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アダージェットの戦慄③

 シャワーの順番は、押し問答の末、被害の大きいキャムレンさんから。


 浴室から聞こえてくるの水音を聞きながら、リビングを見回した。


 時計と壁掛けテレビ。ソファーにローテーブル。ピアノ。

 隣接してるキッチンを覗くと、大きなエスプレッソマシーン。

 生活感の無さは、モデルルームみたいだった。……行ったことないけど。


 借りてきた猫のように大人しくソファーに座っていると、オールバックが濡れて崩れたキャムレンさんが浴室から出ていて、また変なことを言った。


「色々考えたんだが、やっぱり俺のシャツをパジャマ代わりに着て、『ぶかぶかです~』と言ってくれないか?!」

「なんの話をしてるんですか? キャムレンさんのジョーク、全然面白ないし、笑えないです」

「ジョークのつもりではないんだが……?」


 大人の余裕があってカッコイイ、それなのに運命とかロマンチックすぎる事を口走るし、奇妙な言動ばかりする。端から見たら隙のない大人の男で、でも笑うと意外とカワイイ。押しが強いのも、頼りがいがある。だけど、やっぱりキャムレンさんは、変わり者だ。


「でもなんでだろ? 全然、嫌じゃないですよ」

「それはな、ノエル。俺が前世からの運命の人だからだ」

「またその話をするんですか? いい加減、聞き飽きましたよ」


 シャワーを借りて出ると、パジャマ代わりに新品のTシャツがタオルの上に置いてあった。着てみると、随分と大きい。膝上ワンピースみたい。でも、このイラストは……?


「キャムレンさん。これは、サイズを間違えて買っちゃった服ですか?」


 テレビのリモコンとクレジットカードを持って、定額制動画配信サービスに会員登録しているキャムレンさんは、湯上がりの私を見て照れている。


「か、かわいい……! 想像以上だ! 破壊力が凄いぞ! 流石ノエルだ、着こなせてる!」

「このイラストの服を?」


「いや、その……。それは、オルソと喧嘩したときに買ったんだ。でもオルソの奴、このサイズも入らなかったから、引き出しの奥にずっと置いてあって……」


「だから、豚がトンカツ食べてるイラストなんですか? 喧嘩してたからって、これは酷いですよ。キャムレンさんって、意地悪なんですね。オルソさんは……」


 優しい人なのに、と言いかけて口を閉ざした。


 電話番号が漏洩した夜、私が電話番号を教えた人は二人。


 キャムレンさんとオルソさん。


 お母さんは『親切な人が教えてくれた』と言っていたけど、私がフィンドレーに隠れ住んでいることを伝えたのも、同一人物なんじゃない?


 オルソさんが犯人なら?


 お母さんが、私のお母さんと知らなくて、情報を与えてしまった? それとも、お母さんがオルソさんに「家出した娘に会いたい」と、泣きついた? 有り得なくはないけど、現実的じゃない。オルソさんとお母さんを結ぶ線に、見当もつかない。


 探偵を使って私を調べていたキャムレンさんが犯人なら、動機は完璧だ。


 お母さんは、アパートやブライアンの家の周りで、まだ私を探しているはず。キャムレンさんのマンションでジッと隠れていたら、絶対に見つからない。


 お母さんが、クリスマスに来たのも説明がつく。観光地フィンドレーのクリスマスは、ホテルは満室。半強制的に同棲を始めて、なし崩しの結婚が目的なら……。


 疑惑を含んだ視線に、キャムレンさんは誤解しながら慌てている。


「そんな目で俺を見るな、大丈夫だ。指一本触れない! いや、指は触れたい。手も握りたいけど……違う、違う! 俺は、ソファーで寝るから!」

「違いますよ、そういうことじゃなくて……。キャムレンさん、私にまた嘘ついてません?」


 私が順を追って推測を口にすると、キャムレンさんの目がキラリと輝いた。


「なるほどな、その手があったか! 思いつかなかったが、いいプランだな」


 不穏なことを口にするけど、首が傾かないから嘘をついてない。

 キャムレンさんは、電話番号漏洩の犯人じゃないみたいだけど、だとしたら誰が……?


 もう、分からない。


 BGM代わりにテレビから垂れ流している映画では、現代に突然姿を現れた肉食恐竜に、人々が逃げ惑っている。気になってソファーに座って濡れた髪を拭きながら見ていると、キャムレンさんは洗面台からドライヤーを持ってきて、私の髪を乾かしてくれた。


「ノエルが俺の家でくつろいでるなんて、夢みたいだ! さっきのプランを考えた奴は、俺達をくっつけたいんだと思うんだが、そういった人に心当たりはあるのか?」

「うーん、サラさんですかね。ブライアンは、貴族のキャムレンさんを警戒してるし」

「サラさんか……。正直、そこまで頭が回るようなタイプには、見えなかったけどな」


 サラリと失礼なことを言うけれど、キャムレンさんの職業が、なんとなくわかり始めていたので、言い返しはしなかった。


 いつも深爪。不規則なシフト制。

 大学受験。専攻。研修。ロジカルな思考。

 ペルカ製薬会社。


 クイズのヒントは、沢山あったはずなのに思いつかなかった。


「キャムレンさんは、薬剤師さんですよね? 実家は、ペルカ製薬会社ですか?」

「お、良い所をついてきたな。だが、ハズレだ。ペルカ製薬会社は、創業者一族経営をもう止めたんだ。ノエルが生まれた年に、薬害裁判があっただろ? 知らない? そうか、俺は高校生だったけど、ノエルはまだ赤ん坊だもんな……」


