甘味と秘密の甘い関係⑤
営業を再開したバー・オアシスには、閑古鳥が鳴いていた。
『大学生の女の子に二股かけているのが婚約者にバレるのを恐れて、殺したんだ』
根も葉もない悪い噂は次第に大きくなり、常連客の足が遠ざかっていった。唯一変わらない頻度で店に通うのは、キャムレンさんだけ。
死んだ魚の目をしているブライアンには悪いけど、私は確信を得て気分が良かった。
念願だったバーをオープンして、まだ三年も経ってない。やっと軌道に乗ってきた所だったのに、夢を潰すそうな事はしない。やっぱり、ブライアンは犯人じゃない。
「ローン、払えるかなあ……」
「ヤバイの?」
「まだ貯金はあるけど、半年後が……ヤバイ」
唯一のお客さんであるキャムレンさんは、スマホを操作すると、おもむろに立ち上がった。
「父さん? 頼みがあるんだけど」
電話をかけながら店を出ていくのを目で追っていると、ブライアンが私の頬を指で突く。
「なーに見とれちゃってんだよ」
「見とれてなんかないってば」
「嘘つけ。さっき顔が真っ赤になってたぞ。何を言われたんだよ」
「キャムレンさんが私のことを褒めすぎるから、恥ずかしかっただけ!」
シェイカーを上手に振れて偉い。バーテンダーの制服が似合ってて、素敵だ。
何をしても、キャムレンさんは大袈裟に褒めてくれる。
褒められ慣れてないから恥ずかしい。
でも褒めすぎだよ。そのうち、息してて偉い! と、言うかもしれない。
「付き合っちゃえば良いのに。キャムレンさんの何が嫌なんだよ。あの古くさい髪型か?」
「オールバックに罪はないでしょ。本気で前世を信じてる人なんて、信用していいのか分かんないんだもん。慎重に見極めようと思ってるだけ」
「ノエル、時には勢いも大事だぞ」
ブライアンは脳天気に言うけど、理性を投げ捨て胸のときめきだけで盲進して、傷つきたくない。どうしてかよく分からないけど、キャムレンさんは瞳の色が時々変化するし……。
電話を終えたキャムレンさんが席に戻り、冷淡な声で信じられないことを言った。
「観光ガイドブックと『月刊ジェントルマンタイム』の広告は押さえたぞ。明日になったら、『旅に出よう』のスタッフから連絡が入るからな」
「は……はあっ?!」
裏返った声を出すブライアンの横で、私も目を見開いたけど、ブライアンほどじゃない。
キャムレンさんが札束で問題を解決するのを見るのは、二度目だ。
敏腕弁護士の次は、大手出版社が発行する雑誌と長者旅番組。
お店は、海沿いの観光地から外れている。メディアに露出したら観光客が来て、来月に迫ったクリスマスホリデーで、低迷した売り上げは巻き返せるかも。繁盛しているのを知ったら、常連さん達だって戻って来てくれるかも知れない。
でも……。
「どういうつもりですか?」
「ノエル、俺への好感度が上がっただろ? 危機に瀕したとき、俺は頼りになるだろ?」
予想通りの答えに、溜息しか出ない。
「キャムレンさんは、出版社かテレビ局で働いてるんですか?」
「ハズレ。ただ、父さんにコネクションがあるんだ」
「敏腕弁護士さんも、お父さんのコネですか? もしかして……キャムレンさんは、フィンドレー百貨店の御曹司ですか?」
「あんな女ったらしと間違わないでくれ」
フィンドレー百貨店の御曹司が女にだらしない、なんて初めて知った。やっぱりキャムレンさんは、お金持ちの人なんだろうな。じゃなきゃ、百貨店の御曹司と交流なんて持てない。
キャムレンさんの愛車だって、興味本位で調べてみたら、家が一軒買える値段だったし……。
「そのカッコイイ腕時計も高そうだから、御曹司なのかな? と思ったんです」
「俺は小金持ちだな。趣味がないから、貯金があるんだ。でも最近、趣味が出来たぞ」
「無趣味のキャムレンさんに? 車? 犬ですか?」
「違う。ノエルに会うこと」
「それ、趣味じゃないですよ。からかわないで下さい」
衝撃でフリーズしていたブライアンが、急に私を抱きしめる。
「ブライアン? なに急に」
「キャムレンさん、お代は良いですから帰って下さい」
キャムレンさんは細い眉を片方だけ上げて、ブライアンの次の言葉を待っている。
「ノエルは、兄貴の忘れ形見なんです。愛しの姪に、必要以上の苦労をさせたくない!」
「苦労とは?」
「ノエルが貴方と結婚したら、苦労するに決まってる」
け、け、結婚?!
話が飛躍しすぎてない?!
付き合ってもないのに!
ブライアンは、真面目な顔で唖然とする私に言い聞かせる。
「ノエル、いいか。個人経営のバーが有名な雑誌に広告を打ったり、テレビ番組で紹介されるなんて、普通はないんだぞ」
「う、うん。だから、それはコネとお金で解決したんじゃないの?」
「それを電話一本で終わらせるなんて、有り得ない」
ブライアンが譫言のように「有り得ない」と繰り返し言いながら、自慢の髭を撫でている。
その指が細やかに震えているのを見て、やっと私も事の重大さに気が付いた。
もしかして、ただのお金持ちじゃない? 悪い事をしてお金を稼いでいる人なのかも……?
