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僕を殺しにきた男

作者: 髙橋英昭

              


               僕を殺しに来た男


 僕は小笠原達男、三十五歳のエジプト駐在員だ。

 派遣元は、日本の〇〇商会。中堅商社で、東京の丸の内に本社がある。

 僕は入社十年目になり、日常業務にもおおむね慣れてきたので、目先を変えて「海外へ行きたい」と会社に申請した。

 その結果、三年前からエジプト・カイロの駐在員として勤務することになった。

 未だ独身で花嫁募集中だ。


 エジプトと言えばピラミッド。壮大で個性的な古代エジプトの遺跡は、誰も一生に一回は訪れたいと願う場所だろう。

 三大ピラミッドやスフインクス、ルクソールの王家の谷など、エジプトに来れば必ず見学する遺跡だ。

 日本の約二・六倍の国土に日本の七〇パーセントの人口しかいない。

 カイロだけでも訪れるべき遺構、史跡、博物館など、数え上げればきりがない。

 生活していく上で、やはり気になるのは、物価である。然しエジプトはまだまだ物価の安い国だと分かった。例えば、

 〇 野菜は地元の市場で買えば一キロ三十円

 〇 鶏肉は一キロ三五〇円

 〇 地下鉄は一回の乗車で十二円

程度だ。

 アパートは中流層が住む場所で、家具付き一〇〇平米以上の物件が、三万円程度で見つかる。運転手や家政婦などは、ひと月二万円程度で雇うことが可能。

 また年中灼熱地獄の砂漠のイメージがあるエジプトだが、意外にもすごしやすい気候だ。夏はもちろん暑いが、最高でも四十度。湿度は日本より低く、思ったよりすごしやすい。

 冬は上着が必要だが、最低気温は十度前後。雨はほとんど降らず、毎日の天気予報に頭を悩ませる心配は皆無と言って良い。ただし春先には砂嵐が起こることがある。

 エジプトに長期滞在している日本人は、約一〇〇〇名。多くが首都カイロに滞在している。

 コミュニティレベルの交流は盛んで、スポーツ同好会、趣味の習い事などは豊富にある。

 エジプトの公用語はアラビア語。クネクネ曲がった文字で、最初はひとつの文字を認識するのにも苦労するほどである。

 然しエジプトは英語が比較的通じるので、心配はない。

 スーパーなどに置いてある大量生産品も、英語が併記してある場合が多く、買い物もさほど難しくはない。

 治安もそれほど悪くない。確かにテロ事件も発生しており、最低限の注意や情報収集は必要だ。しかし報道されるようなテロ事件が、日常生活に影響することはほとんど無い。

 イスラムという宗教のおかげか、警察が強いお国柄なのか、殺人・強盗などなどの凶悪犯罪のニュースが連日あるということは少ない。

 ただし犯罪がゼロというわけではない。ひったくり、空き巣などの軽犯罪は少なくない。

 エジプト人は明るくオープンな人が多い。

 知らない人間同士が気軽に話すので、バスや地下鉄の中で、レジに並んでいる最中に、おしゃべりが自然と始まることも珍しくない。


 カイロでの僕の住居はザマーレク地区にある。ナイル川の一番大きい中洲(島)で、治安もまあまあだ。

 お洒落なカフェやお店、高級ホテル、レストランがあり、高級スーパー、グルメエジプトやサニーなどもある。

 エジプト唯一の日本食レストラン「牧野」も、カイロオペラハウスもここにある。

 

 東京都の小池百合子知事が卒業したとされるカイロ大学は、ギーザ地区にある国立総合大学である。設立は一九〇八年。今では学生も二十万人以上もいる。

 小池百合子氏がカイロ大学へ行った理由は、アラビア語を習得するためだったらしい。

 アラビア語は一九七三年に国連の公用語に追加された。彼女はそれからすぐカイロ大学へ行ったらしく、その行動力が素晴らしいと言われている。

 ただ、既に報道されているが、小池氏とカイロで共に暮らしていた、元同居人の早川玲子さん(仮名)が「小池さんはカイロ大学を卒業していない」と詳細に証言している。一体どういうことだろう。


