アダージェットの戦慄④
居候させて貰ってるんだから、掃除くらいしなきゃいけないと思って書斎のクローゼットを開けたら、偶然見つけてしまった。
クローゼットには、ハンガーに掛けられた服が並び、靴箱が一つ。
違和感を感じ、悪いことだとは思いつつも、靴箱を開けてみた。
箱の中身は、バー・オアシスのレシートの束。分厚い精神学の医学書、水族館のパンフレット、映画の半券。ショッピングモールや喫茶店、コンビニのレシート。
その全てに、日記のような走り書きがある。
キャムレンさんがメモ魔だって、知らなかった。
「名前はノエル! ノエル・ミラー! ノエル。幻想的で可憐な名前だ」
「さっき別れたのに、もう会いたい。ノエル、ノエル、ノエルに会いたい」
「店長とノエルの関係が怪しい。仲が良すぎる。もしかして、二人は付き合ってるのか? 聞くのが怖い。不安と悔しさで眠れなくなる」
「泣きじゃくるノエルを見て、交感神経の興奮。泣いた後に力なく微笑む彼女が、世界で一番美しい」
「やった! 振られそうで落胆していたが、ノエルとデートできる! (卑怯な手を使ったが)」
「調査報告書の意味が分からない。ノエルが、ノエルじゃない? 偽名? 」
「出張のお土産をどれにするか散々迷ってたら、飛行機に乗り遅れそうになった。結局、学会で久しぶりに会った母さんが『無難が一番良い』と言うので、アドバイスに従う。恋愛のアドバイス、貰えず。いい年して結婚相手を連れてこない息子に、イライラしていた。お菓子は美味しかっただろうか? 自分の分も買って、味を確かめれば良かった」
「一番大きいサイズのポップコーンを、全部食べられた。俺は一口も食べれず。見かけによらず大食いなのも、健康的で凄く魅力的だ。だが上映中、冷や汗が止まらなかった。ノエルは、同世代の男と恋愛がしたいのだろうか? 彼氏はいなくても、学校に気になる人はいるのか? ノエルは若い。横に座るノエルほどの若さを取り戻したいと思ったのは、生まれて初めてだ。映画みたいに、俺を好きだと叫んでくれる日は、来るのだろうか? 酷く落ち込む」
「悲哀に満ちた初デートだったが、最後に逆転! 何が良かったんだ? オルソの勧めてくれたホテルビュッフェか? アロンザ一押しの、クルージングバーか? 多分コレだ、唯一の女友達アロンザに感謝。幸福感で満たされ、涙が出そうだ。嬉しくて寝れない」
「別の探偵事務所に依頼するも、調査報告書の内容は同じ。ノエルは何者だ?」
「バー・オアシスの定休日。報告書を頼りにノエルが住むアパートへ行く。年季は入っているが、ごくごく普通の単身者向けのアパート。会えたら良いのにと思いながら、アパートの前にある公園のベンチに座る。会えず」
「父さんに相談して調べて貰うが、結果は一緒。ノエルは、ライバルの製薬会社が手配した企業スパイか? ペルカ家の没落を狙っているのか? 父さんがハニートラップじゃないか? と心配しているが、それにしては、ノエルは俺に興味がない。悲しいほどに。口を開けばブライアン、ブライアン」
「趣味は散歩と言い切れるほど、公園に行くようになった。ノエルを初めて目撃。今日は運が良い! コンビニで昼食を買っているノエル。オムライスとフルーツジュース。随分と子供っぽいチョイスだが、そこも可愛らしい。偶然を装って話しかけたかったのに、いざとなったら緊張して何も出来ず。同じ物を買って帰宅」
「偽名のノエルは、悪人か? ノエルが殺したんじゃないか? どうやって? 店長に近づく女を殺してる? 次は、婚約者のサラさんか? それとも、どちらかが共犯者か? シリアルキラー? 悩みすぎて、胃が痛い。俺は、ペルカ家を守らなきゃいけない立場なのに」
「日課の散歩。休日のノエルを目撃! 気が抜けた格好も可愛らしい。酔っ払いに卑猥な言葉をかけられていた。無視している彼女は、俺より大人だ。俺は、あの酔っ払いを殺してやりたくなった。あんなことがあったのに、不謹慎だとは思うが」
「あの事件のニュースを聞き、思い出した。どうして忘れてたんだ? 自分の思いを伝えるのに必死で、ノエルのことが見えてなかったせいだ。俺は馬鹿だ。悪い魔女から逃げてフィンドレーに来た、と言っていたから、証人保護プログラムじゃないか? それなら辻褄が合う」