「キャムレンさん、貴方は何者ですか?」
「外堀埋めすぎて山になったか」
ブライアンの問いに、敢えて答えないキャムレンさんの背後にあるドアが開く。
「ごめん。どうしても一緒に行きたいって言われて」
申し訳なさそうに言うオルソさんの後ろには、神々しい光を放つ聖女のように美しい人が立っていた。
「でっ……」
ブライアンが飲み込んだ言葉の続きが分かった。
デカい。でしょ? 私も思った。
美女のたわわな胸の谷間が気になって、同性でも視線を奪われてしまう。
キャムレンさんを盗み見ると、白けた顔で二人を見ている。ホッとした後、何故安堵したのか湧き上がった疑問に目をそらして、二人にメニューを渡した。
「キャムレン、なんの話をしてたの?」
「クイズだ。俺の職業をノーヒントで当てるクイズだ」
「ノーヒントは、キツくない?」
そうだよ、ノーヒントなんて無理! 優しいオルソさんなら、教えてくれるはず。
「オルソさん、ヒントが欲しいです」
「だよね。ここにいる三人は同じ……会社だけど、配属先がそれぞれ違うんだ。マリアは、僕たちと職種が違うし。それに、シフト制なんだ。……ヒント、多すぎだかな?」
ハンサムで、お金持ちのキャムレンさん。
太っているけど愛嬌があって、穏やかな性格のオルソさん。
二人の間に座った、巨乳の美女。
「……分かりました」
「え? 本当に?」
「ええ、もう絶対に正解です。……芸能事務所でしょ?」
途端に三人とも笑い出したので、不正解だと悟った。
まさかの不正解にブライアンも驚きが隠せないまま、この世の者とは思えない美女に尋ねた。
「失礼ですけど、芸能関係の方じゃないんですか?」
「スカウトはされるけど、私はそういう世界には興味ないの。それに優しい彼氏がいるし」
ね? と、美女がオルソさんに微笑むと、デレデレと目尻が下がっていく。
ブライアンが悔しそうな顔をしているので、臑を蹴ってやった。
ブライアンには、サラさんがいるでしょ!
「貴方が噂のノエルちゃん? クールでアンニュイって聞いてたけど、本当ね。ちょっと猫みたいだわ」
クール? 無愛想なだけでしょ。私の内向的な性格を褒め称える人は、キャムレンさんしかいない。チラリと彼を見ると、犬派だと主張していたキャムレンさんがニタニタ笑っている。
「猫……。そうか、これが猫の魅力だったんだな」
ちょっとキモチワルイなと思っていると、美女が綺麗な手を差し出した。
「初めまして、私はマリア・セッコ。仲良く出来たら嬉しいわ」
差し出された美女の手を握り返すと、ブライアンがオルソさんにビールを渡しながら勢いよく振り返ったので、泡がカウンターテーブルに少し零れてしまった。
「セッコ……?! もしかして、セッコ家と関わりがありますか?」
「店長さん、気を遣わないで下さい」
マリアさんが細い首を少し傾げたので、赤毛に隠れていたピアスがキラリと光る。
ひゅ、と息を飲むブライアンの顔は凍り付いていた。
「ブライアン、セッコ家ってなに?」
誰も私の疑問に答えてくれないので、お尻のポケットからスマホを取り出して検索してみる。
分かりやすくセッコ家の歴史をまとめているホームページを開くと、世界史が苦手な私でも一度は聞いたことがある単語が太文字で書いてあった。
へ~。あのコロンバス海戦で、連合艦隊撃破を指揮した名門貴族なのかあ。
凄いけど、二百年前の話じゃん。ブライアン、そんなに歴史が好きだったっけ?
画面をスクロールさせていくと、最後に答えがあった。
王位継承順位二位の王子と結婚。
「……マリアさんは、プリンセスなんですか?」
「やだあ! 違うわよ。プリンセスになったのは、遠縁の方なのよ」
スマホを仕舞うと、もう一度カウンター席に並んだ三人を見た。
常識では考えられないほどのコネを使った、キャムレンさん。
穏やかで育ちが良さそうな、オルソさん。
親戚にプリンセスがいる、マリアさん。
「貴族の集まり?」
「僕は違うよ! 僕は一般市民!」
オルソさんの否定の言葉で、キャムレンさんの正体が分かってしまった。
「キャムレンさんは、貴族なんですか?」
「ラストネームは、ペルカだ。最初に出会った時に名乗ったが、覚えてなかっただろ?」
ブライアンが、両手で頭を押さえて叫んだ。
「やっぱり……! そうじゃないかと思ってた!」
ペルカ家の避寒地としてフィンドレーは発展し、今では国外でも有数な観光地の一つになった。この街の何もかもが、ペルカの名前で埋め尽くされている。
「ペルカって……。キャムレンさんは、『あの』ペルカ家なの?」
私の『あの』に何が含まれているのか、キャムレンは理解しているようで、手に持っていたカクテルグラスを傾け意地悪そうに微笑んだ。
ペルカ家の歴史は、フィンドレーに住む誰もが知っている。常夏の気候だけじゃなく、フィンドレー離宮で起こった猟奇的な伝説で、観光客を呼び寄せているんだから。
「貴族は職業じゃないから、正解じゃないな。クイズは、まだ終わってないぞ」
私をからかうキャムレンさんから遠ざけるように、ブライアンは肩を掴んで後ろに引かせた。
「俺は、結婚なんて絶対に許さないぞ!」
「付き合ってもないってば!」
「付き合うのも、駄目だ! 俺は認めない!」
手のひらを返して交際反対を叫ぶブライアンに、キャムレンさんは困ったように細い眉を下げた。
「嫌われてしまった。オルソ、どうしたらいいんだ?」
「悪名高きペルカ家の宿命だよ、諦めな」