 駐在員になって二年目に、新人駐在員を歓迎するパーテイがあった。当地では西欧なみにパーティには夫婦で出席することになっている。

 僕が独身なので、岡本支社長(妻帯者)が、臨時のパートナーとして、アーヤ・ナサブなる女性を紹介してくれた。彼女は取引先の社長さんの娘で二十五歳。美しく気だても良さそうだった。僕の横に座ってくれたので、日常会話を交わしたが、英語は大丈夫だ。発音も悪くない。

 歓迎パーティが終わり、彼女を自宅まで送っていった。自宅はターハ・ホセイン通りに面していて、徒歩で約二十分ほどだった。

 その後彼女とは数度のデートを重ね、恋人関係になり、ある夜僕のアパートで遂にお互いの愛を確かめあった。


 ある日彼女と夕食を共にして、彼女を送ってから帰宅する途中、急にバーンと銃声のような音が聞こえた。そして少し先の方に、人がドサッと倒れるのが見えた。

 早速小走りに近寄ったところ、胸から血を流してうつむきに人が倒れていた。

 さらに暗闇に銃を撃った犯人とおぼしき人物が見えた。彼の顔はのっぺりとしていてうすら寒く、いかにも非情な人間という感じだった。

 僕は咄嗟に後ろを向いて、現場を離れようと、素早く走り始めた。

 急いで宿舎のアパートへ駆け込み、入り口のドアロックをしっかりかけて、室内に入った。

 窓からそっとのぞいてみると、犯人とおぼしき人物が、近辺をウロウロ探し回っている様子だ。僕が素早くアパートに駆け込んだので、一体どこに隠れこんだのか探し回っているのだろう。

 その日は疲れているうえに、お酒も少々飲んだので、シャワーを浴びて、すぐベッドに入った。

 

 翌日は日曜日なので、少し朝寝坊をして、九時近くまでベッドでぐずぐずしており、起きて、気になったので、まず窓から通りを見回した。

 すると昨夜見た銃撃犯が、未だ通りでウロウロ僕を探しているではないか。

「これは困ったな」と思い、恋人のアーヤに電話した。

「昨夜君と別れてから、酷い目にあったよ」

「一体何があったの?」

「暗い道で人が殺される現場に出くわし、生憎その犯人の顔を見てしまったんだよ」

「え、一体何ですって?」

「だから目の前で人が殺されたの」

「大変じゃない。貴男は何ともないの?」

「何ともない。しかし犯人が僕の後を追ってきて、アパートの周りをウロウロ探しているんだよ」

「それは大変ね。直ぐ警察に訴えなくちゃ。直ぐ行きなさいよ」

「ああそうする。また電話する」

「気をつけてね」


 そこで僕は裏口からそっと外へ出て、歩いて十五分程度のカイロ警察に入り、窓口にいた警官に、昨夜僕が目撃したことを詳しく説明した。

 犯人は僕のアパートの前をうろついて僕を探していたので、何とかして頂けないかお願いした。

 だが警官は昨夜の殺人について既に署内で動きがあるらしく、「どこで何時頃どういう風に銃撃が行われたのか」「撃たれた人物を見たか」「犯人はどのような男だったか」などの質問が集中し、現在僕が付きまとわれて困っていることなど二の次三の次のようなありさまだ。

 結局事件のあらましを見たまま報告させられただけで、僕の身の回りの保護については、未だ何ら事件が起きていないからか、動いてくれるようなことはなかった。


 警察を出て。またそっと裏口からアパートに入り、窓から外を眺めると、それらしき人物はいない。

 しかしこのままでは、明日の月曜日から、会社に出勤する際にでも彼に襲われる可能性がある。

 

 一体何故あのような殺人が行われたのであろうか。それはエジプトが抱える政治情勢に関係がある。

 今世紀になり特筆されるのは、イスラーム・マグリブのアル=カーイダ機構(AQIM)の勢力拡大である。

 この勢力を封じ込めるため、二〇〇七年より、アメリカが主導し、チャド、マリ、モーリタニカ、アルジェリア、モロッコなど十一か国が参加する「トランス・サハラ対テロ作戦構想(TSCTI)が組織された。