「有名パティシエの店を、オルソに教えて貰った。甘党なノエルは喜んでいたけれど、横に並んで歩くと彼女の旋毛が気になって、上の空になってしまう。寒いと言ったのでブランケット購入。紳士的に振る舞いたいのに、愚かな俺は迷ったあげく、またノエルに嘘を言わす」
「ゲームセンターは、レシートが出ないことを初めて知った。景品の抱き枕を両手で抱きしめているノエルは、世界で一番可愛かった! 抱き枕に嫉妬。俺も家に連れて帰って欲しい」
「ノエルが腕時計を褒めてくれた。好きな人に好きな物を褒められるのは、良い気分だ」
「やっとノエルの秘密を知ることが出来た。俺に心を開いてくれてるようで、嬉しい。ノエルは、善人だ。良かった。ノエルをお嫁さんにしたい。俺と結婚して欲しい! 最高に可愛い。パフェは苦手だが、とても楽しかった。ルーカスは……書くのを止めよう。腹が立つから」
「恣意的な猫のように俺を振り回し、犬のようにすり寄ってくる彼女が愛おしい!」
「報われたい。こんなに好きなのに、どうして」
「オルソに『何かあったのか? 話なら聞くぞ』と心配されたが、何でもないと言って逃げた。唯一の親友に、隠し事をするのは初めてだ。計画の推進は順調だが、言えるわけない」
「ノエルがイルカにキスされて、嬉しそうだった。イルカになりたい。水族館のゆらゆらした光に照らされた横顔が、儚げで美しい。泳ぐ彼女は、きっと、もっと美しいだろう。また二人で来たい」
「彼女のトラウマを知ってしまった。きっと知られたくなかっただろう。だが、強烈に彼女を守りたい欲が出てくる。ますます好きになってしまった」
「俺の家にノエルが! 最高だ! 生きてて良かった! 生きるって素晴らしい! 今まで『こんな人生に意味は無い』と、薄らとした希死感に囚われながらも、この歳までダラダラと生きてしまっていたのに。俺がこの世に生を受けた理由は、ノエルに出会うためだったんだ! 生まれ変わって、死ぬほど幸せだ!」
……やっぱりちょっと気持ち悪い人だな、キャムレンさんって。
探偵を使うのもアレだな~と思ってたけど、待ち伏せってストーカー行為じゃない?
分厚い精神心理学の教科書には、もっと事細かに私の言動が書いてあった。どんな表情で、何を言ったのか……。なにこれ、私の主治医気取り? キャムレンさんの方こそ、精神科に受診してストーカーを治してもらいなよ。
私は全てのメモに目を通して、箱に入れて元通りにした。
一週間ぶりに、玄関のドアが開いた。行くときにはなかった紙袋を、キャリーバッグの持ち手に引っかけている。一週間経っても変わらないキャムレンさんの顔を見上げ、私は微笑んだ。
「ただいま、ノエル」
「キャムレンさん、お帰りなさい」
忘れていったスマホを受け取ると、私をそっと抱きしめてた。てっきり実家の事を一番に言うと思ったのに、変わり者のキャムレンさんは、前世の話をし始める。
「また出会えて良かった。俺はずっと、ノエルに会いたかったんだ。ロミオとジュリエットは死んで終わりだったが、俺達は生き返った。いや、生まれ変わった、と言う方が正しいのかもな。非科学的だが、転生した事例は世界中で報告されているし、あり得ない話ではない」
「キャムレンさんって、お姉ちゃんも妹もいないでしょ?」
「そうだ、一人っ子だ。……前に教えたよな?」
「はい。だからそんなに、ロマンチストなんですよ」
「嫌か?」
「…………ううん。大切に思ってくれて、ありがとうございます」
キャムレンさんの普通じゃない愛情を嬉しいと思ってしまう私も、ちょっと変わってる人なのかもしれない。
この一週間、キャムレンさんが走り書きしたメモを何度も読み直して、私はその度に泣いてしまっていた。
キャムレンさんは、変だけど……愛情がストレートだ。
真剣に好かれてる。情熱的に愛されてる。
そう実感すると、ぽっかり空いていた心の穴が、埋まるような気がした。
このままキスされてもいい、と抱きしめられながら思っていたのに、キャムレンさんは、とんでもない事を口にした。
「ノエル、スケートに行くぞ」
「え? ……はあ?」
「スマホを忘れたから、ノエルに連絡できなかったんだが、待ち合わせは三十分後だ」