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アダージェットの戦慄⑤

総合病院とタワーマンションの間に作られた臨海公園は新しく、何がモチーフなのか分からない現代アートの彫刻が置いてある。公園の駐車場から正門に向かうと、オルソさんとマリアさんは、私達を待っていた。


 オルソさんの横にいるマリアさんは、人懐っこい笑顔で私に話しかけてきた。


「久しぶりね、ノエルちゃん」

「あ、どうも……。こんにちは」


 美しさに一瞬たじろぐ。


 マリアさんはファーが付いたカシミアコートを羽織っていて、白いワンピースに細いベルトを腰に巻き、上品に胸の膨らみを強調している装いだった。しっかりメイクされているのに派手すぎず、赤毛はゴージャスにカールされていて、女の私でもドキッとする。リボンがついたサブリナシューズで、足元まで華やか。正しく、男受けするファッション。


 一方私は、ビックサイズのブラックパーカーとショートパンツにタイツ。いつ買ったのか覚えてない、薄汚れたハイカットスニーカー。


 マリアさんに比べたら、女らしさの欠片もない服で気まずい。


「キャムレン先生も……こんにちは」

「……ああ」


 キャムレンさんとマリアさんの挨拶に違和感を感じたけど、オルソさんは気が付かなかったみたい。オルソさんは、首と顎の境目が曖昧な上に乗った顔を傾げる。


「キャムレンから話は聞いてるよ、大変だったね。もう大丈夫なの?」

「まだ駄目なんです。ブライアンから、暫く帰ってくるなってメールが来てて」

「そっかー。どうしたら良いんだろうね……。ずっと家にいると、フラストレーションが貯まるでしょ? 今日は思いっきり遊んで、ストレス発散しよう!」


 頷きながら、レンタルの手袋とスケート靴を受け取った。


「キャムレンさん、スケートできるんですか?」

「北国ティフィンの生まれだからな」


 私が生まれ育った街も、フィンドレーでも雪なんて降らない。

 慣れた手つきで持参したスケート靴を履くキャムレンさんを見ながら、妄想してみた。


 冬の北国は、辛いだろうな。寒いの苦手だし。でも家に暖炉があるかも。薪を燃やす暖炉って、憧れちゃうなあ。暖炉の前にロッキングチェアを置いて、ゆらゆら揺れながら編み物がしたいな。編み物なんて、したことないけど。クリスマスの時みたいに、マシュマロが浮かんだ温かいココアを飲みながら、キャムレンさんとお喋りしたい。


 ほわほわと夢見がちに色んな妄想を思い浮かべ、シャボン玉を指で突くように消していく。

 だって、北国に引っ越して結婚なんて……。あまりにも現実味がなさ過ぎる。


「ノエル、まず膝を曲げて立ってみろ」


 スケート靴を履いていても、立つのなんて簡単。

 そう思ってたのに、重心の置き場が分からずふらふらする。つま先を開いて、足踏み。キャムレンさんの指示に従いながら、公園内にあるスケートリンクを眺めた。


 勘を取り戻しつつあるオルソさんの手を引っ張って進むマリアさんは、フィギュアスケートの選手みたいに煌びやか。


 よし、私も! と挑んでみたけど、一時間後にはスケートリンクの入り口から十メートル離れただけ。何度も転んで手もお尻も膝も痛い。普段使ってない筋肉が余すことなく使われ、絶対に明日筋肉痛だよ。


 それよりも辛いのが、優しくエスコートされると思ってたのに、まさかのスパルタ指導。

 初心者だと言ったのに、転んで覚えろって酷くない? 


 痛くて寒くて疲れて半ベソの私に、オルソさんが近寄ってきて助けてくれた。


「僕、疲れちゃったから休むよ。ノエルちゃんも一旦休もう?」

「休みたいです、休みたい!」

「もう休むのか? そんなんじゃ、いつまでたっても滑れないぞ」


 余りにも私の覚えが悪いので、段々と声に棘が出てきていたキャムレンさんは、嫌味を言うとジャッと氷を斬りつけてその場を離れた。ぐんぐん加速しマリアさんに追いつくと、スピードを保持したまま何か話しかけている。


 座って休みたくても、入り口まで一人で戻るなんて無理。ショートパンツのジーンズ生地越しに下着まで濡れてしまって、肌にまとわりついてて気持ち悪いし、少し匂うレンタルの手袋を外して柵にしがみつくしかない。


