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アダージェットの戦慄①

 自分でもビックリだけど、キャムレンさんとのデートは、既に十回目に突入していた。


 初めてのデートは乗り気じゃなかったのに、回を重ねる度にキャムレンさんのポジティブな考え方や恬淡とした性格、一途さに心が揺り動かされている。


 それに瞳の色が変わったのは、最初のデートだけ。


 もしかしたら私がドアスコープから覗いてるのに気が付いて、からかってたのかも知れない。瞳の色なんて、カラーコンタクトレンズで簡単に変えられるし。確認しようにも、今更って感じがして気が引ける。


 ショーウインドウに映った自分の髪を見ていたのに、キャムレンさんは私が新しいネックレスを欲しがっていると思ったらしい。サラさんから貰った金のネックレスがあるから、ショーウィンドウの中でどんなに輝いていても、欲しくなんかないのに。


「欲しかったら言うんだぞ、何でも買ってあげるからな」

「キャムレンさん、その台詞はヤバいですよ」

「そんなに高価な物が欲しいのか?」

「違います。犯罪っぽいんです」


 ただでさえ年齢差があるのに、高価な商品をほいほい買って貰ってたら、店員さんが不審に思うでしょ。だけどキャムレンさんは、いまいちピンとこないらしく、「でも誕生日だろ?」と首を傾げた。


 その通り。私は名前の通り、クリスマスが誕生日だ。

 もう一度、ショーウインドウに映った自分を見た。


 誕生日を迎えても、劇的に何かが変わるわけじゃないけど、私は十九歳になれた。去年の今頃は、ブライアンが横にいたはずなのに、今年はキャムレンさんとデート。


 去年の私に教えてあげたくなる。

 来年は、すっごくカッコイイ年上の人とデートしてるよ、なんて絶対に信じないだろうけど。


「自分で髪を切ってるのか?」

「あ、やっぱり分かります?」

「後ろ髪が、ガタガタだからな。それで節約してるつもりなら、止めた方が良い」

「節約してるつもりじゃないんですよ。ちょっと……人に髪を切られるのが苦手なんです」

「くすぐったいからか? サラさんに切ってもらえば良いのに。美容師なんだろ?」


 全体的に髪が伸びたら短い髪が点在しているのが隠せると思ってたのに、逆に目立つようになってきた。ショートカットを止めて、また髪を伸ばしてみようかなあ。


「キャムレンさんは、髪の毛が短いのと、長いの、どっちが……」


 途中で口を閉ざす。今の質問は、ストレートすぎた。でも言いかけて止めたのは、もっと恥ずかしいことだったのかも。後ろ髪を梳いていた指が、躊躇いがちに首から肩に移動し、キャムレンさんの胸板に引き寄せられた。


「ノエルなら、どっちでも似合う」


恥ずかしくてキャムレンさんの顔を見れない私の耳元で、百点満点な回答を囁く。そして、水族館の敷地で催されているクリスマスマーケットの屋台を指差す。


「飲み物欲しいか?」

「は、はい。ココアが飲みたいです」

「ノエルは本当に甘いのが好きだな。女の子らしくて、凄く可愛い」

「男の人も好きでしょ、甘いの。ケーキとかチョコって、食べると幸せになれますよ」

「分かるよ。セロトニンが分泌されるからな」


 え? セロトニンって何?


 聞く前に、長い列に並んで行ってしまったので、スマホでセロトニンを調べてみる。

 甘いものを食べると、幸せホルモンと呼ばれているセロトニンが出るらしい。

 へ~、初めて知った。キャムレンさんって、物知りだなあ。

 キャムレンさんは、ホットココアを両手に持って戻ってきた。


「キャムレンさん、お仕事はいつまでですか?」

「今日までだ。明日から一週間ほど、田舎に帰ろうと思ってる。いや、帰らなきゃ行けない理由があるんだ。色々と複雑で。やらなきゃいけないことがあるんだ。違うな。やらなきゃ行けないって事は無い。断らなきゃいけないんだ。母さんが勝手に。いや、それは言い訳だな」


 口を濁したキャムレンさんが珍しくてジッと見たら、まるで私が責めているように感じ取ったらしい。そう思うって事は、後ろめたいことでもあるの?


