ、ノエルの好きにして良いぞ。俺には、インテリアのこだわりはないから」


 ちらりと、青緑色の瞳が動く。今通ってきた廊下を、一瞬だけ見ていた。


 キャムレンさんは、当直からの日直で忙しかっただろうけど、私も大変だった。

 私が黙って病室を後にしたから、お母さんはブライアンを呼び出して怒り狂った後、泣きついたらしい。ブライアンは、仕方なしにアノ人の葬式の手続きを手伝ってる。そこまで面倒見る必要ないのに。自分のお兄ちゃんの元嫁だからって……。


 ブライアンが盾になって私を守っている間、引っ越さないといけない。

 お葬式が終わったら、お母さんは、また私を探すだろうから。

 だけど、目の前に積まれた問題を放り投げて逃げれなかった。



『手紙』



 最初は、何のことか分からなかった。

 エマが殺された夜と同じように瞳が琥珀色に変わったキャムレンさんは、私に『手紙』を探せと言っていた。


 殺人事件の話をしながらパフェを食べた夜。

 キャムレンさんは、私が『手紙』を送ったと思っていたみたいだった。


 『手紙』は、事件に関わってる? 

 誰が『手紙』をキャムレンさんに送ったの?

 そもそも『手紙』って、本当に手紙の形をしているの?

 キャムレンさんは、『手紙』を捨ててないの? まだ持ってる? どうして隠してるの?

 捨てたらマズイって、思うのは……なんでだろう。


 先週、一気見した刑事ドラマシリーズのトリックを思い出しながら、キャムレンさんを試してみたけど、やるだけの価値はあったみたい。


 隠し場所を、無意識に見てしまう。


 ドラマの刑事さんが言うには、それは人間の本能らしい。

 書斎に隠してあると思ったのに、違ったみたい。


 青緑色の瞳は、廊下を見ていた。


 その先にあるのは、玄関、浴室とトイレ、私が使わせて貰ってる部屋。

 就寝と更衣だけの部屋になっているけど、そこに『手紙』を隠してあるとは思えない。

 まだリビングの半分しか探してないのに。『手紙』を探すのは、時間がかかりそうだなあ。


「ノエルにアクセサリーをプレゼントしたいんだが、今度一緒に買いに行かないか?」

「誕生日でも、記念日でもないのにですか?」

「俺がしたいから、そうするんだ」


「我が儘だなあ。でもいいですよ、シンプルなデザインなら邪魔にならないと思いますし」

「あまりシンプルなものはなかったが、探してみるか」


 そう言って鞄から取り出したのは、ブライダルリングのパンフレット。


「ええっ? それは、アクセサリーというか……結婚指輪じゃないですか?」

「まずは、婚約指輪だろ。そのくらい俺だって知ってるぞ」

「いや、そうじゃなくって」


 結婚なんてまだ考えられないと何度も言ったのに、キャムレンさんはパンフレットを勝手に取り寄せ、見るだけでも良いからと私に押しつけてくる。その強引さに空いた口が塞がらないけど、段々とその気になってしまう自分の単純さに呆れちゃう。


「キャムレンさん、変なこと聞いても良いですか? 瞳の色、時々変わりません?」

「また変わってるか?」


 ごく普通に返されて、なんと言って良いか分からず、小さく頷く。


「疲れてる時に、瞳の色が薄くなると指摘されたことはあるぞ」

「え……、誰にですか?」

「誰に? 皆にだが?」


 体調によって瞳の色が淡くなったり濃くなる人もいるけど、私は変化しない。だけど、体質や体調の変化だというには、余りにも色が違いすぎる。


 それに、琥珀色のキャムレンさんは、いつものキャムレンさんじゃない気がする。拭えない違和感があるからこそ、最初に二重人格を疑ったんだから。


「その時、性格が変わりません?」

「横柄になるらしいが……疲れてるからな」


「記憶、ありますか?」

「さっきからなんだ?」


 寝不足のキャムレンさんは少し面倒くさそうな顔をしながら、私が奥から持ってきた下着とパジャマをひったくると、浴室に消えて行った。


 確かに疲れてる時のキャムレンさんは、横柄だ。だけど、労働時間を知ってるから許してあげた。シャワーを浴び終わったら、謝ってくるだろうし。


 ブライダルリングのパンフレットには手を付けず、リビングのピアノ上に置かれた楽譜を手に取っていく。パラパラと乾いた音を立てながら捲り終えると、次の楽譜へ。


 シャワーの音を聞きながら、私は『手紙』をまた探し始めた。


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