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プロローグ 君は天使だ、前世の恋人だと言われましても……

「運命を信じるか?」

「へっ?」

「君は、俺の天使だ」

「……はァ?」

「結婚しよう」

「ええっ?!」


 彼は切羽詰まったように早口で言うと、戸惑うばかりの私の手を両手でがっちりと握った。


 えーっと、待って待って。この人、今なんて言った?

 運命? 天使? 結婚?


「お客さん、前のお店で飲み過ぎちゃいましたか?」

「いいや」


 酔っ払いって、どうして呼吸をするように嘘をつくんだろう? 

 私の手を握りしめている男の人は、お酒を飲むと充血するらしい。珍しい青緑色の瞳には、ミミズのような血管が浮き上がっている。


 彼と一緒に来店した常連客のオルソさんに助けを求めて目配せすると、オルソさんはムンクの叫びみたいに声にならない悲鳴を上げていた。


「ちょ、ちょっとキャムレン?! 何してるんだよ?! 手を離せって!」

「五月蠅いぞ、オルソ。俺は天使を捕まえたんだ」


 そんな昆虫採集みたいに言われても。

 私、天使でも虫でもないんですけど。


「かなり酔いが回っているみたいなので、水をお持ちしましょうか?」

「貰った方が良いよ、キャムレン。さっきの店で、そんなに飲んでたっけ?」

「馬鹿言うな、さっきの店では、ワインしか口にしてないぞ。俺は酔ってなんかない」


 やっぱり酔ってるじゃん。


「キャムレン! いい加減にしなよ。彼女、困ってるだろ」

「イヤだ。やっと天使に会えたんだ、逃がすもんか」

「はあ? なに馬鹿な事言ってるんだよ」


 オルソさんが、彼の肩を掴む。揺さぶられてメトロノームになってるのに、私の手をしっかりと握りしめたまま、青緑色の瞳をうっとりと潤ませながら、まだ見つめてくる。


 不躾にぶつけてくる視線を絡ませて、私はキャムレンと呼ばれている男の人を観察した。


 歳は三十代くらい。スーツを着ない職業なのか、随分とラフな服装をしているけれど、オールバックに髪は整えられている。


 ハッキリ言うと、キャムレンさんの面長の顔は、ものすごく私のタイプだった。


 神経質そうな細い眉は途中から急降下していて、鋭い目尻の周囲に笑い皺はない。青緑色の瞳は澄み切った湖水のようで美しいけど、何を考えているのか分からない不気味さがあった。


筋が通りツンと尖った鼻とは対照に、こけた頬には深い影を落としている。それが象牙色の肌と細身の身体と相まって不健康そうだけど、咽せてしまいそうなほどの大人の色気が漂う。


 手を握られてなかったら「俳優さんですか?」と、聞いちゃってたかもしれない。


 でも……。


 いくら顔が良くても、酩酊してても、やって良い事と悪い事があるよ。


 苦笑いに嫌悪感が染み出てしまったのを悟られたのか、キャムレンさんの手に力が入った。


「俺は、キャムレン・オーウェン・ペルカ。君の名前は?」

「……ノエル・ミラーです」

「ノエル! ノエル……。ノエル。良い名前だ。携帯電話の番号は?」

「それは教えません」

「メールアドレスは? パソコンのでも良い」

「あと百回は、お店に通って下さいね。そしたら、教えてあげるかもしれません」

「百回か……。肝臓との戦いだな」


 あれ? 本気にしちゃった? 適当なことを言っただけなのに。


「君を一目見た瞬間、雷に打たれた。『やっと出会えた!』と思ったんだ。これは運命だ。きっと、前世で恋人同士だったに違いない」

「天使の次は、前世の恋人って……」


 手を握られながら店内を見渡すけど、バー・オアシスのオーナー兼店長のブライアンの姿がない。フードメニューを作りに、厨房に向かった後だったみたい。


「そろそろ手を離してくれませんか? 私、仕事しないといけないんです」


 ごねられると思ったのに、意外にもキャムレンさんは、あっさりと手を離してくれた。オルソさんは安堵の表情を浮かべながらも、自分の手のひらをジッと見つめているキャムレンさんを心配そうに覗き込む。


「キャムレン、大丈夫?」

「心配するな、前世の記憶が蘇ってきただけだ」

「……僕が見てないところで、頭打った?」


「ノエル。前世では結婚出来なかったけど、今世では夫婦になろうと誓い合っただろ?」

「それ、妄想だと思いますよ。来世で結婚を誓い合った恋人同士なら、私もキャムレンさんを見て『運命の人だ』と、思わなきゃいけないと思うんですけど……」

「ピンとこなかったか?」

「はい」

「おかしいな。絶対に前世の恋人だと思ったのに」


 鼻で笑っちゃいそうなのを我慢しつつも、隠し味に嫌味を一撮み。


「キャムレンさんって、ロマンチックなんですね。運命の人だなんて」

「決して論理的ではないが、不可解な感情は直感だ」

「そうですか、あまり同意は得られないでしょうね」


 常連のオルソさんには、いつものフィンドレー醸造所のビール。キャムレンさんは、メニューを見る暇がないと言わんばかりに、オルソさんと同じ物を頼んだ。


「オルソ、どうしたらいいんだ? ノエルには前世の記憶がないみたいで、俺の事を見てもピンとこなかったって言うんだ。だからもう一度、今世で恋心に火を付けなきゃいけないんだ!」

