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甘味と秘密の甘い関係⑦

「悪い子になった気分はどうだ?」

「癖になっちゃいそうです。キャムレンさんは?」

「三十代の胃には、なかなか厳しかった」


 茶目っ気たっぷりに言われたけど、笑って良いのか困ってしまう。


 終電は終わっていないのにタクシー乗り場には、既に長蛇の列。自家用車での迎えを待つ人も大勢いて、広場はとても混雑していた。


 広場の中央には、この辺りで一番有名な伝説の殺人鬼、『ペルカ伯爵』の彫刻が聳え立っている。海沿いの観光地には『ペルカ伯爵資料館』まであるし、観光客はこぞって、未だに補修工事の度に人骨が発見されるフィンドレー離宮を見学に行く。

 実際に使用された拷問器具なんて見たくないから、行ったことはないけど。


 横に立つキャムレンさんの顔を見上げて、じっくりと見たけど彫刻の顔と全然似てない。

 まあ、当たり前だよね。五百年前の人にソックリだったら、そっちの方が怖いか……。


 タクシーを待つ人はウィルスのように増殖していき、並び初めて五分も経ってないのに振り返っても最後尾は見えなくなってしまった。


 事件の犯人がまだ捕まってないから、みんな夜道を歩くのが怖いんだ。私だって、もうあの長い階段が怖くて近づけない。ナイフを持った殺人鬼が闇に隠れている恐怖より、エマの幽霊がそこにいたらと思うと……。幽霊なんて信じてないのに、一度でもそう思ったら、足がすくんでしまう。あそこは、お父さんとの思い出の場所なのに。


「どうして殺されちゃったんだろう?」

「まだその話をしたいのか?」


 キャムレンさんの口調に少し棘があったけど、構わずに私は喋り続けた。


「だって気になりません? ワイドショーのインタビューで『誰からも愛される子でした』と言って、あの子の友達がワンワン泣いてました。でも私は、そうは思えません。あの子は、ちょっと意地悪なところがありましたし」


「……確かにな。一度だけ話したけど、嫌味を言われたぞ」

「えっ、そうなんですか?」


「ノエルがいない時、向こうから話しかけてきたんだ。ルーカスみたいに嫌味な女だった」

「ルーカスって? 誰ですか?」


「俺の同僚。攻撃的で嫌な奴なんだ。手の付けようがないほどにな」

「ふーん、たまにいますよね、そういう人。それで、エマと何を話したんですか?」


「誤解せずに聞いて欲しいんだが……」

「あっ。もしかして、私の悪口ですか?」

「いや、俺の。『女の趣味が悪い』って」

「ああ……。あの子、言いそうですね」


 クスリと笑った後、猛烈に泣きたくなった。

 私はエマのことが、お客さんとしても一人の人間としても、好きじゃなかった。

 ブライアンに色目を使うくせに、私には嫌味を言う二面性が鼻につく。


 でも嫌いでもなかった。

 ブライアンの目を盗んで睨んでくる強かさには、目を奪われてしまう。

 強くなろうと私は藻掻いているのに、エマは自信に溢れていて強く見えた。


 薄らと思ってしまう。


 殺されていなかったら。友達になれたかも知れない。

 ……そう思うのは、エマがもういないからだ。

 生きていたら、絶対にそんなことは思わない。


 その矛盾に、私は泣きたくなった。


「キャムレンさん、シャーロックホームズになって下さいよ。私、どっちかというとワトソン君だと思うんです」

「ペルカ家の俺に? 無理だ。もし仮に運良く犯人を捕まえても、警察に変な目で見られるに決まってる」


「いっぱい人を殺しちゃったから?」

「変な言い方するな。そうやってからかわれるのは、嫌いだ」


 私が謝る前に、キャムレンさんは「気にするな」と言う。

 きっと子供の頃からペルカ家だというだけで、色々と嫌味を言われたんだろうな。ちょっと考えれば分かるのに、悪ふざけてしまった自分の迂闊さが嫌になってくる。


「ノエルと話してると、海馬にある古い記憶のドアが開くんだ。ドアが開く度に、俺が体験したことがない感情が蘇ってくる。きっと前世の記憶だ」

「へーぇ……」

「信じてないだろ? まあ、それが普通の反応だ。俺も信じられない」


 そう言うと、キャムレンさんは躊躇いがちに私の手を握った。手の中にある骨の位置を確かめるように撫でると、長い指を絡ませる。


「この焦がれる恋心は、前世から受け継いできたものだ。前世の俺は、ノエルのことを大事にしてたから、生まれ変わっても大切な人だと直ぐに分かったんだ」


 キャムレンさんは照れずに変なことを言うもんだから、恥ずかしくて意地悪なことをつい口にしてしまう。だって、いつもキャムレンさんは、捻くれた事を言う私を許してくれるし。


「前世でも片思いだったんじゃないですか? その可能性はありますよ」

「それは、今世で変えてみせる」

「そ、そんな気障なこと言って、恥ずかしくないんですか?!」

「言わないと、ノエルに伝わらないだろ? それに湧き上がってくる思いを奥ゆかしく忍ぶなんて、俺は耐えられない」


 頬が赤くなっていく私を、下唇を噛んで嬉しそうに見下ろしている。キャムレンさんの象牙色の指が、私の指の間を擦っていく。手を繋いでいるのに、それでも足りないというように。


「君は、ノエル・ミラーに生まれ変わったんだろ? 折角生まれ変わったんだから、人生を楽しめば良い。暗鬱とした顔ばかりしないで、笑って欲しいんだが……」

「幸せになっちゃいけない気がするんですよ」

「なんだ、それ。随分と後ろ向きな思考回路なんだな」


 苦笑いをしつつ、キャムレンさんは私を優しく抱きしめた。


 こんなに人が大勢いる場所で?!