「あの二人、凄いね」


 オルソさんに言われて大勢の人が滑っているリンクでキャムレンさんとマリアさんを探すと、後ろ向きに滑りながらお喋りしている。明らかに上級者。


「あんなの無理……」

「そうだよね。僕も無理だよ」


 氷上をお尻で滑るペンギンになった私に、オルソさんは含みのある笑いを向けた。


「どうしてキャムレンと付き合わないの?」


 予想外の質問だった。もっと当たり障りのない会話をするもんだと思ってたから。


「キャムレンの家に住んでるってことは、生理的に嫌じゃないんでしょ? だったら試しに付き合ってみたら良いのに……と、僕は思うんだけど、どうかな?」

「でも結婚してって言われたけど、付き合おうとは言われてないです」

「ええーっ?! 言ってないの?!」


 豪快に笑い出したオルソさんの二重顎がぶるんぶるん震えてて、触ったら気持ちよさそう。


「キャムレンは『恋愛する意味が分からない』って、ずっと言ってたんだ。恋愛だけじゃなくって、誰かと心を通わせるって事に対して無関心で、本気で面倒くさそうだった。だけど変わったんだ、ノエルちゃんに会ってから。ねえ、あれ見てどう思う?」


 ぷにぷにした指で示された先には、キャムレンさんとマリアさんが手を繋いで滑っている。


 何も言えなくて眺めていたら、二人は私たちの前まで滑ってきた。止まり方も私みたいにお尻で止まらないで、エッジで氷を削っている。


「見てた? 久しぶりで不安だったけど、ちゃんと出来てたと思うの」


 息を軽くあげ、額から流れてきた一筋の汗を手の甲で拭ったマリアさんにヘルシーな美しさがあって、私は口を開けない。横にいるオルソさんが、胸の前で音のない拍手した。


「凄かったよ! あれ、なんて名前の技なの?」

「スロージャンプに似て非なる物だ。俺は断ったんだぞ、こんなに人がいるところでやったら危ないって」


 キャムレンさんは白けた顔で言うけど、まだマリアさんの手を握っている。


 どう思う? どうって……。


「よし、ノエル。やるぞ」


 スパルタレッスン再開に、ひえーっと情けない声が出たら、オルソさんがまた助けてくれた。


「基本のき、は教えたんだから、今度は滑る楽しさを教えてあげたら?」


 そうだな、と相づちを打ったキャムレンさんは私の両手を繋いで、氷上へ導く。

 引っ張って滑ってくれるので楽だと思ったのに、「腰が引けてる」「前を見ろ」「膝をもっと曲げろ」色んな事を事細かく言われて、全然楽しくない!


 子供っぽいけど頬を膨らませて意思表示すると、キャムレンさんはますます口喧しくなる。


「なんだ、その顔は。むくれても滑れるようになれないぞ」

「キャムレンさん、嫌い」

「自分が滑れないからって、俺にダメージを与えるな」


リンク外に戻っても変わらない険悪な空気に、オルソさんとマリアさんは、とにかく私たちを満腹にさせて機嫌を直す作戦を立てたらしい。家庭的なマリアさんは水筒に入れて持参した温かいお茶を配り、キャムレンさんは至極当然な顔をして耐熱紙コップを受け取った。


 ズズッと音を出しながらお茶を一口飲んで、熱すぎると文句を言うから、その無神経さにイライラする。せっかくマリアさんが用意してくれたのに、失礼すぎない?


 オルソさんの一押しのお店でテイクアウトしたサンドイッチが、テーブルに並べられた。


「ノエルは見かけによらず、大食いだぞ。これで足りるか?」

「あら、そうなの?」

「だってキャムレンさんが、いつも美味しいレストランに連れて行ってくれるから……」


 食い意地の悪さを、しどろもどろに白状してしまったのに、マリアさんはニコニコ笑ってる。


「ノエルの胃袋は掴んだんだ。あとは心だけだ」

「また変なこと言って……。私の胃袋を掴んだのは、レストランのシェフですよ」

「変なこと? 俺は本気だぞ」

「人前でそういう事言うの、止めて下さい。恥ずかしくないんですか?」


 このままだと喧嘩になると思ったのか、マリアさんが自然に話題を変えようとしてくれた。


「キャムレン先生は、教授に誘われてゴルフを始めたんですよね?」

「勧められてやってみたが、ゴルフが楽しいとは思えなかったけどな」


「キャムレンは、いつもそう言うよね。いい加減、趣味を見つけろって」

「でもキャムレン先生のご実家には大きなピアノがあるし、とても上手だったから、趣味はピアノじゃないんですか?」


「おい! その話はするな!」

「……待って。なんの話?」


 私も聞きたい。なんでマリアさんが、キャムレンさんの実家に行ったの?

