深山村の少年2
「ごめん、なさい……僕……僕……」
あらた君は首を横に振った。
視線を下げ、優しく声をかけたにもかかわらず、彼は怯えるように謝ってきた。
確かに目が鋭くて初対面の小学生にギャン泣きされたことはあるが、それにしては明らかに怯えすぎのような気もして、俺はどうしようかなと頭を悩ませる。
「別に取って食おうって訳じゃないんだからそんなに怯えないでくれると助かるんだけど」
頬をかきながらそう言うが、あらた君は未だに怯えたまんまだ。
そんな彼を見て、俺の記憶に刻まれた一人の子どもがあらた君と合致した。
その確信なき予想を確かめるべく、俺はあらた君に向かって腕を伸ばした。
その瞬間、あらた君の顔色が一瞬で恐怖一色に染まり、拘束していた逸香の腕を振りほどいてしゃがみこんだ。
交差した腕は顔を守り、地面にポタポタと水滴が落ちる。
ごめんなさい。もう殴らないで。
今にも消え入りそうな声でそんな言葉が紡がれる。
それを見て確信し、立ち上がって逸香に真剣な眼差しを向けた。
「この子はDV被害者か?」
俺の言葉を聞いた瞬間、逸香は諦めた様子で「そら、わかるやんな」と呟いた。
「さっきインターホン越しに見せた反応を考えるとおそらく母親からじゃないな。彼の父親からってところか?」
「なんでわかったの?」
俺の言葉に、逸香は黙ったまま頷いたが、香織は驚いたように聞いてきた。
俺だって最初からそう思っていた訳じゃないが、あらた君は明らかに俺だけを見て怯えていた。香織が挨拶した時は平気だったというのに、俺を見た瞬間、こうなった。
つまり、俺を見て怖がったのだろうが、彼と初対面である以上、なんらかの要因が別にあるということだ。
例えば、俺の顔が怖いとか。
だが、そういった場合は微笑みかければすぐになんとかなるし、怯える子どももせいぜいが小学校の下級生まで。ならば、少なくとも顔が怖い以外にも要因があるということだ。
それに、こういう反応をされたことは、前にもあった。
「以前交番で勤務していた時にDV相談しに来た人が連れてた子も俺を見てそんな目をしてたんだ。母親の方に聞いたら、多分俺の鋭い目が殴る時の父親みたいで怖がってるんじゃないかってさ」
黙って俺の話を聞いてくれた逸香は、心配そうな目をあらた君の方に向けると、改めてこちらを深刻そうな表情で見た。
「……これはあんま言わんでって言われた話ばってん……あらたは幼い頃にお父さんから暴力ば振るわれとったらしいとよ。男なのに男らしくなかし、可愛か格好ばっか好んで着とるけん気持ち悪かって理由が大半だったっておばさんからは聞いとる。そんで、おばさんがそん人と別れた後、転校先の学校でも女っぽいってことで虐められて、他人ば信用できんごつなったとよ」
逸香はしゃがみ、慈悲深き目であらた君を見つめながら、ゆっくりと彼の頭を撫で始めた。
「……べ……別に遠山さんが怖いって訳じゃ無いんです。ただ、どうしてもあの男と面影が重なってしまって……」
あらた君は震える声でしゃがみながらそう言ってきた。
こういうのって理屈じゃないんだろうな。
きっと俺がその人とはどんなに違うと説明したところで、彼の心は俺とその男を結びつけてしまう。
「安心して、あらた君」
俺がどうすればいいかで悩んでいると、香織が再びしゃがんで彼に声をかけた。
「このお兄ちゃんはね、警察官なんだよ?」
「……ほんと?」
涙で潤んだ瞳が香織に向けられ、香織は笑顔で頷く。
「悪い人じゃなくて悪い人を逮捕する側でね、私もこのお兄ちゃんに助けてもらったんだよ」
助けた記憶なんてないが、それを今聞くのは野暮ってやつだろう。
「私も梓君も絶対にあらた君を馬鹿にしないし、絶対に殴らないって約束する。どんなに悪い人が来ても、絶対に梓君があらた君を守るから。だから、ね、一緒に遊ぼ?」
香織の言葉があらた君の心に響いたかどうかはわからないが、少なくとも彼の顔は前を向いている。
「ねぇ、あらた君」
話しかけると、彼はいきなりびくついた。そして、ゆっくりとこちらに怯えた顔を向けてきた。
「実はあらた君に言い忘れていたことがあるんだが……俺も実は小さい頃に女っぽいと虐められていたことがあるんだよ」
あらた君の表情に驚きの色が窺えた。何故かあらた君だけじゃなくて香織の興味も引いたが、別に隠しておきたかったことでもないので、素直に話す。
「俺の下の名前って梓って言うんだけど、これってどちらかと言うと女の子につけられる名前だろ?」
俺の言葉にあらた君はぎこちないながらも頷いてくれた。