 直後にアメリカ軍は、トウアレブの反乱軍からの攻撃を受けた。この作戦で今日まで一〇〇人を超えるアルカイダ系民兵が死亡している。

 小笠原達男が顔を見たという殺人犯は、アルカイダ民兵が雇った殺し屋ハサン・イブン・アリー(三十二歳)であり、殺された方はトランス・サハラ対テロ作戦側の将校ムハンマド・サイード(三十六歳)だった。

 ハサンはこの殺しを七六〇〇〇ギニー(約五十万円)で引き受けている。


 今回殺しは上手くいったが、日本人らしい男に顔を見られてしまった。

「これは不味い。何とか彼も始末しなければならないな」と後を追ってみたが、

アパートの多い住宅街で見失ってしまった。

 一応雇い主であるアルカイダ民兵組織のリーダーであるアファド・ハナーディに携帯電話で報告した。

「ムハンマド・サイードはご要望通り殺しました」

「よくやってくれた」

「ところが・・・・」

「ところがどうした」

「現場を通りかかった変な日本人に顔を見られてしまって」

「何、顔をみられたって」

「そうなんです。面目ない」

「馬鹿野郎。警察に垂れ込まれたらどうする。我々にまで捜査の手が回ってくるじゃないか。直ぐその日本人も始末しろ」

「へい。やってみます」

「やってみますではない。必ず始末しろ。良いな」

「へい。間違いなく・・・」


 僕はまたアーヤに電話して「警察に行ったが、彼らは殺人事件の方にばかり目を向けており、肝心の僕を保護することなど、全く考えてくれなかったよ」

「警察ってそんなところよ。まだ貴男が何かされた訳でもないのに動いてくれることなどありゃしないわ。ところで殺人犯はどうなの。未だウロウロ貴男を探しまわっているの」

「昨夜はそうだったが、今朝は未だ見てない。だが何となく不安だな」

「困ったわね。明日は会社があるだろうし」

「そうなんだ。このままじゃ僕もやられてしまうかも」

「少しアパートを離れて身を隠したら」

「隠すってどこへ」

「サハラへでも行ったらどうなの」

「サハラってサハラ砂漠の事かい」

「そう。サハラ砂漠よ。トルコから逃げる人は大体サハラ砂漠にもぐりこんでしまうらしいわよ」

「一体どう行くんだい」

「簡単よ。バハレイヤまで行くと、バスツアーがあるわ。それに申し込んで、しばらくカイロを離れたら」

「分かった。そうする。君ともしばらくお別れだ」

「仕方がないわ。貴男の安全の方が大事だもの。気をつけてね。愛してるわ」

「僕も愛してる」

 そこで僕は早速旅行社へ出かけて、サハリツアーを申し込み、一週間後、バハレイヤに向かってスタートした。

 バハレイヤ行のバスは、想像以上に狭かった。しかも暑苦しい。

 バスは六時間ほどで到着した。

 昼食を済ませると、そのままツアーに出発した。


 殺し屋のハサンは、僕のアパート周辺を繰り返しぐるぐる回って僕を探していたが、見つからないとみると、また雇い主のアファドに電話した。

「例の日本人がみつからないのですが」

「どこを探したのか」

「へい。奴が逃げ込んだらしいアパートの回りでさ」

「どこかへ逃げられたんじゃないのか」

「いや。そんなことはないと思いますが」

「お前はあれからずっと見張っていたのか」

「へい。日曜日の午前中は少し帰っていましたが」

「馬鹿野郎。そのスキに逃げられたのだ。その辺から姿をくらます日本人なら、どうせサハラに逃げ込んだに決まっている。付近の旅行社に当たってみろ」

「サハラってサハラ砂漠のことですね。ようがす。分かりやした。早速当たってみやしょう」


 ハサンは近所の旅行社二、三社を訪ねた。

「サハリ旅行に申し込んだ日本人」として問い合わせたが、殆ど二人から五人ぐらいの団体の申込みが多く、単独で申し込んだ日本人はなかなか見つからなかった。

 しかし最後の三軒目に、ひとり日本人が単独でツアーを申し込んだという男がいた。それも昨日午前中に出発したバスに乗ったという。

「それだ」と見込みをつけ、次のバスで目的地のバハレイヤへ急いだ。


 僕がまず目にしたのはクリスタルマウンテンという石ばかりでできた小さい丘みたいな山だった。

