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甘味と秘密の甘い関係⑥

 とっくに店を出たはずのキャムレンさんが、バー・オアシスの向かいにあるコンビニの前で立っている。アルバイトを終えて、裏口から大通りに出てきた私を見つけると、手招きしているので駆け寄った。


「どうしたんですか?」

「ノエルに悪い事を教えてあげようと思って」

「悪い事?」


 車止めポールに体重を預けているキャムレンさんが、細い指で示した先には、先月オープンした夜パフェ専門店がある。


 夜の二十二時を過ぎているのに、まだ大勢の人が店の前に群がっていた。

 サラさんと「食べたいね」と話題には上がったけれど、それっきりになっていた有名店。


 食べたい。甘くて冷たいパフェ。

 食べたい。食べたいけど……。


「困ります。ペルカ家とは関わるなって、ブライアンが」

「俺は法律を遵守して生きている。ご先祖様とは違う」


 ブライアンの言いつけを守りたいけれど、キャムレンさんが納得いかないのも分かる。

 キャムレンさんの言うとおり、キャムレンさんが悪いんじゃない。


 あー……、パフェ……。

 でもブライアンに怒られたくないし……。


 うじうじ悩んでいたら、バインダーを持った店員さんが店から出てきて、キャムレンさんの名前を呼ぶ。


「やっと順番が来た。一時間も待たなきゃいけないなんて、凄い人気店だな」

「名前を書いて並んでたんですか? またコネと札束で問題を解決したのかと思ってました」

「まさか。俺は、『あの』ペルカ伯爵みたいな暴君じゃないぞ」


 にやりと笑ったキャムレンさんは、私の手を握って店に向かって歩き出した。


 飛び出す絵本のように特殊加工が施されたオシャレなメニューを開くと、五分は真剣に悩んだ。パフェとドリンクしかないけど、パフェだけで十五種類もある。

 キャムレンさんは、メニューを開かなかったので尋ねた。


「パフェ、食べないんですか?」

「俺は珈琲だけで良い」

「一緒に食べましょうよ。私は、葡萄か桃で迷ってます」

「じゃあ、それでいい」


 ブライアンの言いつけを守らず、夜に砂糖の塊を食べるなんて悪い子になったみたい。胸が痛くなるほどドキドキしてくるのは、悪い事をしてるだけじゃなくて、キャムレンさんと不意打ちでデートしてるせいもあると思う。


「こっそり会ってるのがバレたら、ブライアンに怒られちゃいますね」

「シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』みたいで、ロマンチックだと思わないか?」


 キャムレンさんは、テーブルの上に置かれた私の右手に骨張った手を重ねた。さっきも手を繋がれたけど、嫌じゃない。肌が触れ合うと、軽い運動をした後のように心臓が早鐘を打つのが心地よくて、でもそれを悟られたくなくて、私は澄ました顔で前髪を掻き上げた。


「伯爵の息子と平民の娘との恋なんて、オペラの『ルイザ・ミラー』そのものじゃないか。ノエルのラストネームも、ミラーだろ?」

「伯爵様、世間知らずな平民の女の子をからかって楽しんでるんでしょ?」


 私はオペラなんて見たことないし、知ってる演目もない。興味がないと言うよりは、芸術に触れる機会がなかった。キャムレンさんの言うとおり、平民だからね。


「俺はまだ伯爵じゃない。伯爵の御子息って身分だ。貴族なんて、今や埃臭いの資産家を指す言葉になってしまった。もう馬車の時代じゃない。……だから、ペルカ家の呪われた歴史と偏見を捨てて、俺を見て欲しい」