「小学校の同級生からは梓ちゃんって呼ばれるし、年が上の従姉妹にはからかわれてしょっちゅうスカートとか女ものの服を無理矢理着せられて笑われたし……」
俺はあらた君の耳元に口を近付け、彼にのみ聞こえるように囁く。
「なんなら大学生の時に女装コンテストってやつに出されて大衆の面前に出て笑われたんだよ? 酷いと思わない!?」
そう聞いた瞬間、あらた君は力強く何度も頷いた。
うまく行きすぎな気もするが、この方が好都合だ。
あらた君にとって、俺はどんなに言い繕っても恐怖の対象になってしまう。だから、俺と彼との共通点を見つけて、そこから話を展開し、相手の共感を得れば、自ずと彼の方から心を開いてくれるって方法を取ってみた。……まぁ、酒の席で先輩から教わった女の子の口説きテクを実践しているだけなんだがな。
そういえば、共感を得るコツは真実の中に微量の嘘を織り交ぜて相手の反応で話の展開を変える、だったか……。
「別に俺は望んでこの名前になった訳じゃないんだよ!! だが、性別が男なのに女だって馬鹿にされる気持ちを他の奴らは全然わかっちゃくれねぇ!!」
「そうです! 僕たちがどんなに辛い思いをしたかなんて結局普通の人にはわからないんです!!」
「だが俺達は違う!! 互いに互いの辛さがわかる。そう! まさに盟友と言っても過言じゃない!!」
「盟友……かっこいい!!」
こちらに憧憬の眼差しを向けてきた彼を見て、後ひと押しだと確信し、俺は彼に手を差し伸べた。
「俺達は共に艱難辛苦を乗り越える為に巡り合った盟友だ。せっかく同じ苦渋を味わってきた二人が出会ったんだ。束の間の一時、今日は一緒に遊ばないか、あらた君!!」
「はい、お兄さん!!」
最初の怯えきった目は何処へやら。あらた君は期待に胸を膨らませた嬉しそうな顔をこちらに向けると、俺の差し出した手を強く握りしめてきた。
※ ※ ※
あらた君の準備が終わる頃には既に十五時半を二十分も過ぎていた。といっても、あらた君の説得に時間がかかっただけで、彼の準備は肩からかけたポーチを持ってくるだけだった。
道中、あらた君は何故か俺に対して憧憬の眼差しを向け続け、右腕に抱きつきながら俺の横を離れようとはしなかった。
きっとこれまで自分と同じ辛さを持つ相手がいなくて精神的に辛かったのだろう。そこに俺という似たような悩みを抱えて苦しんだ人間が現れれば、少しは依存したくなるのかもしれないと勝手に理由を作って自分を納得させたが、よくよく考えればこれって詐欺に近いんじゃと思ってしまったので、それ以上は考えないことにした。
「なぁ、あらた君、歩きづらくない?」
「大丈夫です。ありがとうございます、お兄さん!」
「お……おう」
本当はこっちがきついんだが、そんなあどけない笑みで否定されては何も言えなくなってしまう。
身長差四十センチ以上ある相手に腕を抱きつかれて歩くなんて初めてで、正直言わせてもらうと歩きにくいことこの上ないんだが……まぁ、俺が我慢すればいいだけの話か。
そんなこんなで神社までの道中は、あらた君に色々と話を聞かれながら歩いた為、香織とは全然話せなかった。
流石に神社の石階段では転倒の恐れもあるので手を繋ぐ程度にしてもらい、なんとか中段まで上がりきる。
中段の広い敷地内にはいくつもの屋台が並んでおり、大人子どもに関係なく、皆それぞれ祭を楽しんでいるように見えた。
しかし、屋台の数は少なく、見渡した感じ十かそこらしかない。おまけに遊ぶものもほとんど無かった。せいぜい射的や輪投げがある程度だろう。とはいえ、祭は祭、今日は楽しむとしよう。
「どれから行く? なんでも奢るよ?」
「えっ、流石に悪いよ」
香織が遠慮するように手を振ってくるが、そこに後ろから逸香が抱きついた。
「まぁまぁ、せっかく梓がああ言っとるとやけん、かおちゃんもここはお言葉に甘えとこ?」
そう言った逸香はこちらに目配せしてきた。勿論わかっているさ。
「ほら、逸香もこれであらた君と何か食べて来ていいぞ?」
そう言いながら、彼女に五千円札を差し出す。
彼女はニヤリと笑い、俺からひったくるように五千円札を受け取ると、あらたの前に出てしゃがんだ。
「なぁ、あらた。あたしと一緒に祭回ろ?」
逸香が人の良い笑みでそう言うと、あらた君は俺の背中に回り、彼女の顔色を窺うように、首を横に振った。
「……僕、お兄さんと一緒にいたい……」
なんてこったい……これは流石に想定外だ。
逸香がこちらを恨みがましく見てくるが、こんなに懐いてくれるとは思ってなかったんだから仕方ないだろ?
