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モヤビト  作者: 鉄火市
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深山村の少年1


「もうそろそろ祭が始まりそうやけん、そろそろ切り上げんね?」


 俺が心の中でぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーという般若心経の有名な一文だけを繰り返し唱え続けていると、突然逸香が自分家の中にある時計を確認しながらそんなことを言い始めた。


「まだ十五時前じゃん。十八時開始じゃなかったの?」


 俺が自分の時計を確認しながらそう聞くと、彼女は一笑に付した。


「十八時から始まっとは巫女の舞たい。それまでは屋台とかが出とっけん、遊ばんと損じゃなかね」

「なるほど」


 要するに、香織とお祭デートが出来るって訳か。

 それなら早く行くに限るな。


「もうそんな時間?」


 首に白地のタオルを巻いた香織が階段を降りてきて、逸香に向かって少し驚いた様子でそう聞いた。その手にはダンボールが握られている。


「どうしよう……ちょっとのんびりしすぎちゃったね」


 困っている様子の香織からダンボールを受け取ると、香織はありがとうと俺に言ってから、逸香の方を向いた。


「いっちゃん、残りは明日やるけん、一階の窓ば全部閉めてきてくれんね」

「それはいいけど、外のはそのまんまで良かと?」

「うん。せっかく祭の為に遠いところから梓君が来てくれたんだもん。ちゃんと祭を楽しんでもらわんと」


 そう言うと、香織はこちらに笑みを向けてきた。どうやら怒りはもうほとんど無いらしい。


「なら、かおちゃんは一回風呂に入ってきなっせ。せっかくん祭なのに巫女様がそんな格好じゃあかんよ?」

「……いいかな?」


 彼女が上目遣い俺に聞いてきた為、俺は頷く。


「そのぐらい待つよ」


 俺としては別段気にしないが、男と女性では感覚が違うのだろうと判断した俺は、はやる気持ちを抑え込み、その内心を悟らせないよう笑顔で香織に告げた。

 すると、香織は嬉しそうな笑みを見せてきた。


「二人共ありがとね。いっちゃん、鍵ば閉めたらいつもん場所に直しとってね」


 香織はそう言うと診療所を後にし、俺達も軽く片付けて戸締まりをしてから、一緒に香織の家に向かった。


 ※ ※ ※


 十五時を少し過ぎた今、俺は香織の家でシャワーを浴びていた。

 それもこれも、逸香がドストレートに俺を汗臭いと罵倒してきやがったからだ。自分でも薄々気付いていたが、他人、ましてや同年代の女性に言われるとかなり応える。

 だが、これから香織とデートする以上、汗臭いとは思われたくない。

 その為、香織が上がった後に、シャワーを貸してもらったのだ。


 汗の匂いがしないように念入りに身体を洗ってから、俺は風呂場を出た。脱衣所に置いておいた服を身に纏い、俺は脱衣所にあった姿見の前で変なところが無いか念入りに確認した。

 明日着る為に持って来ておいた前開きのシャツと、先程まで履いていたジーパンの組み合わせはあくまで自分的な視点からだと悪くは無い。だが、いざ行こうと思うと、足がすくみそうになる。

 ださいと言われたらどうしよう。

 似合っていないと言われたらどうしよう。

 そんな不安が頭を過る。


「なんばしよっとね!! 待ちくたびれたばい!!」


 脱衣所の扉がノックも無しに開け放たれ、俺はいきなり入ってきた逸香に啞然とする。


「……せめてノックくらいしろよ」


 逸香の奇行に呆れてそう言うが逸香に気にした様子は見られない。それどころか彼女は値踏みでもするかのような鋭い視線を俺に向けてきた。

 今度はなんて罵倒されるんだろうと身体が勝手に身構えてしまう。しかし、彼女の表情は俺の予想に反して綻んだ。


「よかよか。男はそんぐらいビシッとしとった方がかっこよか。ほら、上がったとやったら早く(はよ)こんね。かおちゃんが待っとるばい」


 少し口角を吊り上げた逸香の言葉は、俺の心に絡みついていた不安を一瞬で取り除いてしまい、俺は呆然と立ち尽くしながら、去っていく彼女の背中を見つめた。

 俺の気持ちに気付いているからこその気遣いなのだろうか?