 キャムレンさんは、もっと恥じらいを知った方が良いと思う!


 目だけで周囲を見渡すと、後ろに並んでいたサラリーマンはスマホゲームに夢中で顔を上げない。それとも空気を読んで、見て見ぬふりをしてくれたのか分からないけど。


「恥ずかしくて死んじゃいそうなので離して下さい」

「俺の質問に答えたらな。……いま、『幸せ』か?」

「……たぶん」


 ドクドクと音がする胸板と、キャムレンさんの匂いで呼吸の仕方が分からなくなってくる。

 髪を梳くように撫でる指が、死んじゃったお父さんに似ていて、涙が一粒零れてしまった。


「ノエルも、俺を信じてくれ」

「信じる? 犯人じゃないって事を?」

「俺がノエルを幸せにすることを」


 言い終わると切なそうに青緑色の瞳を細めたキャムレンさんの背中に、私は腕を回した。

 いい雰囲気に流されたわけじゃない。


 ブライアンに内緒でデート。夜なのに甘いパフェを食べながら、互いの秘密を打ち明けて、楽しいと素直に思えた。


 キャムレンさんの言うとおり、人生をもっと楽しみたかった。

 私は、お母さんとアノ人に殴られて育った、かわいそうな子じゃない。

 ラストネームを旧姓に戻し、新しい国民識別番号を発行して貰って、私は別人になった。

 お母さんが『幸せになったらいけない』と言っていたけど、ノエル・ミラーとして新しい人生を貰った私は、幸せになっても……いいのかも。


 呪いの言葉を解く、糸口が見つかった気がした。


「キャムレン? おい、キャムレンだよな? なあ!」


 いくらばったり知り合いに出会ったからって、男女が抱き合ってるのに遠慮しないのは、空気が読めない気がする。キャムレンさんは無視し続けているのに、諦めずに呼びかけ続ける男の人を見ようとすると、キャムレンさんの手が私の頭を押さえ込んだ。


「ルーカス、何してるんだ?」


 ルーカス? 噂をすれば影がさす、と言うけれど……。


「ソイツが噂の運命の人? いや、天使だっけ? 前世の恋人ってやつ?」


 悪意しかない語調で吐き捨てると、キャムレンさんの肩を小突いた。酔っているのか他意なのか分からなかったけど、思いの外、力強くてキャムレンさんがよろける。


「おい、止めろよ」

「運命の人に出会った、なーんて職場で燥いで上司から注意されるなんて、お前くらいだよ。キャムレンは良いよな。馬鹿な振る舞いをしても、出世には響かないし。さっさと田舎に帰れよ、跡取り息子なんだろ? あーあ、でも駄目か。意中の相手はバーテンダーだもんな。マリアだって言ってたぞ、『身分が違う』って」


「マリアは、俺の結婚相手は共同経営者になれる人が相応しいと助言しただけで、そこまで言ってないぞ。それに他人がどう言おうと、俺はノエルしか考えられない」


 険しい顔でキッパリと反論するけど、ルーカスさんは鼻で笑い飛ばした。


「マリアが美人だからって、庇うなよ。俺にはそう聞こえたぞ。しょぼい店のバーテンダーに、本気で惚れちゃってるとか、そんな馬鹿な事しちゃってるわけ? あっちだって商売なんだからな。金を落としてくれる客に、笑顔の一つや二つするだろうが」


 ルーカスさんのことを攻撃的で嫌な奴と言っていた意味が、よーく理解出来た。キャムレンさんは相手をするのが馬鹿馬鹿しいと言わんばかりにあしらうけど、文句の一つも言ってやりたくなる。

 怒ることなんて滅多にないのに、段々と腹が立ってきた私に矛先が向かった。


「どうして隠してんだよ、人に見せれない顔なのか?」

「可愛いに決まってるだろ! だけどどうせお前は、聞くのも耐えられない悪態をついて、ノエルを傷つけるから見せないんだ!」


 タイミング良く到着したタクシーに私を押し込むと、キャムレンさんは頼んでもいないのに折りたたんだ高額紙幣を私の手の中に落とした。


「ノエル。悪いが、今日は家まで送れない」

「でも……」

「いいから、先に行け」


 このままキャムレンさんとルーカスさんを二人きりにして、殴り合いの喧嘩になったらどうしよう。


 迷っていると、後ろに並んでいたスマホゲームに夢中だったサラリーマンが、同意するように何度も頷いている。抱きしめ合う私たちを、やっぱり見ないふりしてくれてたんだ。

 恥ずかしさで顔を伏せると、キャムレンさんは名残惜しそうな声で囁く。


「明日、十八時に。フィンドレー百貨店のエントランスで待ってるからな」


 だけど翌日のヘリコプターデートに、キャムレンさんは来なかった。


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