「……どうして私なの?」

「直感だ。ありふれた言葉で言えば、一目惚れ。ノエルが『前世の恋人』だから」

「理解出来ません」

「俺もノエルが理解出来ない。俺が知ってるノエルは、十八歳のバーテンダー。店長の家の近くにあるアパートで一人暮らし。……それくらいしか、ノエルは教えてくれない」


 そんなに淋しそうな顔で呟くくらいなら、早くクイズを終わらせてしまえば良いのに。

 私だって、まだキャムレンさんの職業を知らない。


「キャムレンさんは、ペルカ銀行の銀行員? それとも、ペルカ製薬会社の重役さんですか?」

「違うな。どこの情報だ?」

「さっき調べたんですよ」


 顔の横でスマホを振ってみせると、キャムレンさんは苦笑しながら言う。


「確かにペルカ銀行は、年の離れた従兄弟が経営してるが……。そんなことまでネットには書いてあるのか? まったく、凄い世の中だな」

「これが情報化社会ですよ。今は、なんでもネットで調べられるんです。キャムレンさんだって、私のSNSを探してたじゃないですか」


「確かにな。あの時は、まさかノエルが嘘をついていると思わなかった。ミラーなんて……。どこにでもある平凡なラストネームに、すっかり欺されたよ」

「嘘? 私、嘘なんてついてませんよ」


 キャムレンさんは「ノエルは嘘が上手いな」と肩をすくめると、いつも羽織っている有名な登山メーカーのロゴが入ったパーカーの内ポケットから、折りたたんだ紙を取り出す。


 深爪気味の指先が、バー・オアシスの開業届のコピーを滑る。


 事業主、ブライアン・ミラー。


「役所に行って調べたんですか? そこまでいくと恋心と言うよりは、ストーカーっぽくないですか?」


「ノエルは、店長の姪なのか?」

「そうですよ。ブライアンだって言ってたじゃないですか、嘘じゃないですよ」


「店長の国民識別番号を調べてみたんだ」

「国民識別番号を?! そんな事、可能なんですか?!」


 個人情報の全てが紐付く国民識別番号が外部に漏れるなんて、有り得ない。家族の私でさえ、ブライアンの番号は知らないのに。


「どこにでも抜け穴はあるんだ」


 それもそうかも、所詮は人間の作ったシステムだし。そう納得しかけたけど、すぐさま思い直す。「それ、犯罪ですよね?」と詰め寄ると、キャムレンさんはまた肩をすくめた。


「店長の記録から辿っても、ノエルの存在がない」

「そんなわけないですよ、探し方が悪かったんじゃないですか?」


「ノエル、お願いだから俺に嘘をつかないでくれ」

「嘘なんてついてません」


 水掛け論に発展していった苛立ちよりも、キャムレンさんが今にも泣き出してしまいそうでヒヤヒヤする。


「ノエル・ミラーは、偽名だろ?」

「偽名じゃないですよ。お財布に健康保険証があるから、見せましょうか?」


 キャムレンさんは、静かに首を振った。その揺れで、青緑色の瞳に貯まっている涙が零れてしまいそう。


 年上のキャムレンさんは、私と話していると、すぐ泣きそうになる。オルソさんとマリアさんとお酒を飲みながら愉快そうに喋っていたキャムレンさんとは、別人みたいに。


 キャムレンさんは片手だけで右のポケットから、紙の束を出す。左のポケットからも、同じよ

うな書類を出した。


 登山メーカーって、凄いなあ。マウンテンパーカーのポケットに、何でも入っちゃうんだもん。間抜けなことを思いながら、差し出された書類に視線を落とす。


 『調査報告書』と書かれた紙には、それぞれ別の会社名が記載されていた。


「信じられなくて、何度も調べた。探偵にも調べさせたんだ」

「探偵に? ……キャムレンさん、一体いくら払ったんですか? 問題をお金で解決させようとするのは、良くないと思いますよ。お金は大事ですから」


「ノエル・ミラーには、昨冬以前の公的書類が一切存在しない」


 テーブルの上で重なった手が、私を逃がすまいと力が入る。


「ノエルが殺したのか?」


キャムレンさん、私のことを疑ってるの?


 私に恋しているはずのキャムレンさんから、いつの間にか疑惑の目を向けられていたことに、少なからずショックだった。


「もし私が『そうです、エマを殺した犯人は私です』と言ったら、どうしますか?」

「通報されたくなかったら、結婚して欲しい」

「えっ?」


「俺は一人息子なんだ。ノエルの秘密を知った俺を殺すつもりなら、跡継ぎを産んでから殺して欲しい」

「あ、あー……。そうきましたか」


 殺人犯でもいいから私と結婚したい、ましてや自分の子を産んで欲しいと迷いなく言える図太さを、私は見習うべきかも知れない。それとも、これが貴族の傲慢さなのかな?


「私、犯人じゃないですよ」

「…………本当に?」

「大学生の女の子を殺す理由とメリット、時間も体力もないですよ。それに一番重要なことは、私にはあんな酷いことは出来ません。ホラー映画のCMすら怖くて見れない私が、出来ると思います?」


 説得力はないけど、続けた。


「人を憎んだり攻撃するのって、凄くエネルギッシュじゃないですか。私にはそんな気力はないです」


 自分でも論理的じゃないと思ったので、コップについた水で指先を濡らして、テーブルの上に長方形を描く。そして、短辺に×を付け加える。


「あの日、ブライアンがエマと一緒に店のドアから外に出ました。シャッターを降ろして外から鍵を閉めてしまったから、私は裏口から出なきゃいけなかった。他に出入り口はありません。スパイや忍者みたいに換気用ダクトの中を通らない限り、裏口で待っているキャムレンさんに気が付かれずに外に出ることは不可能です」


 それにエマは、ブライアンに駅まで送って貰った後、電車に乗らずに引き返してきた。どうして? ブライアンを追いかけたの? それとも誰かに呼び出された?