 そんなことを思いながらも、俺は心の内で彼女に感謝しながら脱衣所を出た。


 居間に戻ると、先に戻っていた逸香と香織が俺を待っている様子だった。だが、俺はそのあまりにも魅力的な香織の姿に言葉が出なかった。


 彼女は赤を基調とした花柄の浴衣を着ていた。

 髪を結い上げ、はにかみながらもこちらに微笑んでくるその姿に、思わず見とれてしまっていた。


「なんば鼻の下ば伸ばしとっとね? 男なら気の利いたセリフば言わんか」


 朝見た時と同じ格好をしている逸香が腰に手を当てて俺になにかを言っているが、それが耳に入らない程、俺は香織の浴衣姿に夢中だった。

 香織が一歩、前に出て尋ねる。


「どう、かな? 変じゃない?」


 声がうまく出せなかった俺は、肯定の意味を込めて無言で何度も首を縦に振る。すると、香織は安堵したように胸を撫で下ろし、少し照れくさそうに笑った。


「良かった。じゃあ、行こっか」


 香織に促され、俺達三人は祭へと向かった。


 ※ ※ ※


「祭って何時開始なの?」


 神社に行く道中、俺は気になった質問を二人にぶつける。


「屋台が本格的に始まるのは十五時半からだけど、基本的に十七時頃に人が集まってきてるかな。私は十七時半には準備を始めないといけないからそれまでは遊べるよ。祭が終わったら宴会だし、いっそのこと梓君も参加したら?」

「えっ、それって余所者の俺が参加して良いやつなの?」

「よかよか。どうせ、子どもと老人ば除いた人達が集まって酒ば飲むだけやけん。巫女役のかおちゃんが呼んだ友達って言えば誰も邪険にはせんよ」

「お邪魔でないなら参加しようかな。どうせ帰ってもやること無いだろうし」

「そうしなっせ。あっ、それともう一ヶ所寄りたい所があっとやけど、ええかな?」


 逸香の言葉に俺と香織は首を傾げた。

 一瞬、自分の家に帰りたいのかとも思ったが、彼女の家は既に遠くにあり、帰るのならば戻らなくてはならない。

 今気付いたにしては、そこまで焦った様子は見られない。

 だからこそ、香織も疑問を抱いたのだろう。


「別に構わないけど、どっか行きたい所があっと?」

「せっかくやけん、あらたば誘おう思ったとよ」


 香織の方言混じりの質問に逸香が答える。だが、そこに聞き覚えのない名前があった。

 あらたという名なら男だと思われるが、俺のように異性のような名前をつけられた女性という場合もある。

 俺は心の中で後者でありますようにと祈りながら、その続きを黙って聞こうとしたが、香織はその名前に聞き覚えがあるようだった。


「あらた君? あぁ、そういえばいっちゃんってあらた君の矯正ばおばさんに頼まれとったね」

「矯正? その子って問題児かなんかなの?」


 俺が気になったその質問に逸香がううんと首を横に振った。


「ひきこもりとたいね。梓みたいになよなよして日がな一日ゲームばっかしとる男ん子たい」

「なんでさりげなく俺を罵倒するの? というかそんな生活したことねぇよ」


 逸香に怒りのジト目を向けるが、彼女がそれを気にした様子は見られない。


「せっかくやけん連れていこう思ただけたい。嫌ならよかばい?」


 逸香の目がこちらに向けられ、香織もまた、判断を俺に委ねる様子だった。俺的には香織が他の男に言い寄られる可能性は出来るだけ排除しておきたい。しかし、ここで提案を断れば心が狭いと思われかねない。

 腕を組んで真剣に悩んでいると、逸香がこちらに向かって手招きしていた為、彼女に耳を向ける。

 左の耳に彼女の吐息がかかるくらいの距離で、彼女は密やかに告げる。


「あらたば連れてこれたら、あたしはあらたの面倒ば見らなんごつなっけん、かおちゃんと二人っきりでデートばするチャンスばい?」


 囁きかけてきた彼女の言葉に、俺は目を輝かせ、こちらを見て少し膨れた顔を見せる香織にこう答えた。


「引きこもりを更正させるのも警察官の立派な使命!! 警察官としては見過ごせないだろう!! あらた君も是非祭に連れていこう!!」


 俺の言葉に明らかに驚いている様子の香織は、俺の言葉に戸惑うだけで否定することはなく、俺達三人はあらた君とやらが住む家に向かった。


 ※ ※ ※


 あらた君の家は香織の家から十五分程歩いた先にあった。途中、腰の曲がったお婆さんや、軽トラックに乗ったおじさんが絡んできた為、五分も余計にかかってしまった。

 

「……おっきな屋敷だな……」

「そやろ?」


 目の前の屋敷を見て感嘆の声を上げると、逸香がどや顔でそんなことを言い始めた。

 屋敷の周囲は竹と塀で囲まれており、塀につけられたインターホンの上には『深山』の二文字が彫られた板があった。


「深山?」

「あらた君はここの村長の息子さんなの。と言っても、新しい奥さんの連れ子らしいんだけどね。元々都会に住んでたとかで、部屋でゲームばっかりしてるんだって」


 香織の説明は明らかに彼のことをある程度知ってないと得られなさそうな情報で、最初に見せた深山あらたという少年をあまり知らなさそうな反応とは少し食い違うような印象が見られた。