「キャムレンさん、田舎に妻子でもいるんですか? 実は単身赴任だった?」

「い、いない! いない! 断じて違う!」


 動揺してむせているのが、あやしいんだよなあ。キャムレンさんみたいな人が、独身なんて奇跡のような気がするし。


「ふーん。私はニューイヤーは、働いてます。次の日から店はお休みだから、サラさんとブライアンの結婚式の準備を手伝うの。印刷した招待状に、スタンプをひたすら押すんです」


「大変そうだが楽しそうだな。俺は、実家で大掃除を手伝わされるはずだ。背が高いから、脚立代わりにこき使われるのは昔からで、本音を言うと帰りたくない。犬達には会いたいが、両親は顔を合わせる度に『まだ結婚しないのか』と、文句ばかり言うしな。歳をとる度に、面倒なことばかり増えていく。……ノエルに会えるのは、今夜が今年で最後だな」


「一週間後には、もう忘れちゃってるかも知れませんよ?」

「そうならないように、毎日電話するよ」


 これで付き合ってないって、なんなんだろう。


 答えは簡単。


 付き合おうって、言われてないから。


 私からは、言えない。


 キャムレンさんのことが好きだけど、今ひとつ踏み込めない。


 キャムレンさんが言わない理由も分かる。


 私が答えに困って黙ってしまうから。


 複雑怪奇な関係のままクリスマスを一緒に過ごすけど、バランスはとれてると思う。


「犯人が見つからないまま、今年が終わりそうですね。あの事件のニュース、もう全然見なくなりました。あんな事があったのに」

「まあ、そうだな。大小関わらず事件は、毎日起きている。でも人が殺されてるんだから、捜査は継続してやってるはずだ」


「キャムレンさん、何か分かりましたか?」

「何を?」

「犯人に繋がるようなこと」


 月曜日に再放送のドラマを見たんだけど、明敏な知性で事件を解決するホームズ役は、やっぱりキャムレンさんにぴったりだと思う。だって、ほら、ホームズって変人だし。


 キャムレンさんは困惑したように、パチパチと音が出るんじゃないかと思うくらい瞬きしている。予想もしてなかったって顔で。


「本気で犯人を捕まえたいのか?」

「警察に変わって私の手で捕まえたいってわけじゃないですけど、やっぱり知ってる人があんな風に殺された姿を間近に見ちゃうと、彼女の無念を果たしてあげたいです」

「それは警察の仕事だ。君に出来るのは、彼女のために祈ることだけだ」


 ピシャリと言われて、思わず口をへの字に曲げた。不服そうにココアをちびちび飲む私を、キャムレンさんは無視してるけど、私も無視したら耐えられなくなったらしい。


「ノエル、嘘を言ってくれないか?」

「またあ?」


 面倒くさそうな顔をわざと見せつけながら、腹の中では有頂天。

 キャムレンさんは、私に「キャムレンさんのことが好きです」と言わせたがってる。


 最初は羞恥心と罪悪感で言い辛かったけど、毎回何度も言わされるので、今はすんなり唇から零れていく。それに、年上のキャムレンさんが私の態度や言葉一つでオタオタするのを見るのが、楽しくて仕方がない。


 私って、悪女の素質があるのかも知れない。……お母さんの言うとおりだ。


「ノエル。聞きたいんだ、君の嘘」

「好きです。キャムレンさん、好き」

「ありがとう、ノエル。元気になった」


 突然、私たちの後方から歓声が上がった。

小さなペンギン達が、飼育員の後をよちよちと歩いていて、皆がスマホのカメラを向ける。

 マイクを持った飼育員が言うには、これからペンギンたちが、三メートルは優にある巨大なクリスマスツリーを点灯してくれるらしい。


 えっ? ペンギンが?! 


 どうやるのか気になって見ていると、餌の小魚に誘導されてスイッチの上にペンギンが立つ。パッと灯りがつき辺りが明るくなり、歓声と共に拍手が湧き上がったけど、私は肩をすくめた。 なあんだ、そんな仕組みなのか。


「ペンギンって、美味しそうだな」


 キャムレンさんって、いつも変なこと言うよね。でもちょっと分かる気がする。


「白くて丸いお腹に、ガブリと齧り付きたいですね」


 顔を見合わせて、クスクス笑い合う。


「キャムレンさんって、やっぱり変わってますよね。よく言われません?」

「最近、周りに『変わったね』と、よく言われるぞ」

「そういう意味で言ったんじゃなかったけど……。まあいいや、どう変わったんですか?」

「気力がある、と」


 意味が分からなすぎて大笑いしてしまったら、キャムレンさんは目尻に笑い皺を作る。

 喜怒哀楽を表現するのが苦手だったのに、自然と出来るようになったのは、キャムレンさんのお陰だと思う。


「可愛いノエルと会うと癒やされると思っていたけど、最近それは違うと気が付いたんだ」

「ん? んー、なんと言えば良いのか困っちゃいます」

「じゃあ、ここからは俺の独り言だ。ノエルを困らせたくはないから、返事はしなくても良い」


 そう言ってココアを一口飲むと、煙草は吸わないキャムレンさんの口から、もくもくと白い煙が吐かれていく。そして、闇に溶けるように消えた。


「ハッキリ断られたら諦めるなんて、嘘だ。初恋は実らないなんてジンクス、信じたくない。報われたい。俺の事を好きになって欲しい。だけど、こうして好意を伝えられる事に……救われてる気がする」


 私は、何も聞かなかったことにした。

 大切なものを、壊したくなかったから。


 冷めちゃう前にココアを飲みきったら、鼻水が出てきたので啜った。

 キャムレンさんは、フィンドレーの冬は温かいと言うけれど、寒いのが苦手な私にとっては、クリスマスは南極のように寒い。だから恋人達が野生のペンギンみたいに、クリスマスツリーを中心に円を描くように集まってるのかな?