「そんなこと言わずにさ、あたしと一緒に回らんね?」
逸香は果敢にももう一度チャレンジするが、あらたは俺の裾をきゅっと強く握って無言で首を横に振った。
「……ならしょうがなかね。振られたあたしは一人で回ってくっけん、後は三人で楽しむたい」
「ちょっと待てや」
屋台の方に行こうとする彼女の腕を掴んで止め、周りに聞かれぬように耳打ちする。
「お前が俺と香織を二人っきりにするって言うからこの子を連れて来たんだぞ! 責任持てや!」
「だってここまで梓に懐くなんて思っとらんかったったい」
「俺だってそうなんだからどうにかしてくれよ!」
小声で逸香と会話していると、急に服の裾が引っ張られた。見てみると、涙目になったあらたがこちらを見ていた。
「お兄さん、僕が邪魔なの?」
あっ……これはまずい。
「ぜ……全然そんなことないぞ!! いや、えっと、ほら、やっぱり祭なんだから皆で楽しまないとって思っただけだぞ?」
「……ほんと?」
目を潤ませながらそんなこと聞かれて、首を横に振れる訳無いだろ。いい加減にしろ!!
俺があらた君の言葉に肯定していると、いきなり身体がゾワリとした。これは時折部長が剣道の試合中に見せてくる殺気に近い。
警戒のために辺りを見回すと、明らかに他の人とは雰囲気の異なる壮年の男性がこちらに歩いて来ていた。
「へぇ、珍しいな。深山んとこの坊主が外に居るなんて? ようやく連れ出せたのか、逸香?」
下駄の軽快な音を鳴らしながら歩いてきたのは渋い感じの男だった。歳は三十後半から四十前半くらいの見た目で、市松模様の藍色の法被を着ており、オールバックにした髪型が特徴的な男性だった。
彼は左手で無精髭の生えた顎を撫でながらこちらを値踏みでもするかの如く、観察していた。
俺の生存本能がこの人には近付くなと言ってくる。
この人はヤバい。うちの部長や居合いの師範と同じような匂いを漂わせてる。戦わなくてもわかる。この人と俺が同じ土俵で戦えば、十本やって一本程度しか取れないだろう。だが、それは剣ありきで尚且つ戦場が床のある場所での話。
この状況において、俺に勝ち目など万に一つもないだろう。
「師匠? なんでここにおっと? 今は山籠りしとったとじゃなかと?」
「ふぇ……師匠?」
逸香の口からとんでもない言葉が放たれ、俺は彼女の方を見た。すると、逸香の頭に大きな手が乗せられる。
「俺は矢車敦ってんだ。逸香の親とは子どもの頃からの大親友でな。だからあの二人が亡くなってからは俺が代わりに逸香の面倒を見てやってるって訳だ」
人の良い笑みをこちらに向け、ガハガハと笑いながら逸香の頭を撫で回す男は、逸香の代わりに俺の疑問に答えてくれた。
「まぁ、金は無かけん学校にはあんま行かせられんかったが、その分、自然で生きる術は俺に出来る限りのことば教えたとよ。そしたら俺のことば師匠呼び始めたった」
そこまで言うと、彼の手は逸香の頭から離れ、腕組みの状態になった。彼の和やかな雰囲気が一瞬で変わる。
「さて、お前さんの質問には答えてやった。次はこっちの番だ。深山んとこの坊主と金山んとこの嬢ちゃんは知ってるが、お前さんは一度も見たことがねぇ顔だな。……何者だ?」
細められた目は俺を睨む。その瞬間、俺の足はまるで凍らされたかのように動かなくなってしまった。
だが、俺は自分に落ち着けと言い聞かせ、深呼吸をした。
「俺は遠山梓って言います。そこにいる金山香織の高校からの同級生で、今日は彼女が舞うと言われる舞を見に東京から来ました」
「ほ〜う、ってことは金山の嬢ちゃんの彼氏って訳か」
「違いますよ!!」
矢車さんのからかいに声を大にして否定する香織。そこまで強く否定されるとさすがに来るものがある。
「はっはっ、そこまで強く否定してやると可哀想じゃないか。まぁ、それはそれとして……お前さん、なかなか興味深いな」
矢車さんは香織から視線を外すと、今度は俺に視線を戻す。その目は先程までとは異なり、まるで面白いものでも見つけたかのようにニヤニヤしていた。
「まぁ、今日はせっかくの祭だ。村の連中に迷惑をかけさえしなければそれでいい。せっかく山から降りてまで舞を観に来たんだ。俺が暴れて台無しにする訳にはいかん。それじゃ、せいぜい楽しめよ」
矢車さんはそう言うと俺達に背中を向け、そのまま屋台のある方へと向かって歩いていった。
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第7回の方言は「ばってん」について。
この方言は、しかし・けれどもの意味で使われます。
最近仕事が忙しいけん小説の執筆速度が落ちとるって言いよるばってん、ゲームをする余裕はあっとね?
という感じで使います。
この方言は流石に熊本県民で知らない者はいないでしょう。
九州の方言は関西のものと似ていたり同じようなものだったりも多いですが、こういった独創的な方言があるのも特徴ですよね。
それではまた次回!! お会いしましょう!!