「初対面なんだよね?」

「うん、深山さんとこのあらた君は家から全然出てきてくれたことが無いからね。私が東京に行ってる間にこっちに来たから私も会ったことないんだよね〜」

「……それにしてはやけに詳しくない?」

「いっちゃんがよく話に出す子だからね」


 その言葉に少し安堵してから、俺は門扉の横にあるインターホンを鳴らした。

 インターホンを鳴らすと、壮年の女性と思しき声に対応された。

 逸香が前に出てあらた君を祭に連れて行きたいと言うと、嬉々の声を上げ、俺達を招き入れてくれた。

 砂利敷の道を進むと、池の傍に屈んでいる女の子を見つけた。


「ここって女の子もいるの?」


 俺の質問に逸香が首を傾げる。


「なんばいいよっと? ここには一人息子のあらたしか子どもはおらんよ?」

「じゃああそこにいるのはそのあらた君の友達ってこと?」


 俺は池の傍で屈んでいる女の子を指差した。

 ボーイッシュな髪型でタンクトップに短パンというラフな格好ではあるが、その端正な顔立ちは、どっからどう見ても女の子にしか見えなかった。

 逸香は俺の言葉を疑うかのように視線を指先に向けると、まるで獲物を見つけた野生動物のように目を輝かせた。


「あらた!!」


 すぐ傍で放たれた大声に驚くが、驚いたのは俺だけでなく屈んで池を見ていた子どももだった。

 そして、その子どもはこちらに気付くと、あからさまに青ざめ、こちらに背を向け脱兎のように逃げ出した。

 しかし、逸香はそれがわかっていたかのように、すぐさま子どもを追いかけ始めた。

 二人の姿はすぐに家の影で見えなくなるが、数秒後には、子どものものと思われる甲高い悲鳴がこっちまで聞こえてきた。

 数分後、逸香に拘束された先程の子どもが、諦めたように項垂れ、連れてこられた。


「もしかしてその子がさっき言ってた深山あらた君?」


 近くで見てもとても男の子に見えなかった為、俺は敢えて君付けでその子のことを確認した。


「そうそう、深山あらた十三歳、こう見えてもちゃんとした男の子とよ?」

「……こう見えてって……まぁ、僕が男っぽく見えないなんて今に始まったことじゃないですけど……」


 自虐的なあらた君の言葉には同情するが、確かに紹介された今でも男の子にはとても見えない。

 日焼け痕が一切見られない色白の素肌に中性的な顔立ち。目は大きく二重で少し垂れており、まつ毛も長い。くせっ毛の目立つ焦げ茶色の髪は、男性とも女性とも取れる長さで、そのあどけなさの残る童顔を引き立たせている。身長は百四十あるかないかのせいで、少し子どもっぽく見え、変声期を迎えていないのか声が高めで、少しおどおどしい印象が見受けられる。ただ、逸香に凶器()を押し付けられて頬を赤らめているのにやめてと言わない辺りは男の子らしさが窺えた。


「私は金山香織、そこの逸香お姉さんとは子どもの頃からの仲なの。よろしくね、あらた君」 

「俺は遠山梓、ここの住人じゃないけど、一応よろしくな」


 屈んで視線をあらた君に合わせた香織が挨拶するのを見て、俺もそのままの姿勢で挨拶をした。すると、ようやく俺の顔を見たあらた君の表情が一変した。


「よよよよよよよよよろしくでず!」


 怯えるように俺を見上げて、涙目でそう言ってくる彼の姿を見て、この子が俺に対して怯える理由をなんとなく察した。だから俺はその場にしゃがんで、できるだけ笑顔を意識して、彼に話しかけた。


「屋台でなんでも好きなものを奢ってあげるから、一緒に祭に行かないかい?」

「ラッキー!!」

「……なんで逸香が喜ぶんだよ?」


 呆れてそう聞くと、彼女は不思議そうに首を傾げてきた。


「なんでって、全部梓の奢りなんでやろ?」

「お前は自分で払えや」


 さり気なく自分の分まで奢らせようとしてくる逸香がケチだのなんだの言ってくるが、俺はそれを無視してあらた君に視線を戻す。


「それでどうかな? 一緒に行かないかい?」


 そう聞くと、あらた君は怯えるように首を横に振った。



 鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!


 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。


 第6回の方言は「むしゃんよか」について。

 この方言の意味は、かっこいいという意味だそうで、老人達が「むしゃんよかね〜」と言っているところをよく見かけます。

 私自身、今まで一度も使ったことがないどころか、調べるまで意味すらわからない方言だったんですが、意外と人気の方言みたいです。


 それではまた次回!! お会いしましょう!!


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