「何を言ってるのか、よく分からないんだけど」


 ふくよかな頬がヒクヒクと痙攣し、二重顎さえも震えている。笑いを堪えているのか、恐怖で引きつっているのか判別は出来ない。


「あのね、ノエルちゃん。誤解せずに聞いて欲しいんだけど、キャムレンはいつも『こう』じゃないんだ。ノエルちゃんを見た瞬間に、思考回路が切れちゃってるだけで……。い、いつもは冷静で、淡々としてるんだよ。本当に。だよな、キャムレン」


 オルソさんがパスした会話のボールを受け取らず、キャムレンさんは私から片時も目を話さない。オルソさんは凍り付いた空気に焦りながらも、どうすることも出来ず、額に浮かぶ汗の粒を拭いている。


 ふと、思いついたことを口にしてみた。


「オルソさんと、賭けでもしてるんですか?」

「賭け? なんの話だ?」

「一人でも多く女の子の電話番号を手に入れられたら勝ち……とか?」

「するわけない。そんなくだらないこと」

「じゃあ、デート商法ですか? お金持ってませんよ、私」

「どうしてそんなに疑い深いんだ?」


 はあ、と溜息とも返事ともつかない声を吐き、心外だと言わんばかりに眉根を寄せたキャムレンさんから視線を外す。


「どう考えても分からないからです。どうして私なんですか? 私なんか、何の取り柄もないですよ。もっと他に綺麗な人は沢山いますし」

「確かにノエルは、美を商品にしている女優になれるほど美人じゃないな」


 その通りだけど、ちょっと失礼すぎない?


 訝しげにキャムレンさんの顔を見ると、待っていましたとばかりに柔らかく微笑んだ。


「けど、俺は美人だと思っている。俺はノエルが想像するほど、軟派な男じゃない。俺自身も、自分の感情に戸惑っているんだ。だから信じられないと思うだろうが、俺を信じて欲しい」

「そ、そんなドラマみたいな事言って……。恥ずかしくないんですか?」

「ドラマは見ない。本を読む方が好きだ」


 噛み合わない会話に面食らいつつ、ぽかんと口を開けてキャムレンさんを凝視しているオルソさんに視線を移す。私の視線に気が付くと、頬をヒクヒクさせながらも親指を立てた。


 それ、どういう意味のジェスチャーなの? 


 オルソさんの言うとおり、キャムレンさんは変だよ。酔ってないって言うけど、酔ってなかったら、私なんかを口説かないと思う。


 厨房に足を踏み入れると、ブライアンは意味ありげにニタニタと笑いながら、スライスピクルスが乗った小皿を突き出した。


「よお、天使。それとも前世の恋人? 二番テーブルにこれを届けてくれ」

「ブライアン、さっきワザと助けてくれなかったでしょ。酷いよ」

「これも修行だよ、修行。立派なバーテンダーになるためには、厄介な酔っ払いの一人や二人、スルー出来るようにならないとな」


 言いたいことは分かるけどさあ。私、ただのアルバイトなんですけど。


「でも俺も、サラを見たとき、ビビッときたぞ」

「ブライアンとサラさんは、そうかもしれないけどさ。初対面の店員に運命を一方的に感じるのは、どう考えてもお酒のせいだよ」


 お喋りしながら、ブライアンは、もう次の料理に取りかかっている。


 エビとブロッコリーのショートパスタ。食塩水に浸して解凍させたエビは、冷凍されてたとは思えないほどプリプリで、鉄鍋の中でソースの海を泳いでいる。


 観光地から外れたバー・オアシスが、そこそこの人気店なのは、ブライアンの料理の腕が良いから。ブライアンからしたら、新作カクテルで人気が欲しいんだろうけど。


「私、やっぱり接客業に向いてないよ。愛想笑いが出来ないし、声も小さいし、よく注文聞き間違えるし、お客さんと上手く話せないし。私なんて、何やったって駄目なんだよ」

「だんだん慣れてくるって。最初から完璧な奴なんか、いないんだから。大丈夫だって」


 うじうじと泣き言を言う私に、ブライアンは「大丈夫、大丈夫」と言うけれど、気を遣われているのは分かってるから、途中で口を閉ざした。泣き言に付き合ってくれるブライアンが好きだから、嫌われたくない。だけど、最後に一つだけ。


「本当に結婚しちゃうの?」

「ん? なんだよ~。ノエル、焼きもちか?」


 そう言いながらニヤリと笑ったので、鼻の下にある髭が猫の尻尾みたいにカーブしている。感情豊かなブライアンの髭に、いつか触ってみたいと思いながら、私は唇を尖らせた。


「焼きもちなんかじゃないもん。……ちょっと淋しいだけ」

「愛しの姪に嫉妬されるのは、気持ちいいなあ~! これって、あれと同じだろ? 娘に『お父さんと結婚する』とか言われちゃうやつ!」

「同じかなあ?」

「姪なんて、娘と似て非なる者だぞ。……多分な」


 ブライアンはそう優しく言うと、私の頭を撫でた。子供の頃に死んでしまったお父さんが、いつもそうしてくれていたように。


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