 店員さんがパフェを持ってテーブルに戻ってきたので、重ねられた手を外す。


「キャムレンさん、葡萄と桃、どっちがいいですか?」

「アレルギーは持ってないから、どっちでも良い」


 そんな理由で決めるの? せっかく人気店に来てるのに。

 私が選んだのは、エメラルドみたいに艶やかな光を放っているマスカットパフェ。シャインマスカットを一粒摘まんで口に入れる。張り詰めていた皮がプチリと奥歯で破け、甘い果肉と爽やかな匂いが広がる。こんなに美味しいの、食べたことない!


 桃パフェの頂点にある一番大きな桃をフォークで小皿に移すと、キャムレンさんは私に差し出した。フォークで刺された穴から、じゅわりと蜜が溢れて、緩やかな曲線を滑り落ちていく。


「フルーツ、嫌いなんですか?」

「甘いのは、得意じゃない。でもノエルは、甘党だろ? 報告書に書いてあった」

「そんなことまで調べられたんですか? ……ああ、だから私が高校生なのも、アパートの場所も知ってたんですよね?」


 首を傾けて何か言おうとして口を開いたけれど、キャムレンさんは何も言わない。


「私が自分の事を喋らないから、気になって調べたんですか?」


 傾けた首を戻し、躊躇いがちに頷く。

 キャムレンさんって、嘘をつくときに首を傾ける癖があるのかも。分かりやすい人だなあ。


「勝手にノエルのことを探って悪かった」

「ビックリしたけど、ちゃんと謝ってくれたから許します。それに、秘密主義の私が犯人かもしれない、と思って探偵に調べさせたんでしょ? 理由を聞いたら、怒れませんよ……。でも他の人には、止めた方が良いですよ。バレたら、絶交されます」

「ノエル以外の人のプライベートなんて、興味ない」


 客の殆どがお喋りしてるから騒音にも感じられるけど、ここなら誰も聞いてないから安心できる。それに芸術品のようなパフェを崩しながら食べるのに、高揚感を抑えきれなかった。


 あまいの、大好き。しあわせ。


 この幸せは、お母さんが言う『貴方は幸せになっちゃいけない』には、該当しない気がする。


「ノエルは、フィンドレー高校に中途半端な時期に転校してきたから、高校四年生だ。だけど、どこの高校から転校してきたのか、一切情報がないんだ」

「凄いコネがあるキャムレンさんが調べたり、プロの探偵を雇っても、ノエル・ミラーになる前の私には辿り着けなかったんですね。安心しました」


「国家の最高機密で守られているのなら無理だ。それこそ、ノエルがさっき言ってたように、ダクトを通るほどのスパイ行為でもしない限りな。……だから犯人かもしれないと、疑いが濃くなったわけだが。あれを使うのは、善人の方が少ないからな」


「あ、分かっちゃいました? 私は、その数少ない善人ですよ」


 冗談っぽく言う私とは真逆に、キャムレンさんは真剣な顔をしている。


「証人保護プログラムを使ったんだろ? まだ若いのに、何の事件に巻き込まれたんだ?」

「前に言ったじゃないですか。私は、魔女とゴブリンから逃げてフィンドレーに来たって」


 ファンタジーで言葉を濁すと、生クリームを避けてシャーベットをスプーンで突いているキャムレンさんが言う。


「マフィアが絡んでるのか?」

「まさか。そんなにドラマチックじゃないですよ。もっと……家庭内のことです」


 証人保護プログラムは、マフィアの事件だけに適応されるわけじゃない。

 ストーカーや家庭内暴力から逃げるためのシャルターの場所は、誰にも分からないようになっている。私自身も、ブライアンに保護されてシェルターに移動したら、どこのホテルの一室にいるのか分からなかった。


「店長の本当の正体は、シェルターの養護者か?」

「ううん。血の繋がった私の叔父さんです。シェルターの所長さんに、知り合いがいない土地へ行くように言われたけど、無理言って傍にいさせて貰ってるんです。私は成人してるから保護者は必要ないけど、十代には、庇護者が必要でしょ?」


「嘘は、ついてなさそうだ」

「嘘なんかついてません。私はノエル・ミラーです。生まれ変わったんですよ。キャムレンさんは、そういう前世の話、大好きでしょ?」


 キャムレンさんは不機嫌そうに生クリームを一口食べると、半分も残っているのに私にパフェを差し出した。


「俺はもう良い。食べるか?」

「うーん、はい」


 他人の食べかけは嫌だけど、キャムレンさんのなら大丈夫な気がする。


「ノエル、俺に手紙を出さなかったか?」

「手紙? 出してませんけど。そもそも住所を知らないですし」


「……そうか、分かった。俺はノエルを信じる」

「手紙ってなんですか? それって、もしかして事件に関係あります?」

「気にするな」


 すっごく気になる事を言うけど、キャムレンさんは教えてくれなかった。


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