 忌々しく舌打ちをしたキャムレンさんを見て、片手で口を押さえたマリアさんがしゅるしゅると小さくなっていく。


 オルソさんが目だけで「知ってた?」と聞くので、静かに首を横に振る。


「やましいことはなかったのよ、でも変に誤解されたら嫌だから話してなかったの。キャムレン先生と故郷が同じだなんて、初めて知ったんだから」

「そうだ。別に大した話じゃない。狭い田舎にありがちな、親が勝手にセッティングしたお見合いで会っただけだ」



 ガツンと頭を殴られた気がした。



「キャムレン! マリアも……。どうして僕に内緒にしてたんだよ!」

「大袈裟にしたくないから、黙ってただけだ」

「そうなの。本当に偶然で。私たちの親が勝手に話をつけて、断れなかったのよ。渋々行ってみたらキャムレン先生がいて……。私、ビックリしちゃった。本当にそれだけの話なのよ」 


 ブレッドに塗られたねっとりとしたクリームチーズと、生臭いサーモン。酸っぱいレモン香りが混じり、鼻孔から私の胃袋を蹴り続けている。


 一口も囓っていないサンドイッチを紙箱に戻した。誰もそれに気が付かず、責めるオルソさんに年末のお見合いは偶然だと弁解をしている。


 私は、ものすごく腹が立った。

 無視してやり過ごせる物じゃない。胃よりも低いところが、火がついたみたいに熱い。マグナのように波打つものが、暴れてる。全ての毛穴から蒸気が出たと思う。歯ぎしりしたい。

 この衝動を逃すために、手当たり次第に殴って噛みついて壊したくなる。怒りがこんなにエネルギッシュだと、私は知らなかった。


 毎日電話するって言ったくせに、スマホを忘れて音信不通だったキャムレンさんが、故郷でお見合いしてたなんて。


 私に「結婚しよう」って言ったくせに!


 さっきだって、マリアさんとばっかり楽しそうに滑って!


手だって、いつまでも握っちゃってるし!


 なんで私にはスパルタなのよ! 


「ノエルちゃん、大丈夫? ちょっと二人で話そう」

「え……。は、はい」


 オルソさんが、私の手を掴んで立ち上がる。オルソさんに手を触られて、自分の手がわなわなと震えていることに初めて気が付いた。キャムレンさんは私たちの手を恨めしそうに睨んでいるけど、自分に非があるのを自覚しているからか文句は言わない。


 自動販売機とベンチが並ぶ休憩所に着くと、オルソさんは手を離した。


「オルソさんも、お医者さんなんですよね?」

「うん、そうだよ。精神科の。……あ、もう解が分かったんだね」

「マリアさんとキャムレンさんを二人きりにして、本当に良かったんですか? ……私のせいで二人が気まずくなったらイヤだなあ、と思って」


「うーん。実を言うと、マリアはちょっと想像してた子と違うなあと思ってたんだ。ちょっと嘘つきだし」

「嘘つき?」


「うん、セッコ家がペルカ家の故郷を知らないなんて、絶対に嘘だよ。名門貴族同士、交流があるはずなのに。……まあ、僕たちに気を遣ってくれたのかな」

「そうかもしれないですね」


「それにね、手を繋いでる二人を見ても、僕はあんまり嫉妬出来なかったんだ。マリアは良い子だけど、皆に良い子で僕にだけの特別感がないって言うか……まあ、相性かな」

「別れちゃうんですか? マリアさん、綺麗な人なのに」


「確かに綺麗だけど、大事なのは相性だよ。残念ながら、僕とマリアは相性ぴったりではないね。結婚適齢期のマリアの年齢を考えれば、早めに別れた方が、彼女のためでもあるんだけど……。でも僕はまだマリアのことが好きだからさ、踏ん切りが付かなくって」


 とても大人に見えた。キャムレンさんと同い年なんだから当たり前なんだけど、俯瞰的に自分の感情と状況を判断するなんて、私には出来ないことだったから。


 これが人生経験の差なんだろうか? それとも恋愛経験の差?


「私はマリアさんとキャムレンさんが手を繋いで滑ってたのを見た時、泣きたいくらい悲しかったんです。でも同時に、もの凄く腹が立って。自分でも、ちょっと怖いくらいに」


「怒りの根源は、悲しみだからね。不安や淋しさや不甲斐なさが、怒りになって現れるんだよ」


 説得力があって素直に頷く。キャムレンさんが同じ事を口にしてたら、私はきっとまた怒ってたはずだ。その根源は……羞恥心。お見合いの話を聞いて、結婚生活を妄想して浮かれてた自分が恥ずかしくなった。


 恥じることは……いっぱいある。

 子供っぽい自分が嫌だ。素直になれない自分が嫌。こんなんじゃ、いつかキャムレンさんに愛想を尽かされちゃうかも知れない不安。綺麗なマリアさんに対する嫉妬。


 そんな事で悩んでる自分が情けない。弱い自分が嫌だ。


『ノエル、強くなれ』


 ブライアンが、いつも私に言ってた言葉を思い出す。

 でも、どうしたら強くなれるの?


「なんとなく、分かります。自分じゃ抱えきれない感情を、怒って発散するの」


 話してたら、涙が私の視界を邪魔してきた。最近の私は、涙腺が崩壊してばっかりだ。

 お母さんとアノ人に殴られても、決して泣かなかったのに。


オルソさんのカウンセリングのお陰で、怒りの炎は、涙で鎮火していった。


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