「落ち込まないで下さいよ、仕方がないことなんですから」


「ペルカ製薬会社は無関係だったが、ライバル企業が傾き、あっという間に外資系に乗っ取られたのを見て、ペルカ家は舵を切ったんだ。賢明な判断だ。貴族の傲慢さがあると、日々進化する薬学に追いつけないからな。でも安心しろ、ノエル。俺はペルカ製薬会社の大株主だ」


 なにをどう安心したら良いのか分からないけど、クイズはまだ終わっていない。


「じゃあ、お医者さん?」

「ご名答。家業は、ペルカ製薬会社が設置した企業立病院。田舎に帰ったら、次期院長のポストだ。正解者には、ダイヤモンドの婚約指輪をプレゼントだ!」

「……キャムレンさんが、お母さんに住所をバラしたんじゃないですか?」


 笑って否定するキャムレンさんの首は、やっぱり傾かない。


 キャムレンさんの言うとおり、お母さんに私の情報を伝えている人物は、私とキャムレンさんが付き合って欲しいんだろうか? キャムレンさんと私が結婚して欲しいの?


 今聞いた話だと、キャムレンさんには無意識下の敵が多い。


 ペルカ製薬会社の大株主。

 院長の椅子に、いずれ座る一人息子。

 ペルカ伯爵の御子息。


 キャムレンさんは、恵まれている。本人は、そうは思わないだろうけど……。


 いずれにしても、どこを見ても周りは敵だらけだと思った方が良い。

 庶民の……それも、立派な家庭環境で育ったとは、嘘でも言えない私とキャムレンさんの結婚が犯人の望みなら、答えはスキャンダルからの失脚だ。


 キャムレンさんだって、それを理解してるはず。

 なのに、どうして手を繋いでくるんだろう。


「もしこの映画に自分がいたら、どうしますか?」

「ノエルと一緒に逃げると思うぞ。恐竜を倒すなんて、戦車じゃないと無理だろ?」


 他愛もないお喋りをしながら、キャムレンさんと一緒に、映画の行く末を見守る。すぐ傍に暴れる恐竜がいて生命が脅かされているのに、どうして暢気にキスなんかしてるんだろう? 走って逃げれば良いのに。


 ラブシーンで急にソワソワし始め、私の横顔を盗み見るキャムレンさんを無視して、映画に集中。いちいち反応してたら、私の心臓がもたないし。


 エンドロールが流れると、キャムレンさんは寝室に案内してくれた。

 リビングの隣にある小さな部屋は、寝室というより書斎。モダンな書斎にベッドが置かれている、と表現した方が合う気がする。


 他人の……それも、キャムレンさんがいつも寝ているベッドを見て、たじろいでいる私には気づかず、キャムレンさんはスリープモードになっていたノート型パソコンの電源を落とした。


「ちょ、ちょっと待って下さい! デスクトップの背景、私の写真になってませんか?!」


 キャムレンさんは首を傾けながら、パソコンを閉じた。


「さあ? 何のことだが分からないな」


 絶対に嘘! いつ隠し撮りされたんだろう? もしかしたら、探偵の調査報告書に写真が入ってたのかも。ドラマだと探偵が浮気現場を、プロ用のカメラで撮影してるもん。

 うんざりしている私に、キャムレンさんが、本気とも冗談ともつかない事を言う。


「ノエル。淋しくなったら、いつでも俺を呼べ。添い寝してやるからな」

「早く寝て下さい」




 キャムレンさんの匂いがするベッドで寝るのは、最初は緊張したけど、不思議と凄く安心できて、いつもより深く眠れた。朝、キャムレンさんの怒声で起きるまでは。


 声がくぐもっていて、何を言ってるのかは分からないけど、確実に怒ってる。


 書斎のドアを開けると、ベランダに出て電話しているキャムレンさんと目が合った。



 琥珀色?! ……あれ?



 片目だけ琥珀色になっていた気がしたけど、朝日のせいで見間違えたかな?


 通話を終えたキャムレンさんが、首を左右に振りながらリビングに戻ってきた。


「母さんと交渉したんだが、埒が明かない。どうしても実家に帰らなきゃ行けないんだ」

「親に怒鳴ってたんですか?!」


 寝起きなのに自分でも驚くほど、大声が出てしまった。


 お母さんに殴られて育った私には、親に怒りをぶつけるなんて考えたこともない。臆することなく意見が言える良好な親子関係を、変わり者のキャムレンさんが築いていたことにも、少なからずショックだった。


 キャムレンさんは、私の驚きとは少しズレた事を言う。


「そんな目で俺を責めるな。これでも年老いた親に対して、感情的だったと反省してるんだ」


 どうしても田舎に帰らなきゃいけないキャムレンさんは、私を残していくのが名残惜しいのか、玄関で何度も私を抱きしめてくれた。


「外は危険だから、ノックされても絶対にドアを開けるなよ」

「もう! 何度目ですか、それ。わかってますってば」


 キャムレンさんのマンションから一歩も出なければ、お母さんには見つからない。


 ……そういえば、お母さんの再婚相手のアノ人は、どうしたんだろう?


 毎日電話するよ。そう言って別れたのに、キャムレンさんが寝ていたソファーの隙間から、私のじゃないスマホが床に転がり落ちた。


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