 砂漠の中にあって、あまり目立たなかったが、近くで見ると案外きれいだった。

 次は白砂漠だ。元々海だったみたいで、石灰でこうなったらしい。景色も不自然に突起物があり、海の底を想像させる。

 先へ行くと大きなキノコみたいな奇岩に出くわした。高さは約五メートルもある。まるで奇岩マッシュルームだ。

 まもなく夕方だ。ホワイトデザートに沈む夕日が堪らなく美しかった。

 夕食を済ませると、夜は砂の上にマットを敷いて、寝袋とブランケットで寝た。

 砂漠の夜は結構寒い。持っていた服も全部着込んで寝た。

 顔だけ出して空を見上げると、視界の端まで星空の天井だ。月の存在感がすごい。

 三時ごろに月が沈んでからは、より一層星空がきれいに見えた。

 一人で寝ていたから回りで音はしない。砂が風で転がる音が聞こえる。

 星空に吸い込まれるように眠った。


 翌朝は朝日を見たくて、少し早めに起きた。

 あたりはぼんやり薄暗い感じで、起きて砂山を登って、地平線から朝日が上がるのを待つ。

 空の端が徐々に赤くなっていき、そこから現れた太陽、ゆっくり力強く大地を照らしてゆく。

 日が上がり照らされたところから、暑くなってゆく。


 後ろから何か近づいてきたと思い振り返ると、体長四十センチぐらいで、耳の大きなキツネが現われた。フェネックギツネという。丁度巣穴から出てきたところである。

「どこから来たの」

「カイロだよ」

「あまり見かけない顔だね」

「昨日来たばかりだよ」

「どこの国の人」

「日本だよ」

「へえ。日本て遠いんでしょう」

「そうだね。この地球の反対側かな」

「何しに来たの」

「サハラ砂漠の観光だよ」

「そう。じゃあ気をつけてね」

「ありがとう」


 荷物を整理して車に乗り、黒砂漠へ向かった。黒砂漠は噴火でそうなったらしい。

 大きなサボテンが一本そびえ立っている。

 驚いたことに話しかけてきたのだ。

「サハラに何しに来たの」

「実は少しワケアリなんだ」

「ワケアリって何?」

「人に話しにくい事情があるってことだよ」

「私はサボテンだから良いでしょう?」

「仕方がないな。実はカイロで殺人事件を目撃し、その犯人の顔を見ちゃったので、その犯人から逃げてきたんだよ」

「へえ。犯人てどんな人?」

「顔はのっぺりとしてうすら寒く、いかにも非情な人間という感じだったよ」

「その人今どこにいるの?」

「カイロだが、日本人が逃げるのはサハラ砂漠が多いというので、ひょっとしたら僕の後を追ってきているかもしれない」

「へえ。じゃあ気をつけてね」

「ありがとう」


 僕は黒砂漠を先へ進んだ。 

 砂の上に黒い固まった溶岩がチョコチップのようにトッピングされている感じだ。

 溶岩の手触りはザラザラした感じじゃあなく、ちょっとゴムみたいな弾力のある触り心地だった。

 火山らしい山に登ってみた。山の上から見た砂漠の景色は絶景だった。


 ハサンは予定通り六時間ほどでバハレイヤに到着した。昨日のことである。

 直ぐツアー会社に「日本人の男がひとりでツアーに出掛けてないか」質問した。

 すると応対にでた係員が「昨日の昼すぎにスタートしたツアーに、日本人の男性がひとりで乗っていきましたよ」と答えた。

「名前は何というんだ?」と聞くと、

「お客様の情報はむやみにお教えすることを禁じられておりますんで、すみません」と言う。

 やむなくひとりの日本人男性の後をめざしてツアーバスに乗り込んだ。

 

 やがてハサンも小笠原と同様に、クリスタルマウンテンを過ぎて、白砂漠にやってきた。

 ここを過ぎると夕方になり、ツアーメンバーと一緒に夕食を摂る。夕食は米と肉じゃがみたいなのとサラダとチキン。何を食べても上手いとは感じられなかった。

 ツアーの連中は酒を飲んで騒いで楽しんでいるが、ハサンは何も楽しくなかった。

 ただ酒だけはグイグイ飲んで、砂の上にブランケットを敷いて寝ころんだ。

「俺は一体何をしてるのだろうか。こんなサハラ砂漠くんだりまで来て、名前も知らない日本人の男を追いかけている。アルファドは顔を見られたなら、その日本人も始末してしまえと言う。