 点灯されたクリスマスツリーには、水族館らしくシャチやイルカ、蛸のオーナメントがぶら下がっている。

 このオーナメント、かわいいなあ。どこで買えるんだろう、と思って下から眺めていると、キャムレンさんがバックから紙袋を取り出した。


「これ、誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼント。気に入ると良いんだが」

「……それ、受け取っても大丈夫ですか?」

「何がだ?」

「ダイヤモンドとか入ってないですか? そういうのは、ちょっと困っちゃう」


 私のことが大好きなキャムレンさんなら、やりかねない。そう思って冗談半分で言ったのに、キャムレンさんは「オルソに全力で止められたから、宝石は買わなかった」と、サラリと言う。

 キャムレンさんの暴走を止めてくれてありがとう、オルソさん。


 紙袋を貰う前に、私からもクリスマスプレゼント。

 プレゼント交換しようね、と電話で話してたから準備は出来てる。キャムレンさんに趣味はないし、欲しいと思った物は多分全部持ってる。


 何を買ったら良いのか分からなくてネットで調べても、ネクタイや財布の広告ばかりで嫌になって、本屋で一番面白そうなのを一冊。


「『魂の一番おいしいところ』? これは、ノエルが好きな本なのか?」

「ううん。題名が面白いと思ったんです。表紙が綺麗だから、読まなくても飾っておけますよ」


 たぶん料理本じゃなくって、小説だと思う。そう付け加えると、キャムレンさんは声を出して笑い出した。


 笑った時だけにできる目尻の横にある皺を見ると、お父さんにも笑い皺があったな、と懐かしくて安心する。


 手渡された小さな紙袋を開けてみると、チューブに入ったハンドクリーム。


「ノエルは、毎日何十枚も皿やコップを洗ってて大変だからな。ここのハンドクリームは、俺のお気に入りだ。保湿がしっかりしているし、匂いが強くないのが良い」

「ありがとう、キャムレンさん」


 あかぎれが出来るほどじゃないから、手の乾燥をあまり気にしたことはなかったけど、キャムレンさんが勧めてくれるなら毎日塗ってもいい。


 チューブの蓋を開けて左手の甲に白いクリームを乗せると、キャムレンさんが手を握ってきた。手のひらでハンドクリームを掬い、私の手にまんべんなくすり込ませていく。


 取り乱して「え?」しか言えない私の右手にも、手に残ったハンドクリームを。手の隅々まで味わうように絡まって、私の両手はキャムレンさんの両方の手で塞がれてしまった。


 クリスマスツリーの下で向き合いながら両手を繋いでるのって、ロマンチックすぎる。


 キャムレンさんと見た恋愛映画みたいで、カーッと耳まで赤くなるのが自分でもハッキリ分かった。


「ノエル、いいよな?」

「え? え? え、待って、え、駄目、待って」


 キャムレンさんの真剣な顔が段々と近づいてきたので、目を瞑って顔を背けたら、冷たい鼻先と唇が頬に衝突した。薄ら伸びた髭が、チクリと肌に刺激を与える。


「ひゃあ!」


 うわっ、変な声出ちゃった。


 これで終わったと安堵したのも束の間、尖った鼻先を私の鼻に擦りつけてきて、「キスしても良いよな、ノエル」と低い声で囁くキャムレンさんから、ココアの匂いがした。


 唇との距離まで、ほんの数センチ。


 ダメダメ、絶対にダメ。


 繋がれた両手でキャムレンさんの身体を押し返そうとするけど、向こうも意地になってて、テコでも動かない。


「駄目、駄目です!」


 あ、マズイ。口を開いたら、さっき啜った鼻水が垂れちゃいそう。

 思わず息を止めると、余計に心臓がドキドキして焦ってしまう。


「ノエル、恥ずかしいなら瞼を閉じてろ。俺は見てたいから瞼は開けとく」

「へ? な、何言ってるんですか? 駄目って、何度も言ってるのに」


 キャムレンさんの男前な顔に息がかからないよう絞るように言ったのに、キャムレンさんは手の力を緩めてくれない。


 押してダメなら引いて見ろ。それをやってみたのは初めてだけど、キャムレンさんがバランスを崩した一瞬の隙に手を振りほどき、私は逃げ出した。


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