 俺が貰うはずの七六〇〇〇ギニーはムハンマドを殺すことで貰う礼金であり、何も目撃した日本人の男まで殺す謝礼は入っていないはずだ。よし。帰ったらアルファドと交渉して二人分の殺しの費用を、経費は別として、召し上げてやろう」

 寒さが身にしみるので、ブランケットを顔まで引き上げて眠りに入った。


 翌日になった。

 まぶしい朝日を受けて少し歩くと、ぐしゃっと何か踏んずけたような感じがして下を見ると、小さな穴が開いていたのを、少し踏んづけて壊したもようである。

「おい待て」と言われ、見ると四十センチぐらいの耳の長いキツネだ。

「何だ」

「何だじゃない。折角ワシが一カ月かけて作った巣穴を踏んづけやがって、メチャメチャになったじゃないか」

「そんなの知るか。大体俺が歩く前に巣穴など掘っておく奴が悪いのだ」

「無茶を言うな。今まで多くの観光客に出会ったが、グチャッと踏みつけたのはお前だけだ。謝れ」

「ふざけるんじゃねえ。こんなことにいちいち謝ってられるか」

「ひどい男だな」

「ああ結構。俺はひどい男だ。アハハハ」

「その内ほえずらかくなよ」


 このフェネックギツネは、身体は小さいが、この砂漠に永く住み着いており、結構知合いが多い。蠍もそのひとつである。

「おいサソリ君起きてるか」

「フワーッ。今起きたところだ。何かあったか」

「今酷い男に俺の巣穴を壊された。一カ月もかけてじっくり作った住居だ。そいつは謝りもしない。全く怪しからん奴だ。ひとつ懲らしめてやりたいのだが」

「どうしょうというんだ?」

「未だ遠くへは行ってない。そいつの足に噛みついて毒を振りまいてくれないか」

「俺はむやみやたらに噛みついたりはせん。ちゃんとした理由が無いとな」

「だから言っただろう。俺の大切な巣穴をぶち壊してくれた奴なんだ。頼むよ。永い付き合いじゃないか」

「そういわれると弱いな。よしやってみよう。どいつだ?」

「あれあれ、あそこをノソノソ歩いているエジプト人だ」

「よし。任せておけ」


 朝から不機嫌な顔で真白い砂の上をノソノソ歩いているハサンに対して、蠍が急に向う脛めがけて飛びついて噛みついた。

「痛っ」とハサンも声を上げ、目の前に赤い蠍がいるのに目がいって、靴で思いきり踏みつぶしてしまった。

 蠍にしては命がけの仕事であった。

 じっと見つめていたフェネックギツネは「ざまあみろ。しかしサソリ君には悪いことをしたな。人助けではなくキツネ助けをしてくれた。迷わず成仏してくれ。ナムアミダブツ」と歩き去っていった。


一両日して、ハサンは朝食を食べる時間になっても、未だ起きてこなかった。毒が身体中に回ってきたのか、もう身体は冷たかった。


 その後小笠原は石のプールにお湯を張っているだけのような野温泉に浸かり、砂漠ツアーの疲れをほぐした。

 帰途またもや例のフェネックギツネに出会った。小笠原より、

「やあまた会ったね。元気にしているかい?」

「元気にしているよ。それよりエジプト人の死体を見なかったかい?」

「死体? 一体どういう事なんだ」

「いや二、三日前、通りかかったエジプト人に俺の大切な巣穴を壊されちゃったのよ。それで謝りもしない不届きな奴なんだ。そこで親しくしている蠍に噛みついてやってくれと頼んだんだ。彼は快く引き受けてくれて、エジプト人の向う脛に噛みついたのさ。今頃もうあの世へ行ってると思って」

「そういえば昨夜寝る前、何か騒々しかったな。エジプト人が朝起きてこないとか何とか言ってたよ。気になるな。よしも一度戻って一体誰のことを言ってるのか調べてみよう。どうもありがとう」


 そこで小笠原はエジプト人の死体を見せて貰って、その男が彼を追いかけてきた例の殺人鬼だとはっきり確認したのである。


                           ( 了 )



  


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